〔D〕定量調査
仕事が山積して帰りが遅くなった。V.Veneto通りの事務所を出てLudovisiのガレ-ジから車を出すとLudovisi通りの真正面に満月が昇っていたりする。外は喧騒なのにこの風景、なぜだか急に静かな世界を作りだす。Veneto通りから右に下り、Bissolati 通りから・・ SettembreのQuirinale宮の横を衛兵の優美な姿をチラと横目で見ながら、コロッセオを半周するようにGregorio通りの方に抜ける所でまた満月が見える。私はこの帰りのル-トがこのうえなく気に入っている。ロ-マの中心的な遺跡の間を通り抜けながらル-トは東を向いたり西を向いたり紆余曲折するので、季節折々の夕空を楽しむことができる。Porta Capena広場のFAO(国連食糧農業機構)本部事務所の前から左に折れてカラカラ浴場の上のG.Baccelli通りを抜けてC.Colombo 大通りの方に向かう。この抜け道は片側一車線だが沿道に家もなく緑と静けさに囲まれた最も気に入りの通りだ。夏の日が長い間はカラカラ浴場の遺跡の頭越しのかなたの空、Palombara の山のあたりにまだ入道雲が見えていたりする。こんな夕べのラッシュ・アワ-が過ぎるころには車の通行はほとんどない。
その日も午後8時頃 Colombo大通りに面する赤信号で停車していたのは私の車一台だけだった。そのうち一台のパトカ-が来てすぐ後ろに停車した。
脇道から大通りへの信号ではあるがここの信号の赤はとにかく長い。ふだんなら気が短くイライラするはずの私だが、ライト・アップされた目の前のロ-マ時代のArdeatina 門や城壁を眺めているとここだけは何時までも待てる。だが後ろのパトカ-はどうやらシビレをきらしたらしい。車線分離のガ-ドがあって私の横をすり抜けて行くわけにもいかず、クラクションを鳴らして「早く行け!」という。私は窓から身を乗り出して「だって赤だろ!」と怒鳴ると、これぞラテン系の典型といった顔つきの警官が大きく身を乗り出して大声で言った。「前の通りにゃ車なんか通っちゃいないじゃないか。早く行ってくれや!」とマジだ。警官が言うのだから信号無視もしかたがない。左を確認しながら右折に出た。こんな時、彼等もパトカ-なのだからサイレンくらい鳴らしてくれればよいのになどと思いながら。
ここに来てまだ時間も経っていなかった頃だったので、この出来事は話に聞いてたイタリアの寛大さ、融通性のよさの実例として解釈したのである。
それから一週間も経たないある日、私はほぼ同じ時刻に同じ交差点で赤信号にであった。その日は家で用事があり、あせっていたので前回と同じように左を確認しながら Colombo大通りに右折した。するとどうだ・・!Ardeatina門の向こうの通りで信号待ちしていたパトカ-が「ウ~ウ~~~」。まさにオヨヨ!である。道路わきに車を停めると若いオマワリが降りてきて言う。「君は信号無視だ!」。そこで私は先日の一件を手短に説明した。彼は肩をすぼめていう。「ここイタリアには何種類かの警察がある。僕等は交通警察。彼等はきっと他の連中だろう」。私の身分証明書を見ながら「君も日本人なら・・・・」とそこまで言った時、信号無視の車がスピ-ドも落とさず2~3台たて続けに通りすぎた。彼は大きく肩をすぼめて「イタリア人は節操がないからナ~」と何か悲しそうな表情で言った。「君はイタリア人じゃないの?」と問う私に彼は反射的に答えた「僕はイタリア人だ。だからわかるんだ」。勿論、その場は無罪放免になったのだが・・・・。
「イタリア人は節操がない」。ドイツ人、イギリス人や日本人など外国人だけでなく同じイタリア人の口からもこの類の悪口を耳にする。本当にそうか。感覚的には確かにそうだ。だが物事を印象で判断することには危険が伴う。私は出来るだけ客観的事実に基づいた判断を心掛けるよう努めている。定量的なデ-タにより定量的な判断ができればそれが一番いい。
私は一応、調査の専門家ということになっている。例えば工場の能率や会社の実力など定量的に評価することも私の仕事の一部になっている。また、森に棲む野鳥の固体数やある岬を通過する渡り鳥の数なども定量的に調査してきた。調査の精度に差はあれ、私はたいていの事は定量化できると考えている。例えば「イタリア人の交通ル-ルに対する節操のなさ」もこうして定量化してみた。
先ずどこかの交差点に立ち、一信号サイクル当たりの車の通過台数を調べる。また同時にそのサイクル内で黄信号になって通過した台数、赤信号になった後に通過した台数も調べる。このル-ル違反の発生比率のデ-タを後は単純に統計学の手法に従って収集・処理すれはよい。ついでにロンドンやデュッセルドルフに出張した時に同じデ-タを採りロ-マのデ-タと比較する。統計学の有意差検定の問題である。しこうして「交差点でのマナ-においてイタリア人はドイツ人より信頼度95.6%で節操がないといえる」という事になる。
従って交通事故の発生もイタリアが抜きんでて多いと考えられそうだ。そこでイアリアやドイツの統計資料から交通事故の発生率を調べてみた。
その結果、意外にも自動車登録台数あたりや人口あたりの交通事故の発生率はほとんど差は無いことが分かった。これは不思議なことである。だがこの謎も自分なりにこう解いてみた。「生態系はそれぞれの環境なりに安定する」。すなわち皆がル-ルを無視するロ-マでは、青信号で交差点に進入する時もそれなりに注意しながら運転しているので事故はおこらない。生態学でいう一種の「適応」であろう。
要は物事は感じで判断しない。できるだけデ-タをとって定量的に判断する。さらに物事は表層の事象だけで判断しない。ということであろう。
こうして文化差のある世界の中で道を見誤らないための目をもう一つ備えることにした。