いろいろな運命のめぐり合わせで、会社の駐在員としてロ-マで暮らす事になった。ロ-マに住みイタリアで仕事をしていると、思いもかけなかった事に気づく。
イタリア企業に対する技術協力を通して、逆に日本人の特性が理解できた。イタリア人は節操がないと思っていたが、この国で生活してもっと大きな視点でみると、民族としてアヤシゲなのは日本人の方ではなかろうか、という疑問が湧いてきたりする。
ロ-マの街は2000年前の文明の中に未だに存在しているようなところがある。この街の中で例えば、技術と文明、社会と個人、そして人間の生き方などを、定型的な日本での行動枠から抜け出て考えてみるのも無意味ではなかろう。というのも、世の中の変化が激しいようだ。日本もヨ-ロッパも、人類社会があまりに急速に変わりつつあるようだ。この先に何があるのか、期待しつつも不安もある。本当の未来社会の姿を知ってみたいものだ。
イタリアは北のアルプス・ドロミテ等の山岳地帯から南の典型的な地中海性環境まで、自然が豊かで多様な国だ。この国の自然と人の生き方を見ていると、人間の文化が自然の動物生態と相似形である事が実によく分かってきた。複雑で混沌としてきた人間社会の動向も、一レベル下げて生態学として見てみれば分かりやすい。そうして見れば、現代文明の延長上にある未来の社会のアブナさ加減が理解できる。
異文化の中で生きる、せっかくの機会である。こんな世界で出会う人々や出来事を通して考え感じる事を、とりとめもなくノ-トの隅や紙切れに書きつけたりしてメモに残してきた。そんなメモをいつの日にか整理して、まとめてみれば、きっと何か、それまで見えなかった事どもが姿を現してくるのではないかと、考えてきた。
ここに、その一つのまとめを試みてみたいと思う。
1988.8.3