いろいろな運命のめぐり合わせで、会社の駐在員としてロ-マで暮らす事になった。ロ-マに住みイタリアで仕事をしていると、思いもかけなかった事に気づく。
イタリア企業に対する技術協力を通して、逆に日本人の特性が理解できた。イタリア人は節操がないと思っていたが、この国で生活してもっと大きな視点でみると、民族としてアヤシゲなのは日本人の方ではなかろうか、という疑問が湧いてきたりする。
ロ-マの街は2000年前の文明の中に未だに存在しているようなところがある。この街の中で例えば、技術と文明、社会と個人、そして人間の生き方などを、定型的な日本での行動枠から抜け出て考えてみるのも無意味ではなかろう。というのも、世の中の変化が激しいようだ。日本もヨ-ロッパも、人類社会があまりに急速に変わりつつあるようだ。この先に何があるのか、期待しつつも不安もある。本当の未来社会の姿を知ってみたいものだ。
イタリアは北のアルプス・ドロミテ等の山岳地帯から南の典型的な地中海性環境まで、自然が豊かで多様な国だ。この国の自然と人の生き方を見ていると、人間の文化が自然の動物生態と相似形である事が実によく分かってきた。複雑で混沌としてきた人間社会の動向も、一レベル下げて生態学として見てみれば分かりやすい。そうして見れば、現代文明の延長上にある未来の社会のアブナさ加減が理解できる。
異文化の中で生きる、せっかくの機会である。こんな世界で出会う人々や出来事を通して考え感じる事を、とりとめもなくノ-トの隅や紙切れに書きつけたりしてメモに残してきた。そんなメモをいつの日にか整理して、まとめてみれば、きっと何か、それまで見えなかった事どもが姿を現してくるのではないかと、考えてきた。
ここに、その一つのまとめを試みてみたいと思う。
1988.8.3
Prologue
”Do in Rome more than the Romans do”
一歩でもロ-マに足を踏み入れたことがある人ならば、まず交通の乱雑さに度肝を抜かれたことであろう。この無茶苦茶な運転をやっている人達が、かつてのロ-マ帝国を築いた人々の末裔かと考え込んでしまうほど、そこには一種の混乱・無秩序が見られる。
熱力学の第二法則にエントロピ-増大の法則というのがある。つまり「自然界での現象は時間とともにあらゆるものが秩序から無秩序の方向に不可逆的に進行する」というのが、これである。エントロピ-を一口でいえば「乱雑さの度合い」ということであるが、我々人類も自然の一部であり人間の営みもエネルギ-とみるならば、人類の文明もあるいはこの法則に従うのではあるまいか。
しかし、この混乱も注意深く観察してみると、すべてが無茶苦茶ではないと気づく。例えば、スピ-ドを出しすぎる人と遅すぎる人、ル-ルを全く守らない人と守り過ぎる人、すなわち全体としてのバラツキが大きいだけなのである。このバラツキの大きさが私達日本人の目には混乱・無秩序に見えるらしい。私たちに比べ、いい人はとてつもなく素晴らしいし、そうでない人は想像もつかないほど××・・・・。
生物生態系で環境条件のちがいに対し、それなりに適応が見られるのと同様に私たちの目にどう写ろうと、この社会もバラツキの大きさに対しそれなりに適応し安定しているようにも見える。現に交通事故の発生率も、かの規律の国ドイツと変わりないという。
さて、このような状況下で異邦人がマトモに車を運転し、マトモに生活してゆくのは至難の業である。駐在員として赴任し、車を購入する前に真剣に考えた。 “Do in Rome as the Romans do”(郷にいらば郷に従え)の諺どおり、なんとか当地の平均レベルで車の運転すべくレンタカ-を借りて努力をしてはみたがなかなかうまくゆかない。そのうち、よそ者がここでマトモに事をなすには “・・・ do as the Romans do” ではダメで “・・・ do more than the Romans do “(連中以上にやっちまえ!)でなければならないことに気づいた。
これは偉大な発見であった。そこで軍艦マ-チのカセットかけて、日の丸ハチマキにまなじりたかく吊り上げて、数日間ロ-マの町中を The Roman以上にレンタカ-のぶっ飛ばしをやってみた。その甲斐あって、その後当地で自ら事故を起こしたことはない。だがThe Roman に車の後を当てられたことはある。
その朝ボルゲ-ゼ通りでタンク・ロ-リ-に追越しをかけたところであった。道路わきに駐車中の一台が突然動き出すのが見えた。その瞬間、後部に衝撃! ロ-リ-があの車をさけるのに急ハンドルをきって僕の車の後部にあてたのだ。もちろん、飛び出した車はそのまま去ってしまい、ロ-リ-の運ちゃんは、運わるく社会的バラツキの××の側の方らしく、い きなり大声でわめき始めた。
要は、「オマエが悪い! オマエが悪い!!」「オマエがオレの車の前に割り込んできて勝手にぶつかってきた!」と言っているのである。こちらが理解しようがしまいが、大きな体全体でまくしたて続けるのである。その声量は優に800m四方の範囲に届いていたと思われる。
こういう時には落ちついて待つのがいい。相手の肩ごしにロ-マの空に浮かんだ雲などながめながら待つのがいい。”おお-い雲、ばかにのんきそうじゃないか・・・・・”。彼のポテンシャル・エネルギ-も10分もすれば放散し尽くすはずだ。そして彼は静かになった。そこで僕は端的に説明してあげる。「君はハンドルを左にきった。ハンドルをきれば前輪は車幅からはみ出す。僕の車側のタイヤの跡がその証拠だよ」相手は肩をすくめ、そこに現れたオマワリさんも「ブラボ-!」。これで終了である。この社会でマトモに生きてゆくには、それなりの姿勢と工夫が必要であるようだ。
現在は人間の営みの進行速度が速くなった。これからの世の中はどうやら他の人がやっていること・これまでの人がやってきたことに従うだけでは人間、マトモに生きてはゆけないような気がする。エントロピ-の増大速度は益々速くなる。日本の社会が、いや世界の人類社会がエントロピ-極大になるのにロ-マほどの時間はかかるまい。ロ-マの街に身を置いてじっくり身を処す術でも考えよう。
第Ⅰ章:ちがいが分かる男 1.ロ-マの外人分類学
1.ロ-マの外人分類学
ロ-マの朝夕の交通ラッシュにはすざましいものがある。ただ車が多いというだけの事ではない。とりわけ交差点ではある種の力の支配がある。前後左右の状況、他の車にはおおむね関心は払われない。皆ひたすらに自分が進みたい方向だけを見ているようだ。右のウインカ-のまま左折する車、一番左側の車線から強引に右折する車、あきらかに信号は赤であっても・あきらかに交差車線をブロックすると分かっていても進入する車、ここでは強い者が勝つのである。ここの人達に鈴木健二の「気配りのススメ」を読ませたらどんな反応を示すのだろう。
中でも抜きんでてすざましいのはイタリア・オネ-サン、イタリア・オバサン達の一群である。彼女達が左右や後方の確認をはなから放棄しているのは明確だ。なぜならそのバック・ミラ-、ル-ム・ミラ-はたいてい自分の方向をむいている。どんなラッシュの中でも彼女等は目の前の隙間に向かって果敢に車をダッシュさせるだけだ。またなぜだか、彼女等の三人に一人は火がついていないタバコを口先にチョコンとくわえて運転している。これがどんな意味をもつのか、またどんな作用に供しているのか何年たってもナゾのままだ。
信号が無いロ-タリ-交差点などではこうした車が押し詰まり、まるでギッシ・ギッシと音をたてているようだ。日本の神輿かつぎのように押し合いへし合いしながらロ-タリ-自体が文字通り重々しく回っているようである。
交通に限らずこの国では万事が似たようなものだ。規律と節度の中で生きてきたドイツ人やイギリス人それに一般の日本人は、こんな状況に何年経ってもなじまない人が多いらしい。これらの外国人の反応・身の処し方は概して次の三つのタイプに分類できるようだ。
(カテゴリ-・1)
悪いイタリア人の心を直してあげよう・・・・と敢然と立ち向かうタイプの人々である。事あるごとに進み出て厳重に抗議する。くる日もくる日も同じ事を繰り返し続けて、やがてむなしさを覚える事になる。ドイツ人やイギリス人がこのむなしさをどのように表現するかはまだ見たことがない。だが何人かの日本人が失望と落胆に打ちひしがれているのを何度か見た事がある。かれらは巨大な文化の流れに素手で対処しているようにも思える。
(カテゴリ-・2)
ただただ毎日、呪いながら生きているタイプの人々である。彼らは火の無いタバコをポコンと口先にくわえたイタリア・オバサン達を横目で見て、窓を開けて抗議する訳でもなくこぶしを振り回す訳でもなくただ車の中でバカとかセッソウナシとか一人ブツブツと口走っている。このタイプの人はイタリア語が不自由とか単に自己顕示に自信がないという事情の人々が多いが、カテゴリ-・1からの転向者も多いようである。外からのリアクションに影響されない自己完結型の反応であるため、この性格は比較的長い期間保持され駐在員ならば任期あけまでこうした生き方で過ごす人も少くない。だがこのタイプの日本人の多くは、帰任時成田のゲ-トを通過と同時に全ての悪い思い出は帳消しになり、瞬間的にイタリア・フアンに転向するとの事である。
(カテゴリ-・3)
その土地に生まれ育った人でないかぎり、人はその地の人になりきれないという説がある。これは人間に限った事ではないらしい。生まれ育った環境でインプリンティングされた動物の行動習慣はそう単純には変わりはしないという事らしい。そこで外人としてロ-マに来た者がこの環境に適応して生きようとする場合、ガイジンとしての自己を維持しながら、あえて意識的に”Do as Romans Do ! ”をやるのである。要は「連中もやっとるからオレもやったるか!」というような事になるらしい。これがカテゴリ-・3に属する一群である。
こうして何年もイタリアにいると、この土地の自分がやりたい習慣だけを身につけるようになる。かくしてイタリア人の悪いところと日本人の悪いところだけが遺伝したような人間も中にはできあがる。勿論、全く逆の例もある。おもしろい事実は、双方ともにその事に全く気づいてはいないということである。だから時には”オレももしかしてハヅカしいテイを晒しているのではないか・・”と自分を省みる習慣を持つ必要があろう。
自分自身はいずれのカテゴリ-に属しているのか? 省みればどうやら自分は未熟者らしく自らの基準さえも定らず、あちこちのカテゴリ-をさまよっているらしい。ある時は意気消沈し、又ある時は悪態をついたりステゼリフを残して自分のウサを晴らしたりする。たまたま友人や家族が一緒だと彼等にはずかしい思いをさせたり、後で自分がはずかしさに沈み込んでしまうハメにもなる。とりわけまだ小学校低学年の我が子から「パパまたやってしまいましたね!」と冷静にさとされたりするともう逃げ場もない。
異文化の中で生きてゆくのはそれなりの苦労がある。人は文化なり環境なりに慣れるのか慣らされるのか、それまでとは違った状況に曝されてみると一体どれが本物なのか何が真実なのか分からなくなってしまうものらしい。
とはいえ、今日を生きるのにどれか一つを無理にも選ばなければならない。
こんなところに、矛盾や滑稽さがみえかくれする。自分の人生を大切に思うならどうにかして正しく物事を見る目を持つしかない。
2.正しく見るのは命がけ〔A〕〔B〕
かって無人島で道に迷ったことがある。もっとも無人島にはなから道などあるはずはないのだが、とにかく密林の中で迷ってしまった。
野鳥の生態調査で行った男女群島の男島は、長崎県五島の南西150Kmの海上にある高い絶壁で囲まれた周囲8Kmの上部が平坦な台形の島だ。昼間でさえ陽がささない鬱蒼と繁った密林の中での調査中に方向を見失ってしまった。島の上部が平らなため、自分の位置を確認する場所もない。大きな島ではないが、すこしの移動にも時間がかかり、激しく体力を消耗する環境下でメンバ-の顔にも不安の表情がみえる。
こういう時には冷静になってできるだけ客観的に辺りの状況を見つめるこが必要だ。苔のつきかた、木漏れ日の方向、わずかに吹く風の向き・・・。やがて必ず自分の位置や状況は見えてくる。そしてどう身をふるまうべきかも見えてくる。
異境・異文化の中に在って自分の方向や位置を見失った場合も似たような事かも知れない。それなりに物の見方や考え方に工夫もあるようだ。いっそのこと、こんな機会に自分の人生での方向や位置も見えてはこないか、人生の身のふるまいかたが見えてはこないか。自分にとって本物の人生というものがあるのなら、ぜひそれで生きてみたいものだ。多分それはあの文化やこの文化の中で規定されるものではなく、何か本質的な自分が生きている環境と自分固有の肉体や精神との間にあるものだと思う。もしも本物の人生というものが見つかるのならそれに命をかけてみたいものだ。いや、それを見つけるために命をかけてもよいと思う。
〔A〕 Auto Strada (高速道路)
駐在員などでヨ-ロッパに住むことになった日本人が最初にとまどう事の一つが高速道路である。ドイツのアウト・バ-ンは概して速度の上限は制限されていないし、イタリアのアウト・ストラ-ダも速度制限はあってないようなものだ。速度をいつも気にしながらビクビク運転していた者がいきなりスピ-ド出し放題といわれてもとまどってしまうが、日本人なら皆、一様にやってみようと思うようだ。高速道路とは名ばかりでどこもかしこも制限だらけの日本から来た者には、やってみなければ損だという気持ちが働くらしい。
だが実際に速度を上げ始めるとすざまじい緊張が現れはじめる。150Km、160Km・・・ハンドル持つ手にジワ-ッと汗がにじみ出しマナコをカッと見開いて、もうここいらであきらめようかと思っても同乗の家族へのメンツなどあって、そうすぐには止められない。海外赴任早々のこの時期にオヤジとしての弱みは見せられない。家族のハシャギようとはうらはらに、運転してるオヤジの方は口の端だけで笑ってそのじつ歯をくいしばり顔がひきつっている・・・ということになる。追い越し車線を全速で走っているつもりでも後ろからピッタリつけられてピカッピカッとそこどけのライト・アップをされたりすと、もうウロタエの極みに達する。走行車線は他の車で一杯で戻れもしないしもうじきカ-ブもやってくる。「目的地まであと何キロか!」とついに怒鳴ってしまったりする。
こんな経験を何度も繰り返しているうちに、これも慣れの問題だということが分かってくる。仮に150Kmで巡行したければ、高速道路に入ったらまづ、思いっきりアクセルをググ-ッと踏み込み200Kmの速度で最初の10ー15分走る。その後150Kmまで速度を落とす。こうすればまるで80Kmの速度で走っているようである。空に浮かぶ雲も見える。風に揺れる梢、木の葉のささめきさえよく見える。勿論、前後左右の車の動きもその運転者の人相さえも見てとれる。人間の感覚とはこんなものらしい。
何事も自分の能力一杯でギリギリに緊張して身体を張って頑張ってみたところでそう長続きするものではなかろう。本当にそうしたければ、もっと深く思いっきり限界まで、一旦挑戦してそれから元のレベルに立ち戻る。このことは視力や感覚知覚にかぎらず全てに通じるのではないか。ひとたび自分の限界やものごとの極限を見極め、その後自分のペ-スに立ち戻る。そうすることで生理的にも心理的にも緊張なくして人生の高速運転を楽しむことができはしないか。何もせずとも世の中の変化が速すぎる。やりたいこと知りたいことが多い人生ならば少しはスピ-ドも上げねばなるまい。また人生の時間も無限にある訳でもあるまい。
〔B〕観察
私は鳥を見つめる。
鳥も私を見つめる。
そのうち私は 鳥になってしまう。
鳥が私になってしまう。
とにかく観察から始めるのである。まづひたすらに観察するのである。野鳥の研究も、コンサルタントとしての仕事の研究も、文化の研究も、そして密林で道に迷った時も全ては観察から始まる。
「観察」とは、ただじ-っとながめている行為をいうのではない。見ている対象の中に何か法則なり因果律なりを見つけ出す意図なり意思なりが働いていることが肝要である。例えば彼女の鼻タブが僅かにピクリと動いたことに気づいたとする。その現象を発見した瞬間から、ソレは繰り返し性があるかとか、どういう状況の時にソレは再現するかとか、なぜソノ習性は顕れたのか・・といった探究の意図を以て彼女を見つめる行為を観察と呼ぶ。この観察の結果で得られた事実あるいは真理は、いつしか彼女または自分自身を必ずや良い方向に導くものと信じている。しこうして私はたんたんと何事にも真摯な観察を続ける。
ロ-マの社会にはこの社会なりの、例えば美の規範があるのではないか・・という意図のもとにこの地の女性の観察をする。身のこなし・顔の表情・物の食べ方・服装におけるカラ-・コンビネ-ション、話題の取り方等々。自分の人生への実益を考えるなら女性ばかり観察し続ける訳にもいかぬ。この地では男性にとっても、例えば優雅にふるまうことが社会生活においてもビジネスにおいても極めて重要なファクタ-であることも観察の結果から気づいた。”優雅な身のこなし”についていろいろな国、いろいろな地方、いろいろな場所に行くたびにそれとなく観察を続けてみた。
例えばレストランで同じテ-ブルに付いたイタリア人どうしの中でも、優雅な人とそうでない人は歴然と分かるから怖いものである。手の位置や動き、話す時や笑う時の表情など、ほんのちょっとした動作やしぐさでそれは決まってくる。
そのうち、例えば”優雅さ”にも法則があることに気づいた。これは重大な発見である。だからこの法則の詳細についてはまだ書かないことにしよう。有能な研究者は成果の安売りはしないものだ。しかも別の観察の結果から、この優雅の法則は人間だけでなく鳥や獣、他の動物にも共通していることが分かった。従って多分・・・・かなり深い真理をついている事は疑いない、と私は思っている。ちなみにイタリアのミラノ界隈で見られる日本人ビジネスマンの身のこなしをこの”優雅さの法則”でみる限り、その92.3%がこの法則に反しているという結果になった。しこうして観察は歓びである。
だが私はある時フト気がついたのだ。あちら側からひそかに私を観察している視線があることに・・・。考えてみればまわりはすべてイタリア人。私だけが東洋人。仕事がら日本人があまりいない地域にいることが多いだけに、ちょうど動物園の檻の中の動物のようなものだ。つまりこちらはオリの中から観察していたのであった。実はたくさんの目がレストランに入った瞬間から私を観察していたのである。ヤツはどこでコ-トをぬぐか、ス-ツの着こなしは、歩き方、顔の造作や表情は、ボ-イとの話し方は・・・・ヤツは優雅であるか? 彼等はそれとなくタンタンとこちらを観察しているもようである。
そうと分かれば例の法則を、すぐさま実行してあげるのがよい。”僕は日本の貴族の出だ”とばかりに。彼等の中の誰よりも優雅なたちふるまいを演じてあげる。歓びをすこしでも人に与える事ができるならばそれが一番いい。彼等をして”Che elegante !”と言わしてあげる。
イタリア人が私を見つめる。
私がイタリア人を見つめる。
・・・・・・・
どうやら詩はやっぱり鳥のほうがいい。
鳥が私を見つめる。
私が鳥を見つめる。
そのうち私は鳥になってしまう。
そうして私は鳥よりも
ずっと優雅にはばたいてしまう。
2.正しく見るのは命がけ〔C〕
〔C〕生態学の助け
「野鳥調査マニュアル(定量調査の考え方と進め方)」/東洋館出版社という本がある。実にオモシロクナイ本である。野鳥や自然に関する本ではあるが野鳥の絵も写真もほとんどない。調査理論だの統計数学だの文字とグラフと数式ばかりの本を野鳥や自然が好きな人たちが買ってくれる訳がない。
また調査技術や統計学の関係者も野鳥の調査など関心もない。こういう訳で大きな書店の専門書の棚にひっそりと並んでいる売れ行きが最も悪い類の書物である。原稿は出版の10年程前から集められていた。当時、野鳥が減った!野鳥が減った!と騒ぐわりには実態調査や研究の方法が理論的ではなかった。日本のそのスジの専門家は知識・知見はあっても理論がない。野鳥や自然に関しては、知識・知見を追う方が楽しいし本を書いてもよく売れる。従って労多くして売れない本など書くヤツなど、もしかしてアホ・・かも知れない。実はそのアホ・・かも知れない執筆者は私と友人の市田氏である。彼はそのスジの専門家で立場上、この種の理論をまとめる必要はあった。たまたま調査技術が専門の私が彼と組んだというだけのことである。だが二人とも本の印税を期待するほどアホでもなく当初からボランティアのつもりで執筆した。動機は義務感からである。
この本、調査技術論としてはスグレモノと自分では思っている。第一、この方面での系統的な調査理論はこの本のほか世界中にまだ無いし、多分今後も出まい。同じ生態学でも農林・水産などのスポンサ-産業のバックがある分野は調査理論も発達する。だが野鳥に関してはどの産業も興味はないし、鳥類学者も売れない本など書きはしない。
もともと私は、ワシ・タカ・ハヤブサなどの写真を撮ることを動機にこのスジに身を染めた。彼ら猛禽類の写真をマトモにとるには、それなりに彼らの生態を知りつくす必要がある。こうする間にいつのまにか野鳥の生態調査や自然保護などやる活動にどっぷり浸かっていた。おかげで生物学や生態学などをいろんな機会に勉強できた。これは重大なる成果だった。
自然界のメカニズムや力学が自分が関係する例えば、経営学や社会科学の困難な問題を解く時のヒントになった。
例えばある所に一つの島があったとする。当然のことながら島の面積は一定である。そこに繁茂する植物の量(生産量)はほぼ一定であるが、その年の日照量・降雨量・気温などの気象条件により増減する。仮にその島に400頭の鹿が棲んでいたとする。気象条件がよく植物の生育がよければ鹿は沢山の餌を食べ、繁殖力が上がったり幼獣の死亡率が下がったりして鹿の頭数は増える。逆に気象条件が悪く植物の生産が減ると鹿の数も減少する。この両者の関係、植物の生成量と鹿の固体数を定量的に毎年追跡していたとしよう。これは生産と消費の関係であり、人間を対象とした科学でいえば経済学の本質的なモデルと見てよかろう。
また、ここに棲む鹿はA、Bの二種類いたとする。同じ餌を食べる鹿ならば、この二群は餌をめぐって闘争しているはづである。餌がなくなる季節など両者間にかなり緊迫したシ-ンがあるかもしれないが、現場では闘争場面などめったに見れない。だが結果は両種の固体数の差で現れる。仮に毎年、両者の固体数を追跡できていたとしたら、この数字の動きは両群の力関係を示し、人間を対象にした科学でいえば政治学の本質のようなところがあろう。
さらに、勝った(数が増えた)負けた(数が減った)の理由を知るために、それぞれの群の年間の行動パタ-ンや群れの構成など集団の内部構造に着目すれば、人間を対象にした科学でいえば社会学の本質をそこに見いだすことができる。
実際の生態系ではこんな単純なモデルはないが、生態学は人間を対象とした経済・社会・政治などの社会科学の本質を端的に表現しているといえよう。また自然生態にはこうした空間的バランス論の他、時間的な推移変化の力学がある。局部的にみればカタストロフィ-もあれば破局からの再生もある。人間の社会現象の断片とのあまりの相似に驚くこともある。
さて人間の生態学、社会科学はどの分野をとっても難しすぎる、広すぎる、深すぎる、変化が速すぎる。しかも政治・社会・経済等、全ては相互に関係しあって複雑すぎる現象だ。だが一人の人間として人間社会に属しているならば、人間世界の動きが分かっていなければマトモに仕事も人生もやってはゆけまい。とはいえ根がル-ズな私のような人間はこんなに大きく複雑な人間世界の全体像を追うために勉強も努力もやりはしないし、ナミのアタマで出来はしない。
そこで私は考えた。人間社会の現象を全て一レベル下げて、生態学に置き換える。政治・経済も文化も経営も全て小さな島の生態モデルだ。
こうして見れば、何が枝葉で何が幹、複雑怪奇な人間社会の激しい動きもマクロ的だが全体像は見てとれる。浅くはあるが多角的に見てとれる。
イタリア社会と日本の違い、激しく変わるヨ-ロッパいや人間世界の動き、変化せざるを得ない日本や企業環境等々・・・何事も生態学にレベルを一段落とすことで、ほどほどに見誤らずに見ているような気がする。ともあれどんなやり方でも、自分が属する群れ(人間社会)の中からそれを取り巻く環境のゆくすえと、自分の位置を正しく知ることは生きてゆく上で意味ありのようだから。
2.正しく見るのは命がけ〔D〕
〔D〕定量調査
仕事が山積して帰りが遅くなった。V.Veneto通りの事務所を出てLudovisiのガレ-ジから車を出すとLudovisi通りの真正面に満月が昇っていたりする。外は喧騒なのにこの風景、なぜだか急に静かな世界を作りだす。Veneto通りから右に下り、Bissolati 通りから・・ SettembreのQuirinale宮の横を衛兵の優美な姿をチラと横目で見ながら、コロッセオを半周するようにGregorio通りの方に抜ける所でまた満月が見える。私はこの帰りのル-トがこのうえなく気に入っている。ロ-マの中心的な遺跡の間を通り抜けながらル-トは東を向いたり西を向いたり紆余曲折するので、季節折々の夕空を楽しむことができる。Porta Capena広場のFAO(国連食糧農業機構)本部事務所の前から左に折れてカラカラ浴場の上のG.Baccelli通りを抜けてC.Colombo 大通りの方に向かう。この抜け道は片側一車線だが沿道に家もなく緑と静けさに囲まれた最も気に入りの通りだ。夏の日が長い間はカラカラ浴場の遺跡の頭越しのかなたの空、Palombara の山のあたりにまだ入道雲が見えていたりする。こんな夕べのラッシュ・アワ-が過ぎるころには車の通行はほとんどない。
その日も午後8時頃 Colombo大通りに面する赤信号で停車していたのは私の車一台だけだった。そのうち一台のパトカ-が来てすぐ後ろに停車した。
脇道から大通りへの信号ではあるがここの信号の赤はとにかく長い。ふだんなら気が短くイライラするはずの私だが、ライト・アップされた目の前のロ-マ時代のArdeatina 門や城壁を眺めているとここだけは何時までも待てる。だが後ろのパトカ-はどうやらシビレをきらしたらしい。車線分離のガ-ドがあって私の横をすり抜けて行くわけにもいかず、クラクションを鳴らして「早く行け!」という。私は窓から身を乗り出して「だって赤だろ!」と怒鳴ると、これぞラテン系の典型といった顔つきの警官が大きく身を乗り出して大声で言った。「前の通りにゃ車なんか通っちゃいないじゃないか。早く行ってくれや!」とマジだ。警官が言うのだから信号無視もしかたがない。左を確認しながら右折に出た。こんな時、彼等もパトカ-なのだからサイレンくらい鳴らしてくれればよいのになどと思いながら。
ここに来てまだ時間も経っていなかった頃だったので、この出来事は話に聞いてたイタリアの寛大さ、融通性のよさの実例として解釈したのである。
それから一週間も経たないある日、私はほぼ同じ時刻に同じ交差点で赤信号にであった。その日は家で用事があり、あせっていたので前回と同じように左を確認しながら Colombo大通りに右折した。するとどうだ・・!Ardeatina門の向こうの通りで信号待ちしていたパトカ-が「ウ~ウ~~~」。まさにオヨヨ!である。道路わきに車を停めると若いオマワリが降りてきて言う。「君は信号無視だ!」。そこで私は先日の一件を手短に説明した。彼は肩をすぼめていう。「ここイタリアには何種類かの警察がある。僕等は交通警察。彼等はきっと他の連中だろう」。私の身分証明書を見ながら「君も日本人なら・・・・」とそこまで言った時、信号無視の車がスピ-ドも落とさず2~3台たて続けに通りすぎた。彼は大きく肩をすぼめて「イタリア人は節操がないからナ~」と何か悲しそうな表情で言った。「君はイタリア人じゃないの?」と問う私に彼は反射的に答えた「僕はイタリア人だ。だからわかるんだ」。勿論、その場は無罪放免になったのだが・・・・。
「イタリア人は節操がない」。ドイツ人、イギリス人や日本人など外国人だけでなく同じイタリア人の口からもこの類の悪口を耳にする。本当にそうか。感覚的には確かにそうだ。だが物事を印象で判断することには危険が伴う。私は出来るだけ客観的事実に基づいた判断を心掛けるよう努めている。定量的なデ-タにより定量的な判断ができればそれが一番いい。
私は一応、調査の専門家ということになっている。例えば工場の能率や会社の実力など定量的に評価することも私の仕事の一部になっている。また、森に棲む野鳥の固体数やある岬を通過する渡り鳥の数なども定量的に調査してきた。調査の精度に差はあれ、私はたいていの事は定量化できると考えている。例えば「イタリア人の交通ル-ルに対する節操のなさ」もこうして定量化してみた。
先ずどこかの交差点に立ち、一信号サイクル当たりの車の通過台数を調べる。また同時にそのサイクル内で黄信号になって通過した台数、赤信号になった後に通過した台数も調べる。このル-ル違反の発生比率のデ-タを後は単純に統計学の手法に従って収集・処理すれはよい。ついでにロンドンやデュッセルドルフに出張した時に同じデ-タを採りロ-マのデ-タと比較する。統計学の有意差検定の問題である。しこうして「交差点でのマナ-においてイタリア人はドイツ人より信頼度95.6%で節操がないといえる」という事になる。
従って交通事故の発生もイタリアが抜きんでて多いと考えられそうだ。そこでイアリアやドイツの統計資料から交通事故の発生率を調べてみた。
その結果、意外にも自動車登録台数あたりや人口あたりの交通事故の発生率はほとんど差は無いことが分かった。これは不思議なことである。だがこの謎も自分なりにこう解いてみた。「生態系はそれぞれの環境なりに安定する」。すなわち皆がル-ルを無視するロ-マでは、青信号で交差点に進入する時もそれなりに注意しながら運転しているので事故はおこらない。生態学でいう一種の「適応」であろう。
要は物事は感じで判断しない。できるだけデ-タをとって定量的に判断する。さらに物事は表層の事象だけで判断しない。ということであろう。
こうして文化差のある世界の中で道を見誤らないための目をもう一つ備えることにした。
2.正しく見るのは命がけ〔E〕
〔E〕実験
ナポリには関係する会社がありしばしば出張している。そんな時、周囲の人々は決まって鉄道で行くことを勧める。ロマ-ノ(ロ-マの人)達はナポリタ-ノ(ナポリ人)をやや蔑んだ口ぶりをする。そのロマ-ノも北のミラネ-ゼ(ミラノ人)から見ればどこか信用できない連中と思われているようだ。この国の人達は何故かどの位置に在っても北側の方が南側より信用でき上品に創られているらしい。イタリア人の口ぶりを総合するとそんな調子が聞き取れる。従って一番南のシシリ-の人(シシリア-ノ)達やその対岸のカラブリア地方の人(カラブレ-ゼ)達には最悪のラベルが暗に貼られているらしい。それよりわずか北に位置するナポリには位置相応のラベルが付いているようだ。ナポリ民謡で知られている風光明媚な土地柄のナポリタ-ノにはイタリア人でも気を使う。そんなナポリにガイジンの私が一人で車で出掛ければ何が起こるか分からないと、ロマ-ノ達が気づかってくれるのである。
本物のナポリタ-ノは赤信号など省みない。対向車線、一方通行の道を逆から走って来る車、道路の中央に駐車するもの、暴走行為・・・等々。
勿論、ロ-マでも時折見かけるがその数がず-っと多く、ここではしごく普通の情景である。
ナポリにはイタリア人も足を踏み入れたくない地域がある。そこでは、老人も子供もうら若き女性も信用できないと他のイタリア人達は言う。現に少し以前、ロ-マの或る日本人がたまたまその近くを車で通りかかった。例のごとき渋滞中の交差点で窓を開けて待っているとき、10才位の少年が窓からヒョイと覗き込みサイフの入ったショルダ-・バックを掴んで逃げだした。車で追う事もできず、車を置いて追うわけにもいかず、周囲のイタリア人もただ肩をすぼめるだけ・・・・なにかの映画に出てきそうなこの情景、ここでは日常の現実だ。
私はむしろ、そんなナポリが好きだ。そんな話に、まるで野性の中にいる時のように心がおどる。私は昔から探検が好きだった。人生、何事もないより何かあった方が良いに決まってる。
で、出張は車で行く。その方がこの国を身体で知ることができる。仕事の上でもこの事は大切な事だと思っている。何でも新しい事を始める時や新たな状況に直面する場合には、耳で聞いた情報・紙の上のデ-タより、現場の体験が一番大切である。かつて工場で新技術の開発をやっていた時も、何度もの理論計算・シミュレ-ションよりも一回の実験が決め手となった。生態調査の多くのデ-タからいかなる仮説をたててみても一度は現場で検証せねば成り立たない。
という訳で私はどんな場合にも自分の身体で試すこと、自分の目で確かめる事にしている。自然の中にも人の中にも幅広く、できるだけ深く入ってみることを主義にしている。その結果、仮に自分の身に不都合が起きようともそれも教材である。新たなる一つの実験デ-タである。”Grazie milla ! ”と言わなければならない。実験はいつも成功するとは限らない。
などといって力んで行っても、たいてい大した事は起こらない。こちらは何かいい教材が降ってこないかと内心ワクワク期待しているのだが結局何度行っても何も起こらなかった。とてつもない大事件にでも出会っていたならば、それなりにおもしろいエッセイのネタにもなっただろうに。人生とはこんなものかも知れない。
私にとってナポリは楽しい所である。かつて私はそのすぐ近く、ナポリとソレント半島の中間のTORRE ANNOUNCIATA というナポリ・マフィア「カモッラ」の本拠地があるという街の国営系企業にコンサルタントとして半年以上単身で滞在し、仕事をしていた事がある。当時その地域の人々の生活は決して豊かではなかったがどこでも何時でも明るさに満ち溢れていた。
そこには何時も歌があった。街の雰囲気、人の人情・・暗さなど微塵もない人々が皆、楽しく生きているように見えた。北のイタリア人が何と言おうと私はここが好きだ。
今日はナポリのBAGNOLI 地区にある国営系大企業の工場に所用で来ている。この従業員3000人以上の工場の所長Mr.Segretti はユル・ブリンナ-に風貌がそっくりの人物だ。50才過ぎの精悍な輝きは、ヘアレスの頭からくるものではない。何か彼全体から発散するヴァイタリティのようなものであろう。
その彼は昼食にMarechiaroの紺碧の海を見下ろす半島状に突き出した小高い丘の上のレストランに決まって誘ってくれた。そこからはナポリ湾、カプリ島、ソレント半島、ヴェスビオ火山とナポリの街並を一望する事ができる。海と空が蒼い。冬でさえテラスで食事ができる程、地中海の太陽と空気は温暖だ。夏はブドウ棚の下で海風を楽しみながら、食事と会話にたっぷりと時間をかける。勿論出張中であるからその間、仕事の話もする。重要な事は案外こんな場所で決まるものだ。
さてS氏は、食事に誘う時はたいてい社用車は使わずゲストのために自ら自分の車を運転して件のレストランまで案内してくれる。途中、ナポリッ子達の乱脈な運転でカオスとしか表現のしようがない大通り、曲がりくねった坂道を他の車をぬいながら彼の車は驀進する。日本の暴走族のオニ-サン達などメじゃない。こっそり陰でやってる連中と、毎日輝く太陽の下で堂々とやってる者のチガイが分かる。日本から出張などで来た人が同乗してると、ここで完全に度肝を抜かれる。昼食の会話における交渉の勝敗はこの時点ですでについているようなものだ。
レストランに着く。彼はすばやく車を降りてゲストのために、うやうやしく自らドアを開ける。自分の運転に圧倒されている客の表情を楽しんでいるようだ。そんな時彼が、フンどんなもんだ・・というような表情を決まってするのを私は見逃してはいない。
そういう事を何度か繰り返しているうちに、ある日、彼は気まぐれに私を試してみたくなったらしい。「今日は君の車で行こう!」。その日は日本側は私一人であったので、日頃世話になってる彼の秘書や技術スタッフも食事に誘うことにした。
私はこの国に来て新たに気づいた事がいくつもある。車の運転の上手・下手は反射神経や運動神経よりも先ず「目」であること・・もその一つだ。
どんなに高速走行中でも過密走行でも、車の前後左右の情報をより広くとりそのわずかな変化もいち早くキャッチ認識できる「目」の性能が最も重要である事を知った。つまりハヤブサのような瞬間を見極める目が大切だ。
私は「目」に関してだけは並の人以上である。特に動体視力が抜きん出ていることをある研究プロジェクトで偶然知った。これはハヤブサやワシ・タカ類の鳥の、飛んでいる姿だけを800mm望遠レンズで写真に撮っている私の趣味と関係があるらしい。また山道を運転しながら野鳥探しをしていたせいか、視野周辺の識別能も良いらしい。だから私はどんなに混雑した高速道路で運転中もあまり疲れず、2~3台後ろの車の人の表情さえ、後ろの車のガラス越しに読み取れる。従って、車の性能の範囲内でれば、ここでの車の高速運転も彼等流の暴走運転も、私はちっとも気にならない。
ここを訪問する度に楽しませてもらってるS氏にやっとおかえしできる日がきた。
私の車はアルファロメオ・ジュリエッタ、イタリアのパトカ-に使われている車だ。S氏の車のように高級ではないが、ダッシュ力とスピ-ドだけは定評どおり優れたものがある。で、S氏には助手席に座ってもらう。
この国では上客はここに座ってもらうのが習慣だ。私はすでにこの環境には慣れている。新たな生態系での環境適応能力は抜群なのだ。それに彼より「目」も良いし若い。
と、いう訳で彼の時よりず-っと早くいつものレストランに着いた。私はすばやく車を降りて客のドアを開く。客の表情を楽しみながら・・・。
S氏は”Che Bravo ! ”と言ってはくれたが、なぜかその表情にひどくこわばったものがあった。そこで私は、フンどんなもんだ・・という彼のいつもの表情をまねてみせた。その日の交渉は、私有利に展開したことは言うまでもない。
第Ⅱ章:民族の平均値と分散(バラツキ) 1.世界一アホな民族
日本のある週刊誌が「世界で一番アホな民族はどこか?」というアンケ-トを大学生を対象にとったことがある。広報誌がこんな企画をやれば日本の文化レベルや民度が察せられそうで日本人としては恥ずかしい限りである。
不運なことにその結果、「世界一アホな民族」はイタリア人ということになった。さらに不運な事は、その記事を日本駐在のあるイタリア人記者が目にとめ本国に送り、イタリア国内で大反響を引き起こしたことである。「日本人は自分達のことをバカだと考えている」。たまたま他に大きな話題も事件も無かった時期であったこともあり新聞各紙、週刊誌が一斉に報道したため、日本人と見るやいたるところで問われた。この件で駐在員など家族・子供も含めイタリア在住の日本人が大変な迷惑を被ったのはいうまでもない。
アンケ-トに答えた大学生達によると「イタリア人が世界一アホ」である理由は、イイカゲンでナマケモノ、カッコだけで中身ナシ、女たらしで大食いの節操無し・・・etc.と言うことらしい。確かにイタリア人のある一面をそれなりに把えているようにも思える。
この時期、私たちはあるイタリアの国営系企業に数十人規模の技術協力ミッションを派遣していたが、彼等のうち少なからずの者もこれに近い印象をイタリア人に対して持っていたのではないかと思う。日本人が誠心誠意、技術を指導しているのに、なかなかうまくいかない。やれる条件を全て揃えてやっても、言った通りになかなかやれない。何度も何度も繰り返している内に「コイツ等、もしかしたらアホとちゃうか・・・?」と密かに思っていた者がいたとしても不自然ではない。
この報道に対するイタリア各紙の反応も沢山出てきたが、それらを要約するとこうだ。「日本人は確かに今や、GNP世界一、技術力でも経済力でも世界をリ-ドしているかも知れない。そしてその故に自分達が世界一優れ、有能で金持ちだと思っているかも知れない。だが勤勉に昼も夜も働き続ける彼等は小さな家にすみバカンスもない。豊かさや幸福の意味が判っているのだろうか? カッコも悪いがもしかして中身もないのではないのとちゃうか・・・? 何事にも節操よく集団をなしてはいるが、あの民族は自分の人生が自分のためにあるという事など自分で考えたことあるのカネ・・・? どちらがアホかと問われれば、失礼ながらあちらの民族の生き方のほうが私達にはよほどアホに見えるのだが・・・」
こう把えられれば、恥ずかしながら確かに日本人のある一面をそれなりに言い当てられているようにも思える。
こんなバカバカしい議論を大人がそういつまでも続けられるものではない。2、3週間マスコミをわかし続けたこんな調子の日本論・日本人論もやがて自然流会になった。だが私の気持ちの中では本件はまだ決着がついてはいない。この件には深い背景なり真理なりがありそうだ。
2.コンサルタントの悩み
イタリア南部、長グツのカカトのつけ根あたりのアドリア海に面したBariまで、私はロ-マから飛行機で飛ぶ。国内航空AtiのDC-9が着陸体制に入る頃から眼下にはオリ-ブ畑の大平原の広がり眼にはいる。
Bariでレンタ・カ-をしてイタリア長グツの’土踏まず’の辺りに位置するTaranto まで高速道路を走る。すれ違う車もめったに無い、イタリアでも最もゆったりした道路だ。両側はゆるやかな起伏が延々とうち続くオリ-ブの大平原だ。そのオリ-ブの緑の海のところどころにこの地独特の真っ白い家々ががポツンポツンと散らばっていたり、そのはるか地平の丘の上に城郭を中心にした古い街が見えたりする。そんな広がりの中を高速道路は一直線に地平線まで続いている。おそらく、この地の明るさはサングラスなしには耐えられないだろう。風の心地よさが分かる。殆ど紺碧な空に、純白の積雲が石を投げれば届きそうな高さに浮かんでいたりする。こうなるともう誰でも気持ちは最高になってしまう。
そんな風景の中を、このところやや重い気持ちで走っている。高速道路がMottola に近づいて大きくカ-ブし始めると正面にTaranto 湾が見えてくる。訪問先の工場はもうすぐだ。
現在、イタリアの商工業の中心はほとんど北部にある。これに比べ南部は商工業の発達は遅れている。だが、かってはその遺跡の分布が示すように、ギリシャ、エジプト、オリエント、北アフリカなどの地中海文明圏に近いこの地域に発展した都市が集中した。中世以降の歴史の推移に見るように、文明の舞台がヨ-ロッパに移ってゆくにつれ、イタリア半島の文明も北へと移っていったのである。やがて、文化も技術も経済力もそして教育も北高・南低になり、その結果は現在にまでイタリアの経済・社会そしてイタリア人の意識や生活・文化にまで影響している。
第二次大戦後、この南北格差を無くすためイタリア政府は南部開発の一大プロジェクトを興した。その一環として、それまでオリ-ブと漁業と軍港だけだったTaranto に鉄鋼・化学・セメント等からなる巨大な工業コンビナ-トが建設された。膨大な国家予算を注ぎ込んで完成したこれらの国営系企業のいづれのプロジェクトにも先進各国の技術が導入され各分野とも世界一流の設備と規模を備えている。また設備の完成後も、操業や管理などの面からの技術導入をはかっている。
私の会社もこのコンビナ-トの主要分野で工場設備の建設からその設備を動かし生産するまでの技術協力をしてきた。そして今も技術協力のミッションを送っている。その目的は工場の能率を日本並にするということである。この南イタリア・プ-リア地方の眩しい風景さえ気を踊らせない、技術系駐在員の悩みはここにあった。
工場の設備を造り、それを動かし生産するまでの各段階での技術協力は全てうまくいった。日本人がやって来て技術を教え、そして日本人が去って行ってもそれなりにうまくいった。基本的に仕様は全て達成した。
そして今、求められて指導していることは工場の全ての工程を一貫して操業した時の工場全体の能率を、日本並に向上させることである。これは種々の管理技術の問題であり工場を運営してゆく上で最も難しくかつ重要なことである。
理屈の上で考えれば、日本と同じ設備を造り、日本と同じ操業技術を得、日本より良い品質の原材料を使用しているのだから、日本と同等かそれ以上の結果が出るはずである。現に個々の生産工程を単独に動かし生産した時、それなりの良い結果が得られたものだった。だが全ての生産工程を一貫して生産してみると、どうもうまくゆかない。今、このミッションの日本人が彼等の側について一緒にやってみると、日本並のレベルに達した。だが、日本人が彼等の側を離れると、また元のレベルに戻ってしまうのだ。必要な管理技術やノウハウは全て教え、彼等は全てを得ているはずだ。だが何故か元のレベルに戻ってしまう。これは正に「謎」であった。
しばらく後、私はいつものようにロ-マのラッシュの中にいた。少々イラだつ事でもあったのか、その日の私の運転はいつもより乱暴だったようだ。
Meteo di Caracallaの交差点ではいつもながらダラダラと車は動いていた。
私が交差点の中央にさしかかった時、信号が変わり始めた。この交差点の中央分部は十分広く、ロ-マではこんな時ここで待つのは普通だ。ふだんの私ならそうしたろう。その日はなぜかロ-マ人よろしく前の車列のシッポにくっついて無理やり突っ込む気になった。ここは力が支配する地域だ。右から来るヤツがクラクションでも鳴らそうものなら窓開けて怒鳴り返してでも、通り抜けるつもりでいたようだ。
すでに信号は赤に変わっている。ふだんなら右からの車がダッシュしてつめてくるはずなのに、その日はなぜか私の車が通り抜けられるスペ-スが開いているではないか。フト右の車の運転席を見た。私より少々若い紳士がニコニコして、お先にどうぞ・・・の手合い図をしている。「あ~~はずかしい~!」自分の行為のなんとお品のないことか! こんなはずかしい思いをロ-マでしたのは初めてだ。
朝のラッシュでイタリア人にニッコリ笑って道を譲られた!これはショックだった。その日以来、どんなにイラついた日でも私のセッソウがそれなりのレベルに戻ったのは当然であるが、同時にもっと注意深くイタリア社会・イタリア人の行動の観察を始めた。交差点で、銀行の窓口で、アリタリアの飛行機の中で、朝市で・・・・。いる、いる、全くイタリア人的でないイタリア人が、いや今までの誤解に基づくイタリア人が。
この国はバラツキが大きいのである
この単純な事実に気づくまでに随分時間がかかった。真の紳士は徹底的に紳士で逆にそうでない人は徹底的にそうでない。有能な人は徹底的に有能だが逆にそうでない人は徹底的にそうでない。真面目な人とそうでない人、お金持ちと貧乏人、正直者とそうでない人、等々の間の差が日本に較べ大きいのである。逆に見れば、日本の社会や日本人はこのバラツキが小さい。だから日本人の中では誰でも程々に信用できるし、人の能力もここに較べれば程々に揃っている。言ってみれば、日本人は概して皆、同じように考え同じような行動をする。こんな社会の中では何事も平均値でとらえ平均値で考えてしまう。これでいい。これでなにも問題は起こらない。バラツキが小さい社会では何事も平均値が全体の代表だ。だから物事の比較も自分の眼にとまる世界の平均値の比較だけでこと足りる。
バラツキが大きな社会とバラツキが小さな社会、どうやらこの二つの集団の特性は全く違うようだ。この社会的なバラツキの違いが互いの社会の認識の仕方や社会的現象の現れ方などにも違いをもたらすようだ。技術協力を通じてかいま見た問題も例の週刊誌のアンケ-トの問題も根源は皆ここにありそうだ。
3.イタリアの不幸
明治維新でいきなり中世から近代国家に脱皮した日本は、ヨ-ロッパから多くの工業技術を導入した。イタリアからも芸術・美術だけでなく鉄鋼・機械・電気通信など近代産業の基幹となる理論や工業技術を学び導入した。当時のイタリアはイギリス・ドイツ・フランスと並びあらゆる分野で工業先進国だったのだ。勿論、今も工業立国といえる。だが現在のイタリア工業界はかって程、はぶりが良くなさそうに見える。現に私たちの業界をはじめ多くの工業分野で日本がこの国に技術を教え、導入している。100年前と立場が逆転してしまった現在の状況については、いろいろな分析や判断がある。
私はこれを先の社会的バラツキの大きさと現代工業の特質との組み合わせで考えてみた。こうして見るとこの複雑な現象を最も単純に理解することができるように思える。
100年前の工業技術は現在に較べるとシンプルであり、一つの技術が単独で成り立っていた。例えばそれ以前の時代の鍛冶屋の仕事が近代化され、機械を用いてより大型の製品をより大量に工場で生産できたとしても、それを支える技術としては(若干の機械についての付随的な知識と)基本的に冶金の技術があれば工場を動かすことはできた。
だが現在の鉄鋼業を見れば製品の種類が多様化し、また工場も当時に較べ格段に複雑化した工程の組合せで成り立っている。更にその中のどの工程も冶金の技術だけでなく機械・電気・計装・制御・コンピュ-タ-システム・各種管理技術等々、多くの技術の組合せで成り立ちどの一つにミスがあっても生産はうまくゆかない。鉄鋼業に限らず現代工業は多数の技術の組合せで成立してると言える。つまり技術自体がいわゆるマルチ構造、ハイブリッド構造になっている。現代工業のどの分野を見ても一つの技術が単独で成り立っている例は稀である。この現象は何も工業分野での技術だけでなく全ての科学技術、人間社会の全ての活動・システムについても共通して言えることかも知れない。
さてこの現代の特色である組合せ構造・組合せ活動をうまくやるためには先ず、うまいチ-ム・ワ-クが必要になる。異なる分野・異なる立場の人々やグル-プとの上手なチ-ム・ワ-クが不可欠である。
そして上手なチ-ム・ワ-クのためには、あらゆるマス・ゲ-ムがそうであるように、チ-ムのメンバ-の粒を揃えることが重要である。すなわチ-ム・メンバ-のバラツキが小さい事が重要な要因である。こうした観点から見ればバラツキが大きいイタリア社会の特性は、高度なチ-ム・ワ-クが要求される現代工業には、はなはだ不向きであると考えられる。また、社会の諸活動やシステムの中でチ-ム・ワ-クが要求される分野はイタリア人には向いていないと考えてもよさそうだと思える。
こう説明するとイタリア人から反論があるかも知れない。サッカ-などスポ-ツでは強烈なチ-ム・ワ-クがあるではないか、と・・。だが、ここで言っているのは、そのような瞬発的なものではなく、普遍的永続的なもので一般論として言っているのである。現にその徴候は方々で顕れているようだ。
このように考えると現在のイタリアは、あまりに不幸ではないか。全ての科学が技術が、そして社会のあらゆるシステムが今後もますます複雑多岐になり続けるようだ。単純化の方向に進みそうな気配は見えない。今や、人類社会の全てのシステムがチ-ム・ワ-クを求める方向に進んでいるとすればイタリアはあまりにも不幸である。