日本のある工業ミッションのアテンドで、ミラノ近郊の町バレ-ゼに在るアルファ・ロメオの自動車工場を訪問する機会があった。先進自由世界ではもはや希少的存在になったこの国営系自動車会社(’86年当時)の広報担当のマネジャ-は北の出身らしく、アンソニ-・パ-キンスに似たイタリア人らしからぬ物憂げな涼しい眼とマスクをしていた。幸い日本のミッションのメンバ-には自動車関係の人はいない。彼はアルファ・ロメオ社の栄え或る歴史について淡々と語り始めた。確かに栄光の歴史があった。とりわけ両大戦の間、レ-シング・カ-から航空機エンジンまで、性能・デザインともに世界をリ-ドした時代があった。そして現在も、少なくともイタリアではフィアットとマ-ケットを二分している。
そのアッセンブリ-・ライン(組み立てライン)を見せてもらった。私も一応、工場の管理や経営をみるコンサルタントを生業にしている。この仕事で評判を得るコツは、短時間で問題の本質を着実に掴むことである。いつも同じ分野の工場や会社を見ていれば、相互の比較でそれなりに問題は読み取れる。だが、私のようにいつも違った種類の工場や会社をみる者はそれなりにノウハウなり工夫なりが必要である。私の場合、コンサルタントとしての最初の直観的な部分は工場なり会社なりを生態学的視点で見ることである。これで過去の的中率はけっこう高い。私は生業とは別に、無人島の生態を数多く見てきた。だから島を一目みれば、相互の比較で生態的な問題点なり安定度なりを読み取れる。工場や会社の営みにも生態系の営みに似たようなものがある。物や人の動き、工程間のバランス、動きのリズム等々、健全な生態系や健全な生産ラインにはそれなりに共通した美があるものだ。
このアルファ・ロメオの工場のアッセンブリ-・ラインの場合、もちろん日本の自動化が高度に進んだ工場との比較は別にして、その種の美があまり感じられない。アッセンブリ-・ラインは典型的な組作業である。つまりイタリア人が苦手なチ-ム・ワ-クが高度に要求される典型的な事例なのである。
ベルト・コンベア-の上で車を組み立てるアッセンブリ-・ライン上には、一定の間隔毎にそれぞれのパ-ツを取り付けるワ-ク・ポストがあり、ラインが一定の短時間、停止している間にライン上の全てのワ-ク・ポストのワ-カ-が一斉にパ-ツ取り付け作業をする。つまり、短時間にライン上のワ-カ-全員がピッタリ呼吸を合わせて一斉にそれぞれの作業をし終えるというチ-ム・ワ-クである。もしこのラインで誰か一人でも作業が遅れれば、コンベア・ラインを動かすタイミングが遅れ全体が遅れる事になる。
仮にこの工場のワ-カ-達の特性がイタリア人の一般特性と変わらずバラツキが大きな社会であるならば、このラインは生産性にも製品の品質にも問題が出てくるはずである。つまり、マジメな人とそうでない人、ル-ルを守る人と守らない人、技能レベルが高い人と低い人、等々のバラツキが大きいならばコンベア・ライン上のチ-ム・ワ-クはうまくゆかない。誰か一人の作業の遅れで全体の生産性がモロに落ち、もし無理にラインを動かせば彼は手抜き作業をし製品の品質を落とす。自動車のように数万個のパ-ツから成りたつ製品ならば、仮に100人のワ-カ-の中に100回に1回ソッポ向く人が一人いたとすれば、パ-ツで見れば一万分の一の確率で見落としなりミスが発生するから一台の車には必ず何らかの欠陥があるという事になる。
かくして我が愛車ジュリエッタの欠陥も発生したらしい。チ-ム・ワ-クというのは難しいもので、どこかに不真面目な人が一人でもいれば全体がダメになる。これを繰り返していればやがて真面目な人も真面目さに何の意味も見いださなくなり真面目にやらなくなる。こうして、全体社会はカタストロフィックに限りなく低下してゆく・・という図式が成り立つ。自動車工業に限らず、南イタリア開発の目玉・Taranto の新鋭工業群も、そしてイタリアの公共サ-ビス・行政サ-ビスまで、ここで見られる問題の全てがこの図式で説明できそうだ。
さて、アルファ・ロメオのバレ-ゼ工場もどうやらイタリア人の一般特性が適応されるケ-スらしい。人の動きにも物の動きにもバラツキが大きいようで生態学的なバランスも美も感じるところが少ない。工場見学の後、かのアンソニ-・パ-キンス氏に印象を聞かれた。イタリア人にはめずらしく自分が勤める会社を誇り、つい先日まで南アフリカのさる自動車会社に技術指導に行っていたという彼は、それなりの称賛の言葉を期待していたらしい。私はこの地に来て日本人にはめずらしく自分が思った事は率直に語るような人間になっていた。だから率直に前述の印象を全て語り、かりに日本の最先端の自動車工場のようにラインの自動化ロボット化を進めてもここでは難しいのではないかという意見を述べた。なぜなら、自動化もロボット化もその設備のメンテナンス(点検・整備)が不可欠で、そのメンテナンス作業のパフォ-マンス(真面目に作業をしたかどうか)のチェックはもっと難しいからである。実際にイタリアの交通信号の故障は信じられない程に多い。私はこのことからメンテナンスする人達のモラルを疑っている。つまりイタリアの自動車産業の将来は暗いと言った。
アンソニ-氏はそれをしみじみと聞いてしばらく考え込んだ後に言った。「私 も実はそう思っている」。そして力なく笑った。笑うと顔が緩んでしまう。アンソニ-・パ-キンスに笑い顔は似合わない。止めください、貴方の顔は笑ってはいけない顔だ。
5.イタリアの幸運:バラツキの右側
スペイン広場は VENETO 通りの私の事務所から歩いて5分の所だ。このスペイン階段から見るロ-マの風景はいつ来てもよい。とりわけここから見る夕暮れの空は抜群である。
ここには寒い時期なら午後から暑い時期なら夕暮れ頃から、若者達がどこからともなく集まってくる。バカンスのシ-ズンならばこの中にヨ-ロッパ各地からやって来た連中が混じり合って不思議な集団が出来上がっている。仕事の後、画材屋などへの通りがけの時々に、大急ぎで上着とネクタイを外してその中に紛れ込む。相手を誰とも問わぬ自由な会話があり、音楽があり、芸術論があり、笑い声があり・・・ここにタムロしている連中はいつもすこぶる健全に思える。
このスペイン階段から真っ直ぐに延びる CONDOTTI 通りには、日本の人達がタムロしている。というよりは文字通り「群れている」と言った方が適切な表現であろう。イタリアの有名ブランドのブティック等は、たいていこの通りかこの周辺にある。一般的に日本人は有名ブランドが好きなようだ。CONDOTTI通りに華やぎを与えているブティック業界、イタリアのファッション・ザインが世界的に影響力を持つようになって久しい。デザインの分野では別にファッションに限らず、ID(工業デザイン)から建築・都市設計まであらゆる分野で世界をリ-ドあるいは強烈な影響力を世界に及ぼしている観がある。
社会的なバラツキが大きいと、とてつもない天才・偉才が育ちやすい土壌があると言える。また、全く新しいもの・イノベイションやインベンション(発明)が生まれやすい風土があると言ってよい。日本のようなバラツキが小さい社会ではこのような天才・偉才や Something-Newは、なかなか生まれにくく育ちにくい。この意味で社会的バラツキが大きいことがイタリアにとって幸運な側面であると言える。昔から現在まで音楽、芸術、文学から社会科学の各分野、さらには基礎科学から各種の応用科学まで天才・偉才が数多く輩出し、またユニ-クな作品・研究・発明が多い。このことは単純にノ-ベル賞の受賞者数を日本と比較するだけで十分理解できる。
だが、例えば科学技術でいえば、ある研究所で研究者がある斬新な発明なり発見を得たとしても、その結果を応用技術なり製品なり具体的なものとして世の中に出すまでには自分だけでなく、他人の技術や他の分野の技術と組んだり協業せねばならない状況が現在では必ず生ずる。チ-ム・ワ-クというイタリア社会に不利な条件との遭遇は避けては通れない問題かもしれない。ラボ(研究所)では多くの技術の芽がありながら、それが商業生産に至る前に潰れてしまうのは恐らく、現代工業のマルチ化・ハイブリッド化に加えイタリア社会のバラツキ特性が災いしているのではなかろうか。逆に社会的バラツキが小さな日本では、天才・偉才の輩出は少なくても社会環境がマルチ化・ハイブリッド化している事が幸いしているところがあろう。
この国で天才・偉才の成果を十分に生かし得る範囲や条件とは、彼等が自分の力だけで自分の考えを完成できる分野、あるいは自分の眼が届く範囲内での他との協業で自分の考えを完成できる分野に限られてしまうようだ。この意味でデザインの世界はピッタリと条件に入る。今後は、この成果をマルチ・ハイブリッド構造の中でも手際よく完成できるバラツキが小さな民族たとえばドイツ人などと組み合わせる事も妙案かも知れない。日本人はデザインなどすでに完成された部分とでなけば組まないが、今後は未完の分野で組むことが相互の可能性を生みだすことではないかと思う。
6.イタリアの悲劇:バラツキの左側
バラツキが大きな社会では、いい側にはムチャクチャにいい者が傑出するが悪い側にはこれ又ムチャクチャに悪い者が出てくる。
中央部や北部のイタリア人とのパ-ティの席で何度も聞かされた小話がある。「もし、神様が私に三つの願いをかなえてあげると言ったなら・・・・先ずシシリ-島を沈めてもらう。二つ目のお願いは、一日たってもう一度シシリ-島を揚げてもらう。そして三つ目のお願いは、それから三日たった後に再度シシリ-島を沈めてもらう。」というものだ。この小話の意味は最初にシシリ-島を沈めた時にシシリ-のマフィアを一掃できる。次に一旦シシリ-島を引き揚げればアメリカや世界各地に散らばっているマフィア達が一族の葬儀のために戻って来る。三日たって皆マフィアが揃った頃、もう一度島を沈めて世界中のマフィアを一掃してもらう・・・というものだ。この小話の中には一般のイタリア人のマフィアに対する憎しみとマフィア一掃への切実な願望が秘められている。
どの時代どの社会にも悪いヤツラはいた。最も平和な時代や社会にも必ずいる。あたかもヒト科動物の社会生態系には必要な生態機能でもあるかのように、悪い奴らはいたし今後もいるであろう。何が悪で誰が悪いヤツラであるかという定義を考え始めたりすると意味が深くなってはくるが、どのような考証を重ねたとしても明らかに際立った「悪」はマフィアであろう。
一般にマフィアと言う呼び名はシシリ-島のマフィアを指すようであり、その呼び名は地方により異なる。それに本家シシリ-では彼等自身はマフィアとは自称せず”Cosa Nostra ”(「我々のこと」という意味)と言っているようだ。シシリ-島の対岸のカラブリア地方のマフィアはンドランゲ-タと呼ばれナポリがあるカンパ-ニア地方のマフィアはカモッラと呼ばれている。彼等に共通的な悪業の他にそれぞれ異なった専門もあるようで、例えばカラブリアのンドランゲ-タは誘拐が得意とか、カンパ-ニアのカモッラは××の密輸を専門にやっているとかいうのがあるようだ。だが中でも最も過激なのは元祖シシリ-のマフィアである。彼等の組織は国際的であり、時代時代で最も付加価値が高い悪業を行っている。マフィアとて本来チ-ム・ワ-クが不得手なイタリア人であるはずだが、皮肉なことにこの一群だけは実にチ-ム・ワ-クよく組織的な活動をしている。このチ-ム・ワ-ク、組織力の根源は彼等の「仲間のル-ルを守らぬ者は殺す」という暗黙の掟にあるようだ。この強力な組織力のもとに彼等は時代時代の金の匂いをかぎ分けてある時は麻薬に密輸に、またある時は土地や事業の利権にとマフィア・ビジネスを見事に展開している。現在の彼等のビッグ・ビジネスは例の南部開発の膨大な公共投資にあるらしい。累積額でみるならば、とうの昔に地域住民が一人残らず裕福になっている程の金が「まるで砂が水を吸うがごとく」消え去っているという分析もある。彼等は今や政治と癒着するまでに社会的な地位を向上してるらしい。
彼等の悪の極みは、人を平気でみさかいなく殺すことではないかと思う。もっとも彼等にしてみれば理由もなくみさかいなく殺しているのではない。そこには、「自分たちにとって都合がわるい」とか「自分たちの言うことに従わない」とか彼等にとっては、れっきとした理由はある。その理由のためにある人を殺すのにたまたま関係ない人が巻き添えになるだけの事なのである。彼等の殺しはあまりにも過激でまた陰湿である。家ごと爆破したり白昼目抜き通りでマシンガンを乱射したりする。そこは戦場ではない。平和の時代の普通の市街地だ。それもマフィアどうしの抗争や仲間うちの闘争ならまだしも、言いなりにならない強請の相手や取締りの警察や裁判官が殺しの対象なのである。人を殺すにおいて殆ど人間としての心も情も見当たらぬこの人達の行為は、「人」とは別種の動物の行動に見えたりする。
”Cosa Nostra” (我々のこと)の殺しの掟、自らのル-ル・価値観で彼等が勝手に別世界で生きてくれれば何の問題もないが、その存在が健全な社会への暴力的寄生を前提にしているところに病的なところがある。これはこの地域特有の一種の文化や習慣の類であるというイタリア人もいる。だから、あるマフィアを退治しても自然に次のマフィアが発生するのだと彼はいう。
平和の時代の文明国と言われる社会の中でそのような文化や習慣があるとすれば極めて異常な現象と思わなければならない。シシリ-という地域の環境とそこに住む人間の文化や風土が作用しあい、マフィア的な人間を一定の割合で産出するというような特殊な生態学的状況が、もしかして存在するかも知れない。
バラツキが大きな社会の左の端には社会を悲劇的にする程の悪党がいた。だが、その反対側の右の端には社会的バラツキが小さい日本人には想像だにできない英雄もいる。この危険きわまるマフィアあいてに堂々シシリ-にのり込み命を張って対峙した勇敢な人達もいた。警察官、司法官、軍指揮官、その多くがマフィアの卑劣なワナで命をおとした。そして今も単身、シシリ-に乗り込み、正面からマフィアと堂々と戦っている英雄もいる。司法官のファルコ-ネ判事である。この国では天才も偉才もそして英雄も生まれる。日本ではせいぜい劇画マンガでしか見たことのないような英雄が、勇気と英知にみちた本物の英雄がこの国には現実にいる。この不思議なバランスを日本人にはどれだけ理解できるだろうか。
(ファルコ-ネ判事は、私が帰国後’92年5月23日シシリ-・パレルモでマフィアに暗殺された。車内の家族と護衛の警官ともども橋に仕掛けた爆弾で吹き飛ばされた。オメ-タチ人間じゃあない。)
7.アルプスの南と北
夏、ロ-マは空白になる。東京ならば銀座にあたる Veneto 通りも7月末ともなれば閑散としている。ときたま見かける、まとまった人達はたいてい外国からの観光客である。私のアパ-トがあるEURなどの住宅街は、人っ子一人いない・・・という調子である。こんな折、食料を買い込むのも大変で、当番制で開けている店をやっとの思いで飛び込むと店のオバさんから「オヤ、オヤ、日本人はバカンスに行かないのかい?どうしてだい?」とマジメ顔で問い詰められたりする。オバさんもたいくつしているのだ。めったに来ない話し相手をたやすく開放してくれる訳はない。土日などは、家のまわりを散歩するのも大変だ。時にはオマワリさんに「君、なぜこんな所にいる?」などと、職務質問されたりする。こんな時期、住宅街をウロウロしてるのはドロボ-以外はいないと言うことらしい。まるでイタリア社会全体が街を出て行けと圧力をかけてくるようである。かくして私は北に向かう。早起きすればロ-マから7時間も走ればいずれかの国境に着く。家を出て数分で市街地は突然途切れ、あたりはいきなりヒマワリの黄一色になる。夏である。ヒマワリの黄と周囲の丘の乾ききったオリ-ブの黄ばんだ緑以外は全て夏枯れである。北に向かって Auto Stradaを走り続けると、フィレンツエ・ボロ-ニャ間でアペニン山脈を横切ることになる。この山脈を境に自然が変わる。ここから南は夏に牧場や丘の下草が枯れ冬に緑が戻り、ここから北は夏が緑で冬に冬枯れがくるようだ。
カ-ブだらけのグルグル道のアペニンを越えると、自然の風景が変わる。ボロ-ニャの辺りからロンバルディア大平野の田園風景が拡がってくる。この瑞々しい緑あふれる平野が日本人を心底ホッとさせるのは、どこまでも続く水田のせいだろうか。ポ-川やそのいくつもの支流を渡るたびに川沿いの水辺に緑なす木立が打ち続いているのが見える。そんな風景を横目で見ながら一直線に続く高速道路を私は北に向かう。
これまでにイタリアから北の国々に抜けるほとんどの国境は越えた。いずれもアルプス越えで、どれも捨てがたい美しい風景だった。だが、ベロ-ナからボルザ-ノを抜け、ブレンネッロの国境からオ-ストリアに入るル-トがなぜか一番安心する。このル-トがなぜ一番安心するのか、その理由を考えた。こんな些細な事をよくもマジメに考えるものだと自分でも時々思う。だが自分の人生、このところが面白い。考える事で失うモノはなにもない、物を得るよりズ-ッといい。・・・で、なぜかと考える。
これは風景や交通量、道路の条件ではなさそうだ。どうやら車の運転のマナ-のようだ。ベロ-ナを過ぎて北へ行くほど、運転中に「コノヤロ-!」と思う回数が少なくなるような気がする。北に近づく程、人々がル-ルを守るようになるのだ。節度の民・ゲルマンの人達の国へと近づいている事が身体ごと分かってくる。ベロ-ナを過ぎトレント、ボルザ-ノまで来るとイタリアであるにもかかわらず人々はドイツ語で話している。またその地域はドロミテ山系を経てオ-ストリ-・チロルと山続きであり、その谷間の村々も言語はドイツ語だ。つまりこのオ-ストリ-に近いこの地域のイタリア人はゲルマン系の血を引く人達である。彼等は節度の人達だ。ル-ルを守る節操はしごく自然に出てくるようだ。この辺りまで来るとナポリ・ナンバ-の車でさえ、ぎこちないがそれなりにル-ルを守っているようだ。環境が人をそうさせるのであろうか?そういう訳で、ロ-マの環境に何年も馴染んで生きてきた私も北に向かう程、キリキリと身が締まってくるような心地がする。そしてブレンネッロの国境を越えたとたん、なぜか自分の顔の表情までキリリッと引き締まったような気さえする。この顔をアルプス越えの空気感と共に写真にでも撮っておくべきだったのだろう。
インスブルックの市街地に入るともう誰も、赤信号はおろか黄信号でさえ進入する者はいない。まるで日本と同じだ。
アルプスの南と北でどうしてこうも違うのか考えてみる。ラテン系とゲルマン系、民族の違い血の違いといえばミもフタもない。もう少し別の視点・観点から見てみたい。その視点、やはりここは生態学がいい。むずかしい事は、できるだけ単純に考えた方がいいし、その方が本質に近かったりする。
さて先ず、アルプスの南に住むヒトの生息環境を考える。北に較べれば本当に住みやすい環境だ。冬も暖かく太陽はさんさんと輝く。そこでは決して凍えることもなかろう。夏は暑くてもカラリと乾燥し、真昼でも日陰に入れば十分涼しい。年間を通じて穏やかな地中海性気候の本当のよさは、そこに住んでみないと分からない。気候の良さがヒトに与える心理的なり生理的なりの影響がここに住んで初めてわかる。そのうえ平野は広く土地は肥え、農産物も畜産物も野にあふれ、海・山の豊かな幸に満ち、そこでは飢えを知ることもなかろう。イタリアの街々は遠い昔から石で造られている。家・建物もそして道路も橋も街丸ごとこの劣化しない素材で造れば、街ごとそっくり何百年もそのまま残る。家が残ればその中の家具も調度もそれなりに残る。つまりストックがたまってゆくのだ。イタリアはどの地方に行ってもそんな街だらけだ。アルプスの南はかくも豊かだ。そこの環境は生活の条件、衣・食・住・気候など全てが揃っている。こんな環境の中では飢え死ぬ事も凍え死ぬ事もなかろう。どんなに怠惰に生きようと生命だけは保障されているようなもの。このリッチな環境はヒトが怠惰・ワガママに生きる事も許容するし又、優れた人が天才的な能力を発揮させ得るバック・グランドも保障できる。このようにアルプスの南は豊かであるが故に人々の行動に大きなバラツキを創りだしたのではあるまいか。
これに対してアルプスの北は、先ず気候条件が厳しい。寒い冬がある。人々は雪が降る前に互いに助け合って冬の準備をする。彼等は木で家を造る。家の寿命は木の寿命。かくして彼等は(日本人同様に)世代毎に家を建て替える。そう、人々は助け合って家を建て屋根を葺き替える。土地も気候も豊かでなければ農作物も食糧も助け合わずば生きてはゆけない。こんな環境の中では人々は集団の中にいる事が安全に生き延びる保障であり、集団に属するためには集団社会の規範やル-ルに従い仲間や他人の立場も考えねばならない。この環境には個人の自由やワガママが許せる程のゆとりはあまりない。かくして人の思考や行動はだんだん規律的・集団的に、すなわちバラツキが小さな社会が出来上がったのではあるまいか。
この仮説、実は自然界の生態系の現象をヒトの社会に置き換えただけの事である。熱帯地方の自然は、生産性は高く、植物も動物も多様性に富む。そこに生息する動物は多彩で種類も多く、そして彼らの行動も多種・多様すなわちバラツキが大きい。熱帯の環境がそのように多種・多様ないずれの種にも生息できる条件を与え、彼らの多様な生活様式・行動様式を許容できる程、豊かであるからだ。生態学では逆に、多種・多様な環境に合わせて動物の行動も種も適応放散(多様化)していったと考える。いずれにせよ、年間を通じ豊かな熱帯の環境が動物の行動の多様性(バラツキ)を生み出したと考えてよい。
これに較べ寒帯地方の自然は厳しく、森林も針葉樹中心の植物で多様性に欠く。そこに生息する動物も熱帯に較べ種類が少なく、年間を通じその行動も規則的で群れでいることが多い。とりわけ厳しい冬の間は群れでいる事が「種」を維持する前提で、それぞれの固体も群れの規範・ル-ルに厳しく従うことだけが生き延びるための全てである。かくして寒帯地方の動物の行動は規則的・集団的に、すなわちバラツキが小さなものになっている。
こうして見ると人の社会も動物の生態社会もどこか相似にのようで、人間様もしょせん動物であるということを思い知るような気がする。ただ人間は自分が住んでる環境を自分で変えてゆく。あまりに速くかえてゆく。厳しかった環境もいつしかリッチな環境に、ヒトそのものは変わらぬままにヒトの行動特性は変わらぬままに、「ヒト科」の生態環境すなわち人間社会の環境変化は続く。一体、明日には何が起きるやら人間社会の生態学は日に日に複雑怪奇になってゆくように思われる。
第Ⅲ章 風土や文化 1.人は見かけで
一般的な印象としてイタリア人はドイツ人が嫌いなようだ。またフランス人に対しても若干の嫌悪感があるところからみると、これは過去の歴史的な背景や集団の力に対するコンプレックスのせいかも知れない。なにせイタリア人はまとまりが悪い。
だがイタリア人に国内で、例えば家の賃貸や仕事の契約で、イタリア人とドイツ人のどちらを信用するかと問えば必ずドイツ人と答える。外国人でも信用される民族とそうでない民族があるようだ。ことお金が絡む事柄だけに止まらず一般の人間関係や付き合いでもそんなものがあるようだ。
幸いなことに日本人は信用される側にある。それも別にビジネスマンだからでも駐在員だからでもない。学生なら学生なりに、聖職者なら聖職者なりに・・・である。そして同じ国民のイタリア人をなぜか信用しない。それも例のごとく、同じイタリア人でも南の人達となると信用はもっと落ちてしまう。北の方の都市部では南の××地方出身というだけでアパ-トの借用を断られる事もあるらしい。バラツキが大きな社会ではそれなりに信用できない人・悪い人もいるだろうから、それなりの社会的対応・習慣もあるだろう。だが出身地だけで区別・差別するほど徹底しているならば、社会問題にもなりかねない。
例えば、アパ-トの賃貸に関して「出身地による差別をしてはならない」と言うような法律はまだ聞かないがそのうち出て来るかもしれない。家の賃貸に限らずあらゆる事で「契約」となると、しっこい程に証明や保証人などの確認手続きが必要なのもこの社会の特性と言えるだろう。
この国ではヨ-ロッパのどこぞの国のような「人種」に対する偏見は、ほとんど見られないようだ。その代わり、なんとなしに階級意識・階級差別の様なものがあるように感じる。それは必ずしも血筋や家柄と言うようなものではなく、単にお金持ちか貧乏人かの違いのようでもある。人種や家柄という生まれつきどうにもならない条件が関係ないとなれば、貧乏人でもガンバレば社会のトップに登れるチャンスはあるので、この偏見はまだ健康的な部類に属するだろう。
ロ-マの生活ゾ-ンは階級において東京のそれよりも明確なすみわけが見られる。レストランや商店での対応は服装・身なりでおおいに変わる。気持ち良く食事を楽しみたいと思うなら、それなりにチャンとした身なりで行くのがよい。 よほど顔見知りのレストランでもないかぎり、ジ-ンズやTシャツなんかで行こうものなら人目につきにくい隅っこの居心地悪い席をあてがわれるのは必至である。そういう場所では、そうする事がマナ-でもあるのだが。
空港・警察・役場の窓口・街角の新聞スタンド・・とにかくこの国では、どこにいても人は見掛けが大事。キチンとした扱いを受けたいならば、それなりのキチンとした見掛けを保つこと。できることなら、態度・容貌・顔つきまでも、見掛けがキチンと演出できれば一人前だ。
2.動作の文化
私は自然や野鳥の写真を撮っている。野鳥の中でも猛禽が好きで、その飛んでいる姿だけをもう20年以上撮り続けている。猛禽といってもトビではない。ワシ・タカ・ハヤブサである。同じワシでも魚や死んだ動物などを食べているオジロワシやオオワシなどのウミワシ(Sea-Eagle or Fish-Eagle)類にはほとんど興味はない。高山・深山で生きた動物や大型の鳥を獲物として悠然と生きるゴ-ルデン・イ-グル(Golden-Eagle)類の方に私はひかれてしまう。
ゴ-ルデン・イ-グル、成鳥だと頭部が金色に輝くこの高貴で精悍な鷲を日本ではイヌワシと呼ぶが、この言葉の響きが好きではないし私がこれを見てきたのが殆どヨ-ロッパだったので、あえてそう呼ぶ事にしている。人は勝手なもので好きなものには相手がモノであろうと動物であろうと人間基準の人格や個性まで見てしまう。
と言うわけで、私もウミワシとゴ-ルデン・イ-グルを見つめているうちに、彼等の生態や行動をつぶさに見比べてゴ-ルデン・イ-グルの方が、ズーッと優雅で品格があるように思えてきた。この事は犬好きな人が犬を見れば、猫好きの人が猫を見れば分かると思う。同じ犬でも、上品な犬と気品のない犬はいるはずで、それも外観・容姿のせいではないはずだ。物腰・身のこなし、姿勢・目の位置・目の動き・立ち振る舞いなど、ちょっとした動作・仕種のどこかに差があるはずだ。
どうやら、優雅さにも条件・原理があるらしい。
犬や猫の動き・たたずまいを見て上品かそうでないかを感ずるのと同じ原理が人間にも当てはまるのではないかと思う。だが人間の場合それぞれが属する社会により、動作や仕種に対する印象は異なるようだ。ここで言う「動作や仕種」の範囲は、人の行動とまではいかないがいわゆるマナ-・作法の範囲は越えた概念である。ヨ-ロッパ人が報道マンガやアニメ、さらには文学やオペラ”マダム・バタフライ”などの中で日本人を象徴的に表現する時にしばしば顕されているよな動作や仕種である。
例えば、日本人は一般にヨ-ロッパの人達に較べ手足・頭など身体の動きが速すぎて、コセコセ・チョロチョロと落ちつきのない印象に見えるらしい。勿論、動作が遅すぎればノロマに見えてしまうし優雅さを表現できる調和点を見いだすまでには、それなりの意識と場数を踏む必要があるのかも知れない。
また目の動き・顔の動きは日本人にとってはもっと重要なはずである。多くの日本人の大きな誤解にゼスチャ-がある。かなり昔の一時期に外人なれした人達の間で流行ったようだが、これはどうやら優雅なものでないようだ。イタリア人は手でしゃべると人は言う。イタリア人はゼスチャ-なしにはしゃべれない。彼等が話をしているあらゆる場所で手は絶え間なく動き続けている。ある人はゆるやかに輪をえがくように、またある人は上下に運動しもう一方の手を添えてアクセントをつけるかのごとく揺れ動き時折ピタリと止まる。議論の加熱度につれて手の動きも速まってゆく。
さらに議論が沸騰しその激情表現に言葉と手だけで足りなくなると、言葉は叫びとなり激しい動きは身体全部に及ぶ。状況がこの段階にくるともはや手のほどこしよういがなくなる。すでに議論ではなく身体器官の全てを動員してただ互いの激情を叩きつけ合ってるだけだ。両者の動きは相互に刺激し合いコ-フン度は益々高まってゆく。ほとんど喧嘩。この意味なし口論を停めるには何はともあれ身体の動きを停めことだ。仲裁者たちは言葉で説得する前に彼等の身体をハガイ締めでガッシと停める。
身体の動きさえ止めてしまえば口の動きは自動的に半減する。こんな光景を何度も見てきた。一団の子供達の中で、朝市のオバサン達の間で、公園の老人達の中で。
この国の中ではゼスチャ-は文化の域に達しているもある。同じ情意を表現するのに人によって手の動き・カタチは異なる。ある人はなめらかに連続的に、またある者は直線的に断続的に、そこには人それぞれの個性なり人格が現れているようだ。またこの国のゼスチャ-にはある共通言語的な手の動き・形があってそれは特定の意味さえ持っている。まるで手話だ。それも地方によって違いがある。まるで方言だ。これほど動作の文化が発達した背景・理由もそれなりにあり得よう。いつかこれも生態学的に見ればおもしろい発見があるかも知れぬ。
さてこのイタリア人のゼスチャ-も、Dr. ソアルドや Ms.フランチェスカがやっているのを見たことがない。いつも自然のままのエレガンスを感じさせてくれる彼等はさる地方の伝統的な上階層社会の人達だ。彼等と知り合って Lady や Gentlemanの条件が、文字通り「静か」であることを知った。不自然な身体の動き、手や頭・視線の過激な動き、大きな声、おおげさな情緒表現・・等々はあらゆる対象で優雅さの条件に反しそうだ。もちろんそれだけではない。他にもいろいろありそうだ。
人間や動物の要素動作をつぶさに分析し、例えばそれと「優雅さ」との関係を系統的に解析・評価した学問・科学はまだないようだ。だけど例えばオシャレという観点からだけで見ても、ファッション・デザインと同等の価値くらいはありそうなので、そのうち科学か芸術かどこかのジャンルで何か一つは出来そうだ。
気品や優雅さなどとは縁遠い世界にそめなじんできた私なんかが、いまさら何をと思ってみても会社や日本人のカンバン担いでやっている立場上、それなりの体は保たねばならない。そこで研鑽して分かったことは、「自分の動作にそれらしい風情を保つのに、何よりもかによりも大切なことは、疲れていないこと」・・・・である。人間、とかく慣れないことをすると疲れるものだ。疲れるとついつい本性も露してしまう。だからこそ自分の姿勢や動作を気を配れる程度の心のゆとり、体力のゆとりが必要だ。とにかく日本人は忙しすぎる。
・・・などと気遣いしても、しょせん身に染みついたマナ-でないからすぐに正体ばらしてしまう。朝市で釣り銭ごまかしのオジサンとついついやり合ってしまう。彼より大声はりあげ彼より大きなゼスチャ-で、おまけに歯を剥き出して渡り合う。釣り銭ごまかしても子猫のようにおとなしいはずの日本人が突然これを始めると効果テキメンである。たいてい勝負は2~3分でつく。気の毒なのは一緒の家族。「パパ、恥ずかしいから止めてヨ~」と言いつつ距離を置く。だけどここで生き抜くためには、そう簡単には引けぬ。”郷”に入らば、”郷”のマナ-に従わなくては!
いや、それより”Do more than Romans Do ! “でなくては。なにしろここは、ロ-マだから。
3.イタリアの京都弁
日本語や英語に方言があるのと同様に、イタリア語にも方言がある。オ-ストリ-との隣接地域は日常会話はそっくりドイツ語だったり、アオスタのスイス・フランス語圏に隣接した地域ではイタリア語とフランス語をミックスしたような言葉を喋っている。またイタリアの中央部・南部を問わず各地方にはそれぞれの方言がある。中にはとてもイタリア語とは思われぬ方言もあり、とりわけ老人にそんな言葉で話しかけられでもすれば大変な思いをする事になる。
イタリアは日本の明治維新とほぼ同じ頃に統一された。それ以前は日本と同様にいくつかのクニに分かれており、また歴史的にも多くの民族が入り混じっているはずなので、この辺りの事情は理解できる。
もう一つ興味があるのは、同じマトモなイタリア語でも地域により発音やイントネ-ション、アクセントに違いが大きい点である。私が喋っているイタリア語はどうやらロ-マ訛りらしく、ミラノやトリノ等の北の地方に行くと、よくロ-マ訛りのジャポネ-ゼ(日本人)と言われたものだ。逆に見れば北の方が訛りが大きいのかも知れない。北部イタリアでも東よりのベネチュア周辺(ベネト地方)のイントネ-ションは、特に気になる。
この抑揚の激しいイントネ-ションはまるで京都弁だ。女性が喋ると耳にやさしくそれなりにいいのだが、男性にスロ-・テンポで抑揚つけて喋られると、なぜか妙にイライラしてくる。
これは自分の生まれた国や地方の言語や習慣に起因しているのではないかと思われる。私は北九州でも俗に「川筋」と呼ばれる気性も言葉も直線的な地方で生まれ育った。野鳥のヒナと同じように人も幼い時にインプリンティングされた環境・文化に一生支配され、それとは異なる文化に接した時には
生理的な拒絶反応を示すものらしい。
例え大切なビジネスの場であっても、妙にナヨナヨしいヤサ男に例のベネト弁でくどくどと問い詰められたりすると、ついに「ジャカ-シ-!ナヨナヨ野郎!」と怒鳴ってしまう。「ナヨナヨしいとは、マロのことかえ?」
「そ-だ!マロ-!テメ-のことだ-!エエィッ、寄るなア-!」・・・・
ロ-マ弁にはなぜか、自分が生まれた土地・九州の直進性と気性の荒さがあるようだ。
4.地位より中身
その昔、私がもっと若く独身でもっとスマ-トだった時代、南部イタリアTARANTO の国営製鉄所の技術協力ミッションに通訳として参加していたことがある。実はこの時、初めてイタリアやヨ-ロッパに触れたのである。
日本ではチヤホヤされ、もてていた技術通訳もこちらの世界ではそれほど存在価値が高くはない仕事だとその時はじめて知った。出稼ぎなどでヨ-ロッパの各国を渡り歩き、2~3ケ国語を話せる人などザラにいるのだ。
あの事もこの事も、日本での常識が次々に壊されてゆくのが新鮮で、この時のショックは自分の思考の窓を開くのに大いに役立った。
その頃、TARANTO の国営製鉄所はまだ建設期で、日本だけでなくアメリカ、イギリス、西ドイツ、フランス、ベルギ-、ソ連、ル-マニア等々、いろんな国の技術者達が集まっていた。昼食時のメンサ(工場内食堂)には建設現場独特の活力といろんな人種の活気と言葉が混じり合い、ムンムンとむせかえるような熱気があふれていた。その中で知り合った人達を通して垣間見た当時の東欧世界の本当の姿は今になってやっと理解できる。
さて私達のミッションの任務は、ある工場設備の建設に技術的なアドバイスを与えることであった。建設工事は例のごとく紆余曲折して遅々として進まず、当初3ケ月だった滞在スケジュ-ルも6ケ月、7ケ月と延長されていった。日本人は他民族に較べ、このような状況により敏感に反応しやすいようだ。そしてイラツキを感じ始める。それでも休日は皆そろってゴルフに出かけたり、マ-ジャンしたり旅行に出掛けたりそれなりに対処の方法を考えだす。ゴルフもマ-ジャンも出来ない私も私なりに、この降って湧いた付録のような時間を利用して新たな企てなりチャレンジなり試みたりする。なにしろ、そこにいて知らない事が多すぎた。知りたい事が多すぎた。
イタリア会社の人達も私達の生活にいろいろとアドバイスをしてくれた。
だが、日本人が自分の会社に来た外国人に、土日の休日をつぶしてサ-ビスするような事はめったになかった。彼等にとっての基本は、休日は家族と自分自身のためにある。
そんな中で私達の建設プロジェクトのイタリア側のボスが私を時々、家に食事に招待してくれたり、休日にドライブやピクニックに誘ってくれたりしてくれた。彼、Russo 氏の幅広い見識や、彼の家族や友人達はては親類の人達との交流を通して私の思考の窓は大きく開かれていったように思える。
町の祭りや娘の誕生日とかで何度かたて続けに招待されたある日、私のミッションのボスが言った。「ワシがこのチ-ムの責任者だ。彼の家に君だけが招待されるのはおかしい。本来ならワシが招待されてしかるべきではないか。」と・・・。なるほど、それもそうか、と私も思った。日本では確かに
そうだった。職場の序列は社会の序列。 そこで次に食事に誘われた時に、さっそく私のボスの提案をそれとなく告げてみた。「今度は彼を誘っては下さるまいか?」
彼は本当に驚いたようすで目を見開いて、そしてオヤオヤという様な表情をして肩をすくめた。私はその時の彼の表情をなぜかハッキリと覚えている。「なぜだ?」と彼は言った。「家には家族がいて、友人が来るところだ。あそこでは、仕事の話はしない。あそこでは、君が知ってのとおり、互いの人生について考え合うところだ。文学とか美術とか文化について語り合う所だ。」さらにもう一度、彼は明確に言った。「彼とは仕事の話を会社で十分している。彼とは仕事以外の話は何も語れない。」
私は自分のボスに説明するのは止めにした。
5.地方の文化
風が見える。海抜2500mの大草原を波うたせながら風はアドリア海の方向からやってきては、通り過ぎて行く。その行く手、なだらかに続く谷間では紫色の炎が一斉に立ち昇るのが見える。野性クロッカスの大群落だ。
草原はかなたで地中海ブル-の空へと直接つづき、ふり返れば稜線のすぐむこうに海抜3000mのグラン・サッソの峻険な岩峰がそそり立っている。イタリアの背骨アペニン山脈のほぼ中央、カンポ・インペラト-レ(皇帝の平原)の5月である。
これこそ本物の大自然。かなたに点々と見える羊の群れ以外、人影は殆ど見えない。ここに人が来るのは冬のスキ-・シ-ズンと夏のバカンスの時だけだ。
「もったいない。こんな美しい自然を・・・」と妻はよく言う。どんな小さな山でもいつも人・人に満ち溢れていた日本を思うと、人がいない自然がとても信じられないのだと言う。私は人がいないのが自然だと思うのだが・・・。ロ-マから車でわずか1時間のこの高原だけでなく、この国はどこへ行って季節折々に豊かな自然に満ちあふれている。
イタリアに観光に来る日本人も、また今イタリアに住んでいる日本人も皆この豊かな自然には興味はなさそうだ。自然はスイスで、イタリアは歴史と美術と文化だと思い込んでいるフシがある。だがこの国の自然はヨ-ロッパのどの国に較べても多様で豊かなのである。
まず地勢・環境で見れば北はアルプス・ドロミテ山系の高山帯と山麓の森林と多数の湖、その南のロンバルディア等の大平野ではポ-川をはじめ各山系から流れだした河川が肥沃な耕地・水田・湿地帯を形成し、さらにそこから南に伸びる半島部ではアペニン山脈を背骨として多様な地勢環境を形成し
ている。またシシリ-やサルディニア等の島々や半島部の海岸線の変化を加えれば、ヨ-ロッパでは環境にこれ以上の多様性をもつ国はない。
この地勢・環境の多様性に加え、南北の長い地形が高山性気候から地中海性気候、あるいは北部平野部の多湿な気候から南部の乾燥性気候まで気候・気象まで多様である。
このような要因の組み合わせからイタリアでは、植物にも動物にも多種・多様なファウナ発達したのだと思われる。とにかくイタリアの自然は抜群に豊かなのである。だからそんな豊かな自然の中に出て行かないテはない。
幸い私の妻はコンドッティ通りの有名ブランド店のバ-ゲン・セ-ルには興味はない。また子供たちは歴史や文化も好きだが自然も好きだ。それにロ-マでは、というよりイタリアでは子供達だけを外で勝手に遊ばせられない。イロイロと社会的な事情があるのである。なにしろバラツキが大きな国だから、外人だけでなくイタリア人のそれなりの家庭の子供達も屋外では監視つきで遊んでいるようだ。と言う訳で、わが家では休日にはあたかもイヌの散歩に連れだすように子供達を戸外につれ出す必要もある。だから休日にはたいてい自然に向かって出かける事になっている。
子供達は地図や “Bell’Italia”とか “Airone” といった自然雑誌を調べては美しい滝とか、森の中の廃墟とか、アンモナイトの化石が出る地層とかを実によく探し出してくる。おかげで、もしかしてロ-マに住むナミのイタリア人よりロ-マから半径350Kmの範囲のどんな田舎町・田舎道・山道など
については知っているかもしれない。
田舎の村々の祭りの事も、季節折々に何処に行けばポルチ-ニ(きのこ)があるとかクルミや栗がひろえるとか、野性のゴボウ、わらび、大味ではあるが直径1cm・長さ30cmもある巨大なツクシ、野鳥や小動物、遺跡、骨董屋、小さいがとても古い教会等々、ガイド・ブックにはのっていない情報がたっぷりたまってしまった。今では少々ひねくれた観光客のガイドくらいはできるだろう。実際、ロ-マに日本人学校を開校した時、自然観察のカリキュラム作成はみな引き受けたくらいだ。
多様な自然の中では、多様な人との出会い・ふれあいもあるようだ。めったに人とは出会わないカンポ・インペラト-レの草原やグラン・サッソの岩道でときたま人に会う事がある。そんな人達は決まって本当の自然愛好家であったり本当に登山好きな人である。日本の人達のように、他の人が山に行くのでついて行くといった付和雷同の群れ指向の人はめったに見ない。だからどんなに美しい自然の中でも人がやたらに沢山いたりすることは、バカンス時の特別の場所以外ではめったにない。
といっても日本人に較べ自然愛好家が少ないという意味ではない。例えば街角の新聞スタンドでも駅のキオスクでも自然や動物に関する月間雑誌が何種類も売られている事実は、それだけに愛好者や理解者がいるという証拠であろう。日本に較べてその種類も多いし質・内容ともにレベルも高い。このような状況から判断すれば野山に山河に海浜に溢れる日本人は、自然の本質の理解者でもなければ自然愛好家でもない、単にミ-ハ-的に群れてるだけではなかろうか。妻がカンポ・インペラト-レの風景の中で人がいないので「もったいない」と言ったのは彼女の誤解で、それが本来の自然の姿なのである。
そんな自然の中で出会った人達とは本当に理解しあえる。「ぜひ、我家にお茶に寄っていって下さい。」などと誘われたりする。初対面の間柄であっても、限られた人と環境が相互に人を信用させるのかも知れない。
季節折々に田舎道を行くと日本と同様に野草や山菜を摘んでいる人に出会うことがある。そんな時、私達は必ず声をかけてみる。「何を採っているの?」「それどんなに料理して食べるの?」・・・問えば、お百姓のオカミサンは必ず丁寧に教えてくれる。妻も熱心に聞く。処理から切り方から調理法まで詳しく聞く。なにしろ彼女の趣味は料理だし、各種の料理を各地で勉強し、コルドンブル-まで卒業してしまった今、イタリアの野草や山菜の料理は残された “Something-New”なのである。自然の中でのふれあいはいい。「これ持って行きなよ」と気前よく自分が採った山菜をくれたり、「我家で休んで行かないか?」とここでも誘われたりする。そこではあのロ-マでの人への不信感など微塵もない。
同じような山間の村でも地方によって人々の反応が違うところもおもしろい。多分はじめて見る日本人に、大人も子供も積極的に近づいて話かけてくるタイプ、はにかみ気味に見て見ぬふりしながら遠巻きに眺めているタイプ等々が地方によって分かれるのがおもしろい。
もし人と人が信じ合えるための条件という様なものがあるとすれば、その一つは人が多すぎない事だと思う。次の一つは人がいる「環境」そのものであるかもしれない。というのも同じような田舎の人であっても、土地が肥沃で豊かな北部や中部の田舎の人の反応と乾燥した南部地域の人の反応が微妙に違う事にも気づいている。こころなしか、南のカラブリア地方の山野で出会った人達からは警戒されたし、警戒していたような気もした。
6.都市の文化
ロ-マの町中では自然の中で出あったような人とのふれあいはめったにない。いやロ-マに限らず、現代の都市生活では世界中どこも同じであろう。声を掛けたり掛けられたりする度に相手の下心をつい疑ったりもする。都市では他人を必要としない。便利な設備・施設がある。生活に必要なシステム
が揃っている。衣・食・住の問題も病気になっても一応心配ない。そこでは一人でも何不自由なく生きることができる。都市では他の人間の助けがなくともシステムが助けてくれる。金さえあれば更に快適に生きる事もできる。
人が他人に依存せずに生きる事ができるような社会では、人が助け合って生きてきた共存社会とは異なった社会規範・習慣・モラルが必然的に成立しよう。人々は義務としての過去の道徳・因習にとらわれず権利としての個人の自由の幅をだんだん拡げて行くことになる。
これに加え、都市での経済的ストックの増加やインフラが増えてゆけば、個人個人の価値観人生観・趣味趣向・生活指向・等々が多様化し社会的バラツキが大きくなる。こうなると前に述べたイタリア社会の典型に近づいて、人は社会生活では義務の意識より自己の権利を優先するし、他人は人生観・価値観が違う人すなわち自分と種類が違う人であり信頼・信用よりも、嫌悪や不信の対象であることが普通になってくる。都市生活の中では人が助け合いを必要としない分、人を信用しないようだ。これが現代の都市文化の特徴の一部ではなかろうか。
だが都市化におけるこの現象は、一旦はじまるともう止まるはなく加速的に進んでゆく。人類社会の構造がそのようになっているようだ。
そして今、私達の文明全体が全てその方向に向かっているようだ。やがては地方の生活も都市のそれに近づいてゆくようだ。なにはともあれ生活が便利になることはいいことだし、それが幸福な生活というものだ。世界中の全ての人々はそんな幸福な生活を望んでいる。
ところで国外にいると、このところの日本の経済の躍進ぶりのすざましさがよく分かる。東京はじめ大都市の機能が急速に拡大・整備されてゆく様は少なくともヨ-ロッパでは例を見ない。「ロ-マは一日にして成らず」と言われたが「東京は一日にして成る」の観がある。
人間が生活や活動する環境は急激に変化しても何事も問題は起きないのだろうか?自然界では過去の生物の歴史上、急激な環境変化に適応・追従できず淘汰・絶滅してしまった「種」もずいぶんいるようだ。人間は生活・活動する環境を自ら変えてゆく。中でも現在その環境の変化速度が一番速い地域は日本らしい。
東京の変化がなぜ速いのか・・・、その変化の行く先は一体なにか・・・
といった疑問を解く鍵も、そこに住む人間の特性やその人間達の内なる文化等との関わりがあるのかも知れない。