Prologue

 ”Do in Rome more than the Romans do”  
  
 一歩でもロ-マに足を踏み入れたことがある人ならば、まず交通の乱雑さに度肝を抜かれたことであろう。この無茶苦茶な運転をやっている人達が、かつてのロ-マ帝国を築いた人々の末裔かと考え込んでしまうほど、そこには一種の混乱・無秩序が見られる。
 熱力学の第二法則にエントロピ-増大の法則というのがある。つまり「自然界での現象は時間とともにあらゆるものが秩序から無秩序の方向に不可逆的に進行する」というのが、これである。エントロピ-を一口でいえば「乱雑さの度合い」ということであるが、我々人類も自然の一部であり人間の営みもエネルギ-とみるならば、人類の文明もあるいはこの法則に従うのではあるまいか。 
 
 しかし、この混乱も注意深く観察してみると、すべてが無茶苦茶ではないと気づく。例えば、スピ-ドを出しすぎる人と遅すぎる人、ル-ルを全く守らない人と守り過ぎる人、すなわち全体としてのバラツキが大きいだけなのである。このバラツキの大きさが私達日本人の目には混乱・無秩序に見えるらしい。私たちに比べ、いい人はとてつもなく素晴らしいし、そうでない人は想像もつかないほど××・・・・。  
  
 生物生態系で環境条件のちがいに対し、それなりに適応が見られるのと同様に私たちの目にどう写ろうと、この社会もバラツキの大きさに対しそれなりに適応し安定しているようにも見える。現に交通事故の発生率も、かの規律の国ドイツと変わりないという。
  
  
 さて、このような状況下で異邦人がマトモに車を運転し、マトモに生活してゆくのは至難の業である。駐在員として赴任し、車を購入する前に真剣に考えた。 “Do in Rome as the Romans do”(郷にいらば郷に従え)の諺どおり、なんとか当地の平均レベルで車の運転すべくレンタカ-を借りて努力をしてはみたがなかなかうまくゆかない。そのうち、よそ者がここでマトモに事をなすには “・・・ do as the Romans do” ではダメで “・・・ do more than the Romans do “(連中以上にやっちまえ!)でなければならないことに気づいた。  
  
 これは偉大な発見であった。そこで軍艦マ-チのカセットかけて、日の丸ハチマキにまなじりたかく吊り上げて、数日間ロ-マの町中を The Roman以上にレンタカ-のぶっ飛ばしをやってみた。その甲斐あって、その後当地で自ら事故を起こしたことはない。だがThe Roman に車の後を当てられたことはある。  
  
 その朝ボルゲ-ゼ通りでタンク・ロ-リ-に追越しをかけたところであった。道路わきに駐車中の一台が突然動き出すのが見えた。その瞬間、後部に衝撃! ロ-リ-があの車をさけるのに急ハンドルをきって僕の車の後部にあてたのだ。もちろん、飛び出した車はそのまま去ってしまい、ロ-リ-の運ちゃんは、運わるく社会的バラツキの××の側の方らしく、い きなり大声でわめき始めた。  
  
  要は、「オマエが悪い! オマエが悪い!!」「オマエがオレの車の前に割り込んできて勝手にぶつかってきた!」と言っているのである。こちらが理解しようがしまいが、大きな体全体でまくしたて続けるのである。その声量は優に800m四方の範囲に届いていたと思われる。  
  こういう時には落ちついて待つのがいい。相手の肩ごしにロ-マの空に浮かんだ雲などながめながら待つのがいい。”おお-い雲、ばかにのんきそうじゃないか・・・・・”。彼のポテンシャル・エネルギ-も10分もすれば放散し尽くすはずだ。そして彼は静かになった。そこで僕は端的に説明してあげる。「君はハンドルを左にきった。ハンドルをきれば前輪は車幅からはみ出す。僕の車側のタイヤの跡がその証拠だよ」相手は肩をすくめ、そこに現れたオマワリさんも「ブラボ-!」。これで終了である。この社会でマトモに生きてゆくには、それなりの姿勢と工夫が必要であるようだ。  
  
  現在は人間の営みの進行速度が速くなった。これからの世の中はどうやら他の人がやっていること・これまでの人がやってきたことに従うだけでは人間、マトモに生きてはゆけないような気がする。エントロピ-の増大速度は益々速くなる。日本の社会が、いや世界の人類社会がエントロピ-極大になるのにロ-マほどの時間はかかるまい。ロ-マの街に身を置いてじっくり身を処す術でも考えよう。