4.ロ-マ人に勝つ方法

 バラツキが大きな社会には、何か自然の生態系に近いものがある。厳しさの反面、力ずく・知恵ずくでかかれば社会のバラツキの悪い側から良い側に移って行ける様な余裕がある。社会の構造に風が吹き抜けるゆとりがある。  
 一枚岩の社会、システマティックに過ぎて余裕のない社会、完璧すぎて融通がきかない社会、そんな日本の社会では、「人の社会と自然とは本質的に異なるものだ。」といった印象がある。  
  
 勿論、社会はシステマティックである方が、完璧な方がいい。だがロマンが周到に準備された安全な旅にではなく危険な無人島の探検行に有るように一方では完全な社会には何かが足りないという思いもある。  
 日本では人間関係も倫理も、相互援助や思いやりに基づいた社会的なものである。概してどんな分野でも、苦しくても何年か師従していれば、そのうち暖簾分けしてもらえ独立させてもらえる。それが倫理・暗黙の協定である。  
 師匠は長年従ってきた弟子をいつか独立させるか自分のポストを譲る義務を感じ、弟子はマジメに師匠に仕える義務を感じるものだ。この暗黙の協定の枠から外れれば社会の規範を冒した事になり、両者共に外れる訳にはいかない。学派も政治派閥も、芸術家もヤクザも概して似たような群社会にいるのではなかろうか。  
 イタリアは徹底的な個人主義に基づいた社会だ。人間関係も倫理も相互不信や自己中心・個人中心型のようだ。北の方ではかってはギルド等の徒弟制度が有ったようだが、これとても人間関係や倫理といった心的・情的なものではなく、社会契約的な制度に依ったもののようだ。  
 マフィアでは日本のヤクザとは異なり任侠・恩義理のような心的・情的な規範は無く、オヤブンが舎弟の立場や将来を思いやって侠気で子分にポストを譲った話しなど聞かない。自分で築いたボスの地位は死ぬまで自分の権利であり、子分はあくまで従業員で社長としてのボスは彼等の生死与脱の権を持つ。その方法は逃散防止も兼ねた’死の掟’があり、裏切り者はすぐ殺されるシステムになっている。だから次席がボスのポストに座りたければ、力ずくで’殺る’しかない。マフィアでは’殺って’しまえばそこのボスになれるが、日本ヤクザの任侠社会ではこのやり方は通用しない。イタリア映画に出てくる裏切りの構図である。そこに’仕返し’の反力が働かなければ、ボスのポストも安泰である。  
  
 この地には音楽や芸術の多くの留学生が日本から来ている。アカデミアの他、名のある先生に師従する事が多いようだ。  
 ここでも何年もマジメに師従していれば先生が自分のシマを分け与えてくれるというような社会規範はないようだ。コンペやコンサ-トで実力でノシ上がる他ない。この地ではエライ人は徹底的にエライ。  
 従って、私に言わせれば、先生々々と慕っていればいつまでも図に乗り続ける。弟子からの貢ぎ物
(授業料)は権利であり、それをミスミス放棄するようなバカなことはしない。ここでも場合によっては、ボス(先生)を実力で引きずり下ろしてその場所に座るしかない。なにしろプリマドンナのポストは一つしかないのだ。  
  
 バラツキが大きな社会では自然生態系に似て、それなりに大きな闘争が有るようだ。闘争のためのシステムは社会的にも準備されている。例えば芸術も音楽もその評価が、日本のように属する派閥に左右される事は少ない。コンペなど一般評価のチャンスが多いのもそうだし、また日本に較べ一般の人々の関心度も大きく違う。こうして’派閥’などの「群効果」ではなく実力の評価に関する社会的なシステムが風土的に備わっているようだ。  
  
 「闘争の場」は、日本のように限られた範囲の中で、決まったル-ルの下で過激な競争をするのとは違う。もっとドラスティックでダイナミック且つドライな方法のようだ。そんな中では、ケンカ(競争)に勝つためにチエを絞らねばならぬ。私は常日頃から、ケンカ(競争・闘争)に勝つ法則は次の三つしかないと考えている。

・第一法則・・・・「量」で勝つと言うこと。例えば普通の人が100題の問題を解いている間に130題を解けるといった量的処理能力である。30Kgより40Kg担げるという体力でもあるし8時間働くより12時間働くといったガンバリでもある。「量」の価値は誰もが理解できる価値であり努力によって得る事が出来る力であり、この力の発揮は日本型の社会では最も美徳とされる。  
 この例を広義に産業や社会でとらえると「生産性」である。生産性を高めることは企業競争力をつける上で最も基本的な力である。コンサルタントは先ず、患者の会社にこの基礎的な力をどういう方法で付けるかを考える事になる。  
  
・第二法則・・・・「質」で勝つと言うこと。例えば100題の問題を解いて、普通の人が85点なのに常に満点をとれる力である。或いは誰よりも上手に絵が描けるとか感性あふれるデザインができるとか仕事の「質」が生み出す価値である。この「質」の価値も、定量的に評価できる範囲はよいが、感性的・情操的な質に昇華されるに従い、日本人型の社会では評価がされにくくなる。ただし、一旦名声を得れば、以後盲目的に受け入れられるようになる。  
 この例を広義に産業や社会でとらえると「品質」である。例えば企業で製品なりサ-ビスの品質が高いと言う事はそれなりに実力が伴っている証である。「量」の問題は頑張ればなんとかなるが「質」の問題は頑張りで到達できる範囲には限度があり、あとは本質的な天性・能力に依るところが大き
い。コンサルタントとしては、患者の会社に対し先ずは「量」、生産性で基礎の力を付け、次に「質」をどこまで上げ得るかを考える。  
  
・第三法則・・・・一般に前記の二つの法則は、精神力とか体力の「がんばり」なり「実力」が必要である。また競争のル-ルや評価のル-ルもそれなりに社会的に了解され、日本的な過激競争は基本的に前記の二つ、「量」と「質」の範囲で行われる。この意味で第三法則の概念は日本型社会では理解されにくい。この概念が評価されにくいのは密集群型社会の特性に起因するからである。  
 第三法則は’Peculiarity’、すなわち特殊性・特異性である。つまり、他の人がやれない事、他の人がやらない事と言う価値概念である。希少性自体すでに価値である。ダイヤモンド・貴金属等モノであれば理解される概念も、人の能力や資質となると何故か日本型の社会では、その価値を認識され
にくい。’Something-New’に対する価値判断のル-ルがこの群特性にもともと無いからである。だがイタリアのような群特性の社会では俄然コレが価値を生む。日本人はこの点に気づかない。  
 後になって第四法則というのがある事を知らされた。だがこれはフェア-な考え方ではない。だから、あえて書かないことにする。  
  
 私が勤めている会社はこの国に大きなプロジェクトを持っている。その中でイタリア在住の多数の日本人に通訳の仕事をお願いしている。その多くの人達のル-ツは、美術や音楽の留学生だ。日本の一流の美大・芸大・音大を卒業し、プロとして自立の希望に燃えてやっては来たが、イタリア社会での
闘争に疲れ・夢破れ・失意のうちに通訳などに身をやつしている人も少なくない。  
 ある時、南イタリア・タラントのプロジェクトでそんな一人の彫刻家と出会った。彼はまだ現役の彫刻家で、ピサの少し北のカラ-ラという町に住んでいる。その町は白大理石を産し、昔から彫刻家や石工・大理石加工業者が住んでいる。彼は30才代半ばは過ぎているが、それまで人体彫像やモニュメントなど具象も抽象も制作してきた。芸術家として自分の理想を追えば、食べてゆけないし、売らんがための作品を続ければ単なる石工に成り下がってしまう。プロの彫刻家として家族を養ってゆくのはイロイロ厳しいらしい。  
 このプロジェクトでの通訳の仕事は生計の足しのためである。  
 ’イタリア在住芸術家’の看板を掲げて日本をマ-ケットに仕事をやってる日本人芸術家は多い。だが、イタリアやヨ-ロッパをマ-ケットにイタリア・ヨ-ロッパの芸術家とサシで渡り合える人は極めてない。彼は前者の立場をいさぎよしとせず後者の生き方をとった人である。  
 夜11時過ぎて、ホテルのバ-ルもようやく静かになり始めた。  
  
「もし、私がここイタリアに声楽家を志して勉強にきていたら・・・・・」  
  
私は、自分の意見を言った。  
  
「仮にそれなりに実力がつき、体操競技のように点数がつけられるとして9.1とか9.3の点数をとれるレベルになったとしたら、私だったらイタリアのマエストラ(先生)にこう言うネ」と続ける。  
  
「分かった、もうアンタ方の技術も手法も皆、良く分かった。ところでオレンチ日本にはアンタ方とは違うモノがあるよ。例えば日本陰音階で、こんな発声で・・・・・」  
 つまり、彼等にとってSomethinng-Newのモノを出す。  
 いつまでも、彼等の手の内で競争していても勝てるはずがない。ここは彼等の土俵、彼等のリングの上だ。9.1と点けるか9.2と点けるか、それはもう技術や手法の実力の問題ではない。民族や文化の間にある微妙な何かの違いである。この0.1の差はどう頑張ってみても当方、ブが悪そうである。し
ょせん30年間、タタミとミソ汁で育ってきた生理と心理、あるいは体型や感性が身に染みついているのだ。彼等の十倍のエネルギ-を使って努力をしトップ近づけても「アナタ、日本人の顔をしてるネ。だからマダム・バタフライのプリマドンナにしたげる!」・・・程度の事ではないかと私は疑っている。  
  
「私なら、こんなケンカはしたくない。私がここで長年、フェッシングを勉強しそれを極めたとしても、本気でこの地のフェンサ-と決闘するなら、彼等の剣は使わない。彼等の技術をわきまえた上で、鎖ガマか薙刀でも使いたい。」  
  
 もう真夜中過ぎ、バ-ルのボ-イも顔馴染みのエンツォだけが残って付き合ってくれていた。一般にプロの芸術家は誇り高く、めったに人の話など聞きはしない。だが何故かマジメに私のバカ話を聞いていた彼の顔は、だんだん喜々とした表情になってきた。最後に私の手を取り、「ありがとう」と心から言ってくれたようだった。  
  
 次の朝、彼が荷物をまとめて突然カラ-ラに帰った事は後で知った。プロジェクトの通訳の穴埋めを大急ぎで探すハメになったからだ。  
  
 それから一年かもう少し経って、そんな日の出来事など私はとうに忘れていた。あるプロジェクトでどうしても有能な通訳が見つからず、彼の名を思い出して電話をしてみた。留守がちの彼をやっとの思いで見つけ出し、通訳の件をたのんでみた。彼はその申し出を丁重に断って、こう言った。  
  
「私は今、彫刻家としての仕事が忙しいのです。このところ、ヨ-ロッパ中から作品の受注や個展の提案を受けているのです。」  
彼の声は喜々としていた。  
  
「どんなテ-マ・作風をされているのですか?」私は聞いた。彼は少々、躊躇して、  
「’生々流転’という東洋の思想をテ-マにやっています。」
  
 彼はこの地の素材と、この地の技術と技能を用い、この地に無いモチ-フで作品を創りはじめたようだ。彼の声はうわずっていた様だが、あの夜の会話のことは繰り返さなかった。