ロ-マの冬の夕空、大都市でありながら限りなく澄んだ淡いブル-。それが少しずつ青紫から赤紫へと色調を変えてゆく。なぜかここでは日本の様な橙色やその延長上の真っ赤な夕焼け空をめったに見ない。微妙に変化してゆくロ-マの夕空には、下界の喧騒とは関係ない静けさがある。
そんな時刻、テルミニ駅前広場や共和国広場あたりに佇んで見上げると、不思議なフラクタル・パタ-ンが大空をおおっている。限りなく澄んだ夕空に浮かぶ巨大で真っ黒な立体造形が、ゆっくりではあるがダイナミックに変形し推移してゆく情景はこの世のものとは思われないような印象を与える。
ホシムクドリの大集団である。
最初にこの巨大に密集したホシムクドリの塊を見た時、私は正直度肝を抜かした。これまでにムクドリの大群を含め、沢山の野鳥の群を私は見てきたつもりではある。だがこれ程までに高密度に凝縮した大きな群は見たことがない。群の個体数は少なくとも数万はいる。
それがゆっくりとうごめく様は、折しも夕空にシルエットで見えてることもあって、あたかも中空に浮かんだ巨岩の浮島か何か異空からの物体のようでもあった。
夏の間、ヨ-ロッパ各地で繁殖したホシムクドリは冬の期間、地中海沿岸に渡って来て越冬する。
昼も夜も彼等は大きな群をなし、夜のねぐらに何故か明るい街中の街路樹を選ぶ。夕暮れ、その街路樹のねぐらに入る前の一時、空中をたゆといねぐら入りの態勢を整えているようだ。
鳥に限らず動物が形成する群というカタチの意味は、「種」により生活サイクルにより厳密にはイロイロあるようだ。一般的には捕食者(敵)や棲息条件に対して弱い立場や状況に在る場合に群は形成される。単純に言えば「弱いヤツラが群れる」のである。
夏の磯場で水中メガネをかけて海中を覗くと、そこにはびっしりと凝縮した稚魚の群がみられる。その群の周辺には彼等を捕食する天敵が潜んでいるに違いない。
群型の動物は一個体としてはいかにも弱々しい草食魚の稚魚やムクドリに限る必要はない。大草原に生きる大型の草食獣、バイソンやヌ-も群れる。一個体として見ても非常に大型で体躯も隆々と逞しく鋭い角で武装されてはいてもよく群れる。彼等とて一個体でいれば自分より体躯が小さい肉食獣に襲われやすい。身を守るには集団の方が確実だ。
逆の立場で、大型草食獣を襲う小型の肉食獣も一個体では太刀打ちできないので群れで襲う。防衛と攻撃の違いはあるがいずれも集団で行動することで効率的に目的を達成できる。
とにかく群という単位でいることで、敵から身を守るにも自分より大きな獲物を襲うにもあるいは季節的な移動「渡り」のような大事業を行うにも、行動の効率を高め危険を分散することができるのである。
問題はその「群」の密度、つまり凝縮度である。どうやら生存のリスクが大きいほど群の凝縮度は高いようである。磯場で高密度に群れていた稚魚も時折、海草の陰から少し大きめの魚に襲われていたようだし、ロ-マのホシムクドリの群もハヤブサやチョウゲンボウに襲われているのが見られる。
こうなると磯場の稚魚やムクドリ達が群れたい気持ちもよく分かる。それも少しでも群の中心部にいたい。思い出してもみよう、子供の頃に子供達だけで真っ暗な夜の田舎の山道を歩いた時の事を。
皆、肩を寄せ合ってびっしりとかたまったはずだ。それもできるだけ集団の中心にいたいと思った。
要は、弱いヤツラというより「肝が細いヤツラはかたまる」と言うことなのかも知れない。
地上から見れば塊状に見えるホシムクドリの群も目をこらしてよく見れば一羽一羽のツブツブが見てとれる。双眼鏡を覗いて見れば、一羽一羽の動きもよく分かる。
群れのどの位置にいようと、どの鳥も群の中心へ中心へと必死に向かっている。群から、流れの本流から外れる事が不安のようだ。群全体の動きや流れは、そんな個体の個々の動きと関係なく、また法則性もなさそうだ。群にリ-ダ-が存在する様でもなく、集団の意思を反映するためのル-ルがある訳でもなく、ただなんとなくその時々の雰囲気や環境の推移に反応しているようでもある。
空中の塊は、ゆるやかに散開し、集合し、方向を変えながら群全体のカタチを変形・推移させてゆく。ある時は伸縮するゴムまりの様に、またある時は、空中に浮かんだ砂の楼閣がサラサラと端の方から流れ落ちてゆくかの様に群のカタチが変形してゆく。一旦、大きく膨らんだ群が急にググ-ッと密集・集合し真っ黒な一つの塊に見える瞬間には、とりわけその塊に夕陽があたったていたりすると何かゾ-ッとする恐ろしさ、不気味さがある。
中身は小さな一羽一羽の小鳥でもそれが集合した時の群のカタチには何か全く異質な特性が感じられる。ホシムクドリの巨大な群が指し示すパタ-ンや動きは何か深い意味合いを感じさせて止まない。
2.ムクドリと日本人
私は時々 LIPU (イタリアの野鳥の会)のあるグル-プと一緒にアルプス方面の山々でゴ-ルデン・イ-グルの調査や撮影に行っている。その中にマッシモという生真面目な少年がいる。彼はまだ高校生だが典型的な北のイタリア人らしく初めの頃、私に対して何かはにかみのような態度を示していた。何度か行動を共にするうちに彼もこの日本人に慣れてきたらしく、いろんな事を話しかけてくるようになった。
その彼がある時、こんな事を言った。
「 Mr.オカモト!こんな事を言えば失礼なこととは思いますが僕は貴方と知り合うまでは、日本人は皆同じような顔をして皆いつも同じような行動をするのだという印象を、子供の頃から持っていました。」
「ほほう、それはどうして?」私は平静に訊ねてみた。
「僕はミラノの近くに住んでいるのです。だから昔から日本人はよく見てきました。だけど何故か僕には日本人、特に大人の男の人は服装も持っている鞄も歩き方まで皆おなじに見えるのです。そして顔まで皆同じに見えるのです。そして僕はその事は特別なことではなく日本人は皆そんなものだと思っていたのです。」
「ウウウ・・なんてことを!少年マッシモよ。君、トテモ刺激的な事、言うじゃないか!」
つまり、私と知り合って日本人の顔にも違いがあることを知り、その違いを見分けられるようになったという事らしい。あたかも、犬には興味が無くスピッツはどれも皆同じ顔だと思っていた人が、何かの都合でスピッツの世話を自分がするようになり、自分のスピッツとよその家のスピッツを比べてみて初めて、「ああスピッツの顔つきにも違いがあったのネ」という事に気づいたと言っているようなものである。
だとすると私は全日本人・日本民族の名誉のために極めて偉大な役割を果たしたことになる。つまり、日本人も自分達同様に一人一人は皆違うという事を一人の少年に気づかせることが出来たのである。
とはいえ一人の清廉潔白なイタリア少年をして日本人はみな同じ姿形と思い込ませてきたモノは一体何であろうか。もしかして当方・日本人の側にもそれ相応の要因なり理由なりがあるやも知れぬ。
動物分類学という学問がある。動物がもついろいろな属性・特性を比較しながら、これは同じ仲間、これは違う仲間と分類し例の「目」とか「科」とか「種」とかを決めてゆく学問である。この方法では最終に違いが認められない者どうしは同じ「種」ということになる。とはいえどんな「種」にもそれを越えた個体差つまり個性のようなもの、例えば外観的な違い・性格的な違いがあり、これが同じスピッツ種であっても自分の犬とよその犬とを見分けられる所以である。
この個体差の発現傾向は高等動物ほど顕著であるように思われる。だから人間(ヒト科)の場合、同じ「種」(人種)であっても、私達人間同志で見られるような個体差があるわけだ。もっともアリはアリどうしで人間どうしと同じような個体差を認め合っているかも知れないが・・・・・。
さて本論に戻って、少年マッシモが我々日本人を見る時その個体差・個人差を見出せなっかたのは何故か?という事を考えてみる。できるだけ正しい思考を辿れるように動物分類学と同じような方法で考えてみよう。勿論、対象が人間であり日本人の事でもあり自らに敬意を表する意味で、比較項目に
文化的・精神的ファクタ-も加えることにしよう。
2.ムクドリと日本人 (行動・外観)
最近でこそ旗をたてた日本人の団体旅行者はあまり見なくなったが、旗はなくとも毎年2~3月に現れる女子大生から中年クラブ・老人クラブまで日本人旅行者の大部分が団体である。言葉や安全の問題、圧倒的に安価な旅行コストの事を考えれば、この集団での旅行という選択は正しい。アメリカ南部の農協老人会のようなグル-プが毎年、夏にドイツのライン河下りに現れるのも同じ理由だろう。
但し日本人の場合、女子大生の一群でさえ、なぜか服飾などのファッション傾向が皆同じように見える。服装のデザインやカラ-傾向、ポシェット、バックに靴からアクセサリ-まで選択の幅(レンジ)が狭い、つまり選択のバラツキが小さい。センスが悪いと言っているのではない。ひと頃の日本人に比べれば格段の進歩だ。ただ皆が同じ傾向の選択をするという感性・感覚の共通性を言っているのだ。
これは日本における流行というモノが宗教的に強烈な影響力を持っているのか、制服などの着用や共通教育を通して子供の頃から感性・感覚が均一化したのか、あるいは心理的に生理的に何か均一化を指向するモノが体質として身に備わっているのか、もし熱心に日本人を研究するイタリア人がいたならば、訝りながらこんな課題に直面しているはずである。
さらに、バルベリ-ニ広場あたりをジェラ-ト(アイス・クリ-ム)を舐めながら闊歩する彼女等の一群が実はニャンニャン語といわれる独特の発声法とイントネ-ションを用いた会話体で喋り合っているのだという事を彼が知ればみぶるいして、研究の継続を断念するのは間違いない。
だが外観や行動に関しては女子大生はまだいい方で、これがビジネスマンとなれば事は一層深刻になる。なにしろ世界に進出したニッポン・ビジネスマン。中でもニュ-ヨ-ク、パリと並んで最も洗練されていると自らを認識しているミラノの連中でさえ、少年マッシモをして日本人はみな規格品と言わしめている実情もある。もしマッシモの言を彼等に伝えても、全く気にもかけないだろう。というのも「男の世界一流品図鑑」かなにかに出てくる文字通りの一流品で全身フル装備しているから、そんなハズはハナからあり得ないのである。こうなると、彼我の感覚のズレ認識の断絶の大きさは絶望的でさえある。
全員が男の一流品を指向すれば結果的に、外観は皆同じようなモノになってしまう、つまり外側から見れば皆一様に見える、と言うことかも知れない。
一流品好みではないが私も外側のイタリア人から見れば、そのように見られているだろうから、マッシモには日本人の事情を伝えねばなるまい。
さよう、日本人の場合、例え一流品を選ぶとしても、そのデザインや色の選択は必ず属する社会とか周りの人達との比較において決定される。派手からず地味からず・・・ある一定の範囲(レンジ)から外れることはできない。おしゃれと言ってもせいぜいその許容範囲内でつつましく僅かに他を抜きんでている程度がよい。できれは平均レベルであることが美徳である。この「中心指向」「共通指向」とでも呼ぶべきこの感覚は男女を問わず、どこに住もうと日本人社会にいる限り暗黙のプレッシャ-として日本人なら感じるモノである。
また、件の女子大生達に見られる流行り病のように過敏な、流行に対する反応も言ってみればそれと同種の「中心指向」ではあるまいか。ファッションだけでなく、スポ-ツや趣味趣向など行動全般、と言うより文化全般において日本人は流行への指向性が強いようだ。
察するに、やはり子供の頃からの制服の着用や教育制度との関係もありそうだ。またそういう制度を選択すること自体も「中心指向」である。
この日本人の「中心指向」「共通指向」の特性は一体何を起源としてどこから出て来るものだろうか?
2.ムクドリと日本人 (内的特性その1:感性)
ロ-マ、フィレンツェ、ミラノこの国はどこに行っても美術館にはこと欠かない。それも世界的にも歴史的にもピカイチの作品揃いだ。
夏のバカンス時には、ヨ-ロッパに駐在する日本人が増えたせいか、その中で名の知れた美術館では子供づれの日本人家族も多く見られるようになってきた。そんな日本人家族が美術館で決まって交わす会話がある。
子供「パパこの絵、有名?」
パパ「ウ-ン・・・・ちょっと待てよ」
パパ:そこで絵に近づいて額の下に付いている説明プレ-トをしげしげと読む。次にガイド・ブックをめくって説明ともういちど見くらべてうなずく。で、元気のよい口調で
パパ「うん、これはジオットの有名な絵だ」
家族一同:そこで有りがたそうにしげしげと絵をながめる。
一般に日本人が美術館に行く動機がヨ-ロッパ人とは明らかに異なることは、そこでの行動を見れば理解できる。ゆっくりと作品を楽しんでいる人など、ほとんどいない。子供の頃に美術の教科書かなにかで見た彫刻や絵画の前ではやたらに集まったり記念写真を撮りたがったりするくせに、その他の作品の前はほとんど素通りである。
日本から派遣されている駐在員は業種・ポストに関わりなく、日本からの来客のアテンドをして観光案内や美術館の案内などせねばならぬ事が多い。何度かやるうちに、それまで歴史や美術に興味も関心も無かった人達がいつの間にかいっぱしの歴史解説者・美術解説者になってしまうから不思議である。
美術館で「この作品はボッティチェッリの××頃の代表的な作品で、ホラあの女性の髪や指先の表現を見て下さい!あのフォルムの優美さバックの色彩とのバランス感の見事さ、いかなる現代絵画の中でもこの感覚は見いだせません」・・・・などと、毎回おなじセリフを繰り返す。
かくして、感覚も情操も「覚えてしまう」知識の問題に転化される。思い出してみると日本の美術教育もこんなモノだった。美術の試験の点を取るために、ラッファエッロの絵画についての美を一生懸命の覚えた。こうして「美」についての正しい解答というものがでてくる。
日本人の情操感・感性はもしかして、感覚ではなく知識のカタチで成立しているのではなかろうか。美術だけでなくファッションも工業デザインも芸術に近いジャンルは全て・・・・・。そうして「美」に対する共通の理解・共通の認識を持ち合うことで、日本人は感性や情操の面でも「共通指向」「均一化指向」になっている。だから日本のオネ-サン達のファッションも自らの感性で選ぶのではなく、時代感覚の正しい答え・「流行」の本流がどこにあるのかを知識として知って選ぶ事になる。
でも当代の日本人なら、美術館のパパもアテンド専門の駐在員も流行を追うオネ-サン達もこれを恥じることはない。当代の日本人の感性はこんなものだ。後に知り合ったイタリアのさる美術評論家が、こんな話を聞かせてくれた。
「日本のある有名美術館の学芸員がイタリアの現代美術展にやってきた。
彼は画商でもないのに、作品を十分鑑賞する前にしきりに作家や作品の評価、時には値段まで聞きたがる。日本人は芸術を知識や金で観るのかネ。
抽象美術となると、ことさら熱心に聞きメモをとる。日本の美術館では、”裸の王様ごっこ”でもやっているとしか私には思えないネ」美術館の学芸員にもこんな方がいらっしゃる。
人間の精神作用のうち感性は最も文化度と関係深そうだ。日本人が美や芸術に接するゆとりを持てるようになってそう時間が経っていない。お金ができても本物の文化が成熟するまでには一定の時間が必要なのかも知れない。
2.ムクドリと日本人 (内的特性2 理性)
ロ-マの日本人社会はヨ-ロッパの他の大都市に較べて極めて小さい。
イタリアの場合、商社・銀行・その他のビジネス関連企業は皆、ミラノに集中している。この国の商業の中心がミラノであるためである。
ロ-マなら夫婦同伴の日本人会のパ-ティも、少し広めのホ-ルで十分である。仮に全員参加しても、みな相互に顔見知りなくらい小さな集団であるが、この極めて小さな社会でさえ、その思考や行動に一定の方向と様式が見られるようだ。
パ-ティなどの会場で初対面どうしの人達の会話を耳にする。最初の会話は決まって双方とも共通点さがしにやっきなようだ。出身、趣味、関心事など共通の話題を相互に探り合う。そして共通の世界に到達すると双方ともに安堵する。この過程は何か群型動物が自分が属するべき集団さがし、群れづくりする時の行動と似た印象を受ける。
イタリア人とのパ-ティで初対面どうしのイタリア人の会話も何度か観察してみた。彼等の場合、互いに名乗りあった後いきなり時事の話題について語り合いはじめた。どうやら個人的情報、プライバシ-に関する話題はもっと互いが理解しあってからの事らしい。
といっても、私はパ-ティでいつも他人の会話を盗み聞きしてはメモを取り廻っているわけではありません。どうか誤解なく今後もパ-ティに私を招待して下さるように!
ただ日本人社会では共通の話題を見いだせない場合は悲劇である事は確かである。たいていの日本人ならゴルフかこのところの株価を話題にできれば最初のゴ-ルに到達できる。
私のようにゴルフもマ-ジャンも株もカラオケもやらない人間は一般的に持て余される。
相手:「・・・ところで、あなたの趣味は?」
私 :「山に行って飛んでるワシの写真を撮って、それをコラ-ジュして新しい芸術の可能性を創ったりして・・・・・」
相手:「・・・ムムム・・・変わってますねアナタ」
口きけばクチビル寒し秋の風・・、危うく変人・奇人の類にされそう。趣味も思考も共通でなければならない。すこしでも異なる考え方の異物質は集団社会に溶け合わない、受け入れる訳にはいかない。
そこであわてて話を一般的な方向に変えると、
相手:「ああ、バ-ド・ワッチングですか。あれなら知っています」
私 :「エエ、マ-そんなとこです」
なんとか相手の知識のファイルにある共通のコトバまでたどりついた。ここでは社会の公約数から外れる項目は、出すべきではない。
相手:「いい趣味、持ってますね」
よかった、相手に認められた。
相手:「私もそんな趣味、もたなくちゃ」
冗談じゃない。趣味なんざ「持たなくちゃ」と考えて持つものではない。そんな義務感で出てくるモノはシゴトであっても趣味じゃない。もしかして、あの人達のゴルフもマ-ジャンもそんな類の趣味かしら。仮にそうなら、あまりに悲しい。趣味とは身体の底から湧き出てくる生理的欲求のようなもの、それを満たせばカイカンが得られるモノ、生きてる人間としての権利のようなモノである、と思っていた。
何事も行動の動機は、自己から出たものではなく社会や集団から出てきたもの与えられたものをなすこと。それが美徳である。意識の底には、自己の欲求もできたら社会・集団に共通なカタチ、あるいは義務のカタチにしてしまいたいというフシが感じられる。だから大好きなゴルフもつきあいのカタチでやればシゴトというカタチに、アソビもシゴトに置き換える事ができる。
こうして見ると、思考も行動もできることなら能動的より受動的の方が美徳である。ここでも「共通指向」のパタ-ンが見られる。
「種」としての日本人の分類学的位置を同定する意味からではなく、日本人の「種」としての、つまり日本人全体としての特性を客観的に見たかった。少年マッシモの印象を裏付けるモノとして、日本人が持つ「中心指向」「共通指向」と結果としてか原因としてか均一的集団特性のようなモノがありそうだ。その特性は確かにバラツキが大きな社会に在るイタリア人の目から見れば、均一性がもっと強調されて見えたかも知れない。
私はアルプスでワシを観察してきた少年マッシモの観察眼を認めざるを得ないと思う。それより、こうして見た日本人の「中心指向」と均一性が、妙にロ-マの夕空の凝縮したホシムクドリの群のイメ-ジに重なってしかたがない。バラツキが小さな日本人社会はどうやらムクドリ型の密集群のようだ。
3.カフェ・ド・パリのコ-ヒ-・タイム
カフェ・ド・パリは私の事務所のすぐ下にある。「太陽がいっぱい」などの一昔前の映画にしばしば使われ観光ガイドにも紹介されているせいで、日本人観光客も多い。
この店はバ-ル、つまり日本でいう喫茶とスナックのようなものであるがテ-ブルが店内だけでなく Veneto 通りの歩道にまで拡がっているところがいい。昼食の後、夏ならオンドリが描かれた日除けの下で通りすぎる夏の女性を目で追いながら、冬なら太陽をいっぱいに浴びながら Veneto 通りの上
に浮かんだ雲などをボ-ッとながめてコ-ヒ-・タイムを過ごすのがいい。
旅行者、ビジネスマン、大使館員など、いろいろな国のいろいろな人達も同じようにここでの時を過ごしている。時には同じテ-ブルにたまたま座り合わせた見知らぬ者どうしが、たあいもない事について話し込んだりする。カフェ・ド・パリはそんな雰囲気のところである。
あの日もそんな昼下がりであった。確か昭和天皇が崩御され、大喪の礼の前後の日であったと思う。いつものように陽のあたるテ-ブルを選んで、私は大切な目を保護するためにいつもの大きなサングラスをして昼食後のコ-ヒ-・タイムを楽しんでいた。この気に入りのサングラスをして、こうした場所に身をしずめると、ちょうど植物の中で昆虫がカモフラ-ジュ(擬態)するように私は周りのイタリア人の中に溶け込んでしまう。現に、すぐ隣のテ-ブルを占めた三人の日本の若者達も私という東洋人の存在に気付いてはいないようだ。彼等の横のテ-ブルでは国際セミナ-か何かの参加者か、大きなネ-ム・プレ-トを胸に付けた初老のヨ-ロッパ人達が語り合っている。このところ向かいのホテル・エクセルシオ-ルでは毎日、国際会議が開かれているようだ。
どちらが先に声を掛けたのかは知らないが、そのうち日本人の若者達と初老の一団は語り始めた。外語大の学生だろうか、若者達がそれなりの英語で話しているのを聞くとはなしに聞いていた。
会話はどうやら時の話題に入ったらしく、天皇ヒロヒトや第二次大戦の事など話しているようだ。そのうちオランダ人らしい老人が少々コ-フン気味の大声で何やら主張し始めた。要は、オマエ達日本人はケシカラン、かって第二次大戦中に日本人がやったことは許しがたい、と言っているのだ。三人の若者は、まるでニュ-ルンベルグ裁判か東京裁判の被告席にいる日本人であるかのように戦勝者の論告を聞いている。この青空とまぶしい太陽の下のカフェ・ド・パリのこの席は、小さな議論はいいが半世紀昔の戦後裁判の繰り返しには向いていない。脇で聞いてて、だんだん不愉快になってきた。
やがて悪ノリジイサンの勢いに圧倒されたのか、彼等が「私たち日本人は皆、あの過去を大いに反省しています」と答えた時に私のガマンの限界線はプッヅリと切れた。
この物分かりの良い、かしこいガキ共は何だ!まるでどこかの国を訪問する年取った総理大臣のようではないか。私は戦争論者でも反戦主義者でもない。だが客観的に見てこの青年達の態度は行き過ぎだ。彼等は’私達日本人’と何度もいうが、少なくともこの日本人、私はそうは思っていない。責任とれと言われても、第一、私は当事者ではない。まだ生まれてなかった。
「オイオイ、よしてくれよ。」他人の議論に割って入るのは趣味ではないが、つい憤り半分の気持ちで若者達に日本語で言った。「オイ、君達!君達がどんな立派な立場の日本人かは知らないが・・」 サングラスの効果か、思いもしない近くから切り出された日本語に、まるで擬態のカマキリに跳びかかられたバッタのように彼等は驚いた。そんな彼等に私の言葉はすでに命令口調であったと思う。
「ジイさん、アンタの言いたい事は分かった。だが俺達はアンタ達がやった戦争が終わって25年後に生まれた。アンタ達の世代の間で何をやったか知らないが、俺達の世代ではアメリカ人ともオランダ人ともイギリス人とも中国人ともうまく行っている。アンタ達の世代の45年前のウラミ・ツラミがまだあるのなら、あの世で掴み合うなり殴り合うなり好きなようにやってくれ。アンタ達だって、アンタ達のジイさん達がその昔、アフリカやアジアでやった事に責任とれるというのか?」・・・と言え!
正に物分かりの良い、かしこい青年達であった。一人がすぐさま、その通りに英語で言った。件のジイサマ、かなりイキリたって立ち上がったが、それまで聞き手に廻っていたイギリス人と思われる老紳士が彼を制して言った。「そうだ、この若者達の言うとおりだ。あの時代の事は我々の世代の事件だ」・・・・議論は終わった。
青年達は私と話したい様子を示したが丁度その時、私のコ-ヒ-・タイムが終わった。で、「楽しい旅行を・・」とにこやかに言って私は席を立った。
必要以上の人間関係を引きずり廻さないのも私の主義だ。
この出来事についての思いは、日本人は世代を越えても同じ思考をするのかという失望感であった。この人達は50年前の自分が知らない過去に責任を感じる気があるのなら、自分の世代が関与する50年後の世界に対し感ずべき責任のようなものはないのだろうか?
後に、あの時代のエチオピアやソマリアでの出来事について、イタリアの若者達の反応を確かめた。思った通り、すでに歴史上の出来事あるいは、まるで今のイタリア人とは関係ない他人事のような客観的な意見を言う。
いずれが良いのか私は知らない。たが日本人の密集群型特性は世代を越えても変わらないという事実は印象的だ。
その日の午後、事務所の自分の部屋で私は再びロ-マの夕暮れのホシムクドリの大群を思い始めた。
4.ブラッチア-ノ湖のカモの群
ロ-マの50Km北にブラッチア-ノという湖がある。空路でロ-マに入る場合、飛行機がロ-マ空港への着陸体制にはいってすぐ左側の窓の下に、この湖が見える。明らかに火山が起源である。火口湖に独特の丸い形と、そこから流れ出した溶岩が造った深い谷筋が西に向かって幾筋も走っているのがよく見える。
地上から車で行くとそのような地質学的なダイナミズムは何故かほとんど見えず、なだらかな丘陵に囲まれた静かな湖があるだけだ。湖の周辺の丘陵地はブドウ畑かオリ-ブで水打ち際には葦原も見られる。湖畔には小さな町がある。まず湖の西側にこの湖の名前のとおりブラッチア-ノという旧い城
が中心にある町がある。城は博物館になっていて見学することもできる。この町の一角には日本人彫刻家のO氏夫妻が住んでいる。人間味のある町だという。いつの日か私も静かに住んでみたくなるような町だ。
湖を一周する道路を北に巡って行くとアングウイッラ-ラ(Anguillara)という村がある。イタリア語でアングウイッラ(Anguilla)がウナギの意味であることから、私の子供達はここをウナギ町と呼んでいる。実際、ここには生きた淡水魚を売る魚屋が2~3軒あり、マスや鯉などに混じってウナギも売っていた。試しにウナギを買って、家で開いてカバヤキにして食べた事があるが、脂が強くのりすぎていたので、これは養殖物だと思う。だけど、村の名からして川を遡上したウナギがこの辺りで、かっては沢山とれたのかも知れない。
この村から対岸を見てもはっきりとは見えないが、その辺りに航空博物館がある。ひなびた湖に航空博物館とは、いかにもそぐわない話しのようではあるが、かってここには水上飛行機の基地があった。この博物館は今も空軍が管理し、身分証明書を提示するだけで入ることができる。第一次大戦から第二次大戦の間の水上飛行機華やかなりし時代の、例えば二つのフロ-トをつけたマッキの競速機など、往年の名機の実物がズラリと展示されている。
日本の観光ガイドには出てないが、マニアであれば垂涎の代物ばかりである事は確かである。
このすこし東にもう一つの町、アントレビニャ-ノがある。夏はバカンスの人達でごった返すが、他の季節は本当にのどかで静かな町である。ここには赴任当初、家族でよくカモを見にやって来た。
当時、娘の優理はまだ4才、息子の理知は6才でエサを投げるとカモ達が集まって来ては食べてくれるのが楽しくてしかたがない年頃であったし、私は私で飛んでくるカモの翼のカタチや時々やってくるハヤブサがカモを襲う様子などの写真を撮るのが、楽しくてしかたがない年頃であった。という訳で、そんな辺鄙な所に通ったものだった。
温和な日々であった。こんな日の湖ではカモ達はもっと東のサバツィア辺りに集まっているようだ。小さな岬をまわるとカモ達がペアでいたり4~5羽でいたり三々五々というか概して、てんでバラバラに分散して湖面に浮いているのが見える。あちこちに散らばってはいるが全体では数百羽の群である。ほとんどが体が大きなマガモだ。
時折近づいて来るハヤブサなどの猛禽に、カモ達が一斉に飛び立つことがある。そんな時バラバラだった群もある程度まとまって群飛するがその姿はけっして、あのロ-マの夕暮れを飛ぶホシムクドリの高密度に凝縮した群ではない。
個体間の間隔も大きければ群全体の広がりも大きい。群としてのまとまりはそれなりに保っていても、高く飛んだり低く飛んだり、そのうち分離したりで個々の動きのバラツキは大きくなってゆく。群が進む方向もそれなりに一定の方向性はあるが、それもやがては右にそれたり下に降りたりする部分
も出てくる。この大型のカモ達の群のカタチはホシムクドリのように密集型の群ではなく、緩やかに集まった離散型の群だ。
こんなタイプの群は内部的には優柔不断でまとまりがないように見えるが、逆に外部からの刺激や変化に対して群としての対応力はあるようだ。つまり群の拡がりが大きければ、探索レンジが広いレ-ダ-のようなもので、それだけ外部からの情報も入りやすい。また外部からのダメ-ジを受けても拡がった群の一部に止まり、他は回避できる。
自然の中でこのタイプの群は、個体が大きく強い「種」に見られるようだ。鳥でいえば、カモメやトビ、「渡り」の時のタカの群などで見てきた。
こうして見ると凝縮型の群をつくるホシムクドリが日本人なら、カモやカモメの群はイタリア人のように私には見える。豊かな生活環境に恵まれ長年の資産・資本のストックで、一人一人の誰を見ても生きてゆくのに強いイタリア人と、群全体すなわち国としては一見強く見えても個人は一人だけでは生きてはゆけないその日暮らし・その世代暮らし(世代を越えてのストックなど無いので)の日本人の群(社会)タイプの違いは生態学的に見ても納得できる。
自由度が高いゆるやかな群をなして飛び交うマガモの群は、このブラッチア-ノ湖の明るい風景に実にマッチしている。私もこの地に住んでいる間はカモかカモメのフリして生活していよう。少なくともその方がこの国の風景に合う。
5.群の特性
密集型のホシムクドリの群と離散型のカモの群がある。どこか日本人の民族特性とイタリア人の民族特性をどこか象徴しているようだ。鳥が空を飛ぶ時の空間的なバラツキと人間の民族社会の性格的なバラツキには、どこか共通した要素があるようだ。人間も動物。ならば人間以外の動物の群の特性と共通した要素があっても不思議であるまい。時には冷やかに視点を下げて、我ら人間社会の有様を生態学から覗いて見てみても悪くはあるまい。
(群の構造)
密集型の群と離散型の群の違いは、群をなす個々の個体がその環境で生き延びてゆく時の強さかげんによるのではないかと思う。天敵や生息条件など「環境」に対し、一個体だけでも生きられる強い種は群をつくらず単独で生きる。そうでない種は群をつくる事でリスクを分散し行動の効率を上げて、種としての残存チャンスを維持している。さらに天敵が多く群をなしてもリスクが大きい弱い種ほど、群の凝縮傾向が強まり密集型になってゆく。環境条件に対する一個体の不完全性・弱さが群をタイトに形成させるのである。
進化が進んだ種では、さらに群内の個体に役割分担をさせ群内の機能分化を進める事で群全体の行動を一層効率アップを図り「種」としての残存チャンスを高めている。この傾向は高等動物ほど強いといわれる。
この機能分化を社会性と称しているが、この分野を研究対象にする社会生態学では、サル山の群社会の研究から始まって今では野性の類人猿の群社会、オオカミの群、トリ小屋内のニワトリの序列社会、アリやハチの社会などを対象にめざましい研究成果をおさめている。
そこで、進化が最も進んでいると言われる我々人間社会をこの観点から見てみよう。これまでにも人間社会の群の現象を、ブレンネッロの峠を越えた時や技術協力の仕事を通じて少しは見てきた。
密集型の群社会の現象はもともとプア-な環境下での動物の行動特性、すなわち生息環境に対し相対的に弱いものが群れ合うところから起源を発している。ヒト科の群、つまり人間社会でも背景は同じようだが、ここでは密集群の特性が良い面にも悪い面にも現れる。例えば個体差が少ない(バラツキ
が小さい)という特性は、チ-ム・ワ-クに向く。ヒト科の現代社会は機能分化(分業)が極度に進み、多数の機能の組合わせ(協業)で成り立っている。ここでは、人の能力やモラルが均一である(ツブが揃っている/バラツキが小さい)ほどチ-ム・ワ-クに寄与し、社会全体の効率を上げることができる。
この分業と協業を円滑に調整する機能つまり組織力が完全である限り、個体側つまり個人の機能は単機能である方が全体系としての効率は良い。この例はヒト科の社会だけでなく極度に社会機能が分化したハチやアリの世界で端的に見られる。この機能分化、個体の単機能化は社会の諸機能が複雑になる程、都合がいい。複雑になってきた機能はさらに分けてそれぞれを専門化してゆけば一層複雑な事にも対応できる。
イタリア人社会に較べ密集群型社会の性格を持つ日本やドイツの社会が現在、工業分野あるいはもっと上位で見て経済分野で優位を保っている理由はこんな所にあるのかも知れない。であれば、密集群特性こそ天然資源が少ない日本の力だと言えよう。
このような社会での個体・個人の在り方規範やモラルは、群集団のル-ルを守り、自己の領域を越えず単機能であることが美徳であり、群集団が一丸となって”一枚岩の美”や”総意の論理”を得ることにベ-スを置く事になる。専業化・専門分化が社会の要素機能を高めている限り、個々のチ-ム・
ワ-クを維持することが群の強さを維持することになる。
逆にこの密集群型社会の欠点は、群集団の内部では皆同じ行動や思考に従うから、Something-New やイノヴェイションが起こりにくい。また皆と同じ価値観を持つことが美徳であれば、時には「我が群集団のためにはしかたない」とか、悪いことでも「皆でやれば悪くない」という論理で行動が進行してしまう事がある。
また個人の立場で見れば、この世の中、一人では生きてはゆけない。生活が豊かになってもモノが増えても、人間としての自由度は太古同様、限界がある。現代社会の複雑環境における、一個人の不完全性・脆弱性が群の形成を一層強化させるのである。つまり日本のように人間が均一でバラツキが小さい密集群型社会では、個人として不完全出あるがゆえに社会系全体として完成し、逆にイタリアのようにバラツキが大きい離散群型社会では個人として完全であるがゆえに社会系として不安定であると言えよう。
(群の行動)
・群における個体のベクトル
ホシムクドリ達は限りなく群の中心に中心に向かっているようだ。はみ出せばハヤブサにやられる。密集群型社会の人達も限りなく群の中心に中心に向かっているようだ(帰属意識?)。群からはみ出せばやられる。
密集群型社会で、限りなく内部へ向かう行動は「道」・精神主義を創る。こうして行動は「理」より「情」による傾向がある。
ホシムクドリのより中心に向かおうとする動きの中には、よく見ると個体間の激しい競争がある。翼と翼が触れ合うばかりの過激な競争がある。外から見ればほんの一部分においても過激とみえる内部摩擦・内部闘争が見える。
考えてもごらん密集群型社会とは、例えば一学年100人の成績が85点から95点の範囲で学生達が競争しているようなもの。1点でも多い者が勝つしハミ出せば落伍となると、隣の者は皆敵だ。頭の叩き合い、足の引き合いの競争も過激で熾烈で陰湿にもなる。必要ならば内部で派閥を作り、さらに群れて派閥で抗争もはじめる。しまいにゃ本質的な目的より競争に勝つ事が目的になってしまうこともある。
密集群型社会のこんな特性は相矛盾した性格を兼ね備えている。「皆、同じになろうネ」と言いながら集合したところで過激な競争を強いるような性格である。バラツキが小さな社会にはこんなところがある。
カモの離散群は、はなから個体間の距離が離れているバラツキが大きな社会だ。例えば一学年100人の成績が0点から100点までの範囲の中で、学生が競争しているようなもので、こんな社会ではハナから事の白黒は明白で競争はもっとオオラカだ。このタイプの社会での競争は仲間内の競争より、むしろ階級闘争に近いと言えよう。
・行動の方向
密集群における個体の動きの方向やエネルギ-は、群自体の行動の目的に基づくものでなく周りの個体群に対し、より中心の位置を占めようとする多分、心理的作用に基づくものであろう。すなわち各個体は群全体の本質的目的ではなく、周辺の動きとの比較において行動をしている。
群全体の動きは個体の運動のベクトルの総和である。従って群全体が目的に対する行動の方向をとる前に、(群全体の動きを外から見れば)右往左往し群の形を変形させながらたゆとう事にもなる。ロ-マの夕空のホシムクドリの群は確かにそのような動きを見せる。
人間の密集群型社会においても同様な動き、中心指向の行動や思考や周辺との比較における(本質的ではない)過激な内部競争で社会的なエネルギ-のロスや纏まってはいるが本質的な社会目的に対し紆余曲折した行動が、イタリア人社会と比較して日本人社会に多く見られる。この類の混乱は社会的バラツキが大きい事による混乱とは異質のものである。
(環境変化に対する適応性)
自然界において鳥なり魚なり動物の群は時折なんらかの環境変化に遭遇する。ある時は天敵との遭遇であったり、急激な気象変化であったり、やや期間的なところで氷河期など大きな気候変化であったりする。このような環境変化に対し、瞬時的には群全体の回避行動で対応したり、新たな環境に対しては生態行動を変えたり種全体の生理機能を変えたりして変化に適応する。このように環境変化に対応できない群は滅亡し、適応できない種は淘汰され地上から消え去ってゆく。
話を群社会に戻そう。なんらかの環境変化が生じた場合、カモの離散型群は探索レンジが広いレ-ダ-のようなもので幅広く分散した個体群のいずれかがいち早く変化を認知できる。幸い彼等のアンテナは内部指向ではない。変化に対しても、バラツキが大きな群社会であるだけに弾力的に対応しやすい。
一方、ホシムクドリの密集型群は個々の個体のベクトルが群の中心に向かっているので外部環境の変化を認知するのが不得手である。また変化への対応も、群内部のベクトルが合うまでは行動の方向転換が出来にくい。
また群が大きい程、密集度が高い程、群は物理的に高質量高密度の状態になり、これが運動している時のイナ-シャ(慣性)は大きくてチットやソットの力では方向転換や停止など出来はしない。その運動に高速であればなおさらである。
ホシムクドリの群がハヤブサやチョウゲンボウに襲われているのを何度か見た。群はパニックに陥っているのに、群の方向転換は妙に緩慢である。
その進行方向に何があろうと・・・。実際に彼等がこうして天敵に追われているうちにEUR(ロ-マの新都心)のビルの窓ガラスに群ごと衝突したとか、どこかの教会の壁にぶつかって多数の鳥が死んだという話もある。クジラやイルカの群が一斉に浜辺に乗り上げ集団死するのも案外、こんなメカニズムかもしれない。こう考えると、どうやら密集群型社会の特性を持つ日本人として、何か身につまされる思いがして止まない。
(身につまされる思い)
密集群型社会の我等日本人、環境変化がない限りいつまでも平和に発展的な繁栄が期待できる。この群特性、チ-ム・ワ-クに向き集団活動を効率的にこなせるこの特性が、現代産業や科学技術の改善や経済活動など複雑化する現代社会のメカニズムに合っている。
だが、もしも我々を取り巻く環境に変化・異変が起こってもこの群特性、その変化を素早く認知するのは苦手だし、変化にたいする素早い対応も下手なようだ。新たな環境への適応には時間も手間もかかる。
一説に日本人は環境変化に順応しやすく新たな環境に合わせるのが上手いというのがある。だが多分これは誤解で、外部環境・全体環境に合わせているのではなく、内部の環境すなわち仲間に合わせているだけのことである。
群特性からみればワイド・レンジ、ロング・タ-ムで物事は見れないはずである。だから見えているのは自己を中心とした周辺、そこに合わせているだけの事である。
密集群の中心指向、均一化指向の特性では、事の本質が見えないし本質的変化を読み取れない。だから本質的な環境変化にたいする対応力・対応力は極めて弱いし効率が悪い。
また機能分化・専門分化が得意のあまり、社会全体(生態系)の機能の中の一部分だけの機能が突出したり、社会系全体の調和を壊して自ら環境変化を引き起こす可能性を秘めている。一旦走り始めると、制動も方向転換も効きにくい群特性だけに、あらぬ方向への暴走もまた起こり得る。それに内輪モメしながら全体自滅もやりかねない体質もある。
かっての第二次大戦で「種」としての危機・民族の崩壊直前まで走り続けたのは密集群型特性を持った日本人とドイツ人だった。離散群型特性のイタリア人は環境変化を素早く認知し、新たな環境に適応する行動を素早くとれた。どの時代社会に在っても人間の倫理観・価値観ほどアテにならないもの
ものはない。例え、一方の立場から見れば掌をかえすような変心であったとしても、「種」の維持という生物学的観点からはイタリア人の選択の方が健全であることは明らかだ。
80年代半ばから’世界一お金持ちの国ニッポン’のイメ-ジが世界に定着したようだ。だが国民が物心ともに貧困に見えるのは何故だろう。今後の趨勢を見てもこの傾向は改まりそうには思えない。この理由も案外こんなところに有るのではなかろうか。
さてムクドリ型密集群に属する私が、離散群型イタリア社会にカモのふりして生きられるか?とりあえずは試してみよう。それでも、ホシムクドリの密集した群の中に入り込むカモよりも、カモの群に紛れ込むムクドリの方がまだいいほうだと思いはするが・・・・・。
第Ⅴ章 ”郷に入らば・・・・”カモ群中のムクドリ 1.闘うニッポンジン
’ジュリアス・シ-ザ-を失禁させた男’
ミラノ・リナ-テ空港出発ロビ-、23時10分。またアリタリアのショペロ(ストライキ)である。もう慣れっこといいたいところだが、これだけは何度経験してもうんざりする。いつ飛ぶとも知れぬミラノ~ロ-マ最終便、乗客はチェック・イン後この出発ロビ-に入って、初めてこれを聞かされた。
この時期、ミラノではフィエ-ラ(見本市)が開かれているのでホテルは何処も空きはない。とにかくこうして待つしかない。
C’est la vie ! これが人生さ! 人生、いい事もあれば悪い事もあるサ。
出発ロビ-の片隅のバ-ルのとまり木でタバコをくゆらす。ライト・ダウンしたスポット・ライティングの間を立ち昇る煙は紫色。紫煙とはよく言ったものだ。たわいもない事など考えながらもとにかく待つしかない。誰もが諦めとも失望ともつかぬ気持ちでイライラし、周りは退廃的な雰囲気に充たされいる。
前にもこんな事があった。あの時は確か RAI-2のニュ-ス・キャスタ-のオネ-サンに話かけられて退屈しなかった。彼女はTVに出ている時もブラウスの上のボタンを一つ外している。あの時はこれに加えてフロント・スリットのスカ-トというスタイルだった。正にこの席で大胆に脚組みした彼女と話しながらそのスタイル、「効くナ-」と感じいったっけ。
同じ状況に押し込められた被害者どうしは、何故か同じ群意識になるものらしい。思いもしない出会いや日頃なら素通りするはずの人間関係が出来たりする。出会いがあるなら、また RAIのオネ-サンのようなのがいい。
で、やってきた。「あなた、日本の方ですネ。」タドタドしいカタカナ英語でこの日話かけてきたのは、私が最もニガテとするタイプのオトコだった。
先刻からこのロビ-内をチョロチョロ歩き廻っていた背丈が低くてこじんまりした男だ。イタリア人には割に多い体躯だが、そんな男が妙にキチンとし過ぎたりしていると私は何故か困ってしまう。第一、そのキザな蝶ネクタイと妙にニコニコしているところが気にくわない。それについ先刻剃ったばかりのような青々しい髭そり顔と妙に赤っぽい唇の組み合わせは、私には不気味に思える。今回の運命の神はこんなオトコを寄越した。
”C’est la vie !”これが人生よ。
運命には逆らわない事にしている。彼は話つづける。何でもロ-マのある大手銀行の副支店長で、私も名を知るその銀行と日本のある銀行が業務提携することになり、今までミラノの本店で日本側との打合せをしていたのだと。
私はただ「ウン、ウン」と適当に話を聞いていると、日本と日本人を恥ずかしくなる程ベタ褒めする。そのうち、先程知り合ったという日本の銀行員の名刺など見せながら自分の名刺を差し出して、名刺交換してくれと言う。
こんな奴は怪しい。第一、銀行の管理者が業務提携などの企業機密をベラベラ喋るはずがない。あの日本人の名刺もなんだかウスラ汚れていたではないか。もう旧い手のサギの手口だ。
でも真夜中近くなっても何時飛ぶとも知れぬアリタリアを待つ間のたいくつしのぎにはこれもよい。私は騙されたふりして楽しめばよいのだ。
彼は私の会社の名を見て「オ-かの有名な・・・」と言った。次に、実は自分の銀行も私の事務所がある VENETO 通りのすぐ近くだという。益々怪しい。私は、彼が話し続けるのを「ウン、ウン、」と聞きながらそう確信した。きっとロ-マに着いたら「タクシ-代の手持ちがないから30万リラ貸してくれないか」と言ってくるぞ。そうしたら、私の名刺、電話番号の訂正があるから、とか何とか言って取り返してオサラバすればいい。
アリタリアのショペロ(スト)は結局、真夜中に解除され飛行機はなんとか飛び立った。そしてロ-マに着いても彼は借金の申し出はしなかった。
それから数日が過ぎた。私は例のごとく昼食後、Cafe do Pariでコ-ヒ-を楽しんでいた。突然そこに彼が現れた。やっぱりか・・・と私は思った。
彼は私を探していたに違いない。手を差し延べながらやって来る「オ-、Mr.オカモト」 チキショウ私の名前まで覚えているではないか。これで再び、確信できた。このサギ野郎、今日もあの蝶ネクタイと赤い唇をしていやがる。
彼は慇懃に、同席してもよいかと断って私の向かいに座った。キザなサギだ。詐欺もこれほど洗練されればもはや、芸術の領域だ。日本の新劇の舞台俳優などメじゃない。彼はコ-ヒ-を注文してから、もう何年も前からの知り合いでもあるかのように例のニコヤカさで話しはじめる。
ちょうどそこに日本のN銀行のロ-マ支店長のO氏が通りかかった。彼は私に気づくと、オヤオヤという表情をしてこちらに向きを変えて近づいて来た。そして手を差し延べた先は私でなく彼だった。「オ-、ドット-レ.ダ・ポンテ!」 そういえばコイツの名前、そんな名であったナ。
どうやら、彼は名刺通りのホンモノだったようだ。
ダ・ポンテ氏とはその後度々、事務所周辺の通りで出会いそうになった。「出会いそうになった」とは、彼の小さな姿に気づくと私の方から避けるからである。けっして彼は悪人でも意地悪でもないし、むしろ好意的過ぎるくらいである。また私の方とて彼を憎んだり嫌ったりする積極的な理由は何もない。だが人間誰にでも理性を超えて何というか、生理的にニガテな顔というかニガテなタイプというのがあるのではなかろうか。私の場合、彼ダ・ポンテ氏がそれである。彼こそ、そのニガテそのものなのである。
こうして逃げ廻っていても、彼の方が先に私を発見するともう逃げられない。走り来る車をモノともせず、かのコニコニ笑みの顔がVenetoの大通りを横切ってまっしぐらにやって来る。「ドア-ッ!ダ・ポンテが来るウ~ッ」と心は私とは別人のように叫んでいるが、身体の方は悪魔に呪縛された様に立ち止まりニコヤカに社交用の体制を構える。こういう状況を繰り返せば健康に良くない事は明らかだ。だから、Cafe do Pariも暫くあきらめて、通りを歩く時も市街戦の兵士のように八方に注意を払いながら前進する。それでも曲がり角の出合いがしらにバッタリ遭遇し、思わず「ギャ-ッ」と悲鳴をあげそうになるのを抑えた事も度々あった。とうとう、私は外を出歩かなくなった。そして私はこの苦悩から開放された・・・かに思えた。
だがアリタリアのショペロの日を担当した運命の神は、けっしてその日の出会いを帳消しにしてはくれないようだ。だから話しはまだ続く。
ダ・ポンテ氏との悪魔の邂逅は劇的に起こった。
ロ-マの住宅はたいていパラッツオ(マンション)形式になっていて、コンドミニオ(共益費)を管理するアンムミニストラト-レという役がある。この仕事は小さなパラッツオならば居住人がボランティアでやってくれたり、それを専門にやる会計士や会計事務所などがやる事もありイロイロである。
ある時私が住んでいるパラッツオのアンムミニストラト-レが交代した。そのため、少し離れたパラッツオの新しいアンムミニストラト-レの家にコンドミニオ(共益費)を届けに行った。教えられた住所の教えられた家番号を、やっとの思いで見つけ出しネ-ム・プレ-トを見ると、教えられたアンムミニストラト-レ、ドットレッサ・マリア・ビアンキと並んで、なんと’ドット-レ・マリオ・ダ・ポンテ’と記されているではないか!
つかのま忘れていた恐怖が甦ってきた。まさか! あのダ・ポンテ氏ではあるまいな・・・。イタリア人だって同姓同名の人も多かろう。だけどここは、安全をとって引き返した方がよかろうか。明日、妻にでも頼めばいいか。彼がこの近くに住んでいたなど聞いてはいないナ・・。イタリア女性は結婚しても姓を変えないのか・・・まいったナア ~・・・・等々、思案のあげくやっぱり引き返すことにした。恐いモノから遠ざかる時のようにネ-ム・プレ-トから目を離さずに後ずさりしながら、エレベ-タ-の方に戻りかけた。その時、
「オ-、インジェニエ-レ・オカモト! ペルケ スタ クイ ?」
その時、私の頭の毛髪は本当に総逆立ったのではないかと思われる。その声はまぎれもないダ・ポンテ氏のものであり、振り返るとまぎれもなく例の蝶ネクタイと赤いクチビルがあった。瞬間、これはもしかして、ドタバタ喜劇のイタリア映画の中にいるのではないかと迷ったくらいだ。だが仮にそうだとしても、話しはまだ終わらなかった。
玄関ドアの前での立ち話で、互いの事情は分かった。ダ・ポンテ氏は最近ここに移って来たこと。奥さんが会計士でアンムミニストラト-レをやっていること、等々。どれも私にとっては不運としか言いようがないが、彼は私が近くに住んでいることに、なぜかいたって満足気味な様子であった。
ドア・チャイムを鳴らし、インタ-フォンで奥さんに帰宅と来客を告げるとガチャリと重々しく鍵が開く。イタリアなら何処でもあるシステムだ。ダ・ポンテ氏に続いて、家に入ると奥方がにこやかに迎えてくれた。なんと!
この未熟児型の亭主にこの奥さんの成長度・成熟度の良さは・・・・。これでは夫婦喧嘩にもなるまいナ。イヤイヤこれが案外いい組み合わせなのかも知れないゾ・・・・などと想像を巡らせながら挨拶し合っているとドドン-と右足に衝撃が走った。犬だ!ボロ雑巾のような犬が、私の右足に噛みついてブラさがっていやがる。
「さあさ、こちらへどうぞ・・・」と奥さん。私は無言で足元のボロ雑巾を指さして見せた。「まあ、チェ-ザレ、おいたしてはいけませんヨ」と私を無視して先に行く。「おいた?」冗談じゃない。コイツは噛みついているんだ。この噛みつきは手加減してない。現にいつまでも離さないじゃないか。
二人は客間のサロンの入口で不自然な姿勢のまま、いつまでも夫婦の挨拶なんぞし合ってる。そちらがそう出るのならと、ボロ雑巾の尻尾を左足で思いっきり踏んずけて見た。「ギャイン」。そんな音を発すると二人の方にころげるように飛んで行った。「あ、ごめんなさい。つい足がもつれてしまって」と私はボロ雑巾チャンに向かって言ってやった。
「オ-、かわいそうなチェ-ザレ」と奥さん。私はどうなる!私は!と心の中でわめき散らしている。可哀相なのは、この私だ! ダ・ポンテ氏が「いえ、インジェニェ-レ、気にしなくていいですヨ」と言う。
バカ、気にするよ! 私もこの国に来て以来、よく人間が出来てしまったものよ。私こそ日本人のカガミではなかろうか。怒りはすでに限界に達しているのに顔は依然としてニコヤカさを保っておれるのだ。
ボロ雑巾、中型のナントカ・テリア、名をチェ-ザレと言う。カエサル・チェ-ザレと言えば、かの有名なジュリアス・シ-ザ-のことである。イタリア人は全く冗談がうまい。この家の英雄は、子供がいない夫婦の溺愛漬けペットの典型的な性格をしてやがる。パパ・ママの目の前ではお利口さんで陰でとんでもないワルをやらかす、あの手のヤツだ。もっともこの傾向、最近では人間にまで及んでいると聞くが・・・。
犬は喜怒哀楽をよく表す。私も子供の頃からたくさん犬を飼ってきた。家に戻ると、歓びを顔一杯に表して迎えてくれたものだ。特に小さな前歯を見せて喜ぶ顔は、明らかに犬の笑顔だと思う。
さてチェ-ザレ君、こいつは奥さん、つまりチェ-ザレのマンマの巨大な胸に抱かれている間は妙にお利口顔で、チョコンとすましていやがる。居心地は悪いはずはなかろうが、そのニヤケ顔にはムカつかせるものがある。とりわけ奴がそこから振り向いて私を見るとき、ニヤリと笑うような表情をする。例の犬の笑顔とはどこかが違う、あの前歯を見せる表情とは微妙に違う、多分わずかに唇がゆがむような表情と、間違いなくその時の目つきのせいだ。
とんでもない事になってしまった。たかがコンドミニオを支払うのに、ダ・ポンテ氏の顔だけでなく、犬のチェ-ザレの顔まで見なければならないハメになってしまった。これでは拷問だ。私はいつか発狂してしまう。私の右足のくるぶしには、チェ-ザレの歯形が2~3日間もクッキリと残っていた。
コンドミニオは毎月支払う。翌月、私は敵の勢力が半分の時を狙う戦術をとった。すなわちダ・ポンテ氏がまだ家に戻ってない時間帯を襲うのだ。いや、襲うのではない、お金の支払いにゆくのだが思いは同じだ。
今度は準備も万全だ。で、ダ・ポンテ氏の家のサロンに入った。支払い手続きが終わるまでチェ-ザレは現れない。奥さんは気をきかせたのだと思った。だとすると、それに応えなくては・・・。これが間違いだった、私の敵情判断の誤りだった。私は言ってはならない事を言ってしまったのだ。
「今日はチェ-ザレ君はいないのですか?」「オ-、可哀相なチェ-ザレ」チェ-ザレのマンマはボリュ-ムいっぱいの身体を揺すってにじり寄り、私の膝に手を置いて悲しそうに言った。直前、私は、シメタ!やつメ死んだか!
と内心思った。だが彼女の言葉は「可哀相なチェ-ザレは、今日はオナカをこわしているのよ。」つづけて、「だけど貴方が来られてるので、ご挨拶だけでもさせましょうネ」と言うが早いか身を翻しリビング・ル-ムのドアをサ-ッと開けた。
チェ-ザレは真っ直ぐに私に向かって突進して来る。もう、避ける道はない。ヤツのご挨拶を受けるしかない。ドド-ン!私の胸に飛び込んで来た。
尻尾を振ってる、今度は噛みつきの挨拶ではなさそうだ。私はつい気を許し、ヤツを抱き上げてしまった。小型ではない、中型のナントカ・テリアだ。どっこいしょと抱え上げた時、手が何かヌルリとしたモノを感じた。
敵はやはり敵だった。ヤツはオナカをこわしていたのだ。そしてボロ雑布のような長い毛をたっぷり汚していたのだ。そして敵は、そのまま私の胸の中に飛び込んできやがった。
この戦いに於ける当方の損失は、新品のウンガロのネクタイ(放棄)、トラッサルディのス-ツ上下(後、クリ-ニングするも再使用の気になれず)等々であった。いずれも「男の世界一流品図鑑」から抜き出したような新兵器ばかりであった。
私はその後、ダ・ポンテ家には近づかないことにした。コンドミニオは郵送することにした。
実は、話しはこれでも終わらなかった。
事件から2カ月経ったある日、私は車を自分のガレ-ジに入れるところだった。パラッツオの脇を廻った裏庭のような所にそれはある。ガレ-ジのハネ上げ扉を開け車を頭から突っ込んで後ろのトランクを開けて、その日買ってきた写真材料を車から出し、特に大きなイルフォ-ドの全紙の印画紙は、折れないように気づかっていつものように入口の所に立てかけておいた。私は再び運転席に戻り、鞄を取り出していた。
その時、私はガレ-ジの外で何かが動く気配を感じ、窓から振り返った。ヤツだ!チェ-ザレだ!私はとっさにそれが分かった。ヤツがなぜかこんな所に来ている。あの座敷犬メ!脱走してきたに違いない。私はそれまでの2ケ月間を平和に過ごしてきたので正直、彼を平和的にダ・ポンテ氏宅に送還するつもりでいた。
「エ-イ、チェ-ザレ! ヴェニ クワ」と身を低くして声を掛けた。奴メ私を覚えていない。ヤツの方から、ウ~ウ~と牙をむいて近寄って来る。
ここはテメ-の座敷内じゃ-ない。ここは私の庭だ。だんだん頭にきたが、とにかく平和的にダ・ポンテ氏宅へ送還できるよう努めた。
だが次の瞬間、ヤツが決定的な行動に出た。ナント、私の大切な写真材料それもイルフォ-ドの全紙の印画紙にオシッコをひっかけ始めた。私の忍耐の糸はプッツリと音をたてて切れた。「ヤロ-、このバカ犬! ここはオレのテリトリ-だ!」 後で冷静に考え直してみるとこの時私が日本語で怒鳴
ったので、このイタリア犬は理解できなかったのかも知れない。ヤツはひるむどころか、ますます勢い良くオシッコを引っかけつづける。もう闘うしか道はなかった。非常に残念な事である。私は平和を望んだのに・・。
先ずは噛みつき、次にウンコ、そして今日はオシッコのフル・コ-ス・・。何時もコニコニ微笑んでいれる日本人であることを、私はもう止めた。
もうその時は、片足を上げたチェ-ザレを思いっきり蹴飛ばしていた。彼はオシッコを止めることもせず、方々にまき散らせながらシッポ巻いて庭を逃げ廻る。とうとう追い詰めた。それでも牙を剥き出し、噛みつきかかる。私は止まれない。マフィアのピストルも犬の牙もオシッコも、何も恐くない。
多分、2~3回蹴飛ばして、この中型犬の首っ玉と胴体を掴み上げて庭の溝のあたりに叩きつけた。敵はもう声も出せなかったようだ。
当方の損害、手首に噛傷2ケ所、イルフォ-ドの全紙印画紙1セット(ただし中身は救済)。敵方の損害、未確認。闘いは終わった。
数週間後の夕方、散歩中のチェ-ザレ一家に偶然出会う。ダ・ポンテ・パパとマリア・マンマを従えて意気揚々とやって来る。どうやらあの日は無事に帰り着いたらしい。あれ以来、私はこの一家に何故か自信がついた。 「ボナセ-ラ-。コメ スタ!」人間どうしはニコヤカに挨拶しあう。「ほら、チェ-ザレ!あなたもご挨拶なさい」今度は彼も私を覚えていた。今度の挨拶は尻尾を巻いて耳をピッタリと倒ししゃがみこんで失禁するやり方であった。
私はイタリアで犬ばかりを相手に闘っている訳ではない。念のために・・。
2.目には目、歯には歯
ある日、Condotti通りの脇の Croce通りで、イタリア人の若い女性がジプシ-の子供達に襲われるところを見た。
町外れの空き地にキャンピング・カ-を停め、清潔とは思われない環境で集団生活しているジプシ-達。男達はキチンとした身なりをして何故か皆、立派なベンツを乗り回している。ヨ-ロッパのどの国もが勧める定住化政策に従おうとしない彼等には、放浪型生活によほどのウマミを見い出しているのかも知れない。女達が集団で手相観や占いをやっているのを通りで見かける。男達が何をしているのかは全くの謎である。周りのイタリア人に聞くとイロイロと話してくれるが私は確証をまだ得てない。子供達は実く働く。5~6才位から仕事の実習を始める。まだあどけない小さな子が健気に仕事の練習をしているのを見ると複雑な思いに駆られる。仕事はスリである。
少年・少女達は11~12才と思われる年齢まで数人のグル-プで、集団スリで稼ぐ。通りでコレとみたエモノを取り囲み仕事をする。古新聞紙やダンボ-ル紙の切れはしでカモの目隠し役、周囲に気を引く役、財布を抜き取る役等々、チ-ム・ワ-クもよくとれている。薄汚れてはいるが、まだ可愛い年頃の子供達であるから、この土地に慣れない人がよくやられる。特に日本人が多い。
だがエモノは別に観光客やよそ者だけではない。土地っ子も時にはやられるようだ。だが、その反応が私のようなよそ者には極めて参考になる。
Croce 通りで襲われた若い女性は明らかにロ-マッ子。この時、ジプシ-の子供達は正面から囲むのではなく、エモノと一緒に歩きながらショルダ-・バックの中の財布を抜き取った。だが一瞬後、彼女は被害に気づきダダッと駆けて犯人の子を取り押さえ自分の財布を取戻た。それで全てが終わりである。警察に突き出すでもなく、お仕置きをする訳でもなく双方、ただ元の状況に戻っただけである。彼女は何事もなかったかのごとく友達とニコヤカに語り合いながら歩いて行くし、一方はまた新たな仕事にかかるというふうに。
長年、社会の中で定着した習慣のように事件は事も無げに進行して行った。
社会としてのムダなエネルギ-は浪費しないのである。同じように日本でも、例えば沖縄地方では台風の時にどうするか、東北地方では吹雪の時はどうするかと言った生活の知恵がそこなりにあるだろう。それらは社会としてムダなエネルギ-を浪費しないカタチの対応である筈だ。ロ-マ生活にも、それなりに知恵が必要なのかも知れない。とりわけ私のような異邦人にとっては・・・・・。
この土地でスリは社会の風土病のようなモノだとしたら、もう少し症状が重い風土病はドロボ-であろう。私の周りの日本人駐在員の三人に一人程度はこの風土病の洗礼を受けている。ドロボ-の被害は何も日本人などの外人に限ったものではない。イタリア人にも均等に降りかかっている。現に私のパラッツオに住む7所帯のうち外国人は私達だけではあるが、この4年間で私達以外は皆、なんらかのドロボ-被害にあっている。中には三度やられた家も玄関の大ドアごと破壊された家もある。ドロボ-達はプロであり、常にエモノの調査や技術的な研究・研鑽に励んでいるのだという。
我が家だけが被害に会っていないのは、私達が特別に貧乏だからという訳では断じてない。これはロ-マのドロボ-のチエより、私のチエがほんの僅か超えていたからである。
夏のバカンス時期、ロ-マの住宅ゾ-ンに入ると必ず何処からかピ-コ、ピ-コと大きな音が聞こえてくる。時にはあちこち方々から聞こえてくる事もある。音量はとてつもなく大きく、近くにいれば三分ともたない。音源はアンティフルト、つまりドロボウ防止装置である。
家や車のドアや窓にセンサ-を取り付けセット・アップすると、侵入者があれば検知してサイレンが鳴り始めるという装置である。だが故障が多く、夏のこの時期、方々で鳴っているのはほとんど故障が理由である。セットした当人達はバカンスに出掛けているので、まだ残っている隣人達はたまったモノじゃない。まさに拷問である。こんな場合、消防隊が対処してくれる事になっているが手続きに手間がかかりその間、隣人達には拷問が続けられる事になる。
アンティフルトのシステムやセンサ-類は、毎年多種開発されているが、ドロボ-側も新機種が出れば処理技術を研究するので、イタチゴッコという観がある。
気温が上がれば勝手に鳴り出すし、マトモであってもドロボ-技術部隊にナントカやられてしまう事もあるシロモノである。沖縄の台風のように不可抗力的にやって来るドロボ-に、アンティフルトはやっぱり必需品かと思ってはみたが、なにせ値段が高く買えたものではない。
ならば、故障もせずドロボ-技術部隊にも決してやられはしない新型・低コストのアンティフルトを、自分で作れば良いと考えた。私も一応技術屋、これまで少しは技術も開発したし、特許もそれなりに持っている。そんな私が一生懸命考え開発すれば、世界一パ-フェクトなアンティフルトも夢ではあるまい。こうして新兵器は開発された。
さて問題は私のアンティフルトのシステムである。これが一般企業なら当然トップ・シ-クレットの部類に属するノウハウではある。だが今回は特別に開示する事にしよう。
(システム構成)
まず、下記の文章が書かれたプラスティック・プレ-トを数枚準備する。
勿論、これはイタリア語で書かれていることが前提であり、また放射線管理区域のマ-クも記入すれば効果的である。
当家には、ガンマ-線を使用したアンティフルト装置が、各出入口、窓等に装着されています。
ガンマ-線は人体組織を破壊しますので、この照射を受けると極めて危険です。
当家に無断で侵入しこの照射 を受けても当方は一切、生命の保証をいたしかねます!
このプレ-トは、いい加減なものでは効果がなく、きちんとタイプ文字で記入され製作されている事が重要である。あとは、このプレ-トを出入口、窓などの要所に見えやすく取り付けておくだけで終わりである。勿論、そこに記したガンマ-線照射装置などハナから有りようもない。有るのは、このプレ-トだけである。但し、これはドロボ-が好みそうな裏窓などにも設置する事を忘れないようにすべきである。なぜなら、これを読むのはそのドロボ-氏であるのだから・・・・・。
(システムの運用)
このプレ-トを設置して数日後から実に多くの反応があった。近所の床屋で散髪をしている時、バ-ルでコ-ヒ-やっている時、あるいは八百屋さん等で度々聞かれた。
「あんたんち、すごいアンティフルトがあるんだってナ?」
「ウン、あれは面白い装置だよ。ガンマ-線て知ってるかい? 最新鋭の製鉄所なんかで、鋼鉄の厚サなんか計る時に使うんだ。そうそう、こんなに分厚い鉄でも突き通す性質がある。うん、ガンマ-線は人の目には見えないヨ。だからドロボ-も入った時には気づかない。だけど2~3カ月後にはまちがいなくガンになるネ。その後はどうなるか知らないネ。だって君達も言うだろ。ホレ、’目には目、歯には歯を’って!」
だが、少しばかり気がきく者はこう問う。
「だけど君、電源切られたらどうなるネ?」
こんな質問への答えなど、あらかじめちゃ-んと準備済だ。
「そんな事もあろうかと、このシステムは電気的ではないんだよ。キミカ(化学反応)なのだ。」
これでいい。相手は私が日本人のエンジニアということは知っているし、日本の技術レベルが高い事はこの国に輸出されてるハイテク製品を見れば、子供でも知っている。
また以後、当家には妙なセ-ルス・マンも勧誘員もあまり来なくなった。集金人も門から勝手に入らず、下からチト-ホノ(インタ-ホ-ン)やブザ-で必ず連絡してくる。子供達が窓から顔を出すと、大声で
「オ-イ、マンマはいるか~?」
と、先ず声を掛けてから、恐る恐る当家に近づく。
「アンティフルトは大丈夫だろうネ。」
「エ-、マ-、お疲れさんですネ。」
と、いう風な会話が妻との間でいつも交わされているようだ。
それにしても、この国のウワサという情報システムの発達は素晴らしいものだ。めったに行かない朝市の魚屋のオニ-サンからも聞かれた。きっとドロボ-さん達も、こんな情報ネット・ワ-クをフルに活用して仕事の計画を練り上げているのだろう。
だからして、このアンティフルト・システムの運用上、最も重要なことはこの新型装置の実体の機密性を保つことである。ロ-マの日本人の友人にさえ話していない。どの時代、どんな世界でも最新兵器の情報は極秘にするのは常識だ。どこからモレるか分からない。
(システムの効果)
ある夏、家族で旅行をし10日間ほど家を空けた。旅から戻って、子供達が裏のテラスで見慣れぬ荷物を見つけた。
そこは日頃あまり使っていないテラスで、外側に煉瓦の飾り壁がある。この飾り壁は地上から屋上まで、交互に煉瓦を抜いた格子状のデザインが施されている。すこし身が軽い人ならば煉瓦が抜けた部分を梯子代わりに、三階のこのテラス位は平気で昇ってこれそうな造りである。それにここまで来れ
ばこの飾り壁は身を隠すには恰好の場所で、ドロボ-なら安心して壁の陰で窓を破る仕事に専念できる。
そんな場所だから、このテラスの周りには1枚余分に例のプレ-トを取り付けておいた。それに加えて足元とその少し上に細いピアノ線を2~3本張っておいた。
彼等はプロだから、表のプレ-トの警告文は先刻承知の筈である。だが半信半疑で七つ道具を担いで飾り壁を昇って来たようだ。多分、夜に。先ず道具の入ったバックを開き、それから暗闇の中を窓に近づいた。何やら此処にも例のプレ-トが掛かっている。それも沢山。ヤバイな。どうしょうか。思案しつつプレ-トと窓を覗き込もうと近づいた。
そこで下に張ったピアノ線に引っ掛かって、よろけてバランスをこわし、次に上に張ったピアノ線に引っ掛かり、事もあろうに例の恐いプレ-トに手をついてしまったようだ。そのとたんにプレ-トが外れ音をたてて下に落ち、途端に窓のシェランダ(鎧戸)に身体の一部が触れガラガラと音くらい発てたかも知れない。多分、そこでパニックに陥ってしまったに違いない。大切な商売道具入りの鞄さえも残したまま、転がるように下に逃げて行ったのだろう。
こういう時、人間がどんな心理になるのか・・・。恐怖という感覚は、民族も文化も超えて、共通するところが有るのではないか。彼の気持ちが良く分かる。とりわけ知らないモノは恐い。また目に見えないモノほど恐いものはない。悪霊も呪いも言ってみればそんなものだ・・・。
普通のアンティフルトならば仕事がら、見たこともあるし退治の仕方も分かる。だが目に見えないガンマ-線というマモノは、命さえも取ってしまうという。なんと恐ろしいマモノ使いのニッポンジンのテクノロジ-は悪霊よりも悪魔の呪いよりも恐ろしい。
という訳で、鉄切り鋸、鉄切りカッタ-、大型スパナ、ガム・テ-プ、ドリル、使い方が分からない道具も含めドロボ-業務用のフル・セットが私の手元に残った。これほどのシステムが揃えば私はいつでも転業できる。脱サラでもやるか!
これは当方の戦利品として預かっておく事にした。私が日本に帰国するまでに先方からの申告がなければ、戦勝記念に日本に持って帰るつもりでいる。
後になってこの件を、ロ-マに長年住んでいる友人に話した。彼は言った、「ドロボ-にモノを盗られた人は沢山知っているが、ドロボ-からモノを盗った人は君がはじめてだ。 ‘You did, more than Romans.’ 」
彼は本気で感心してくれているのだろうか?
