5.In Rome , Do more than Romans do!

 会社のお医者さんコンサルタントが出向いてゆく会社はいつも技術協力等の治療ですむ病気の会社だけとは限らない。中には現在は健康だが将来の事考えてとか、もっと大きくなりたいとか、もっと幅広い活動をしたいという患者もいる。それに相手は自分の会社の同業者とは限らない。とりわけ自分
の会社も経営の多角化を始めたおかげで私の仕事は一層楽しくなった。柔らかなところでファッション業界から、硬いところでは航空・宇宙関係まで、いろんな世界と接触する機会が増えてきた。  
 相手が技術を欲している場合もあれば、共同での研究や事業の可能性を考える場合もある。互いに良く識り合った相手もいれば、まったく知らない相手もいる。いずれにせよ相手が何者か、実力は世のどのレベルか等を知っておかねばお互い不幸になる。こうなれば、医者と患者の関係ではない違った意味合いもあるが、こちらに相応の知識さえあれば考え方・取扱い方などはあまり変わるところはない。  
 過去に経験したことがない分野は自分にとっては常にSomethinng-Newである。この新鮮さがたまらない!などとワクワクしてはおれないのがプロの辛さである。またどんな業界どんな分野に出掛けても、昨今の技術やトレンドの変革は激しく、聞くこと見ること皆、驚きあきれるばかりである。  
 だがいつまでも驚きあきれていたのでは、この仕事は務まらない。三日間も付き合えば、顔に二三発のパンチを食らわす位のインパクトで、相手を驚きあきれさせなければ、こちらの話しなど聞いてはくれない。医者に患者の信用が必要なように、相手の絶対的な信用を得なければコンサルタント稼業は務まらない。  
  
 ここでの仕事の進め方、もうたっぷりとノウハウを作った。これについても一冊の本が書けるかも知れないが、後で食いはぐれた時のメシの種に残しておくのがよかろう。だが現実には小さな事の積み重ねでもある。  
 例えば使う言葉ひとつをとっても、初対面のイタリア人が英語を話さないとハナから分かっていても、こちらは敢えてイタリア語では切り出さない。  
 先ずは英語で切り出す。それも出来るだけスマ-トな英語で始めるのがよい。  
 相手が、「ゴメンなさい。私は英語がしゃべれない。」と言うのを待って、  
 「それでは、イタリア語で・・・」という事にする。そうすれば、同じヘタなイタリア語でもフェア-に仕事のカケヒキもできる。  
  
 会社の仕事に関する事は例えどんなに愉快な話題でも書かないのが義務である。だから会社の仕事でなくて自分のライフ・ワ-クについて、そのうちに書くことにしよう。  
 私が趣味について話すと、まだ日本では多くの人が「そんなアソビに熱中して・・・」と不謹慎な眼差しで見るようだ。だが私は自分ではアソビなどとは初めから思ってもいないし、むしろ自分のためのシゴト、自分のためにお金をかけてするシゴトと考えてきた。それにそういう彼等のゴルフやマ-ジャン、カブにカラオケのどれか一つを止めても私のライフ・ワ-ク程度なら時間的にも経済的にも十分おつりがくる。というと今度は、ゴルフ・マ-ジャンは仕事の一部、と言うからやっぱりやりにくい。勿論私も日本型社会の群の論理の重要性を理解しない訳ではない。だがそれが全てと考えるところに異論がある。日本の群社会にいる限り、皆と違うアソビならそ-っと目立たずにやるのがいいのだろう。それでも私は止めないが・・・・。  
  
 一人の人間が生きれる時間などいつでも有限だ。だから自分の趣味やアソビ、つまり自分のライフ・ワ-クは熱心にやる。一生懸命考える。いっそやるならその道のプロも超え、行き着く先を見極めた。  
 せめて気持ちだけはいつでも’Do more than Romans do!’だ。結果はどうでもよい。仕事は結果
が大切であるが、私の人生は過程に意味がある。  
  
 物事の考え方はどうやら、趣味にも仕事にも人生にも共通するようだし、本当に好きな趣味やアソビなら一生懸命考える。これが意外に役にたつ。  
 イタリアと日本の、社会の違い・会社の経営や工場管理の違いについての考え方も、私の場合、趣味の生態研究が役立った。  
 イタリアに進出して来た日本企業をイロイロ調べてみたら、その中の失敗例は、皆そんな社会特性の読み違いのようだった。日本の経験、日本の知識しかないそんな企業のコンサルタントには、国外進出の前にぜひ生態学でもやってもらえばどうだろう。いくらマジメな社員でも群一辺倒の単一思考の
人ならば、ここの世界では危なかしくって見ておれない。  
  
 とにかく私も、あれこれバラバラにやってきたイロイロなアソビや趣味の活動が、もうすぐ皆つながって、仕事も趣味もまとまるような予感がする。