4.女神のスポ-ツ・カ-

 ニコシア・エマヌエル、かっこいい男だ。今は独立しているが、ピニファリ-ナ時代にフェラ-リ・テスタ・ロッサやアルファロメオ164などの車をデザインした男だと知ったら、ナミの女性ならコロリといくかも知れない。  
 その彼が「マンマミア!マンマミア!(なんてこった!)」と妙に興奮して横で話し込んでいたアンナ・ビスコンティと木村由実子の方に向き直った。  
 ここトリノのレストラン’DellaRocca’で、実は私達は亡霊の話をしていたのだ。私がかって日本で体験した亡霊と、彼が少年時代に見た亡霊とは、なんと雰囲気が違う事か。世界が違えば亡霊までこんなにも違うのか・・という発見に互いに驚きあっていたのだ。まず情景の湿度感覚が違う、色彩感覚が違う。そのうち時間ができたら、こんな亡霊の研究でもしようか!  
  
 アンナ・ビスコンティ、彼女はモ-タ-・ボ-トやドイツ国鉄の車両などのデザインを手掛けてきた女性デザイナ-でデザイン事務所のオ-ナ-だ。  
 私達はサロンを作って時々こうして会っているが、話はしばしばヘンテコリンな方向に走って行く事がある。  
 このグル-プは次世代の車を考えている私的な集まりであるが、時にはブラッセルあたりから、日本の自動車メ-カ-のデザイナ-やエンジニアが加わる事もある。そう言えばなんとなく仕事じみたニオイもする。実際、私の会社は総合素材メ-カ-であり、自動車産業は大きなお得意様だ。だが、このグル-プのメンバ-は皆、それなりになんらかの芸術家なりその理解者で、個展や共同展への出品もほどほどにやっている人達だ。こんなところで出来上がった人間関係は、仕事やその他の利害に関係なく、互いの信頼とか尊敬とかでタイトな絆のようなものが出来上がるものだ。互いに言いたいことを自由に話し合える間柄になった。  
 このサロンの発端はトリノのモ-タ-・ショウ/サロ-ネである。トリノはイタリアの機械工業の中心地でフィアットをはじめ多くの自動車産業とそ
の関連企業がこの地に集中している。そんな背景からこのモ-タ-・ショウの歴史は長い。  
  
 今度のモ-タ-・ショウでの話題は日本のあるメ-カ-のオ-ル・アルミ車体のスポ-ツ・カ-だった。
  
 環境問題、とりわけ自動車の排気ガスによる大気汚染の問題が世界中で認識されはじめた。エンジンの空燃比の改善や触媒による有害成分の除去など多くの新技術が各社から提案されている。車体のオ-ル・アルミ化は軽量化による燃費の向上を目指したものである。燃費の向上で相対的に有害成分の排出量の減少が図れる。車体の軽量化は今、ブ-ムである。  
  
 このサロ-ネを見た後で私達は集まった。その日の話題は当然、オ-ル・アルミの省エネ・カ-になった。この日ばかりは展示されたモデル車のデザインそのものより、そのコンセプトに議論は集中した。軽量化┳省エネ┳地球環境・・という図式から、製造コストや加工性・デザイン性、ユ-ザ-の使い勝ってまで議論は続く。私も素材メ-カ-の一応技術屋として、このような話題には興味がある。議論はコストがかかっても軽い車は地球環境・省エネに良いことで、今後の車はそう在るべきだという今風の結論でまとまりかかった。その一段落したところで、それまで黙って話を聞いていた木村由実子がポツンと口を開いた。  
  
 私は彼女を通じてこのグル-プと知り合った。彼女はデザイナ-である。  
 イタリアでいくつかのファッション・ブランドも生産ラインに乗せたし、又ID(工業デザイン)でも、Abitare誌等にも紹介されたユニ-クな作品も幾つか出している。ワシ・タカの造形やグラフィックス・ア-トを制作しているだけではない。そんな彼女が何を言い出すか、私達は注目した。  
  
 「あなた方は車が走っている事ばかりを考えている。車を造る時や車の素材にコストがかかるという事は、そこでもエネルギ-やいろんな資源を消費しているという事ではないの?もしそうだとしたら、素材や車を造る過程で使用するエネルギ-のCO2はどうなるの?」  
私、「・・・・・・・・」  
 私が言うべき発言であった。気がつかなかった。  
 確かにアルミは鉄などのそれまでの素材に較べ、精錬にも加工にもエネルギ-がかかる。それに車が出来上がるまでの途中の工程の歩留りロスを考えれば、もっと大きいかも知れない。そうだとすれば、車が走っている時の省エネ効果と車が出来上がるまでのエネルギ-消費の比較で考えるべきではないか・・・。おっしゃる通り!  
 「それに・・」と彼女は続けた。「軽い車を造っても、その車の一生でどの位の距離を走るかが問題だよネ。私はこんな車を考えていたの・・・」と、誰もが思いもかけなかったコンセプトを語り始めた。  
  
 一台の車がセダン、コマ-シャル・バン、スポ-ティ・セダン等に変態する。即ち、一台の車で異なる機能の車、3台分の役割を果たす車を造る、ということである。幾つかの機構は必要だが車のカタチを自由に変え、それぞれどのカタチであってもスタイル的にも機能的にも素晴らしいデザインをデザイナ-がする。  
 一台三役だから車が出来るまでのエネルギ-は相対的に1/3、走行距離が三倍延びると考えれば車一台の資源効果は三倍になるという訳だ。  
 また今後、都市空間は相対的にだんだん狭くなってゆく。道路も駐車場も例外ではない。この意味からも一台三役の車は良いと、彼女は言う。ここにも彼女の狭空間デザインのコンセプトが働いているようだ。その考え方にはもっと広いものがあるのだが・・・。  
 「デザイナ-も地球環境問題に具体的に寄与できる。例えば、こんな企画を考えてみるのもデザイナ-の役割ではないかと思うが・・・」と皆に問うた。  
 ニコシア&アンナ「・・・・・・」  
  
 それから3ヵ月くらい過ぎて、彼女はいくつかのパ-スを私達に見せてくれたが、その車のスタイリングは特徴あるものだった。先ずフロントガラス
が非常に大きい。次に,フロント・シ-トに較べ後ろのシ-トがフロアごと20cm程、なぜかしら高い。  
 車について彼女は、基本的に人間が楽しむ要素が要るのだという。大切なことだ。車の楽しみの基本は外の景色を見る事だという。それも人間の本能として進行方向、即ち前方の風景を見る事が重要なのだと言う。後ろのシ-トの人もその楽しむ権利を得られるように、後ろの席を20cm程高くして前の席に座る人の頭越しに前方が見えるように彼女はデザインした。  
 確かに私も家族でドライヴに出掛けると、後ろの席の子供達は全席シ-トの間から顔を出して、前方を見たがっている。  
 また後ろのフロア・レベルが20cm高いと、後ろの席など使用しない時にシ-トをフロアに押し込んで収納できる。フル・フラットのフロア-が出
来、コマ-シャル・バンには最適だ。このハイ・フロアや後ろのトランク周辺の機能とスペ-スを利用して、車種を変態させるためのアイデアが一杯に詰まったデザインだった。  
  
 彼女のアイデアを詳細に書く訳にはゆくまい。かつて、彼女のデザインが日本人にも名の知れたデザイン・グル-プに盗作された事があった。当時、ミラノにいた大手商社の何人かもこの事件は覚えているようだ。今度もそんな事がないように、この辺りで止めておこう。  
  
 この彼女の提案は今の自動車メ-カ-には受け入れられる筈はない、と仲間は言う。どんなにいいコンセプトであっても、車の売上が1/3になるような、自らの存在を危ぶませる選択はできないのだと。当然であろう。  
 だが、その事が地球環境問題の本質的な課題を顕示しているような気がする。もっとも、このような考え方は車に限った事ではない。現代生活で私達が資源やエネルギ-を使用する全ての分野で同じようなコンセプトの再設計は考えられるし、また同じような本質的な課題がある事だろう。  
  
 彼女の提案はまた、素材技術や加工技術への大きな問題提起であったし、またデザイナ-にも大きなインパクトであったに違いない。とりわけ、車のヒット・モデルを創ってきたニコシア・エマヌエルにとっては・・・。  
 彼は本当にカッコいい男だ。ナミの女性ならコロリと参ってしまいそうな魅力を内外ともに秘めている。だが、ここでコロリと参ったのは彼の方だっ
た。  
 もっとも神話を語る巫女は、古代から魅力溢れるパ-ソナリティを持っているのが相場ではあるが・・・・・

5.自然保護の幻想

 多くの無人島を巡ってきた。最初は福岡の沖、壱岐と山口の中間でまさに日本海の真っ只中に在る孤島、筑前沖ノ島であった。かって日本海海戦が周辺であり、それを目撃したという佐藤さんという宗像神社の老神主が只一人常駐していたこの島は、太古から神聖視されてきた。その後の考古学の発掘で海の正倉院と呼ばれるようになった事で世に知られるようになった。  
 あれから20年位は経ってかもしれないが、私達が最初に野鳥の生態調査であの島に行った時の新鮮な印象を今でも忘れない。珍しい海洋性の鳥類や手つかずの自然に触れた感激で夜になってもいつまでも眠れなかった。  
 月が昇るころ、数万羽のオオミズナギドリが島に戻って来る。その時刻から夜明け前、彼等がまた海に飛び去るまで、島全体が彼等の鳴き声で喧騒に包まれる。その音量は自然の声とはにわかにには信じられない位、大きなものだった。  
 島の南のすこし沖合に、ヒゲスゲという丈の低い草で覆われた岩礁島がある。満月の下で輝く海にくっきりとシルエットで輪郭を見せるその小屋島の周りで中型の海鳥の凝縮した群がさかんに飛び回っていたのが印象的だった。  
 この小島では5月頃にはカンムリウミスズメが7月頃にはヒメクロウミツバメが繁殖する。このような陸地からはるか離れた無人島で繁殖する海洋性の鳥類達は、洋上では優雅に飛び巧みに海中に潜ったりするが、陸上ではみな無防備で簡単に手で捕まえることが出来る。巣も地面に巣穴を掘ったり岩の下や草の下の窪地に直接、卵を生んだりしている。天敵になる爬虫類や哺乳類などが全くいない無人島の環境が彼等に、このような無防備な習性を定着させたのだろう。  
 そんな感受性の強い野鳥の繁殖地は、例え彼等の保護が目的の調査さえもできる事ならやらない方がいい。だがその後に日本中に釣りブ-ムが起こり、この絶海の孤島にまで磯釣りの人達が押し寄せるようになってきた。日本人はブ-ムに弱い。何事も一旦集団で始めると突進する。それにかっては漁船で4~5時間の航海が必要だったこの島も、高速の瀬渡し船の出現で1時間程度で渡れるようになった。科学技術と経済の勝利だ。小屋島には昼も夜も大勢の釣り客が押し寄せた。  
  
 その後の調査で予測通り、カンムリウミスズメもヒメクロウミツバメも減少してゆき、私達はすでに希少種のこの海鳥の保護のために繁殖地への釣り規制を図るためのあらゆる活動をした。調査報告書を作り、関係機関・関係官庁に働きかけた。だが残念ながら、世界のどの国でもそうであるように、役所ほど世の中の実情や変化に疎い機能はない。今後、世の中の変化の速度や変化の幅が大きくなると、変化に追随できない役所の機能の故に、全てがダメになるかも知れない、という印象を受けた。少なくとも、釣りブ-ムという新たな環境変化に対して、どの公的機関も無策・無能であった。  
 キャンペ-ンもやった。瀬渡し業者には一つの例外を除いて殆ど効果がなかった。マスコミを通じ磯釣りクラブにも働きかけた。全く効果も反応も無い。瀬渡し業者の間で、教養の釣りクラブと噂されているある医系のグル-プに現地で会った。釣りを終え帰る船上の先生方にご理解をお願いしたが、返事もせずにそっぽを向くとか、最も陰気な反応だった。それ以来、私は日本人が言う教養という言葉を信用しなくなった。いや、私の言葉の定義に誤解があったのかも知れないが。  
 今、考えてみると私の多くの趣味がそうであるように、人間は本当に好きな事はそう簡単には止められるものではない。無人島にまで出掛ける釣り人は、本当に好きに違いない。彼等を止める事はできない。ボランティア活動の限界である。法的規制か何か強烈な規範でもなければ、人が好きな事をやっているのを止めさせるのは難しい。かと言って公的機関がタイムリ-に措置指導を行う状況はあと50年、期待できない。  
 そうこうする内に小屋島の海鳥の繁殖状況は急激に悪化していった。要は現在の日本社会の行動規範の天秤にかければ、消滅寸前の「種」の保護よりも釣りキチのおっさん達の楽しみの方が重いのである。  
  
 環境庁の委託で自然公園指導員というのをやっていた事がある。その頃は日本社会も経済的にゆとりが出始め、社会のバラツキ・価値観の多様性が顕れ出したようだ。風光明媚な春の玄海国定公園の海岸で野鳥の観察指導などしていると、後ろの草原から4WD/オフ・ロ-ド・カ-なんかがいきなり飛び出して来たりして驚いた事が何度かある。海岸の砂地の上の植生ほど弱いものはない。四輪駆動車の強烈な轍に植生が壊され地形が変わってしまった場所もあった。自然に親しむのはいい。自然の中で遊ぶのもいい。これからも自然の中での新しい遊びをいろいろと人間は考え出すだろう。だが少し気のきいた新しい道具や玩具は、文化に本当の教養が成熟する前に与えると人間は使い方や遊び方など誤ってしまうものかも知れない。  
  
 自然保護活動やその啓蒙活動をしていた私達のやり方にも問題が出てきた。いや、昔はそれでよかった。人間社会の環境が変化したのでそのやり方に矛盾が出てくるようになったのかもしれない。人間の活動がそれほど活発でなかった時代は、自然保護など元々必要ではなかったし、また自然への啓蒙も情緒的・精神的な活動で十分だった筈だ。  
 日本人の経済活動が活発になり自然の維持存続と対峙しはじめると、環境問題や自然保護問題が生じてきた。私達はただ野鳥や自然を楽しんでいるだけでは済まされなくなり、保護活動を始める事になった。自然を享受する者の自然に対する義務だ。また人間社会に対して自然保護を主張する者の義務として、自然の実態を調査し定量的に認識する活動も必要になった。自然が環境変化に対し適応変化するように、私達の活動も人間社会の変化に対して適応変化させる必要があったのだ。そして今後も継続して適応変化させていかなければならない。人間社会が変化し続ける限り、その中で意味アリの活動を続ける気がある限り・・・・。  
  
 私の趣味の野鳥の写真も、昔は単純に野鳥が繁殖する様子、巣で雛鳥達が親鳥から餌をもらう様子などを撮れば、それを展示するだけで自然についての啓蒙になった。だが、誰でも自由にカメラや望遠レンズを買え自由な時間を持て余す時代になって、今、皆がそんな事を始めれば啓蒙どころか自然の破壊につながる。誰もが自由に超望遠レンズを買ってワシ・タカの写真を皆が撮り始めるような時代になれば、私も長年の趣味もあきらめなければなるまい。  
 自然の啓蒙もマス・メディアと交通手段が発達した今、そのやり方を慎重に考えなければならない。めずらしい植物の紹介をすると、翌日にはごっそり盗掘されたという話はよく聞く。南極の自然が紹介されると、観光業者と観光客が押しかけて、脆弱な環境下の自然を汚し・混乱させてゆく。本気で自然の保護を考える気があれば、今後はますます発想の転換をしドラスティックに活動を多様化させないと100年後まで地球上の本物の自然など残ってはいないかも知れない。日本の自然保護活動家はどのくらいこの状況を理解しまた、自己変革できるだろうか?例えば、北方領土の豊かな自然も、もし今のままの日本人に返還すると5年と持たない筈だが?  
  
 この10年間、日本人の自然への関心、自然保護意識の高まりは本当にうれしい。民間団体も公的機関においても活動のネット・ワ-クも出来たし、自然の保全・保存や密猟対策、教育・啓蒙などのシステムも徐々にではあるが整備されてきた。この背景にはこの種の活動に携わるプロ(民間団体の職員であろうと役人であろうと、これでメシを食っている人)もアマ・ボランティアも、また中央でも地方でも、皆が情熱をかけて努力してきた効果が大きい。特に立場を異にしても、活動に携わった人々の個々の情熱が寄与するところは大きい。  
 だが自然保護活動とて他の人間社会の活動と同様に、人間社会の環境変化の波に洗われない訳にはいかない。どんな活動でも世の中・時代環境が変化する時、その変化の認識の違いや変化への対応手段の考え方の違いで意見が一致しない事も多い。  
  
 自然保護や何なりに対する思いや目的は一致していても、活動の進め方や手段に違いがあると活動の内部に混乱や対立が起こったりする。これは活動に対する人々の情熱が大きければ大きいほど厄介になる。社会における活動の重要性が大きくなると、そんな内部の認識の違いや些細な混乱が大衆の関心をひく事もある。どんな世界でもそうであるように、社会の寄生虫のような物書きや三流ジャ-ナリズムの関心さえ引きつけるまでに成長すればこの活動も一人前だ。活動の過程の意見の違いや混乱は、活動が発展している証と言える。そのうち自然保護評論家というのさえ現れてくるゾ。  
 ところで日本の自然保護活動は今また、人間社会の環境変化の大きな波に洗われそうであるがどうだろう。「衣食足りて礼節を知る」という諺があるようだが、この状況は日本では幸い過去のものになった。今ならさしずめ、「衣食足りて自然保護を知る」と言うところか。日本人は今、自分たちの目前の森や川や干潟などの自然に目が行き届くようになった、というのが実状だろう。  
 だが少しは気がきく人ならば、衣食を足らしめた私達の経済と日本の自然保護の関係に気づいている筈だ。私達の豊かな生活を支えている資源は、日本の自然の中から採集したのではなく、海外の自然の中から採集してきたものだ。抜本的な輸送の技術革新により輸送コストを大きく下げる事に成功して以来、日本は国内の資源より国外の低コストの資源に依存してきた。木材の例を考えれば分かるはずだが、単に森林資源だけではない。天然資源を使わずに水と空気だけで日本人の物質生活が豊かになる筈がない。  
 こうして見ると、日本人の急激な生活向上の割には日本に自然が残っているのは、当たり前である。日本人は国外の自然を食っているのだ。  
  
 本気で自然の保護を考える気があるならば、私達は今や視点を目前の森や川や干潟だけでなく、世界に向けなければならない。どの程度、国外の自然に注意を向ければ良いかというと、例えば、現在日本で消費する天然資源の内訳で日本産と輸入の比率で見たらどうだろう。  
 俺達は日本の事だけしかやらない・・・という手もある。自然保護活動なぞ元々一定の文化や民度のある社会で成り立つ活動であるから、その手を主張されれば、一言も返す言葉はない。だがある日ある時、パタリと渡り鳥が来なくなる。自分の自然は残っても自然はダイナミックに動いている。渡り鳥には向こうの自然も必要である。  
  
 地球全体の自然保護に関する調査や研究、先ず実態認知のための調査・研究それから対応のための調査・研究などの方法や、自然保護活動の方法など人間社会の多様化に対応した調査・研究や活動の多様化が新たな展開として必要であろう。  
 自然保護活動ほど今、演繹的に考えるべき活動はないと思う。これまでの自然保護活動の理論的展開は主として、生態学者や生物学者の立場からなされてきた。だが、例えば生態学や鳥類学の調査や研究の方法は、自然においては極めて小さな部分の観察から始まる所に基本的な問題があるのかも知れない。自然という対象が、非常に長い時間と非常に広大な空間の連続としての存在であるにもかかわらず、なぜか人々は点でしか見れない、小さな部分からしか見ない。今、変化しているのは地球の極めて大きな部分なのである。  
 今の世界の変化における自然保護は、従来の例えば生物学者や生態学者の論理と人間社会の経済論理の対立という図式で解決できる範囲にはすでにない。  
 本気で地球の自然系の保護・保存を考えるならば、すでに生物学や生態学の領域を越えている。おそらく社会科学の理論として自然保護の問題を考えなければならない。  
 そして状況はすでに逼迫しており、大学やどこかの機関で理論や方法が醸成されるのを待つ訳にもいかない。実践で理論構築を行う以外にない。例えば日本野鳥の会のような民間団体がやる以外に方法はない。彼等には多くの一般のボランティア活動家がある。中には経済問題や発展途上国の社会問題の専門家、あるいは数理的解析の専門家もいるかも知れない。  
 現在、最もリスクをミニマムにこれをやれる団体はこのような民間団体しかない。だが問題は、元々彼等が自然愛好家の集まりという事である。彼等は経済や政治などを含む社会科学の活動を必ずしも好まない性格を本質的に備えている。彼等が好むのは野鳥や動物・植物の観察や研究である。要は、彼等がそんな自然を享受する権利に対して、いかほどに自然を保護する義務を認識しているかにかかっている。  
 また彼等が「保護」の活動を語るように、文字通りConservativeな思考にこだわったり、従来の活動における活動家自身のニッチにこだわると早急な対応はできず、全ての機会が失われる。  
 今、考古学は物理学の分野の、人類学は医学の分野の方法論がその実践を支えている例など考えれば、自然保護の分野で活動する人達も社会の多様化の理解は得られるものと思う。  
  
 こんな発想に基づき従来からの活動も場合によっては変革していく部分もあり得るかも知れない。  
 例えば、どこかの森のある種の鳥の行動を観察した結果ではなく、世界地図や国連の統計デ-タから、あるいは何処かの国の経済デ-タ等の分析から、地球上の自然林の動向を観察する。時には現地にでかけ確認したり、そこのバイオマスを定量的に測定したりする。必要なら対応策としての社会科学的な方法を研究する・・・・etc.ジャスト・アイデアではあるが、例えばこれを、ボランティアの若者と退役後の経験豊かなキャリア-・パ-ソンの組み合わせでやってもらう事で、相互に好影響を生み出すチ-ムの編成も考えられる。  
  
 発展途上国での自然林の喪失の速度は、想像もつかぬ規模と速度で進行しているようだ。熱帯林の急激な喪失で、誰にも知られずに絶滅した「種」も多いとの説がある。先進国は、バ-ド・サンクチュアリ-などで自然を残す努力をしているが、発展途上国はとてもそのような経済的ゆとりはないのが現実だろう。「種」の維持という意味ではそのような国々の自然の方が、ある意味では重要であるのに・・・・である。そしてそのような地域は人口の急増地帯でもある事が多い。  
 さて今では日本にも幸い幾つかのバ-ド・サンクチュアリ-が誕生したし、また計画中である。その計画中のサンクチュアリ-を、急激に喪失する熱帯林の「種」維持のための実験、あるいは技術開発に活用するように考えてみてはどうだろうか。  
  
 現在のデ-タを基に、今後の経済推移と人口増加の傾向を読んでみると、東南アジアの熱帯林の主要部分は50年以内に消滅してしまうかも知れないと危惧している。例え全てがそうでなくても、生物学的に重要な部分も危機に晒されるのは疑いない。  
 かって、先進国の人間社会では核戦争に備えて核シェルタ-というのを造ったらしい。今度は現在の人口爆発地帯で、ず-っと将来また人口が減り始めるまで、その周辺の自然および「種」を守るシェルタ-が出来ないものかと考えている。  
 どこか本当の国際貢献や長期的視野に基づいた自然保護を理解できる地方公共団体や機関に、次のような実験サンクチュアリ-を造ってもらう。サンクチュアリ-は類似した環境を三つの区画に分ける。内容は以下・・・  
 ①従来通りの自然の聖域・人の影響が最も少なくする区画  
 ②先ず生ゴミなどのリサイクル技術を応用し、植物への肥料あるいは野鳥やその他の動物への飼料を生産するプラントをサンクチュアリ-に隣接して造る。この区画には、その肥料や飼料を散布して、また人口的に繁殖できる環境を整備して、単位面積当たりの生物個体数・バイオマスの収容能力を極限まで大きくするための実験・研究をする。  
 ③②と同じ条件にし、ここには人を入れる。ここでは・のサンクチュアリ-を人の社会に近づけた時の影響を調査・研究する。また人の社会に野鳥や動物が影響を与えないための方法や技術・装置等の研究開発も行う。さらに、ここでは手で触れる自然をテ-マに採集さえ許す自然の実践教育の場にする事もできる。単に視聴覚だけの自然教育では、教えられない生命の価値・自然の意義を体験を通して教育できる施設でもある。  
  
 この多目的のサンクチュアリ-で得られた成果、とりわけ人為的な高密度の生態環境の研究結果を発展途上国での極限的な自然環境での「種」の維持に応用出来ないであろうか・・と考えている。純粋の自然環境の維持が困難な状況はいずれ来よう。このような方法も現在では技術的には十分可能であると思われる。  
  
 こんな発想に至ったのは日本人として、国外の自然を食い荒らしながら、国内の自然を聖域にできたと、手放しで喜んではおれぬ気になったからである。また人間が排出するゴミのリサイクルと結び付けたのは、自然破壊の全てが人間社会の膨張に起因するので、例え僅かであっても均衡補償の意味がある。さらに、自然保護が人間社会と共存するためには、例えば動物の食害や糞害など自然と人間の生活圏の接点を円滑にする技術の研究も必要である。  
 そして、手に触れる自然は、自然の意義を身体で理解できる場である。  
 従来のアンタッチャブルな自然の聖域の発想を転換したアディアであるが、このように考えると、もっと多くの可能性もあり得る。例えば、海洋性の鳥類の人工繁殖地とか、都市や工業地帯での自然創造とか、そんな技術論を考えなければならない時代環境にさしかかっているように思う。いつまでも、全てを純粋自然指向では通せない状況だ。物に溢れた自分の生活や周りの社会が、国外の自然を消費した証拠である。  
  
 今は日本人の自然保護活動の大きな分岐点であろう。日本人の視野や倫理観、あるいはこれかたの発想や行動いかんによっては、日本にもやっと根づき始めた自然保護の文化を単なる幻想に終わらせる事にもなろう。

6.社会の換羽

 経済紙を見ていると、このところのコンピュ-タ-業界の動向は奇妙だ。  
 業界全体は加速的に発展しているのに一部の有力企業の成績が突然落ちたり名さえ知らなかった会社が突然躍り出たりするなど、何かゆらぎのような現象が見える。  
 科学技術が指数的に変化しているという事を現実の社会現象で見たければ、先ずコンピュ-タ-の世界を見るのがよいだろう。ハ-ドとしてのコンピュ-タ-は設計・素材・素材加工・製作・応用のあらゆる段階で技術のコンビネ-ション・マルチ・ハイブリッドの複合科学技術の典型であり、その性能・能力は典型的に指数的な進化を続けている。そしてその組合せ技術としてのソフトも指数的に発展し、ハ-ド・ソフトの技術が相互に効き合ってコンピュ-タ-の世界は一層指数的な進化を遂げつつある。そしてこのコンピュ-タ-技術の指数的発展が、他の科学技術の指数的発展に影響しているのは言うまでもない。  
 自然界の中ではこのような指数カ-ブを創り出した者は自ら滅びてきたが、人間社会ではどういう事になるだろう。現代社会で指数変化の先端を走るコンピュ-タ-の業界を見ていれば、それを占う事ができそうだ。自らが創り出し、日に日に加速し、止まる事ができない競争に、どこまで耐えられるかを眺めていればやがては分かるだろう。このところの業界のゆらぎのような現象が、私にはそんな何かのはしりのように思えてならない。  
 だが本当に心配すべきは、社会的に見ればそんな部分の事ではなく、人類社会全体の指数的変化である。例えば地球表面積一定という制限条件の下で、人口や人類の資源消費量などの究極のパラメ-タ-が指数的増加傾向を呈している事である。地球表面の限界点に急速に近づきつつある人類も、自らが創り出した指数カ-ブに自ら滅びるのであろうか。  
  
 その自滅型症候群は現代社会のもう一つの特色、「多様化」という特性を通しても見えている。人類社会のあらゆる機能・活動は多様化と伴に複雑化という側面が急速に進んでいる。即ち社会機能が専門分化し、更にマルチ化ハイブリッド化が進む中で多様性と複雑性は同時に進んだようだ。しかも、その複雑化した社会のシステムは高度に有機的に結合し相互に依存の関係を持ちながら、いっそう複雑化の方向に進んでいる。勿論それも指数的な速さで・・・である。現代文明は、専門分化が進みそれぞれの分野が互いに相互依存の関係で結合された、高度に有機的な社会システムを目指して進んでいるようだ。この部分にこの文明の誤謬が潜んでいるように思える。先ず、専門分化が進み過ぎて個々の部分から全体が見えなくなった状況でも、指数的変化の環境の中でも、立ち止まりも出来ず進むので、ますます部分最適型の活動に偏ってゆく。部分最適の総和が全体の最適になる確認もないまま、人類社会は速度を上げて進んでいる点だ。  
  
 次の誤謬は、相互依存型の社会は意外に脆いという点である。現代で最も高密度に有機的なシステムが進んだ都市・ニュ-ヨ-クの都市機能は、ただ停電(電気が来ない)というだけでマヒしてしまう。無数の都市機能のうち送電というたった一つの機能が停まるだけで都市全体の機能が停まるという、相互依存型の有機システムの脆さの事例である。この種の可能性は無数にある。今後の社会環境の中では、複雑化した有機システム中の個々の機能がトラブルを起こす可能性は漸増してゆく筈だ。思い出しても欲しい、社会の多様化が進むという事は社会的バラツキが大きくなるという事で、今後の社会はチ-ム・ワ-クには向かない特性が大きくなるという事を意味する。  
 また社会環境が指数的に変化してゆく中でいずれ何処かの機能で、環境変化についてゆけぬ故のトラブルが漸増してゆく可能性も大きい。  
  
 勿論、このような誤謬は社会システムが大きい程、発生しやすい。即ち、小都市より大都市が、小組織より大組織(つまり行政機関や大企業)が、小型プロジェクトより大プロジェクトが現代文明・現代の社会システムの誤謬に影響されやすい構造であると言える。環境変化に対する小刻みの対応が遅れ、存亡を賭けての大改革を必要とするような状況が起きやすく、またその大改革もやりにくい。今、人類社会も換羽が必要だ。  
  
 社会の環境・シ-ズンが変わり、社会の換羽が必要になりそうだ。その換羽を担うのは「人」だ。特に社会環境の変化に適応するための改革を担う立場の人々、例えば社会・組織のトップや参謀的役割のスタッフが重要である。  
 ワシやタカが自然生態系で食物連鎖の頂点に在って系全体を見渡すような位置から、人間社会の系全体を見渡せる人材が必要だ。だがこれまでの人間社会の進展過程で育てられてきたのはいわゆるスペシャリストであり、社会の系全体を見渡せるジェネラリストは育ってはいない。人の育成も実は社会システムに規制されている。とりわけ日本人社会の群特性・密集群型社会特性の影響は大きいのではないかと思われる。つまり、人間そのものに対する思い込み・固定概念である。  
 例えば、一芸に秀でる者は多芸に通ずと思い込んで出来上がったスペシャリストは只の単能人間だったりする。専門技術の深さ・他分野の多様さ等、現代の社会環境がそうはさせなかったのかも知れない。一方・スペシャリスト側にも時には思い違いがあって、前提だらけの壁の中の専門分野でもそこを極めたら世界を知り尽くしたような錯覚を持つ。日本人は壁の内側だったら自信を持って何でもする。かくして専門分野・部分だけを見て突っ走る。現代型の複合社会なり科学技術なりを総合的に取り扱う学問や技術もなく、また人間社会もジェネラリストを要求してはこなかったこんな時代で、多芸をこなせる人間は元々種類が違う人間であるという事にも日本人社会は気がつかない。  
 また教育に対する伝統的な観念にも課題が出てきたようだ。もっともここで問題にしているのは社会の舵取りを担うスタッフ的な人材の育成・運用であり、社会のライン的部分に関してはバラツキが小さい画一的な日本人の社会特性は今後も幸いするであろう。  
 教育面での社会変化に対する歪みは先ず、学歴に対する画一的観念に現れそうだ。かって社会に知識の蓄積が無かった時代、高等教育の普及つまり知識の普及は確実に社会の力になった。例えば大学での四年間の教育も社会の環境にさほど変化が無くまた大学教育の普及や社会のマス・メディアを通しての知識の普及のチャンスが少なかった時代は、その教育を受けた人々は社会の舵取りの役割をそれなりには果してきた。だが人間社会のあらゆる現象が指数的に変化し多様化を始めた時点から事情は変わってしまった。つまり、過去の知識・知見だけでは社会の舵取りの役に立たなくなってきた。大学をを出て15年20年も経てば世の中の事情は一変している。ず-っと昔の知識や経験・学歴などは実のところ何の役にもたたない。ゲ-ムもパズルよりクイズが受けるように、日本人の社会では伝統的に「思考」より「知識」が重要視されてきたようだ。しぜん教育も思考力の訓練より知識習得型が中心であったように思われる。現代のような社会環境下で社会の舵取りをする立場に在る人には、過去や現在の知識より、時々刻々推移する「環境変化を認知」し、その変化の意義や本質を考え変化への対応を創案する「考える力」が必要である筈だ。今後の課題に対する解答は、過去や現在の知識の中にはない。  
  
 社会環境に変化も多様性もなかった時代、人は年を重ねる程に・知識や経験を重ねる程に社会における価値を高める事が出来た。社会の舵取り役にも、重ねた年齢が役立った筈だ。かって長老は社会にとって大切だった。だから社会から大切にされた。だが指数的変化の時代では、単なる知識や経験の積み重ねだけでは何の役にもたつまい。私達がその年齢になる頃に、大切にされたかったら単なる知識ではなく思考を重ねて生きてゆく事ではなかろうか。社会の前提条件が激しく変化し続ける環境の中では、思考の力がないところにいかに最新の知識や情報を十分に与えても、明日についてなんらの正しい判断も期待できない筈だ。今や専門知識も専門技能も、ある時期だけ有効な一過性なものになってしまった。  
  
 今後の人間社会を健全に運営してゆくためには、人間社会の行く先を遠くまで、また広い範囲を見通せる舵取り役を育てる事が大切だ。そのためには学校や社会における人の教育・育成については画一的に行うのではなく、今の特殊な時代環境に於ける社会・組織のトップや参謀的スタッフ、すなわち社会の舵取り役の教育・育成を意図したプログラムが必要かもしれない。社会の多様性が増し人のバラツキが増大する中でも、教育も社会における人の権利と義務も画一的に考えるのが平等の原則、ひいては民主主義だと思う人達もいるかもしれない。だがこの社会、そうしている間も社会自体が波間に沈んでいるようだ。社会が無くなれば民主主義も平等もありはしない。  
  
 さらに今後の社会では人の運用も画一的に考えず、フレキシブルにダイナミックになすべきだろう。社会環境の多様化も進むが、人間の多様性・バラツキも大きくなってゆく。40才で実質老人もいれば、70才で青年もいるであろう。そんな中で人の運用の制度や習慣が画一的・固定的であれば、社会の機能を健全に保つのはむずかしい。例えば、ず-っと過去の学歴や、杓子条規の定年制や年功序列の観念等は、すでに本質的な意味を失っている。人間そのものに対する伝統的な思い込みや固定概念を改めなければならない時代環境に来ているのである。  
  
 私達の人間社会は、どんな理想の・どんな至福の社会を目指しても、人に顔の違いがあるように価値観や人生観の違いがあって、どんな社会の中にも欲深い人・悪い人・汚い人はいるものだ。いわゆる人種という意味ではなくて、身の周りの人々の中において「人間には種類がある」と思っている。犬にもスピッツとシェパ-ドに性格や行動に違いがあるように、また同じスピッツでも生まれや育ちで犬種を越えた違いが生じるように、人間も生まれや育ちで明らかに種類以上の違いが生じている。その違いを定量的に測定することさえ出来ると考えている。例えば大人になっても欲の深い人・悪い人の性格はよほどの事がなければ変わらない。元来、人間も他の動物も、あらゆる生物は利己的な存在らしい。だが、自然の中ではその利己的な行動も環境系に対する権利と義務の義妙なバランスの上で成り立ってきた。  
 現在の人間がその環境系としての地球のバランスを壊しつつあるのは、人間の行動に権利と義務のバランスを欠いているからではなかろうか。もっとも人間自身が環境系を指数的に変化させつつあるのでバランス感さえ分かりはしないが・・・・・・。少なくとも人の思考の論理でつけられるケジメ程度はバラ色曖昧のまま残すべきではなかろう。例えば、現代人が好きな人権という言葉の意味も、少なくとも大人になった後は権利と義務の重さが同じという条件で人権は平等だと考えるのは行き過ぎだろうか?地球上の生物の中で人間だけが特別の権利を誰も同じように持っていると考えるところから矛盾が始まっているような気がする。どんな人間にも可能性に対しては差別をすべきではないが、少なくとも大人になった後は違いによる区別位は明確になすべきだと言えば誤解を招くだろうか?とりわけ日本人社会の群特性の中ではこんな意見を明言すべきではない、と忠告してくれる友人もいる。  
 だが、それも現代日本人の平均的視野が基での価値観であって、その事自体がこの世代の利己的な認識と価値観かも知れない。多分、次の世代では現世代の私達が残した価値観の歪みで人々は苦しむ筈だ。  
  
 自分達周辺に限れば、善はいくらでも成す事はできる。だがそんな部分だけの善が、人類社会全体や次の世代さらなる将来の悪弊に繋がるところが基本的な課題なのである。そんな部分の最適解が全体の最適解にならない事が分かっていても、それをやる人はいるし現在の倫理を基にそれをやらせる人もいる。  
 このままでは人類は部分最適解のパラドックスの中で混乱の奈落に陥り、地球ぐるみ台無しにしてしまうぞ、という類の問題提起はすでに世の中にはゴマンと在る。だがそんな問題提起だけをいつまでもし続ける時間はすでにないのではなかろうか?人類の活動を全体的に捉え、それが地球系に与える影響や将来の予測など、人類の行動を基本的に見直す科学も技術もまだ無い。世にビッグ・サイエンスと呼ばれる人類の夢を担う巨大科学技術のプロジェクトは在っても、現代人類の営みの健全度を確かめるビッグ・サイエンスはない。この事自体がヒト科動物の問題性を表している。心や意識や欲望といった人間の特性を制御する事は現代の文明下では困難であるかも知れない。こうなればこの文明の行き着くところまで行き着かせるしかない・・・・という事かも知れない。  
  
 だがこの時代に偶然生まれ合わせた者の一人として成り行き任せの生き方は、どうにも堪らない。自分のこんな意識も私の中の遺伝因子のヒト科社会への働きかけとして、私にこういう思いをさせているのかも知れない。とすると、他に誰か同じ思いや考えを持っている人もいるかも知れない。  
 そんな人達が集まって小さなプロジェクトからでもいい、具体的な行動をとるべき時期にあるようだ。その小さなプロジェクトの隙間から人類全体の
今後の姿が演繹的に見えるような事を始めたいと考える。それは人類の持続的な成長を期待するより人類および地球系が健全に存在し続けるためのものであり、人々が常により豊かになり続ける社会より人々が何時までも豊かのままでい続けられる社会を模索するものであり、儲ける経営より健全に存続し続けられる経営を目指したプロジェクトである。  
 日本での例ならば、「250年間存続可能な都市計画」でもよい。このプロジェクトの推進を通じて社会の諸システムの改革の方向が理解できるよ
うにする。技術構造の再設計、行政システムの再編成、企業構造の再設計など内部的な課題だけでなく、資源や経済や文化などにも関わるので国際規模・地球規模に課題を捉え解決の道を探す事もする。肥大化した人類社会の部分部分に潜むマモノを退治してゆくには、小さなモデル実験から始めるのがいい。  
  
 こんな試み・例え急激に変化しつつある社会環境への適応の為の研究だとしても変革や改革には必ず抵抗が生じる。そのためには正しい思考のロジック・論理が必要である。その思考のロジックさえ実は環境の推移とともに変化する。  
 戦略理論というのがある。経営理論や経済理論の間違いではその運用者を含めた人の生命に関わる事はあまりないが、戦争の理論は間違えば多くの人命ひいては民族の存亡にまでかかわるものだ。歴史上、戦略論を変えた幾つかの戦争があった。それは戦争に関わる環境が大きく変化した時期に当たるものである。当然、環境変化を認識できなかった側が負けるべくして負けた。  
 環境が変化する時、過去の理論は通用しなくなる。前提条件が全く変わってしまうからだ。戦略や戦術の理論は、兵器や技術、あるいは経済や社会科学上の要因などの環境条件の変化と共に、理論そのものが変化すべきものである。  
 先ず、その時点・時代で考慮すべき環境とは何か、という事が課題になるが、それはそれまでに変化が見られた要因である事が多い。そしてその環境変化、つまりその要因と変化の大きさを正しく認識して理論は構成される。  
 環境変化を正しく認識出来ない側は、正しい戦略の思考論理が構成できない。  
 いかに運用上の体力・実力が在ったとしても、その時代環境に合った正しい論理がなければ、運用される人々がムダ死にするだけだ。  
  
 そして自然界でも、長い自然の歴史の中で何度も大きな環境変化があった。  
 そんな中で「種」が生存してゆくには、環境推移の正しい認知が最初にある筈だ。それぞれの「種」がいかなる方法でそれを認知するかは知らないが、彼等が生存のために採った戦略も基本的には環境の認知の上にのっている。  
  
 自然界での「種」は環境の推移・変化の認知やそれに続く自己変化(適応)を自然の長い時間をかけて行うが、私達現代人の環境変化は急激に起こっている。だから急変用の環境変化に対するそれなりのロジックが必要だ。環境変化の方向や大きさが認知できたら、次に、変化に対する適応の方法をあらゆる方向から創案するロジック、当然その中には複雑に絡み合いながら多様化が進む全体系と個々の部分系が関係づけられているようなロジックが必要だ。そして、そんなあらゆる可能性の中から明日の環境変化の予測に合うものを選択し、大急ぎで自己変革してゆくロジックなどが必要だ。  
  
 実は、そんなロジックをこれまで研究し密かに各種の分野で試してきた。それなりになんとか使える自信はある。私も本職はコンサルタント稼業だと思っている。だからそのうち、「生態学的療法による社会や会社の病気の治し方」という本でも出してみようかと本気で考えているくらいだ。環境変化の大きさと速度をどう「認知」し、その中で自らをどう「適応」させてゆくかという知恵は、自然史や生きた生態のダイナミズムの中に在る。急激な環境変化に追随できない団体や会社、そんな時代変化に淘汰されたくないと思う人達が意外に沢山いて、買ってくれるかも知れない。  
  
 とにかく環境変化の時代には何か新たな思考のロジックは必要であろう。  
 新たな思考のロジック・・・そして今、それに基づいた哲学が必要な時代なのかも知れない。現在、哲学は理論物理学か数学にしかないように思える。  
 今、最も必要なのは社会科学における哲学ではななろうか?社会哲学者達、彼らは一体何処に行ったのだろう。  
 今、人間社会も換羽しなければならないようだ。肥大化した社会システムは目的達成のための効率が悪い。すでに効率が悪くなった既存のシステムよりも、小回りがきくシャ-プなシステムでなければ間に合うまい。変化が速すぎる。時間もあまり無いようだ。

7.ドラゴンクエスト

 勇者・賢者・僧侶・武闘家・商人・遊び人等からなる一行が、砂漠のかなたに向かってアリアハ-ンを旅立って行く。人類滅亡を企てるマモノの帝国に立ち向かう小さいが人類の全未来を担ったミッションである。  
 「ドラゴン・クエスト」ファミコン・ゲ-ムから始まって今やコミックスからTVアニメまで幅広く子供たちの人気を呼んでいるようだ。あまりに子供達に人気が有り過ぎて社会問題になっているところもあるらしい。ロ-マの我が家でも、二人の子供達がファミコン・ソフト、TVアニメ・ビデオ、コミックスと全てを日本から取り寄せている。それを実は父親である私も側から熱心に見ている訳で、その事を申しひらきするつもりではないが、例え大人が批判的でも子供達に人気があるコミックスやアニメには、何かそれなりの真理がある・・・・というような印象を以前から持っていた。一昔前、「ハレンチ学園」というのがあった。世間の問題になったが、今から思い返してみれば次の時代を象徴する何ものかが描かれていたようだ。子供達は、本能的にそんなものに反応しているのかも知れない。  
  
 この「ドラゴン・クエスト」で勇者の一行が闘う相手はマモノである。このマモノ、冷酷無比なのがいればカワイラシイのもいる。さて現在の我々人類社会の本当のマモノは何であろうか?我々の世界は今、科学も技術も政治も経済も複雑になり過ぎて、何を見ても分からなくなってきた。今後も人間社会、ますます分からなくなるらしい。我々自身の全体像が見えなくなってゆく。こうして自分自身の姿が見れないまま限りなく膨らんでゆく我々の前途にマモノはいるらしい。  
 人間の繁栄も地球表面が一定であるという上限が見えてくると、次第にマモノの正体もぼんやりと見えてきたような気がする。現在の先進国の生命倫理や人道主義も科学技術も、それらが例え愛に基づいたものであっても今後もバラバラに走り続ける限り、それがマモノに成長するようだ。全ての人類が繁栄するためのどんな慈愛に満ちた活動も、個別に見ればカッコよく振る舞うことが出来たとしても、全体をまとめた姿を見るとだんだん辻褄が合わなくなってきた。すでに地球生態的な視点から見れば、あるいは超時間的に見れば、我々のそんな営みはすでにマモノのカタチをしているのかも知れない。個別に見ればカワイラシイ姿をしていても、まとめて見れば冷酷無比のパワ-を誇る巨大なマモノの姿が見える。どうやらマモノは我々自身の内にいるらしい。  
  
 全体として見る限り、今や人間の世界は衆愚である。どうやら、我々の民主主義も博愛主義も人権主義も失敗するようだ。今の人間社会を構成する人は、誰も全体が見れないのだ。こんな中でマモノ退治に、大衆(人類)全体のコンセンサスを得るのは無理かも知れない。  
  
 マモノが大きくなり過ぎる前に、我々はマモノ退治のミッションを出さねばならない。それは大衆から選ばれた人達ではなく、意思ある人達からなるミッションになる筈だ。というのも大衆にはもう、その人達を選ぶ必要性の判断も選ぶ力もないはずだ。ドラゴン・クエストのスタッフを借りると、キ
ャストはとりあえず次のようなものになろう。  
  
 「勇者」は理想的には世界中の政・財・官の中の正義と勇気を持つ人達だろう。あるいは、どこかの力ある一個人かも知れない。彼なり彼女なりは、勇気と力でもってこのミッションを創設し、先頭を歩き始める人である。  
 「賢者」は視野広く、高い視点を持つ科学者や技術者あるいは深い思想と知恵を有する人達から成ろう。今すでに地球環境について問題を提起する人はゴマンといる。このミッションの賢者達は問題提起を繰り返すのではなく、先ずマモノ退治の具体的方法論を策定する筈だ。  
  
 「僧侶」は人間の心の問題を取り扱う人達、生身の人間を理解できる人達である。多分、心理学者や医学・人間工学等の分野からの人達あるいは、心ある宗教家や、日本では日本人のカウンセラ-:どこかのクラブのママさんも専門家として迎えられるかも知れない。  
 「商人」は経済学者、諸産業・食糧の生産や、資源の再生産・流通などを考える経営者や技術者達が含まれるだろう。  
 「武闘家」は現実に人類が手にしている軍事技術をどのように取り扱ってゆくかの戦略を考え、長視点的に見て「ヒト科」という「種」と地球を健全
に防衛するための戦略・戦術を担当する軍人か軍事技術者も必要かも知れない。理想的には武力を考慮しない方が望ましかろうが現実的には、自然界がそうであるように武力の存在には重要な意味がありそうだ。  
 「遊び人」表現は悪いが、人間の最も大切な部分を取り扱う集団である。  
 文化や人間が人間として生きてゆく歓びを設計し、ミッションの目的を円滑に達成させるための重要な役割を果たす。キャストは文化や芸術の専門家や人類の夢の設計者などになりそうだ。限りない人類の好奇心は宇宙から歴史あるいは古生物学と限りなくある。夢とロマンを与える科学や技術の専門家達も加わってくれる筈だ。  
 20世紀も最後の10年代になるとなにやら騒がしい。歴史を振り返ると100年前の世紀末にも騒ぎがあったらしい。また世の中に戦乱や何らかの混乱があると末法思想や終末論がはやるらしい。人々は何か不安の影を感じるようだ。それは、子供達が次の時代を暗示したコミックスを本能的に選択するような、あるいは大繁殖したネズミが大移動を始める前のような、何かしら漠とした環境的な背景への反応かもしれない。  
  
 この世紀末はあらゆる条件がそろっているので騒ぎも一段と賑やかになるかもしれない。先ずこのところ話題のノストラダムスの「1999年7の月」の予言というのがある。あたかも地球終焉論である。次に、ヨハネの聖書の「啓示」のハルマゲドンが近い内に起こるという説があるようだ。ハルマゲドン、つまり全能者としての神がサタンと人類の諸悪を葬るための大戦争がもうじき来る事を真剣に信じている宗派もある。  
 一方、人類社会や地球環境の実状から指摘される危機も奇妙に、これらの宗教上の危機説とタイミングが一致する。地球の環境汚染はこのところ放射能汚染、海洋汚染、大気汚染、土壌汚染等々、あらゆる汚染が急激に世界中に広がっている。中でもCO2による地球温暖化とフロン・ガス拡散によるオゾン・ホ-ルの拡大等は致命的な課題に発展するかも知れない。そして、指数的な人工増加と資源消費の増大がこのまま続けば、地球系そのものの安全性を決定的に脅かす事は明確である。  
  
 木村由実子が企画した現代神話’LaFantagiadiRapaci’の神話の展開が、はからずもそのような状況と一致した事に驚きを感じている。すなわち人間の諸活動のうち増長し過ぎる部分をマモノとみなし、それを創り出す人間と人間社会の本質的部分に一挙に迫る事で、マモノを一定の領域に閉じ込める。つまり2000年を機に、現在の人類が利用する地球表面積と資源を一定の範囲にとどめるという考えである。   
  
 いつどのようにして、このミッションは編成され出発するのかまだ分からない。だが、木村由実子と私の共作コラ-ジュ写真展’LaFantagiadiRapaci’の会場では、まだ小さいが同じ考えを持つ人達のサロンが出来、会話は始まった。  
 日本人、イタリア人だけでなくドイツ人もフランス人もイギリス人もスペイン人もやって来た。いつの日にか本当にマモノ退治のミッションがここから出発できればよいが・・・・。

8.「勇者」はいるか?

 どんな時代でも人間、どう生きるかが問題だ。自分の信じる生き方を一生通せればいいが、現実にはそうはいかない。なにしろ人間、一人で生きる訳にはいかず「この世の中」で生きている。「この世の中」の認識が人により違う、民族により違う、国家により違う、宗教により違う・・・そして多分100年後の人達は現代人とはかなり違った認識を持つはずだ。  
 この世の中で生きている限り、あまり自分の理想に走り過ぎない方がよい。  
 他人は自分とは違うし、自分も含めて人間みな利己的でわがままだ。たとえそれがささやかな正義感や人類社会に対する義侠心からであったとしても、自分の理想を理解してもらうのはなかなか難しいし、疲れる。理解を得ても人間また嫉妬深いし欲深い。メンツやリ-ダ-シップをめぐって何時も内輪もめしている。理想を主張するにはそれなりに体力・パワ-が必要だ。  
 これまでに、小さな理想ではあるが私も少しは追って生きてはみた。だがナミのサラリ-マンではすぐにパワ-が切れてしまう。そこで理想と現実の間を行ったり来たり、時にはネをあげる。  
  
 「勇者」に期待される大きな理想にはそれなりのパワ-が必要だ。時には「勇者」も疲れるだろう。だからたくさんの「勇者」が集まればいい。「賢
者」も「遊び人」も「僧侶」も「商人」も「戦士」もたくさん集まればいい。  
 皆、それなりにパワ-が必要だ。そんな力が集まらないと、この巨大なマモノの退治はできない。なにしろ敵は我々自身であるかも知れないのだから・・・・。マモノは日々指数函数的に大きくなってゆく。その成長速度に追いつけず時間切れにならないうちに、勇者達が集まればよいがと思う。  
  
 間に合わなければ、残されたスト-リ-に従うだけだ。つまりまた、人類伝統のお家芸、徹底的な破壊ゴッコを繰り返すのだ。何度でも好きなだけ、繰り返すのも人類の勝手だ。全ての破壊の後に、毎度お馴染みの「人類愛」と共存の精神が再び三たび芽生える事になる。だが今度のゲ-ムはすさまじいゾ!人口増加の規模も科学技術の進歩も指数的だ。もしもこの辺りの宇宙・時間と空間の見守り役の神サマがいたらきっと今、人類にこう申し伝えるだろう。  
 「オマエ等、好きなだけ勝手にヤレ!だが地球表面も環境も、人間が使える領分だけはケジメをつけてわきまえろ!ったく、こいつ等ときたら、性懲りもなく戦争はするし、はびこるし、美しかった地球を汚すワ、食い荒すワ、全く手に負えない連中だ!オマエ達の仲間うちだけで勝手にやり合うのは自由だが、地球系の存続を損うような事があれば許してはおけぬ。本当に、オマエ達ヒト科の動物だけでなく全てをダメにしかねない。」  
  
 神サマが気まぐれにお始めになった進化の偶然性が、地球系に対してあまり美しい進化とは思えない、宇宙の癌細胞のような動物が出現する事になろうとは、神サマだって想像できなかったに違いない。そんな神サマの気持ちで、マモノ退治に出掛ける「勇者」とその仲間達が現れるのを待っている。  
 その人達の活動がきっと神サマそのものの一部である筈だ。なぜならば、今後も100年、500年、2000年と続く筈の人類と地球系をマモノから
守ってゆくのだから。  
 今、知恵と勇気と正義感のある人々は集まらなければならない。勿論、あなたも・・・・・・・。

エピロ-グ

            夢や可能性のない人生ならば  
  
            いっそない方がいい。  
  
            明日は未知である。  
  
            だからこそ  
  
            生きる価値がある。 

あとがき

 ’84年6月にロ-マに赴任して’92年1月に帰国するまでの間の出来事や人々との出会いの度に、またふとした瞬間に感じたり、思い・考えた事などをノ-トの端や紙片などに書き込んできた。そんなメモがいつの間にかA3の大型封筒三つを一杯にする程たまってしまった。  
 何人かの人達からの強い勧めもあって、そんな断片をかき集めてエッセイ等にまとめる気になった。ゴルフもマ-ジャンもやらないとはいえ、やはり日本人の性かイロイロと忙しく、とうとうロ-マを去る日になってもまとめられずに帰国してしまった。帰国後の日本での生活も同じように忙しく、この計画も放棄する事になりそうだった。だがイタリアでやってきた木村由実子との二人展を’92年9月、東京銀座のニコン・サロンでニコン、日本野鳥の会、その他多くの立場の人達のご支持で開催して頂いた折に、三たび、新たな展開がやってきた。ここでは共作のコラ-ジュ写真を中心にした’LaFantagiadiRapaci’展であったが、その趣旨を理解された方々の強いお勧めがあり、もう一度エッセイにチャレンジする気になった訳である。従いエッセイの構成も、ただ書きっ放しだけでなくこの延長上の活動が場合によっては実現する事を想定しながら進めると、自然にこんなまとめ方になってしまった。このようなまとめ方をしたのも、私の人生上の義務というか運命のようなものではないかと一方では思っている。  
  
 さて、こうして一応まとめてみたがロ-マ駐在中に考えていた事の1/5も書けず、また例の紙片も大半は手つかずのまま残してしまった。これまで、技術書は何度も書いてきたし本も出したが、エッセイなど文学じみたものは初めてで、さっぱり要領を得ない。およそ文学的な価値からは程遠い稚拙なものであろう。また粗忽にして粗削りな、時に人の感情を逆撫でしそうな点も多いと思われる。だから人名が出て問題になりそうなところは、あえて変名としたり彎曲な表現にしたりの配慮などはしているつもりである。こんな本を自分の実名で出す事ば、もしかして、醜い身体をひっさげて銀座を裸で歩いているような恥ずかしい事かも知れない。事実、家族からは、「物書きは三代の恥」というから本を出すことだけは止めて下さいとのプレッシャ-もかかっている。だが、そのような葛藤の一方、何かしら奇妙な義務感に押されあえてこれを出す気になったのが実情である。 

  
 帰国後の生活にはかなりの文化ギャップがあった。そのギャップを考える過程で、私としてはますます自分の考えに自信は出てきた。世のあらゆる分野にも現実と環境の間には大きなギャップがあって、改革の必要性があるようだ。  
 自分の職業柄、改革のための方法論もつくり、自分の世界の中ですでにそれなりの活動は初めている。だが、日本人社会は環境変化の中でどんな大きなズレや歪みが生じていようと、なかなか変わろうとしない。変われない。  
 そんな時、私はズバリと直言する。日本の社会では、まだこの方式はタブ-らしい。私は「口が悪いオトコ」という事になってしまったようだ。ここではいかなる状況下でも、いわゆる奥歯にモノがはさまったように表現するのがまだ美徳であるようだ。この分では、乗った船が沈没している最中でも、話相手への気配りを考えながら、言葉を交わさなければならないようだ。  
 人々は忠告してくれる。「君、そんな発言をすると君一人浮き上がるよ!」とか「そんな意見を述べると、周りから総スカンを喰うよ!」とか、あげくの果てに「出る釘は打たれる!」と明言されたりもした。  
 家を建てた。大金を借金して、少なくとも120年以上は使用に耐える素材と空間をもった家を建てた。もっとも私は今後120年間、生き続ける気はないし、私の子供が必ずこの家に住み続けるなど思ってもいない。誰か次の世代の日本人がこの家を利用できれば、日本人がその分、熱帯林を切らずに済むし日本人の経済構造をストック型に改善するのに若干でも寄与できる。  
 理解者・賛同者も多くそれなりの家は完成した。だが後が大変だった。日本の税制度の理念は50年前の貧困奨励時代のままである。せっかく造ったガレ-ジが日本税制の規格を越えた。なんでも三方向の壁を持ったガレ-ジは増税の対象で、その額は私の支払い能力を越えた。完成したガレ-ジの後ろの壁を取り壊す事になった。不安定で奇妙なガレ-ジが残った。その姿は、滑稽である。  
 指数的に社会環境が変化し多様化する傾向は日本が特に著しいように思える。その一方で目先の変化には敏感でも、本質的な変化にはその認識も対応もニガテな日本人社会の特性の痛みを強く感じての生活をおくっている。現在のように変化が激しい時代環境下では、何事も小回りがきく動き方をして変化する環境に追随すべきであろうが、日本社会の反応は何時でも何事にも直線的だ。  
  
 時間の経つのは早いもので、帰国して一年半も過ぎた。この間、日本人がたった三人の事務所で長年一緒に仕事をしてきた元ボスの中村さんが、イタリアの国営製鉄会社ILVA社の社長になった。イタリア政府からの強い要請での就任であり、彼こそ文字通り’DomorethantheRomansdo’を地でゆく人物だと思う。  
 ロ-マに赴任した時、「イタリアで安全な車とはスピ-ドが出てダッシュがきく車だ」と教えてくれた人である。私とは価値観・人生観は必ずしも一致しない点もあるが、ヨ-ロッパ在住で尊敬できる数少ない日本人である。  
 この人について誰かが書けば優に十冊のおもしろい本が書けるのではないかと思う。魅力の人である。だが、30年以上もイタリアに住み続け、自由な思考で生きてきた彼の舌から発せられるストレ-トな言葉は、間違いなく密集群型の日本人社会には刺激が強すぎると思う。ともあれヨ-ロッパで通用する数少ない日本人であり、御幸運と御健闘をお祈りしている。  
  
このエッセイのプロロ-グは6年前、あるところに依頼されて書いたエッセイそのものである。そしてその時のタイトルをそのまま、この本のタイト
ルにした。  
 やったぜ、やっと書き終わった!  
  
1993.11.3  
  
岡本久人