9.一億円と十人の子持ち

 これはペル-ジアの時代からしばらく経ってからの話である。  
  
 このところ日本の経済成長率が著しい。日本の円が強くなりドルに対する為替レ-トがみるみるうちに2倍近くなった。日本国内に住んでいた間は、為替レ-トの急変が直接私生活に影響することはなかったが、海外に住んでみるとモロに影響を受ける。例えば、海外で支払われる給与がどの通貨であるかによって生活は左右される。私は事情があって日本を出る時、なけなしの金をドルのT.Cに変えて持って来たが、その実質的価値があっと言う間に半分になってしまった。お金にはあまり固執しない生き方をしてきたが、このように直接的な影響を被るようなら、もう少しマジメに経済の勉強などをしておく必要性を感じる。  
  
 だがこのところの日本経済の過熱は何だろう。まるで日本人全員がカネ、カネ、カネ・・・・と叫び続けているようだ。大阪や三河などの商人文化が
栄えた地域は別にして、かっての日本人はこのようにモロにはカネ、カネと口には出さなかったように思う。かっては、少なくとも「金儲けの仕方」などという言葉が本のタイトルになるような事はなかった。  
 このような風土・文化が出来上がったのはのには、それなりの環境変化があるのかも知れない。  
  
 私の周りの日本人にも株をはじめいわゆる財テクをやっている人も多いようだ。もうじきこのロ-マにも日本の証券会社が進出して来るという。今やこの地でも財テクとゴルフの話題がなければ、日本人の群社会に入れてはもらえない程の勢いである。  
 そんな中で当然の事ながら私にも誘ってくれる人もいる。勿論、純粋に親切心からではあるが、私はどうもエタイの知れないものはあまり好きでな
い。財テクとは言うがテクノロジ-ではある筈がない。何も生産されるものもなく株・証券の売買を繰り返すだけで付加価値を生み出す筈がない。  
 資本主義の経済システムを生態学的に見て、最も病的な部分が投機ではないかと思う。土地にしろ株式投資にしろ本来運用の動機を越えて、機的に繰り返し回転させるだけで虚像的な価値を生み出すシステムは病的に見える。  
 この回転を支えるエネルギ-は人間の欲望であり、自然生態系のシステムには少なくとも存在しない要素だ。こんなキッカイなシステムが機能している限り、ヒト科の生態系・人間社会は健全に発展できないのではないかと思う。  
  
 現実にこれで財をなしている人も多い。  
 「君の蓄え、いくらある?」と問われ、  
 「年間所得ほどもない」と答えると、  
 彼は親切に助言してくれる。「まだ、その歳だったらしかたないが、男も50才にもなれば1億円位は持っていないと老後が心配だぞ!」  
 とんでもない。私などその年頃までに日本で家でも建てていれば、借金がその程度はあるかも知れない。彼はお金の大切さをしきりに説いてくれる。それは私だって、お金はあった方がいい。だけど今のところ困ってはいない。それに、いろいろな人生観があってもいいではないですか。  
  
 親切な助言も度を越えるとイライラもので、とうとう私は言ってしまった。  
 「あの~、バングラディッシュとかインドでも同じようなことを言っているようです。なんでも男も50才までには子供を十人位は持っていないと老
後が心配らしいそうです」  
 「では君は、どうやって老後を優雅に生きてゆくのだ?」  
 「働くのです。人間も鳥や動物と同じようにこの世に生きている限り、ギリギリの瞬間まで働くのです。そして社会に役立たなくなったらコロリ
と死ぬのです」  
  
 自然の生態系では、系での役割・義務が果たせなくなった瞬間、生きてゆく権利を失う・・・と言うような話をしながら、私はペル-ジアの老教授の
事を思い出していた。今も元気よくやっているだろう。  
 「人間も社会に役立たなくなると、自然生態系のように生きる権利を放棄するのが美徳かもしれない」と、私は付け加えた。  
  
 彼は反論した。「いや、私のお金が社会の役にたつ。このお金を通して私は十分、社会に貢献できる」  
 私はこう締めくくった。「いえ、あなたがその時社会に一番貢献できるやり方は、そのお金を残して早く死んでくれる事ですよ・・・」  
  
 彼は二度と私にマネ-・ビルを勧めることはなくなった。