第Ⅴ章 ”郷に入らば・・・・”カモ群中のムクドリ  1.闘うニッポンジン

’ジュリアス・シ-ザ-を失禁させた男’  
  
 ミラノ・リナ-テ空港出発ロビ-、23時10分。またアリタリアのショペロ(ストライキ)である。もう慣れっこといいたいところだが、これだけは何度経験してもうんざりする。いつ飛ぶとも知れぬミラノ~ロ-マ最終便、乗客はチェック・イン後この出発ロビ-に入って、初めてこれを聞かされた。  
 この時期、ミラノではフィエ-ラ(見本市)が開かれているのでホテルは何処も空きはない。とにかくこうして待つしかない。  
 C’est la vie ! これが人生さ! 人生、いい事もあれば悪い事もあるサ。  
 出発ロビ-の片隅のバ-ルのとまり木でタバコをくゆらす。ライト・ダウンしたスポット・ライティングの間を立ち昇る煙は紫色。紫煙とはよく言ったものだ。たわいもない事など考えながらもとにかく待つしかない。誰もが諦めとも失望ともつかぬ気持ちでイライラし、周りは退廃的な雰囲気に充たされいる。    
 前にもこんな事があった。あの時は確か RAI-2のニュ-ス・キャスタ-のオネ-サンに話かけられて退屈しなかった。彼女はTVに出ている時もブラウスの上のボタンを一つ外している。あの時はこれに加えてフロント・スリットのスカ-トというスタイルだった。正にこの席で大胆に脚組みした彼女と話しながらそのスタイル、「効くナ-」と感じいったっけ。  
 同じ状況に押し込められた被害者どうしは、何故か同じ群意識になるものらしい。思いもしない出会いや日頃なら素通りするはずの人間関係が出来たりする。出会いがあるなら、また RAIのオネ-サンのようなのがいい。  
  
 で、やってきた。「あなた、日本の方ですネ。」タドタドしいカタカナ英語でこの日話かけてきたのは、私が最もニガテとするタイプのオトコだった。  
 先刻からこのロビ-内をチョロチョロ歩き廻っていた背丈が低くてこじんまりした男だ。イタリア人には割に多い体躯だが、そんな男が妙にキチンとし過ぎたりしていると私は何故か困ってしまう。第一、そのキザな蝶ネクタイと妙にニコニコしているところが気にくわない。それについ先刻剃ったばかりのような青々しい髭そり顔と妙に赤っぽい唇の組み合わせは、私には不気味に思える。今回の運命の神はこんなオトコを寄越した。  
  
 ”C’est la vie !”これが人生よ。  
  
 運命には逆らわない事にしている。彼は話つづける。何でもロ-マのある大手銀行の副支店長で、私も名を知るその銀行と日本のある銀行が業務提携することになり、今までミラノの本店で日本側との打合せをしていたのだと。  
 私はただ「ウン、ウン」と適当に話を聞いていると、日本と日本人を恥ずかしくなる程ベタ褒めする。そのうち、先程知り合ったという日本の銀行員の名刺など見せながら自分の名刺を差し出して、名刺交換してくれと言う。  
 こんな奴は怪しい。第一、銀行の管理者が業務提携などの企業機密をベラベラ喋るはずがない。あの日本人の名刺もなんだかウスラ汚れていたではないか。もう旧い手のサギの手口だ。  
 でも真夜中近くなっても何時飛ぶとも知れぬアリタリアを待つ間のたいくつしのぎにはこれもよい。私は騙されたふりして楽しめばよいのだ。  
 彼は私の会社の名を見て「オ-かの有名な・・・」と言った。次に、実は自分の銀行も私の事務所がある VENETO 通りのすぐ近くだという。益々怪しい。私は、彼が話し続けるのを「ウン、ウン、」と聞きながらそう確信した。きっとロ-マに着いたら「タクシ-代の手持ちがないから30万リラ貸してくれないか」と言ってくるぞ。そうしたら、私の名刺、電話番号の訂正があるから、とか何とか言って取り返してオサラバすればいい。  
 アリタリアのショペロ(スト)は結局、真夜中に解除され飛行機はなんとか飛び立った。そしてロ-マに着いても彼は借金の申し出はしなかった。  
  
 それから数日が過ぎた。私は例のごとく昼食後、Cafe do Pariでコ-ヒ-を楽しんでいた。突然そこに彼が現れた。やっぱりか・・・と私は思った。  
 彼は私を探していたに違いない。手を差し延べながらやって来る「オ-、Mr.オカモト」 チキショウ私の名前まで覚えているではないか。これで再び、確信できた。このサギ野郎、今日もあの蝶ネクタイと赤い唇をしていやがる。  
 彼は慇懃に、同席してもよいかと断って私の向かいに座った。キザなサギだ。詐欺もこれほど洗練されればもはや、芸術の領域だ。日本の新劇の舞台俳優などメじゃない。彼はコ-ヒ-を注文してから、もう何年も前からの知り合いでもあるかのように例のニコヤカさで話しはじめる。  
  
 ちょうどそこに日本のN銀行のロ-マ支店長のO氏が通りかかった。彼は私に気づくと、オヤオヤという表情をしてこちらに向きを変えて近づいて来た。そして手を差し延べた先は私でなく彼だった。「オ-、ドット-レ.ダ・ポンテ!」 そういえばコイツの名前、そんな名であったナ。  
 どうやら、彼は名刺通りのホンモノだったようだ。  
  
 ダ・ポンテ氏とはその後度々、事務所周辺の通りで出会いそうになった。「出会いそうになった」とは、彼の小さな姿に気づくと私の方から避けるからである。けっして彼は悪人でも意地悪でもないし、むしろ好意的過ぎるくらいである。また私の方とて彼を憎んだり嫌ったりする積極的な理由は何もない。だが人間誰にでも理性を超えて何というか、生理的にニガテな顔というかニガテなタイプというのがあるのではなかろうか。私の場合、彼ダ・ポンテ氏がそれである。彼こそ、そのニガテそのものなのである。  
 こうして逃げ廻っていても、彼の方が先に私を発見するともう逃げられない。走り来る車をモノともせず、かのコニコニ笑みの顔がVenetoの大通りを横切ってまっしぐらにやって来る。「ドア-ッ!ダ・ポンテが来るウ~ッ」と心は私とは別人のように叫んでいるが、身体の方は悪魔に呪縛された様に立ち止まりニコヤカに社交用の体制を構える。こういう状況を繰り返せば健康に良くない事は明らかだ。だから、Cafe do Pariも暫くあきらめて、通りを歩く時も市街戦の兵士のように八方に注意を払いながら前進する。それでも曲がり角の出合いがしらにバッタリ遭遇し、思わず「ギャ-ッ」と悲鳴をあげそうになるのを抑えた事も度々あった。とうとう、私は外を出歩かなくなった。そして私はこの苦悩から開放された・・・かに思えた。  
  
 だがアリタリアのショペロの日を担当した運命の神は、けっしてその日の出会いを帳消しにしてはくれないようだ。だから話しはまだ続く。  
  
 ダ・ポンテ氏との悪魔の邂逅は劇的に起こった。  
 ロ-マの住宅はたいていパラッツオ(マンション)形式になっていて、コンドミニオ(共益費)を管理するアンムミニストラト-レという役がある。この仕事は小さなパラッツオならば居住人がボランティアでやってくれたり、それを専門にやる会計士や会計事務所などがやる事もありイロイロである。  
 ある時私が住んでいるパラッツオのアンムミニストラト-レが交代した。そのため、少し離れたパラッツオの新しいアンムミニストラト-レの家にコンドミニオ(共益費)を届けに行った。教えられた住所の教えられた家番号を、やっとの思いで見つけ出しネ-ム・プレ-トを見ると、教えられたアンムミニストラト-レ、ドットレッサ・マリア・ビアンキと並んで、なんと’ドット-レ・マリオ・ダ・ポンテ’と記されているではないか!  
 つかのま忘れていた恐怖が甦ってきた。まさか! あのダ・ポンテ氏ではあるまいな・・・。イタリア人だって同姓同名の人も多かろう。だけどここは、安全をとって引き返した方がよかろうか。明日、妻にでも頼めばいいか。彼がこの近くに住んでいたなど聞いてはいないナ・・。イタリア女性は結婚しても姓を変えないのか・・・まいったナア ~・・・・等々、思案のあげくやっぱり引き返すことにした。恐いモノから遠ざかる時のようにネ-ム・プレ-トから目を離さずに後ずさりしながら、エレベ-タ-の方に戻りかけた。その時、  
 「オ-、インジェニエ-レ・オカモト! ペルケ スタ クイ ?」  
 その時、私の頭の毛髪は本当に総逆立ったのではないかと思われる。その声はまぎれもないダ・ポンテ氏のものであり、振り返るとまぎれもなく例の蝶ネクタイと赤いクチビルがあった。瞬間、これはもしかして、ドタバタ喜劇のイタリア映画の中にいるのではないかと迷ったくらいだ。だが仮にそうだとしても、話しはまだ終わらなかった。  
  
 玄関ドアの前での立ち話で、互いの事情は分かった。ダ・ポンテ氏は最近ここに移って来たこと。奥さんが会計士でアンムミニストラト-レをやっていること、等々。どれも私にとっては不運としか言いようがないが、彼は私が近くに住んでいることに、なぜかいたって満足気味な様子であった。  
  
 ドア・チャイムを鳴らし、インタ-フォンで奥さんに帰宅と来客を告げるとガチャリと重々しく鍵が開く。イタリアなら何処でもあるシステムだ。ダ・ポンテ氏に続いて、家に入ると奥方がにこやかに迎えてくれた。なんと!  
 この未熟児型の亭主にこの奥さんの成長度・成熟度の良さは・・・・。これでは夫婦喧嘩にもなるまいナ。イヤイヤこれが案外いい組み合わせなのかも知れないゾ・・・・などと想像を巡らせながら挨拶し合っているとドドン-と右足に衝撃が走った。犬だ!ボロ雑巾のような犬が、私の右足に噛みついてブラさがっていやがる。  
 「さあさ、こちらへどうぞ・・・」と奥さん。私は無言で足元のボロ雑巾を指さして見せた。「まあ、チェ-ザレ、おいたしてはいけませんヨ」と私を無視して先に行く。「おいた?」冗談じゃない。コイツは噛みついているんだ。この噛みつきは手加減してない。現にいつまでも離さないじゃないか。  
 二人は客間のサロンの入口で不自然な姿勢のまま、いつまでも夫婦の挨拶なんぞし合ってる。そちらがそう出るのならと、ボロ雑巾の尻尾を左足で思いっきり踏んずけて見た。「ギャイン」。そんな音を発すると二人の方にころげるように飛んで行った。「あ、ごめんなさい。つい足がもつれてしまって」と私はボロ雑巾チャンに向かって言ってやった。  
  
 「オ-、かわいそうなチェ-ザレ」と奥さん。私はどうなる!私は!と心の中でわめき散らしている。可哀相なのは、この私だ! ダ・ポンテ氏が「いえ、インジェニェ-レ、気にしなくていいですヨ」と言う。  
 バカ、気にするよ! 私もこの国に来て以来、よく人間が出来てしまったものよ。私こそ日本人のカガミではなかろうか。怒りはすでに限界に達しているのに顔は依然としてニコヤカさを保っておれるのだ。  
 ボロ雑巾、中型のナントカ・テリア、名をチェ-ザレと言う。カエサル・チェ-ザレと言えば、かの有名なジュリアス・シ-ザ-のことである。イタリア人は全く冗談がうまい。この家の英雄は、子供がいない夫婦の溺愛漬けペットの典型的な性格をしてやがる。パパ・ママの目の前ではお利口さんで陰でとんでもないワルをやらかす、あの手のヤツだ。もっともこの傾向、最近では人間にまで及んでいると聞くが・・・。  
 犬は喜怒哀楽をよく表す。私も子供の頃からたくさん犬を飼ってきた。家に戻ると、歓びを顔一杯に表して迎えてくれたものだ。特に小さな前歯を見せて喜ぶ顔は、明らかに犬の笑顔だと思う。  
 さてチェ-ザレ君、こいつは奥さん、つまりチェ-ザレのマンマの巨大な胸に抱かれている間は妙にお利口顔で、チョコンとすましていやがる。居心地は悪いはずはなかろうが、そのニヤケ顔にはムカつかせるものがある。とりわけ奴がそこから振り向いて私を見るとき、ニヤリと笑うような表情をする。例の犬の笑顔とはどこかが違う、あの前歯を見せる表情とは微妙に違う、多分わずかに唇がゆがむような表情と、間違いなくその時の目つきのせいだ。  
  
 とんでもない事になってしまった。たかがコンドミニオを支払うのに、ダ・ポンテ氏の顔だけでなく、犬のチェ-ザレの顔まで見なければならないハメになってしまった。これでは拷問だ。私はいつか発狂してしまう。私の右足のくるぶしには、チェ-ザレの歯形が2~3日間もクッキリと残っていた。  
  
 コンドミニオは毎月支払う。翌月、私は敵の勢力が半分の時を狙う戦術をとった。すなわちダ・ポンテ氏がまだ家に戻ってない時間帯を襲うのだ。いや、襲うのではない、お金の支払いにゆくのだが思いは同じだ。  

 今度は準備も万全だ。で、ダ・ポンテ氏の家のサロンに入った。支払い手続きが終わるまでチェ-ザレは現れない。奥さんは気をきかせたのだと思った。だとすると、それに応えなくては・・・。これが間違いだった、私の敵情判断の誤りだった。私は言ってはならない事を言ってしまったのだ。  
  
 「今日はチェ-ザレ君はいないのですか?」「オ-、可哀相なチェ-ザレ」チェ-ザレのマンマはボリュ-ムいっぱいの身体を揺すってにじり寄り、私の膝に手を置いて悲しそうに言った。直前、私は、シメタ!やつメ死んだか!  
と内心思った。だが彼女の言葉は「可哀相なチェ-ザレは、今日はオナカをこわしているのよ。」つづけて、「だけど貴方が来られてるので、ご挨拶だけでもさせましょうネ」と言うが早いか身を翻しリビング・ル-ムのドアをサ-ッと開けた。  
 チェ-ザレは真っ直ぐに私に向かって突進して来る。もう、避ける道はない。ヤツのご挨拶を受けるしかない。ドド-ン!私の胸に飛び込んで来た。  
 尻尾を振ってる、今度は噛みつきの挨拶ではなさそうだ。私はつい気を許し、ヤツを抱き上げてしまった。小型ではない、中型のナントカ・テリアだ。どっこいしょと抱え上げた時、手が何かヌルリとしたモノを感じた。  
 敵はやはり敵だった。ヤツはオナカをこわしていたのだ。そしてボロ雑布のような長い毛をたっぷり汚していたのだ。そして敵は、そのまま私の胸の中に飛び込んできやがった。  
 この戦いに於ける当方の損失は、新品のウンガロのネクタイ(放棄)、トラッサルディのス-ツ上下(後、クリ-ニングするも再使用の気になれず)等々であった。いずれも「男の世界一流品図鑑」から抜き出したような新兵器ばかりであった。  
  
 私はその後、ダ・ポンテ家には近づかないことにした。コンドミニオは郵送することにした。  
 実は、話しはこれでも終わらなかった。  
 事件から2カ月経ったある日、私は車を自分のガレ-ジに入れるところだった。パラッツオの脇を廻った裏庭のような所にそれはある。ガレ-ジのハネ上げ扉を開け車を頭から突っ込んで後ろのトランクを開けて、その日買ってきた写真材料を車から出し、特に大きなイルフォ-ドの全紙の印画紙は、折れないように気づかっていつものように入口の所に立てかけておいた。私は再び運転席に戻り、鞄を取り出していた。  
  
 その時、私はガレ-ジの外で何かが動く気配を感じ、窓から振り返った。ヤツだ!チェ-ザレだ!私はとっさにそれが分かった。ヤツがなぜかこんな所に来ている。あの座敷犬メ!脱走してきたに違いない。私はそれまでの2ケ月間を平和に過ごしてきたので正直、彼を平和的にダ・ポンテ氏宅に送還するつもりでいた。  
  
 「エ-イ、チェ-ザレ! ヴェニ クワ」と身を低くして声を掛けた。奴メ私を覚えていない。ヤツの方から、ウ~ウ~と牙をむいて近寄って来る。  
 ここはテメ-の座敷内じゃ-ない。ここは私の庭だ。だんだん頭にきたが、とにかく平和的にダ・ポンテ氏宅へ送還できるよう努めた。  
  
 だが次の瞬間、ヤツが決定的な行動に出た。ナント、私の大切な写真材料それもイルフォ-ドの全紙の印画紙にオシッコをひっかけ始めた。私の忍耐の糸はプッツリと音をたてて切れた。「ヤロ-、このバカ犬! ここはオレのテリトリ-だ!」 後で冷静に考え直してみるとこの時私が日本語で怒鳴
ったので、このイタリア犬は理解できなかったのかも知れない。ヤツはひるむどころか、ますます勢い良くオシッコを引っかけつづける。もう闘うしか道はなかった。非常に残念な事である。私は平和を望んだのに・・。  
 先ずは噛みつき、次にウンコ、そして今日はオシッコのフル・コ-ス・・。何時もコニコニ微笑んでいれる日本人であることを、私はもう止めた。  
  
 もうその時は、片足を上げたチェ-ザレを思いっきり蹴飛ばしていた。彼はオシッコを止めることもせず、方々にまき散らせながらシッポ巻いて庭を逃げ廻る。とうとう追い詰めた。それでも牙を剥き出し、噛みつきかかる。私は止まれない。マフィアのピストルも犬の牙もオシッコも、何も恐くない。
多分、2~3回蹴飛ばして、この中型犬の首っ玉と胴体を掴み上げて庭の溝のあたりに叩きつけた。敵はもう声も出せなかったようだ。  
 当方の損害、手首に噛傷2ケ所、イルフォ-ドの全紙印画紙1セット(ただし中身は救済)。敵方の損害、未確認。闘いは終わった。  
  
 数週間後の夕方、散歩中のチェ-ザレ一家に偶然出会う。ダ・ポンテ・パパとマリア・マンマを従えて意気揚々とやって来る。どうやらあの日は無事に帰り着いたらしい。あれ以来、私はこの一家に何故か自信がついた。 「ボナセ-ラ-。コメ スタ!」人間どうしはニコヤカに挨拶しあう。「ほら、チェ-ザレ!あなたもご挨拶なさい」今度は彼も私を覚えていた。今度の挨拶は尻尾を巻いて耳をピッタリと倒ししゃがみこんで失禁するやり方であった。  
  
 私はイタリアで犬ばかりを相手に闘っている訳ではない。念のために・・。