我が家の近くに神学校がある。そこに一人の日本人神父さんが留学していて時々、食事にお招きしている。その折に食卓の椅子の数が有るだけ、世界各地からの留学神父さん達も御一緒にお招きすることにしている。皆若くして次の世代を担う輝きにあふれている。
今やカソリックも会派の違いだけでなく民族や地域により布教や伝導の在り方にもヴァリエ-ションが大きくなってきたようだ。多分、内部的には活動の多様性、自由度が高くなったのだろう。一度、バチカンのサン・ピエ-トロ寺院の礼拝堂で、力強く心の奥底に響きわたるようなアフリカ音楽を聞き、強烈な印象を受けた。その聖歌はパイプ・オルガンとはまた異なった、またアフリカの民族音楽ともアメリカの黒人霊歌とも異なった、文字通り魂に語りかけてくるような響きがあった。この宗教の奥深さだろう。
家にやって来る若い神父さん達も中南米、北米、東欧、北欧、アフリカ、東南アジアと国際色にあふれた顔ぶれだが、皆、現在のいろいろな問題にも率直に意見を交わしている。かって私が抱いていた聖職者の、失礼ながら、陰気なイメ-ジは一切ない。はつらつとした明るさだ。
私が私の自然観、人生観、社会観を語っても、彼等は決して彼等の教義で反論はしない。できるだけ客観的に物事をとらえようとする態度が感じられる。論理的に判断しようとする反応が読み取れる。
次世代でこの宗教を担う人の幅広さだろう。
ある時、近日中にガリレオ裁判の決着がつくと彼等から聞いた。私は耳を疑った。350年以上も前の宗教裁判での地動説異端は今日まで続いていたとは思わなかったのだ。彼等もさすがに苦笑していた。
だが現在でも同じような状況は生きているという。例えばあの米国でさえも、信じられない話だが、創造説を公立学校の科学の教科書で教えている州が現実に有るのだという。聖書に反するダ-ウインの進化論はケシカランとというのである。あの米国で、である。
我々の科学がこの世界の全てを把握しているとは私も思わない。だが科学や科学技術に基づく文化生活を一方で享受しながら、他方で科学的な思考を否定するそのメンタリティ-が私には理解できない。
人は変われないのか変わりたくないのか、単にエゴイズムなのか変われない事情がそれなりに有るのか・・・・。一方に文化の変革だけを追う人がいれば、他方に変わることをひたすらに拒む人もいる。人間の心のヴァリエ-ション、価値観の多様性、人間性のバラツキもこのところ大きくなっているのかも知れない。この現象を、科学技術の発展・現代文明の進化で人間社会の許容性(フトコロ)が大きくなった結果だと捉えるべきか、それとも根源的問題の兆候と見るべきか・・・私の悩みは大きい。
ロ-マ法皇、ヨハネ・パウロⅡ世が過日、中南米を訪問した時、ロ-マにいる何人かの日本人マスコミ関係者とビ-ルを飲みながら、ある事を期待しあった。それは、急激な人口増加に喘ぎ・苦しんでいるそれらの地域・国家の実状から、カソリックが人工中絶を認めるのではないかという期待であった。中絶は生命倫理上の課題である。それも産まれてくる前のヒトの人権に関わる問題である。人権とは何であろうか。そして今の社会において中絶の対象と考えられる妊娠の意味するところは何だろうか。
宗教上の判断が社会倫理・社会規範を決めているような世界では、宗教上の指導者は現在の社会と、間違えば多大なツケを押しつける将来社会に対する責任において、厳然たる事実認識に基づいた判断をなすべきではなかろうか。
カソリックにおける生命倫理からは人工中絶の許容は教義の基本に関わる重大問題である事は理解できる。だがこの問題はガリレオの地動説とは違う。人類の存亡に関わる課題を秘めている。
人口爆発地域の構造は、詳細にみれば幾つかのパタ-ンがあるようだ。だが基本的にはこうだと思う。政治や経済などの社会環境がどうであれ、飢餓や貧困などの生活環境がどうであれ、成熟した人間の生活が在る限り、性行為はする。その生理的感覚の享受は、自然界でもそうであるように、健康な人間としてこの世に生まれてきた者の権利である。
そこで子供を造るかどうかという意志は、時代や社会の環境によって大いに異なる。科学技術が大発展する以前は、人間の労働力が生産の手段・経済そのものであった。従って、妊娠・出産は人間社会の生産の保証であり社会存続の大前提であったはずだ。また社会通念としても子供を持つ事が将来の生活安定・老後保証の手段との考え方は普通であったはずだ。
だから、妊娠・出産は社会的意義においても個人的意義においても重要であり、また医学が未発達の時代においては出産や育児も安全ではなかっただろうし、加えて現在の医学的知見のない時代、妊娠は神聖な現象であった筈だ。
現在でもこのような状況の地域や社会は発展途上国を中心にかなり残っている。だが科学技術の発達で生産や経済の形が変化してきた現在、そのような状況は全く逆の効果を生み出す。戦争でもやる気がなければ、それらの地域や社会では人口増加の抑制が民族や国家の存亡をかけた課題とも言える。
かっての時代、性行為は自然界でそうであるように、生きてる者が権利として享受できる性的悦びと、生きている者が義務として果たすべき「種」の維持・子孫維持という二つの意義を合わせ持っていた。
だが現在、人間社会においてはこの二つの意義は分離されたと思われる。
我々人間が創りだした科学技術・現代文明がそのようにしたのである。今、もはや誰も人間社会においてなんらかの形で科学技術・現代文明の恩恵に浴していない者はいないので、この二つの意義は分離して考えるべきであろう。
そして今、人間社会には二種類の性行為がある。子孫維持のための性行為と、生きている事を享受するための性行為がある。両者は全く別ものである。
前者の子を産み子孫を残す行為は、人類の「種」維持のための、依然として神聖な行為である。
後者は、性の歓びを享受すればよい。生きている事の証としての悦びは大きい程よい。情愛に満ちた本物がいい。それは飢餓に在っても、赤貧の中にあっても、人間として生命を与えられた者の権利である。だが決して子供を産んではならない。子を産むことが人類の・「種」としての存続を危ぶむ状
況に在れば、子供を産んではならない義務がある。その限りにおいてはこれも神聖な行為である。神・自然に与えられた悦びの機能に対し、悦びで応えるのだから・・・・。
求められない受胎、すなわち「可能性の生命」は、他の無数の受精できずに去ってゆく卵子や精子の「生命の可能性」と同様に、産まれてはならない。
「種」の存続を否定する存在には、はなから権利などあるはずがない。
すでに、現実の人間社会では中絶は人類が健全に存在できるための、ひいては地球を健全に維持するために不可欠な手段である。
宗教内部においてその基本教義に関わる課題に触れることには、大きな葛藤があることは想像にかたくない。だが社会環境の変化は指数的に推移し、現実との落差は大きくなるばかりである。人を救うための宗教が人類だけでなく全ての生命の生存環境をも破壊する原因にもなりかねない。
今や神の子達は科学技術を手にいれた。今は、かの時代ではない異なった環境に在る。生物の「種」としては、自律の知恵をも持たねばならない時代環境である。法皇様も伝統の聖書にではなく、今、直接、神の声を聞かれるべきではなかろうか。そうすれば、神はそうは申されてはいない筈だ。
このところ回教原理主義者達の反乱じみた活動が目につく。彼等の活動は西欧文明、すなわちキリスト教社会に対する反乱のようにも思える。アブラハムの旧約聖書からみれば皆、兄弟のはずの三宗教が争い合うのは不思議な思いがするが、ユダヤ教・キリスト教・回教それぞれに旧約聖書を解釈した時代と環境が違う。環境が異なれば解釈に違いが現れるとすれば、今現在ほど日々新たに解釈を求め続けなければならない時代はあるまい。私には彼等の反乱が、同じ宗教系内の内輪もめ、宗教内部の自己制御のように思えてならない。
人工中絶の問題はガリレオ裁判のように、これから350年間も放置される訳にはいくまい。法皇様の世代がわりまで待つ訳にもゆくまい。その前に人類存亡の破局は来そうだから。
6.欲望:この文明進化のエネルギ-
このところ、どの科学を見てもおもしろい。生態学、鳥類学の分野でも、例にもれず興味ある新しい研究分野が次々と生まれ、新たな学術ジャンルを形成しつつある。中でも従来からの動物行動学や動物生態学などのハイブリッド的な社会生物学という新分野が注目をあびている。
この中では、動物の行動を(個体としも群としても)決定づけているのは生態系なり「種」の側からのル-ルではなく、個体あるいはその遺伝子の自己利益によるものだと考えられ始めた。つまり、動物に見られる様々な行動は、個々の個体(あるいは遺伝子)側の利己的な理由から決まるのであり、個体間に共通的に見られる行動も群として協調的に見える行動も皆、個体同士の利害の妥協点だという考え方である。
例えば動物の子育ても、産卵数も、雌雄の絆も、群社会の生活も、「種」の維持や生態系維持が前提でそのカタチが決まるのではなく、それぞれの個体がやりたいようにやった結果、偶然よく似たカタチ・それらしきカタチになっているのだと言う。最近は研究者、観察者が増え、多くのデ-タが採られるようになった。その結果、これまで観察され常識的に認識されていた行動とは違うモノが発見されるようになった。これまでみな一様・画一と思われてきた行動にも多様性・バラツキがあるらしい。それも環境や個体の置かれた状況によっても、また違った多様性・バラツキがあるらしい。
これまで一夫一婦の堅い絆で結ばれていると思われていたオシドリも、中には浮気をするものもいるという。
ヒト科の社会は、本当にゆとりが出てきたものだと思う。自己の生存にほとんど心配をしなくてよくなった現在、同じヒト科社会のゴシップを越えて他の「類」や「目」のゴシップをも覗けるようになった。本当に、私のように人一倍好奇心が強い者は、ヒト科のヒトリとして現在に生まれてきて幸運だと思っている。勿論、こんなノゾキの話だけでなく天文学も地球物理学も古生物学も最近の発見は何もかも面白い。それを支える科学技術とは素晴らしいものだ。
さて社会生物学のこの知見、つまり動物の行動や社会システムは皆、個体の利己的な動機から成り立っているという考えを、ヒト科の社会に当てはめると実に理解しやすい事に気づいた。
原始人間社会を想定するまでもなく、現在の人間社会のシステムにも類似・相似のパタ-ンが見られる。
例えば経済、自由市場経済の生産・流通・サ-ビス等の活動は個々人や社会(社会も個々人の集合体)が求めるニ-ズに対するものであり、それら個々人の欲求に基づかないものに対しては購買意欲はおこらない。社会の構成単位としての個人的な動機に基づいたこの経済システムは、この観点からは自然の生態システムに近い。
国民が食べられない状況から脱して、個々人の生活にゆとり(個人的な欲求)が出始めた時に計画経済・社会主義経済に破綻がきたのは、このシステムが自然としての人の欲求、人の行動の動機づけが満たされないものであったという事であろう。
自由主義の政治システムも、基本的には個々人の意思・欲求を集合させるシステムであり、強者・弱者の間のパワ-・バランスもある。こうして見ると、自然の生態のシステムに似ている。
動物の個体的(利己的)な欲求が個体の行動を決め「種」社会のシステムを結果的に形作り、ひいては自然生態系を維持するエネルギ-と見れるならば、人間の個人的な欲求・欲望も、経済・政治・文化・その他の人間社会のシステムを維持するエネルギ-であると考えてよさそうだ。
だが人間の場合、その欲求の対象が絶対的・本質的なものではなく、相対的なものであり、新たな欲求がエンドレスに続く点が問題であるようだ。
例えば車を欲しがる人が、一旦、車を手に入れたら次には、もっと大きな車が欲しくなる。時には、隣の人との比較で欲するものが変わってくる。常によりよいモノ、よりよい状況を欲する人間の特性が、自然における他の動物と異なる点であり、また問題の点でもある。
しかも今や、そのエンドレスの欲求を充たす科学技術という神器を手に入れた人類は、欲求を充たし続ける。その結果が指数的に増え続ける、人口と資源の消費である。そのために人間が占有する地球表面積も指数的に増加している。だが、地球表面積は一定であり、どこかに限界がある。
島に棲むシカの数が無限に増え続けられないように、発展の限界・制限条件が「種」全体の行動を規制し、ひては個体の利己的な欲求が制限される様な状況がある。
社会生物学で個々の個体の行動の側から、「種」・社会の側へ思考を進める帰納法的な考え方とは逆に、このような制限条件・成長の限界の側から、個々体の行動あるいはその集合体としての社会行動の側に思考を進める演繹的な考え方から見た生態学の立場がある。現在の人間社会の諸問題を考えてゆく上では、そのような立場・知見が重要な示唆を与えてくれるものと思う。
人間社会を考える場合も、先ず現在進化中の個々の活動を分析し、その行き着く先・限界点を予測する段階では帰納法的な思考過程が必要である。次にその活動の延長上の限界点・制限条件から個々の活動を見てゆく段階では演繹的な思考過程が必要であると思う。
かってロ-マ・クラブが提起した人間社会の成長の限界と提起された問題点を今風にトレ-スする気があるならば、あれから20年以上経過してコンピュ-タ-を自由に使えるようになった現在、もっと現実的に理解できるはずだ。実際には帰納方と演繹方を交互に人間の活動分野別に多段階にシミュ
レ-ションを繰り返し、また各段階で分野別の交互作用などを多重に見直すような、複雑なモデルになるであろう。
またモデルを検討する段階で自然の動物生態系とは異なり、人間社会の推移・変化には「人間の価値観」という定量化が難しいパラメ-タがあったりして、やっかいな部分も多いだろう。なにろ社会維持の基本エネルギ-・人間の欲求は、価値観の変化と共に変わってゆくし、今後もますます多様化の傾向にあるのだから。
私が駐在してきた84年以降今日まで、ヨ-ロッパは正に変革の真っ只中に在ったようだ。この大変革の時期にヨ-ロッパにいれた事に私は何か意義深いものを感じてる。努力して変革しようとするECの変化と、物理的に位相が変わるようにカタストロフィックに崩壊してゆくような東欧・ソ連の急激な変革は、同じ変化でも異質なようである。
東欧・ソ連の変化は限界点にきた一つの社会システムが位相の変化を起こしている過程であり、今後は自然の系と同じように人間の自由欲求に基づいた自由主義の経済・政治のシステムをとるのである。だが彼等はいきなり西欧のそれにはなれない。自由主義のシステムは全ての人間の自由欲求に基づいたシステムだから、その社会の全ての人間の欲求・欲望が制限なく一度ににあふれ出せば、その違い(多様性・バラツキ)の大きさが表面に出てくる。
そしてそのバラツキの大きさが、国家なり社会なりの一つの「系」として纏まっていれなくなると、それはより纏まりやすい単位・すなわちバラツキを小さくできる小単位へと収束し因数分解されてゆくはずだ。
自然での群の大きさは、小さ過ぎれば他の群との競合で不利になり、大き過ぎれば共通目的達成の効率が悪くなるように、互いの利害の妥協点という最大公約数的大きさで纏まるはずだ。その、例えば民族や地域単位に纏まる過程はかなりの対立や混乱を伴う事になるだろう。その損失は位相の変化に必要なエネルギ-のようなものかも知れない。
すでに民族による国家の分裂は始まっている。それまでの国家という全体での最適解を得ることに失敗した東欧諸国やソ連邦の社会は今後、部分最適解の安定点に到達するまで限りなく変化・混乱は続くであろう。
東欧・ソ連の分裂型の変化とは対照に、西欧は統合型の変化を目指している。国家間が自己最適型で存在し競合し合えば、その競合過程に多大なロスを生じることになる。その分、西欧という地域「系」は、アメリカや日本等の地域「系」に対して弱くなる。EC統合は経済システムの統合からはじま
った。
この動きは生態学的に見れば、極めて特異な例に見える。異なる系の統合過程は一般には、過去の大戦に例をみるように自己最適型の展開というカタチでおこる。過度の競合・闘争が進めば、場合によっては淘汰される「系」や「種」もありうる。自然生態系も人間の社会系もこうして存続してきた。
そして現在の人間社会の諸活動全体・文明も、こうした自己最適型の発展を続けている。地球規模でそれを見ると、あまりにも変化が大きすぎ速すぎるので、その限界点もその後の社会システムの位相変化に伴う衝撃の大きさやカタチさえ分からない。
EC統合の過程は、部分最適・自己最適型の進行の限界を予測しての事前の調整行動としての変革を、経済だけでなく社会システムの多くの分野にまで行おうとしている。確かに、この過程にも淘汰(例えば過剰生産設備の閉鎖など)もあるが、それは自己調整であり自然競合の結果で淘汰される場合に較べ格段に社会的影響・損失は少ない。ECの統合の動きを、動物の生態的行動として見た場合、最も進化が進んだ行動であるかも知れない。
だが、このEC統合の契機がアメリカや日本等との競合という点(つまり共通の敵への対応)であった事から、将来これが成功してEC全体が安定すれば、再び分裂の可能性はあると思う。ヨ-ロッパはすでに最初から、文化や社会システム等全てにおいて、十分にバラツキ(多様性)は大きい。今後
のECの推移・変化をそんな観点から見つづけてゆくのが楽しみだ。
ここで視点を一般世界に戻してみる。現代文明は科学技術の発達で、人間社会を指数的に変化させつつある。ここで「指数的変化」が持つ意味の二つの側面、「変化の多様性」と「変化の速度」についてもう一度、思いをめぐらしてみたい。
先ず「変化の多様性」であるが、科学技術の指数的発達の結果、科学技術自体が多様化する結果になった。その事は即、人間の社会システムや人間の生活を多様化する結果をもたらした。
例えば、生産・流通・サ-ビス等の経済活動は多種・多岐にわたり、日々多様化は進んでいる。その結果、人の生活も、例えば仕事の種類や態様は多様に変化し、人のライフ・スタイルも多様な選択ができるようになってきた。
音楽やスポ-ツという文化面で例を見ると、今やその種類・ジャンルも知り尽くせない程に多様化し、また誰でも直接参加できる状況さえ整い活動の態様の多様化も激しい。
多様化が増すと言うことは社会的バラツキが大きくなるという意味である。
これが政治や経済の面に顕著に現れれば社会的混乱になる。生活や文化の面に現れれば社会内で、文化的断絶が生じる。バラツキの大きさが一つの「系」として纏まれない程に大きくなれば、いずれ東欧・ソ連と(内容的には異なるが)形態的に類似のパタ-ンでなんらかの分化をおこすことになる。分離独立したそれぞれの「系」は自己最適の方向に向かって驀進する。
次の「変化の速度」の側面では、社会の変化が広域に多様化しながら且つ、日々、増速しながら変化している事の意味を考える必要性があろう。科学技術の変化は即、人間の社会環境を指数的に変化させている。
自然界でも過去に何度も気候等の環境変化が起こり、生物はその変化に自らを適応させて生き延びてきた。その環境変化に適応できなかった「種」は淘汰され、空いたニッチには新たな「種」が交代して位置を得た。こうして、生態系は安定的に存続してきた。
だが、現在の人間を取り巻く環境の変化の速度は速すぎる。環境もゆっくり徐々に変化してゆくなら、適応のための対応を準備できそれなりに適応変化も出来得よう。バラツキが大きくなった社会では、すぐさま適応できる部分もあれば全く適応できない部分もできる。
人間社会の不思議な点は、この変化の速度について行けない部分が淘汰されずに不適応のまま居座る場合がある事だ。すでに意味なしの組織も制度も、もう続けてはならない仕事やそのやり方も、一度この世に存在すれば全てに存在権・生存権が与えられたかのように、それらは残り続ける。だが社会全体の効率を甚だしく低下させるそんな部分は、急激な変化への社会自体のリアクションと見るべきかもしれない。
人間が環境変化にすぐさま順応できないのならば、いっその事、環境変化の速度を落としてはどうか。科学技術・文明の進化の速度をおとしてはどうか?環境変化を押し進めているのも人間なのだから。
だが、人間には環境変化の速度を落とす事も順応速度を上げる事もできない。なぜなら両者いずれもが人間の欲求・欲望であるのだから。
社会の系としても個人としても、変化が速過ぎると言う事は大きなロスかも知れない。やっと身に付けた知識も技術も一夜明けたら通用しない。一生を通してやり続けられる仕事など、今後はあまり期待できない。大金をかけた設備投資もシステム投資も、まだ新品なのに陳腐化して競争社会に役立たない。
変化が速過ぎるという事がロスとは分かっていても、すでに走り始めている社会の中では止まれない。立ち止まったり、遅れれば淘汰されるだけだ。
狼に追われるカリブ-の群のように、できるだけ先頭を走るのがいい。
現在のこの急速変化をもたらした主役はアメリカ人と日本人だ、という印象があるがどうだろう。フロンティアが特性のアメリカ人が多様性のタネをまき、それを日本人のホシムクドリ型群特性がアクセレレ-トさせた。全体的にそんな印象がある。自らの伝統文化と歴史に自信と誇りを固持してきた保守的なヨ-ロッパ人ではない。
人間も動物の一つの「科」と見るならば、社会生物学でいうように個々の人は利己的である筈であり、その集合体も利己的であるい筈だ。社会が複雑・多様になるにつれ、あらゆる分野が専門分化して部分最適型になってゆく。
そんな部分は利己的で全体世界など見はしない。利害が共通な者だけが纏まっているのでその利己目的を達成するのに効率よく、変化の速度は上がり、多様化の動向も一層確たるものになる。
遺伝子レベルから個々人が利己的ならば、人種や民族レベルの単位でも利己的であるだろうし、一つの社会でも組織単位に利己的であろう。その利己性が、社会の多様化で制限なく自由にあふれ出せば、あらゆる面での混乱や対立は避けられない。多様化する社会で個別の利己性を調整できるほど人の倫理・モラルも変われない。世の中の変化に人の心の変化は追いつかないし、倫理観・価値観・宗教観を持つのも人間だから利己的だ。
文明を、世界を、指数的に変化させるエネルギ-・人間の欲望。これが利己的に一挙に出てくれば世界に大きな対立や混乱が起こるだろう。人類社会全体の営みをEC統合のような演繹的プロセスで早めに調整しなければ、人類の社会生物系には早晩、破局がやってきそうな気配である。なにしろ地球の表面積は一定なのだから・・・・・。
7.社会生物学的思考:ステファニアの場合
ドロミテ山系の西端部とスイス側から伸びてきたアルプス山系が接する当たり、ファザ-ノの谷間を4WD車で上りつめ、それから強風に晒される尾根伝いに2時間歩いた、落差350mの深い谷筋に面した岩棚にGoldenEagle観察用のブラインドはある。吹き上げてくる強風に飛ばされないようにアンカ-・ボルトの他に岩をギッシリと周りに敷きつめている。
私は食料や水、防寒具、サブ・ザイルと大型三脚と800mm望遠レンズ等の撮影道具が詰まったアタック・ザックを担いで、息を切らせてたどり着く。
繁殖をディスタ-ブしないようブラインドへの出入りは、グル-プでは一応、ワシが動かない日の出前又は日没後との規定を作ってはいる。だが、ロ-マからやって来る外人の私には若干、甘めに規定を運用させてもらっている。
ワシが飛んでいないことを岩影から確認して素早くブラインドにもぐり込む。
「オ-、チャオ!イサ-ト。」一瞬、プンと香水の香がしてステファ-ニアの弾んだ声が耳もとで聞こえた。彼女はこのシ-ズンは、一昨年に私が掛けたこのブラインドで観察を続けている。比較的大きく造ったつもりだが観察スコ-プと撮影用の三脚を開いて二人の大人がはいるには、少々手狭だ。
それでもステファニアのような魅力的な女性とならそれも大歓迎だが、昨年は大男のロベルトと組んでマイッテしまった。狭いだけでなく彼の大声と体臭に圧倒されてしまったのだ。実際、強烈な体臭で酸欠で呼吸ができなくなった位だ。あの日私はオナカの調子が悪く、恥ずかしい話しだが、朝から体内にガスが頻繁に発生していた。腹いせに、狭いブラインドの中でその必殺パンチを放ってみたが効果は全く認められなかった。この私としては会心の一撃も、彼の強烈な体臭の前ではあえなくかき消されてしまったのだ。
私は彼が発散する強烈なニオイにワシが繁殖を放棄するのではないかと本気で心配した。観察者が自然生態をディスタ-ブする事は大罪だ。と言う訳で苦労して私が造ったこの観察ポストを私はあっさりギヴ・アップしてしまった。ともあれ今年は華麗なステファニアだ。今度は体内にガスが発生しな
いことを私は神に祈って止まない。
先週、この繁殖ポストで起きた大事件をステファニアが偶然観察した。兄弟殺しがあったのだ。
自然で生態系の中ではイヌワシ科は通常、繁殖期に2~3卵を産卵する。その卵が何個孵化するか、又孵化したヒナが何羽巣立つかはその時々の状況によって違うようだ。この繁殖ポストでは昨年は2羽の若鳥が巣立った。今年は2卵の産卵があり、幸い2卵とも孵化した。だが孵化後、いつもの年に較べ春が遅く親鳥が捕ってくる餌が例年に較べ少なかったということだ。
先週のその日、オスの親鳥が早朝に雷鳥を一羽運んで来た後、雪になり午後まで降りつづいた。孵化後3週間も経てばヒナはかなり大きくなっていて食欲も旺盛だ。前日も天候が悪かった。ヒナ鳥達はかなり飢えていたようだ。
その朝、日の出前にブラインドに入ったステファニアは、午後になって二羽の幼鳥のうち先に孵化した身体が大きな兄鳥が、弟鳥を食い殺すところを目撃した。側にいたメスの親鳥は何もしなかったそうである。
この種の報告は他にも沢山ある。この様な行動を情緒的に見るなら、最近の社会生物学の発見では、これまでに予想だにできなかったショッキングな報告が多い。
子殺し、親の蒸発、巣の乗っ取り・・人間の世界でもよくあるではないか。一夫一婦制をとる種の婚外婚・オスの浮気・メスの浮気、離婚、再婚、なんと多彩ではないか。もてるヤツともてないヤツ、もてないヤツの苦労と策略。
よく見れば、人の世界も鳥の世界も似たようなものらしい。暗い話題ばかりではない。明るい発見もある。助け合い、子育てを手伝うヘルパ-、養子縁組・・・etc.
野鳥の行動、動物の行動にもバリエ-ション・バラツキが見えてきた。状況により環境により、彼等とて多様な行動をする。状況や環境が変われば、人間も多様な行動をとらないはずがない。
そういう意味で今、狭いブラインド内に一緒にいるステファニアこそ、人間社会の新しい環境にあわせた新しい生き方・行動をとっている典型的な人だろう。観察されてるワシの行動も、観察している人の行動も社会生物学的な視点から、私には非常に興味があるのだ。
ドットレッサ・ステファニア・ロッシは科学者だ。野鳥の研究は私と同じく趣味でボランティア活動をやっている。専門は化学で、今はある化学会社の研究室で有機化学の研究をしている。家庭に事情があって、それまでにはかなり苦労したらしい。自力でイタリアの大学を出た後、ドイツの大学に留学してドクタ-をとった。
その名を私も知る化学会社の研究室で、男性研究者達とサシで渡り合っている文字通りのキャリア-・ウ-マンである。彼女は子供を産んで家庭を営む気持ちはさらさら無い。一研究者として人生を送りたいと願っている。
彼女には一年の1/3を一緒に生活している恋人がいる。都市部では同棲という生活様式が珍しくもないライフ・スタイルのイタリアだ。
彼もある国営系の研究所の生命科学研究室の研究者である。互いに知り合って彼等の人生は変わった。分野は違うが仕事においても人生においても、それぞれの存在が相互に効き合い、内容も質も格段に変わった。もはや生きてゆく上で互いの存在が不可欠なのだという。人生をかけあっているのだという。すでに7~8年経っているらしいので、男と女というより人間どうしの組み合わせなのだろう。
彼等が知り合った時、彼はすでに結婚して家庭を持っていた。彼女は彼の家庭を壊すことは望んではいない。彼は家族もそれまでと変わらず愛し続けている。彼女は、彼の苦悩は自分の苦悩だという。
だから、何も変わらず、今もそのままだし、これからも変わらないであろうと言う。前回、このブラインドの中で、ステファニアが語ってくれた話だ。
この野性生物研究グル-プの人達の関心は、自然の生態や動物の行動だけであり、他人の人生や生活には互いに干渉しないし話題にもしないようだ。
メンバ-は年齢・職業は多様であるが皆、大人で紳士・淑女のようだ。だがどこの世界にも例外はあるように、私にステファニアの事を小声で話すジュセッペだけは、そんな彼女の生き方を耐えられない程、認められないという。
彼はイタリア中部の地方の町アレッツォからやって来る、敬虔なカソリックの信者である。だから彼の調査の担当が日曜日にかかると、必ず近くの教会でお祈りしてから参加する。他の人のプライバシ-や生き方に関わる、そんな彼の主張をメンバ-の誰もがマトモに聞かないので、異教徒のガイジンの私にまで話してウップンを晴らすつもりか同調を得ようと思ったに違いない。
そんな話しを聞かされて直ぐさま、私もステファニアの立場に理解を示して、「彼女がますます美しく見える」と答えると、彼はいかにも汚らわしい者を見るような表情で後ずさりした。そして二度と私には話しかけなくなった。価値観の断絶だ。
社会が多様化してくると、価値観・倫理観・人生観などいろいろな面でのカルチャ-・ギャップが表面化してくるようだ。
人はそれぞれに利己的だ、と言う表現が強過ぎるならば「自己的だ」と改めてもよいのだが、ともあれ受け入れられない価値観・倫理観、相容れない他人の人生観などあるものだ。多様化・社会的バラツキが大きくなる事は、このようなチャンスが増えると言う事を意味する。
社会的多様性・バラツキは、地方より社会環境の変化が進んだ都市部の方が当然大きい。だが幸い都市部の方が多様性にみちたインフラを備えている分、必ずしもカルチャ-・ギャップの衝突が多いとは思えない。人それぞれの個性、多様性を許容できる環境と、許容できない環境があるだろう。実質的にも文化的にも・・・。ちょうどリッチな環境の熱帯林が多様なファウナを許容できて、寒帯林ができないように。
環境や状況によって人の行動・文化も変化する。例えば男と女に関わる文化はどうだろう。日本でも男女が気軽に口をきけない時代・環境もあった。
今でも女性が男性に顔さえ見せてはいけない国もある。一般的には社会(環境)にゆとりができると、社会(環境)は行動の多様性を許容できるようになる筈だ。人間の倫理観ほどアテにならないモノはない。時代環境、社会環境により事の本質というものは変化するようだ。
私の印象ではイタリアの若者達は日本の若者達ほど車を欲しがらない。日本の若者にとっては、車は一種の求愛のディスプレイだ。繁殖期にオスの鳥が羽毛が綺麗に替わり、さかんに囀るのと同じだ。イタリアの若者はその種のディスプレイは必要ない。互いに直接、相手を求め合う。
親も教師も、子供達が中学生になるかならぬかの年頃に実践的な避妊方を教えるような文化だが、生態系の効率からみる限り、繁殖期に環境系のムダなエネルギ-浪費がないイタリアの文化の方が正しい。
変化が進めば、又それなりにリアクションも生じるようだ。この国に同性愛者が多いのは何故だろう?中学生のエイズ対策を国を挙げて論ずるのもリアクションの類ではなかろうか。
今後、更に文明・社会環境は大きく変化してゆく。文明の進歩は人々のライフ・スタイルに多様性を与えてくれる。人が求めるライフ・スタイルを実現してくれる。だが社会の多様性が進めば、カルチャ-・ギャップも出てくる。変化の先頭を走る人と変化について行けない人・変化を拒む人・・・・ ギャップは深まるばかりのようだ。
過去の知識や努力の蓄積も一夜明ければ何の役にも立たなくなる中で、仕事のやり方、職業をめぐる環境、教育、生活の仕方、あそび方・・・全てにおいて変化が進中で、人々の心の中では大きな葛藤が生まれるだろう。
それに対するストレスで予測できない混乱も起こるだろう。麻薬、暴力、犯罪、精神病、自殺・・・etc.
新しい宗教や新しい活動が次々に興るだろう。それに伴い新たな対立や憎しみ合いも増えるだろう。
人の価値観の多様化で、家庭も核家族が更に進んで独立・断絶家族が生まれるかも知れない。離婚率も一層高まるだろう。社会的にストックができると、家庭はもはや経済単位ではない。
これに加え、高齢化・老人化社会や経済力ギャップ等の要素が入れば、人の社会は混乱の極み・・・・という事にややもするとなりそうだ。
一つの「種」の行動が多様化するという事は、「種」としての力が分散するという事を意味し、「種」全体・社会的には力を失うことだ。
勿論、悪いこと・暗いことばかりではない。個人にとっては多様化はいい事だし社会にとってもいいこと・楽しい夢がそれ以上にある筈だ。
ステファニアの周辺の世界には、すでにストレスやリアクションもあるはずだ。だが、その新しいライフ・スタイルが、時代環境の変化の中で社会の生態的にみて意味有りな大きな成果を産み出すように思えてならない。彼女の生き方は、社会生物学のどんな発見よりも示唆的だ。私は、すぐ側にいるステファニアの横顔とブラインドの外を優雅に飛ぶGoldenEagleとを交互に見ながら、社会生物学の新たな発見をハダで感じているところである。
8.レミングはもう移動しない
私達はバリの海岸にいた。TARANTOへ出張の途中、ロ-マの日本人マスコミ関係の知人からこの海岸までの案内を乞われたのだ。
冬でも青いアドリア海の、水平線にポツン・ポツンと船影が浮かび出て来る。かって”D-day”というノルマンディ上陸作戦の戦争映画を見たことがある。その映画のシ-ンを私は思い出していた。
対岸のアルバニアの政治体制が変わり鎖国制が解かれた。そこで人々は初めて自分達が飢えている事を知った。ややあって、最初の人達が小舟で対岸イタリアのバリやブリンディッシュの海岸にやってきた。
そのアルバニアからのかわいそうな数十人の人達に、イタリアの人達は心から愛の手を差し延べた。宿泊施設・食料・防寒具・・等。また、ややあって、その温かい持てなしの情報に接してか、今度は中型の船でアルバニアを脱出した人々が次々にやって来る。
最初は確かに差し延べた愛の手も、こう次々にやって来られては手の数が足りなくなった。そのうちこの招かれざる客は、町一杯にあふれだすやら、人の家の軒先に住み着き汚すやら、住む家や仕事を要求するやら・・・と言う訳で、三日、三週間と経つうちに、愛の心は冷めるやら、迷惑を感じ始めるやらで、やがては厄介なお荷物になり始めたようだ。
アルバニアの港の状況をTVのニュ-スが放映している。一旦、人の流れが始まったら、人々はパニック状態になるものらしい。TVの画像がありありとその状況、人の表情を伝えて来る。いかなる説得も警官の発砲も効かない。もう乗れない船のタラップに荷物を担いでブラ下がる人、髪振り乱して泣き叫ぶ女性・・・。パニックとはこのようなものだという典型を見た。
そして今、大型船を繰り出して数百人、数千人の規模でやってくる。
こうなれば、もうイタリア側もパニックで、こちらも海岸に警察・軍隊繰り出して上陸阻止の大騒ぎ。鈴なりにアルバニア人が乗った船が、入港阻止する警備艇を押し退けて入ってくる。敵前上陸の舟艇のように強行接岸する船、岸壁で上陸を食い止める国境警備兵や警察官との揉み合い。叫び声、悲鳴、海に飛び込む者・・・・。
さてこの騒ぎの始末記は・・・・・・政治体制が変わった今、もはや政治亡命もあり得ない。だから入出国違反のかどで、数日間接岸した後、それまでに上陸を許されていた人達も含めて全員国外退去。他に行くあてもなく、彼らは船上で呪いの叫びを上げながら、シブシブ戻って行った。
よくあるイタリア茶番劇のような、このハプニングも私には背筋がゾ-ッとするような戦慄を感じるものがあった。
もしも中国が人口政策に失敗したら早晩、日本にやってくる。そのシナリオはこうだ。まだ中国は人が生産の手段、だから出産規制が無くなれば一挙に人口は増える。十数年後、食糧生産が追いついていなければ・・・とか、GNPの成長が無ければとか・・・とか、民族問題で内乱になれば・・とか、とにかく何が起きても人口が過密になってれば、人の流れが起こり得よう。
また人口が過密であれば、その何かは起こりやすい。とりわけ、すでに11億人を越えた人口が増え始めれば、その臨界点に至るのにそう時間はかかるまい。
それも大規模な人の流れが・・・・。まず海外展開の才を持つ福健省あたりの人達が、次に内陸部の人達が、食べる事ができる日本に向かって、大移動を始める。マスメディアの発達した現代、世界中どこでも丸腰の人達に誰も機関銃を向けたりはできない。そんな巨大な人の流れを誰も素手では止めら
れない。
インドは食糧生産増加に成功して、人口抑制政策を中止した。その後、人口は1975年からの15年間に37%増加し、その後も増加し続けるている。インドの食糧増産は深井戸灌漑によるところが大きいと聞く。深井戸灌漑は時に長年使用で塩分が析出して、突然に農業生産が不可能になる事があるらしい。アメリカでは十数年で塩が析出した例が多いらしい。このままでも同率で人口増が続いているので再び食糧が不足の状態に陥る可能性は高い。
いつの日か、ここからも人の移動が始まるかも知れない。一体どちらの方向に向かうのだろう。インドに限らず東南アジアは何処でも、すでに人口過剰だ。このアジアの周辺で食がある地は知れている。
そこに向かって人の流れは集中する筈だ。人の流れが一旦始まれば、もう誰にも止められない。
アフリカの過剰人口の行き先はヨ-ロッパ、中南米の過剰人口の行き先は北アメリカと人の流れのル-トはもう分かっている。歴史を振り返ると民族の大移動という現象は過去にも何度もあった。
レミングは数が増えすぎると大移動を行うことは有名だ。今や地球上の自然は減り、レミングの数が増え過ぎる余地はない。だから今度、大移動をするのは人間だ。その頃、移動先の国々は老齢化・老人社会で流れを素手で止める力は有り得まい。
その時代の人達(多分、今現在の子供達)は舌打ちして言うだろう。「チクショウ、あの時代の無能なヤツラめ!こんなツケを回してきやがって!」
そのその無能なヤツラとは私達の事である。「人の命は地球より重い」と言っても、その人の数が増え過ぎると、「重過ぎる人の命で地球が潰れる」と言うような日がくるかも知れない。そんな日には、人の命が軽んじられ、又多くの悲しみが生まれる事になろう。そんな原因を創っていそうなリスキ-な時代に住み合わせたのが、現代に生きる私達ではなかろうか。
こんな想像が単なる杞憂で済めば良し。だが、現在の状況にはこの想像が現実化する条件は有り過ぎる程、揃っている。
9.夕陽
その日、私達は南の島にいた。
沈む夕陽、だがこの地球で私達が最後に見る夕陽を
皆、黙ったまま見つめている。
ある者は波打ち際に佇んだまま、ある者は腕組みして岩の上に立って、
子供達を中心によりそっている家族、抱き合った恋人達・・・・
皆、こころ静かに
私達の地球最後の夕陽を見つめている。
遠くからなにか音楽のような調べが
聞こえてくるような気がする。
あれは何か・・・・
最後の夕陽、
明日、誰もこの太陽を見れる者はいない。
子供の頃から何故かこんな夢をみる。忘れかけた頃、また同じ夢をみる。
つい先日も又、同じ夢をみた。このところ、この夢が意味するところなどを真面目に考えてみようかと思いはじめたりしている。
常々、私ほど幸運な人間はいないと思っている。これまでの人生で戦争もさしたる飢えも経験してない。前大戦後からの社会が発展してゆく過程の直中に生きてきた。過去の歴史の中で、また現在の世界を見てもこれ程平和で民主主義の社会の中で繁栄の過程を経験できた世代はなかろう。個人的にも家族や友人、勤めてる会社や関係する社会などの環境に恵まれてきたと思っている。それもこの幸運の時代に在ったからだと思う。
だが、一方で過去の戦争や現在の世界の隅々で、礎になった人達の苦しみや悲しみを省みない事はない。そんな世界が理解できるからこそ自分の幸運を理解できるのであり、できることなら私も未来の人々の平和や幸運と地球全体を美しく残す為の役にたちたいと思うのである。但し、本当に意味有りであるならば・・・・である。
このところの世界を見るに、どうやら様子がおかしい。これはかって、初めて訪れた無人島で不安定な生態環境を一目見て、ハッと直観した時の感覚に似ている。
子供の頃、確かに質素な食事をしていた事を覚えている。着る物も遊びも誰もが、何もかも質素であった時代を記憶している。そして誰もがそれなりに不幸でもなく、特別に幸福でもなかった。ちょうど何もかもが揃った、今と同じように・・・・・。
私達の文明は進歩して、社会も生活も豊かになった。他人の事にも気を配れるゆとりもできた。私達は皆、この地上にいる全ての人々の平和と幸せを願っている。但しその平和と幸せの考え方は、今の世に生きる人間の考え方で・・・・・である。
文明の進歩は我々の社会を変化させ多様化してきた。気づいてみると私達は世界を見れなくなっていた。世界が見れなくなっていた。それでも今後ももっと多様化するし、その変化の速度はますます速くなる。今、誰の目も、世界の社会の、変化の速さに追いつけない。人類社会の変化が行き着く先を、
人類社会の本当の課題を、誰も見てない。
美しく人権を説く人も生命倫理を説く人も、人類社会の行き着く先を見ていない。科学者も経済学者も技術者も反戦論者も政治家も経営者も自然保護家も宗教家も・・・そして私も、誰もが人類社会が行き着く先を、行き着く先の全体像を誰も明確には見ていない。
だけど人類は進む。誰にもその目先だけは見えている。自己の世界だけは、少なくとも見えている。だから進む。この事がますます世界をもつれさせてゆく。こんな時代、自己の立場だけからもの言うほど楽な事はないし、無責任な事もない。
世界を知ろうとする者しない者、努力をする者しない者、現在社会は誰もが同様に権利を有している。
もしかして、我々の民主主義は失敗するかもしれない。
部分最適解の総和は全体の最適解にはならない。いくら自己の世界だけを自分達の世界だけで頑張ってみても、世界を見ていなければその努力が単に徒労、あるいは世に害毒を流すと同じになるかも知れない。今や全ての人々が人類社会の本当の課題・人口と資源消費の指数的増加と地球表面積がもうじき限界である事を認識し、それを基に人間の全ての行動・活動を見直す限界の時にきているのではなかろうか。
これまでのいかなる美しい論理も行動も、今現在に生きる者達だけの利己的(時代利己)な価値観だ。そんなもので我々の子孫の輝く未来と可能性を、潰してしまう事になりそうだ。人間が平等であると本気で言うのなら、現代人も50年後の人の100年後の人も、地球の下で平等であるべきだろう。
世界の変化と多様化をかほどに速く進めているのも我々、この時代この世代に生き合わせた私達だ。その結果、全体に於ける自己の位置も、進むべき正しい方向も見失ってしまったとしても、その失敗が自分の時代に、自分達自身に還元してくる部分についてはまだ救われようもあろう。だが今の失敗の大きなツケはどうやら未来の世代にまわしてしまいそうだ。
人類社会がこれほど多様に急激に変化して、それも止められない状況下では、地球・世界の未来を救うのに過去の「知識」は、もはや有効ではないだろう。新たな「知恵」と「思考」が必要である。
人間も思ったより信用できない。利己的に行動するのが本性らしい。冷戦が終結しても世界から戦争が消える訳ではない。むしろ将来の戦争のネタを今、せっせと仕込んでいるようだ。それも平和主義者や人道主義者の勘違い、思い違いで拍車がかかっている部分も少なくないように私は思う。
戦争も同じ時代に生き合わせた者どうしならば、自分達の利害で気の済むまでやり続ければよい。 だが、、50年後、100年後の未来から彼等は戦争を仕掛けてくる事もできない。
自然界では、いかなる「種」も種維持のためのメカニズムを持っている。自然生態系維持のメカニズムが機能してきた。今、人類のそれは極めて怪しい。健全なメカニズムに一日も早く治すべきだ。
今日も人類社会は進んでいる。
もうじき夕陽が沈む。
第Ⅶ章 PERUGIAの白い雲
神は なぜ
こんな主体を
創ってしまわれたのだろう
こんなにも感じやすい主体を・・・
悲しさや さびしさ
そして
心のないはずの雲の気持ちまでも
感じてしまう主体を・・・・・。
人間の塑像をお造りになる間
神は
雲を見ておられたにちがいない
そして
ふと 手先に間違いを
おかされてしまったのだろう。
だから 私は
じ-っと ながい時間をかけて
雲を見つめていなければならない。
2.クラスメート
ビアンカのクラスの仲間達は実に愛すべき連中だった。
先ずアメリカ合衆国からは、コンスタンスとフランクの二人である。コンスタンスはブロ-ド・ウエイの舞台女優である。本人はギリシャ系だと言っているが、金髪と青みがかった瞳をしている。夕方、いつもジョギングしているのは職業上の必要性があるのかも知れない。そんな時刻、公園などで散歩していると、後ろから足音を忍ばせて近づいて突然ガッシとしがみつく。
こちらが驚く表情を楽しみながら彼女は走り去る。イタリアの舞台美術の研究に来たらしい。
フランクはタイム・ライフの文芸記者である。無口でおとなしい性格なのだが、私達仲間になんとかサ-ヴィスしてあげようという気持ちが痛ましい位に理解できる。このイタリア語講座の後、イタリア美術や文学の研究をするつもりらしい。アングロ・サクソン系のようだ。
この二人、アパ-トを借りて一緒に住んでいるが、なぜかサイフは別々である。
次はフランス。彼女のフランス語名MONIQUEは発音しにくいので私達はイタリア語でモニカ(MONICA)と呼んだ。彼女はまだ22才だが年齢より落ち着いて見えるのは、ルノワ-ルの絵に出てきそうなそのふくよかさのせいだろう。趣味はスカイ・ダイビングだと言うがその体型からは、にわかには信じがたい。フランス語の他、英語、ドイツ語を普通に話し、イタリア語もほぼパ-フェクトに話す。ここにはバカンスのつもりで来ているようだ。中国語も勉強していると漢字を書いてみせる。(後に、台湾のある
大学にフランス語の講師で行った)
西ドイツ。最も愛すべき仲間ラルフ、RALFMICHAELREIZ。イタリア語でRは、舌を震わせるように特に強く発音する。私達はそのことを意識してラルフと呼ぶ。
キ-ル大学の建築科の学生、26才。ドイツでは大学に入って卒業するまでの許容期間が随分長いらしい。だから彼等は一年おきに働いて又、勉学というように、ゆとりをもって大学を卒業できるようだ。
文化的にリッチな国でなければ出来ない社会システムだと思う。
長身でガッシリとした体躯にうすいグレイの優しい目をした典型的なドイツ青年だ。ほぼデンマ-クに近いキ-ルからBMWの単車でやって来た。普段は物静かだが、質実剛健のゲルマン気質そのものが感じられる。だが何処かにフッと孤独の影を見せる彼の雰囲気は、妙に親近感を感じさせる。
今の私からは誰も想像できないかも知れないが、ややヒネて大きな単車を乗り回していた少年時代、人と関わり合うことを拒み野鳥を追って山陰の島々を一人旅していた青年時代・・・と、どこかで通じ合うものがあるのかも知れない。
ドイツ組は他に二人の少年・少女、文字通りの少年と少女がいる。16才の少年マルコと17才の少女フランチェスカ(いずれも例によってイタリア呼び)である。紅顔の美少年とはマルコのような少年をいうのかも知れない。
顔だちや身のこなし、話し方や表情、生まれや育ちというものはかくも表れるものらしい。
フランチェスカは、この時代にはめずらしい清楚なアルプスの花という印象である。
イギリス:マ-ク、MARKPEARCE.彼の家系は代々、考古学者とのこと。彼もこの6月、ケンブリッジ大・考古学のマスタ-を修了してきたばかりだ。
ラルフが典型的なドイツ青年なら、マ-クは典型的なイギリス青年である。
容姿、ものごし、語り口、何をとっても私達がイメ-ジする英国人にピッタリ当てはまる。
日本。私、こんな私である。もう一人、木村由実子がいた。彼女と私の二人がこのクラスの日本人だ。最初の数日間、このクラスの日本人は自分だけだと思っていた。確かに彼女はいたがその間、その容貌からスペイン人ではないかとも思っていた。だから始め、英語で話しかけてみたら日本語が帰ってきたので驚いた。
一昔前、日本の国内線の飛行機の中で英文レポ-トを読んでいたら、隣の東南アジア系と見られる男性に英語で話しかけられた事があった。東京から福岡に着く間、いろいろな事を英語で話し続けた。着陸前になって、スチュワ-デスに私が到着時間を日本語で確かめた時、「あなた日本人?」と隣の
人は普通の日本語で驚いたように私に聞いた。お互いに外国人と信じきっていたらしい。
今度は、そんな失敗はなかった。ここでの偶然の出会いが、後で互いに影響し合うとはその時、思いもしなかった。実は彼女が非凡な才覚の女性であることを後に思い知ることになる。
さて、以上がクラスの他の連中からサミット・メンバ-と呼ばれるグル-プである。なぜか、このメンバ-はいつも固まった。最初の間、偶然である。
休み時間の会話から、講義の後のお茶の時間、時には一緒に夕飯を食べ、やがて週末にはコンスタンスとフランクのアパ-トでパ-ティを始めるようになった。
最初の間、私がこの地の生活に慣れるまで、とりわけラルフとマ-クとモニカが親身になって、何かと私のめんどうを見てくれた。
私はこの語学研修が終わり、ロ-マに戻ればすぐに仕事に入る。それまでに車の右側運転にも慣れていなければならない。だが運転の感覚を左から右に完全に変えてしまうまでには随分苦労した。例えば交差点での右折・左折の時にどうしても反対車線に入ってしまうのだ。だから車の運転も命がけである。さらにペル-ジア周辺は丘陵地ばかりの地形でカ-ヴも多いし道幅も狭いし、そんな道をイタリア人達が車をブッとばしてくるのである。
休日にレンタ・カ-で練習するのに、事情を知ってるこの三人は命がけで付き合ってくれた。ラルフは常に助手席にいて助言をくれたり、とっさの時にハンドルに手を添えたりしてくれた。
最初の頃、二時間も運転すると頭がボ-ッとなる程疲れた。ラルフはすぐにその状況に気づき運転を休ませたものだ。
こんな事の積み重ねのおかげで、私はロ-マに戻って車のブッとばしをやれる位の自信もついた。 少なくとも’Do as Romans do.’でなければ、あそこではマトモに生活さえできない。
この地に不慣れな私を、彼等はなにかにつけ気をつけてくれ・面倒をみてくれてたようだ。ペル-ジアでの短い研修期間ではあったが彼等を通じ、車の運転だけでなく、ヨ-ロッパの社会の中でそれなりに生きてゆくための自信のようなものを得ることができた。この間の私を日本流に言えば、「いい歳をしたガキ」のようでもあったのだろう。
3.回教圏の反乱
この外国人のためのイタリア語集中講座は、正味二ヵ月間でイタリア語をしゃべれるようになる事が目標である。だがクラスの50人は、いろいろな言語圏から集まっているし事前のイタリア語会話能力のレベルもまちまちだ。
一日6時間の授業の進め方は、可能な限りフリ-・ト-キングの形式だ。だが、50人の生徒にビアンカが一人一人対応するのは当然、無理だ。自然にクラスの右前方に陣取ったサミット組の一団に集中的に話しかけるようになる。実はこの一団、ビアンカにとっても話題が楽しいのだ。だが誰もが語学
をマスタ-する事に対しては真剣な中で、この動きに対する他の人達からのリアクションのような雰囲気を感じ始めた。とりわけ中近東やトルコ等回教圏から来た人達の中にそれがあった。
人間が集まれば、立場や利害が共通する者どうし・類似のタイプの人間どうしが群を形成するのは、どんな社会でも同じだ。ただ私達の群形成がすばやかったのは多分、英語という共通の意思伝達手段と互いに興味と魅力を感じあえた事が理由だろう。それまで気づかなかったが、多分同様な理由で回教圏からの人達の群形成もすばやかったようだ。言語や価値観、それにここでの生活などで立場が共通するところも多いのだろう。
新しい環境に適応する過程では、このような群(コミュニティ)の形成は情報やノウ・ハウの交流の上で極めて重要だ。その場合、互いの立場は類似しているほうが互いに便利という事であろう。
さてビアンカの授業に対する回教圏のグル-プの人達の反応は他の地域、例えば中南米、東南アジア、東欧、アフリカからの人達のそれとは全く違う一種独特のものがある。偶然そのタイプの人が集まっているのかもしれないが・・・。
私達も彼等との接触を全く拒んでいるわけでもないし、彼等を疎外している訳でも対立する意識もない。折角の機会だから私も彼等を通じて、世界について多くを知りたい。だから言葉が通じる限り、時には彼等の輪に入ってみたりした。だが話題や会話がいつもチグハグになるのは言葉のせいだけで
はなさそうだ。
授業がオマエ達が中心に進められているようなトコロが気に入らない・・・・と彼等は言う。「それじゃ君達も早く授業に来て、一番前の席に座れ」と言ってやると、前はイヤだと言う。だったら後ろからでも会話にもっと参加するなり、大声で発言するなりしろ!それでもダメならビアンカに直接言うなり大学事務局にでも注文つけろ!と言ってやった。もともと授業の進め方について生徒の我々に言われたって・・・としか私達も言えない。
本来、私達は何も不自由は感じていないが、語学のクラスに50名は多すぎる。この件についてマ-クと私は、ビアンカと相談して事務局に交渉に行った。イタリアは寛大な国だ。文化のストックも大きい。この講座も国がコストを無視して外国人に開放しているようなものだ。それから1週間後、会話に関しては少人数のクラスに再編成してくれた。
その結果、ビアンカはサミット組と若干の他の人達を選んだ。スイスのバ-ゼルから来ている女性教師、ポ-ランドとユ-ゴスラビアの神父、アルジェの上流家庭のお嬢様二人・・・である。ビアンカに選ばれなかった人達には別の二人の講師がそれぞれついた。60才は過ぎているオジイさんと笑顔など一生に一度も見せる事もなさそうな中年の女性の講師である。彼等がこの状況をどのように受け止めたかは、生徒の私達の知る限りではない。
イタリア語以外一切使わないが、ビアンカの語学教育は抜群である。私のように最初の間、ほとんど理解できなかった者もいつの間にか不思議にイタリア語が分かり喋れるようになっている。とりわけ少人数になってから、一人一人の個性・能力・話題を巧みに引き出しては会話の中に引き入れてゆく。
誰もが、興味を持つ会話の中でポイント・ポイントを教え込んでいる。会話も文法も全てビアンカである。時に3時間連続で授業をやる文字通りの集中講義がある。だが時間はアッという間に過ぎてゆく。
時にビアンカは大きな声をだす、皆に歌をうたわせる、ヒラリと机の上に跳び上がり大きく足を組んでウフフ・・と笑って見せたりする。かなりアブナイ姿勢であるが極めて優雅である。このシ-ン、映画の中のようである。
夏である。窓の外ではセミの声が聞こえる。木立を通してかなたの山の辺りに入道雲が湧き上がっているのが見える。
PLOから来ているアフィという名の娘がいた。週末、私達が例のごとくパ-ティの準備の話をしているところに彼女がオズオズと割り込んできて、私にちょっと話を聞いてくれという。彼女は辺り気にしながら小声で話す。
彼女はホテル・マネジメントの勉強のためにイタリアに来ているという。
国に戻ればいろいろな国からくる客に対応しなければならない。だから私達のパ-ティに一度入れて欲しい。自分は回教徒だけど一度はワインもビ-ルもプロシュ-ト(豚肉の生ハム)も試しておきたいと言う。
勿論、私達としては’Noproblem&Welcome!’である。「友達も誘っておいでよ」と言うと、本当にうれしそうな顔をした。だが当日になって彼女はさびしそうに、来れないと断ってきた。どうやら彼女のグル-プがブレ-キをかけたらしい。
彼女のグル-プの中心格にアブダラと言う30才前後と思われる男がいた。
私がいつも、’ヤァ-’と挨拶してもちょっと目礼する程度の挨拶しか返ってこない。笑顔を見たこともないし、仲間と活発に話しているところを見たこともない。いつも黙って何かを考えているような表情をしているが、彼がグル-プの中心的存在であることはすぐに分かる。ある日、彼が突然帰国する事になった。その彼がなぜか、私に挨拶に来た。急な帰国の理由を聞く私に、「実は、自分の兄が急死したので、後を継がねばならないのだ」と日頃よりもっと硬い表情で答えた。後で、彼の兄はPLOのどこかのセクトのリ-ダ-で、テロに遇って死んだのだと他の人に聞かされた。
かの地の事など遠い世界の出来事と思っていたが、すぐ側で戦争があっているような気がした。日本も昔、そんな時代があった。若者達が戦場で、そして戦士でない女も子供も死んでいった時代があった。
人生、半分は運だ。たまたま私はこの時代の日本人として生まれ・生きてきたが、少し時代が違えば、あるいは少し生まれた場所が違えば彼等と同じだったろう。彼等が今、住んでいる世界はそんな所である。
アブダラが帰国した後、このリダ-不在のグル-プは荒れ始めたようだ。ときたま合同授業があると授業中に騒いだりする者もいる。これでは日本の出来の悪い中学のクラスと同じだ。よしてくれよ!オレ達、大人だろ!
それから数日後のある朝、ラルフが青あざだらけの顔でやって来た。私は驚いて尋ねた。「どうしたラルフ?」「イヤァ-、昨夜単車で転んでブドウ畑に落ちたちゃってネ-・・・」その話し方が面白かったので、私もモニカも大笑いした。ただマ-クでけは、怪訝な表情で彼の顔をのぞき込んでいた。
この事件の真相は夏が終わり、私がペル-ジアを去る前夜に知った。その頃にまでには、私が住むパラッツオの住人ともすっかり家族的な雰囲気が出来上がっていた。その中にトルコからペル-ジア大学に2年間留学に来ているファットマという名の若い女性のエンジニアがいた。
ファットマが言うには、あの夜ラルフはバ-ルでほかのドイツ人の友達とビ-ルを飲んでいた。そこにかのグル-プがやってきた。アブダラが帰った後、自称トルコ航空のパイロットでケマルという25~6才の男がクランを率いているらしい。トルコ人は回教徒ではあるが一般には酒も飲む、アブダラがいなくなってグル-プは彼のもとで酒の味を覚えたらしい。
ケマルはラルフに挨拶をして最初は別々に飲んでいたらしいが、そのうちケマルが私の事でラルフに口論をしかけたらしい。何故か私がサミット組のボスと思っているらしく、その私が回教組を攪乱しているとか、ビアンカのえこひいきを得ているとか・・・と言うような事を言ったようだ。冗談じゃない、どこぞの国の出来の悪い中学生ではあるまいし・・・。
それぞれの国では社会的には立派な立場にある者でも、こんな隔離された世界で学生に戻れば精神状態もそんな雰囲気になるらしい。だからラルフも友人への中傷を聞いて黙っておれなくなった。口論は二つのグル-プ全体に及びやがて双方入り乱れての大喧嘩になった。バ-ルのテ-ブルはひっくり返るやら椅子が飛ぶやらの大乱闘になり、果てはパトカ-が来るハメになった。幸い双方とも逃げおおせたらしい。
いかにもラルフらしいエピソ-ドである。彼は私が原因の喧嘩をやったなどとは最後まで一言もいわなかった。後にファットマがケマルに聞いた話を私が伝え聞かなければ私もこの一件を知らずに終わっただろう。
ラルフはインテリである。ラルフとマ-クはそれなりに自分の哲学を模索しているようだ。かつて日本でも、青年達がそうであった時代があった。
彼等は互いの人生観について語りたがり、また東洋の思想についても聞きたがった。だから私も度々、彼等の議論に加わらねばならなかった。回教圏の連中が来ない、ペル-ジアの高台にある静かな屋外バ-ルで、日暮れ頃から真夜中まで、ビ-ルを飲みながら議論を続けた。星がすぐ近くに見えた。
4.パラッツオの間借り人達
私が部屋を借りたパラッツオの住人達もクラスメイトにも増して多国籍、かつ多彩である。
とりわけユニ-クな存在はなんと言っても日本人のお坊様である。れっきとした仏門の、頭を丸めたお坊様である。なんで!こんなところにお坊様がいなければならないのヨ!と最初に思った。名をダイアンと呼ぶ。ある禅系の宗派の僧で、宗教交流のようなものでカソリックの修道院に座禅の指導に来てるのだそうだ。その前にここで数カ月イタリア語を勉強しているとの事である。この若い僧が実に多能な人だ。本職の他に、ズングリ・ガッシリした体躯で空手三段、合気道四段、指圧もできれば料理もできる。
この人を知るなり私はすぐさま、共生を決め込んだ。このパラッツオでは自炊である。つまり食事の材料は全て私が準備する(といっても結局は彼が買い出しに出掛けることが多かったが)、で彼が料理する。
もっとも私も自分で料理できない訳ではない。10才の頃から鳥も魚も自分でおろせるし、どんな料理も基本位は知ってるつもりである。だが彼の腕はプロ並みだ。彼が語る娑婆での板前アルバイト、僧坊での厨房暦の長さは料理を見れば分かる。
この共生に要するコストは、1週間3食・夕食はワインかビ-ル付きのフル・コ-スで約一万円である。実はこの後、我々に寄生するドイツ人の女傑メラニ-と三人分のフル・コストである。
メラニ-が現れた!ある日の午後、けたたましい叫び声で午睡を破られた。隣の空き部屋に誰かが入るようだ。大家の嫁(これが有名なドケチなのだが)とネゴの真っ最中の模様だ。そのうち、取っ組み合いの大喧嘩にでもなるのではないかと思われる程、けたたましい。耳をそばだてずとも両者の言い分は聞いてとれる。どうやら大家の嫁が降りるらしい。あのドケチを下す者ははたしてどんな姿か?
しばらくして落ち着いたところで廊下を覗いて見ようとドアを開けて顔を出したところ、廊下に出てきた彼女の顔とバッタリ、ハチ合わせの状態になってしまった。「ハ-イ!」薄暗い逆光の廊下での第一印象は、ハダシのベ-ト-ベンであった。どうやら女性であるらしいが、これはカナリの者だ。
いきなり、メンサ(学食)はどこだ!と、襟首でも掴み上げられそうな勢いで問われたので、ハイハイと丁寧に道筋を教えて上げた。
ちょうどダイアン氏と食事を始めようとした時、それは再び戻ってきた。今日、ペル-ジアに着いたのだ。旅の疲れかコ-フンしているようだ。
「メンサは休みじゃないか!」
「そんなことオレ知らない!」
「じゃ、どこで食事すればいいのヨ」
「そこいらにレストラン、たくさんあるよ」
「冗談じゃないワヨ。私の食事代、日に2000リラの予定で来ているのヨ」
「オレの知ったことか!」
「だって大学の案内にそう書いてあるのヨ!どうしてくれるのヨォ~」
「オレは大学当局とは関係ない。ただの通りすがりの学生だ」
という風な激しいやりとりをやっている内に、当方はもう疲れた。肉食人種のコ-カソイドに草食人種のモンゴロイドは基本的にはかなわない。
「オレ達のメシ食うか?」
彼女は我々のテ-ブルを一瞥して、
「食べる!だからシャワ-する間、ちょとの間だけ待って」と言い残し部屋から消えた。この’ちょっとの間’が長かった。なにしろ午睡は破られるし、空腹なのに食事を待たされるし、それに・・・’だから’じゃないだろ!’待って’とは何だ!
ダイアン氏は基本的に優しいお坊様だ。ただニコニコと待ってあげる。人間、若くしても修行を積めばこうなれるのかも知れない。
やっと、彼女は入ってきた。’オ-、美人なのだ’シャワ-をとりスカ-トなんかに着替えた姿を明るい所で見てみると、なかなか理知的な美しい顔立ちをしている。だがなぜかハダシだ。
食事は静かに始まった。ダイアン氏は気をきかせて、フォ-クとナイフを準備したが上手に箸を使う。食事中の姿は人の生まれや育ちを如実に表すものだ。それまでの彼女へのイメ-ジが一変した。ワインなど飲みながら、やがて互いを語り始めた。
彼女はベルリン大学で美術史(当然、西洋美術史)専攻の学生で、例のごとく一年休学して当地でバイトしながらルネッサンス美術史の研究をするつもりだとのこと。語学研修の間はバイトも出来ないので、手持ちの予算でなんとかもたせる必要がある。そこにメンサの2週間の夏休みは困るのだそうだ。「この食事、おいしいし・・・・」と彼女は言った。毎日2000リラ(約200円)払うから、一緒に食べさせてくれと言う。「ネ!お願い!」
悪い人ではなさそうだし楽しそうでもあるので食事の仲間に入れる事にした。
それからの三人の食事風景だけを書いても一冊の本になる程、食事の時間は内容の濃いものになった。勿論、彼女にとってもだ。なにしろ、その後の一ヵ月半、三人で食事をする間に彼女は西洋美術から東洋美術に専攻を変更する事になったのだから。人の人生の多くの部分が偶然で成り立っていると私は思っている。メンサが2週間休みであったばかりに、彼女の人生は変わってしまった。というのはその後、彼女は約3年間、日本の大学に留学して平安時代の日本美術を専攻した。日本語は、読み書き会話の全てがパ-フェクトであるばかりでなく、古文さえも読める。今はハイデルベルグかどこかの大学で日本美術史を教えているらしい。
食事の時以外も、彼女は私達を決して退屈させはしなかった。話題は豊富だし大声でカラカラと笑う。彼女はペル-ジアの町で沢山の騒ぎを作った。
教会の閉門の時間を知らず閉じ込められて、助けを呼ぶために鐘楼の大鐘を打ち鳴らしたり、彼女の名誉のために書けない事も沢山ある。
食事に関しては、そんな訳で私たちを楽しませ、また彼女は後片付けを担当する事になり、「寄生」の関係ではなくなった。多くのキャリア-・ウイミンがそうであるように、メラニ-も炊事・家事の類は全くダメのようだ。
ある日、彼女が食事の準備をしたいと申し出た。私達は、よせよと止めたが彼女のプライドか何かがそう仕向けたらしい。前日から大騒ぎをして材料を揃え、時間をかけた割にはシンプル過ぎる料理であった。それもとても食べられるシロモノではなかった。要は具が沢山入ったコ-ン・フレイクスのようなモノである。クルミ、松の実、その他のナッツと何種類かの野菜と果物等をチップスにしてミルクをかけて混ぜ合わしたモノである。それでもちゃ-んと料理に名がついていた。スプ-ンで一口入れた瞬間にその名を忘れてしまった。
たまたま居合わせたイギリス人のマ-クでさえ「これじゃウサギのエサだ」とスプ-ンを投げ出してしまう始末。マ-クとメラニ-が取っ組み合いのケンカになるのを制止するのに一苦労・・・・。それにしてもダイアン氏は人間ができた僧だ。あたかも座禅の時のように眉も動かさずに無念・無想で食べ続けた。”心頭滅却すれば、火もまた涼し”だがこの禅僧とて、メラニ-からの料理の申し出は二度と受けなかった。
メラニ-の姉がドイツから尋ねてきた時、彼女の家庭が高名な医者の家系であることを知った。どうやらこの家、裕福であっても20才になると自律的にさせるらしい。これも文化というか民族性というか、30才過ぎても男が自立できない、何処かのにわか成り金の国風とは違うようだ。英語もフランス語も話し、イタリア語もほどほどに話す、頭脳明晰にして行動的。それなりの人格と美貌と出るところにでれば身のこなしさえも豹変する若い女性メラニ-、大きく人生やってゆけそうだ。
もう一つ、将来の活動する女性の生き方を指し示すような、すばらしい特性を彼女は持っている。彼女は全ての理想を実行する。この事については、まだ日本との文化ギャップがあまりに大きいので書くのは避けよう。彼女のつまらぬ誤解を避けるため。
このパラッツオの住人は、この共生・寄生関係だけでなく、他にも楽しい連中がいる。なにしろ多国籍長屋のような所だから話題には困らない。
5.神学教授の禅問答
コンスタンスとフランクのサロンのパ-ティは、別に飲んで歌って踊っている訳ではない。時に誰かがフル-トかギタ-を弾けば、誰かが歌うこともあるし、又気が向けば踊ることもある。また時に誰かが詩の朗読をはじめれば皆、静かに聞き入ることになる。詩の朗読は、とりわけマ-クとコンスタンスが好んだ。学生時代になじんだワ-ズワ-スやキ-ツの詩も、彼等が朗読すると全く新鮮な響きを持つのに驚かされた。時折、彼等はどこからか不思議な詩を掘り出してきては、皆の興味をひきおこした。
また、時には芸術や文化、現代文明について論じ合った。そんな議論は私も嫌いではないし、どの顔を見てもそんな議論にはまさにベスト・メンバ-である。一旦始まれば、真夜中すぎて誰かが疲れてダウンするまで大議論を続けたものだ。
そんな訳で、このパ-ティは私達にとって重要な意味があった。だがいつも同じ場所で3回、4回と重ねると、なぜかマンネリの雰囲気が出てくる。
この種のパ-ティは新鮮でなければならない。それに誰かおもしろい人物が見つかると連れてくるので仲間が増え手狭になった。広い空間が必要だ。ピアノも欲しい。皆で探しているうちに、チャンスは向こうからやって来た。
ダイアン氏の’シアツ’がこのところペル-ジアで名を上げ始めた。いろいろな人が噂を聞いてやって来るらしい。その中の一人に、神学教授のプロフェッソ-レD.がいた。教授からはその後、教えられるところが多かったがここではあえて仮名にしておきたい。
65才という教授は、やや猫背だが上背がありガッシリとした体躯で、何かまだエネルギ-がみなぎっているようだ。しかしこのところ神経痛がでるらしい。
ある日、教授は指圧を受けながら自分が神学の教授で、今指圧をしている人物がれっきとした禅僧である事に気づいた。神学教授としてアメリカにも15年、世界各地を巡った博学の方だ。だから勿論、仏教を含めた世界の宗教哲学にも精通している。そこでこの若い禅僧と禅問答をやってみる気になった。
そんな教授の気まぐれから、ある日の夕方、突然に教授から通訳を頼まれることになった。
「今日は、むずかしい話しになる。ついては君が英語で通訳してくれ」
たのまれればしかたがない。その夕べはどうせ暇だし、若干の興味もあった。だから二つ返事で引き受けた。
教授の友人宅のサロン。問答は続く。なんとも抽象的だ。通訳などとてもやれはしない。どんな事があっても通訳などを仕事にするものではない。自分の意志や存在などありはしない。ただの翻訳機械だ。私はだんだんイラついてきた。そのうち、話が具象的になり核心に触れるところにきたようだ。
教授:「ブッダの言う無とは何か?」
禅僧:「仏教でいう無とは・・・伝伝・・・」
今度は、教授がイラついた。そんな教科書に書いてあるような解釈などは遠の昔に知っている。
教授:「では、今日という日における君自身の無とはなにか?」
禅僧、少々困って更に抽象的な事を言う。主語も述語もあったものではない。こんな時、日本人はよくこんな通訳泣かせの表現をする。だが私がそれなりに直訳すると、教授はますますイラだってきた。そこで私は切り出した。
「どうです教授!私はマジメな仏教徒ではないけれど、一応日本人だし、それなりに仏教を感じる環境で育ってきた。そんな私の意見ではどうです?」
教授:「おもしろい。聞かせろ」
正直言って、私はこんな通訳させられるのはイヤじゃ!通訳など私には向いてない。自分の口では自分の言葉を話す方がいい。ダイアン氏もお疲れのようだからそういう事にした。
子供の頃、確か父が死んだ頃から私も母に勧められて意味も分からぬまま般若心経を毎日読み続けた。大人になって再び興味をもって、この般若経の意味を解説した本を何冊か読んでみたが、そこに説かれた「無」については釈然としたものを見いだせなかった。この「無」につて、私が自分なりの考えを持つに至ったのにはそれなりに理由がある。この考え方は私の個人的なものである事を断って、話を始めた。
先ず私は、自分の家族の写真を取り出して教授に指し示した。
「これは、私の家族の写真です。これが妻、これが息子、これが娘です。さて、私が妻と結婚する前に、もしも私さえ’Yes’と言えば結婚でき
ただろう女性は少なくとも彼女を含めて3人はいたと思います。従って、私が彼女を妻として選んだ確率は1/3と言えます。ところで、彼女も
結婚前に、彼女さえ’Yes’と言えば結婚できただろう男性は私を含めて少なくとも3人はいたと思われます。だから彼女が夫として私を選んだ
確率は1/3と言えます。そうすると私と彼女が互いに選び合い結婚した確率は1/9になります。組み合わせの確率は、私達に限らず誰でも最低
この程度はあるでしょう。この結婚の組み合わせがなければ、私の息子と娘の顔はこれではない、他の顔と人格を持った他の子供達がここに写っていたでしょう。つまり、この私の子供達がこの世に生まれ存在できた確率は少なくとも1/9である訳です。」
教授は真剣な眼差しで私を見つめ、私は話を続ける。
「ところで私の両親はどうだったでしょう。私の両親の組み合わせが無ければ、私がこの世に存在できなかったでしょうから、この子達も当然存在し
ない事になるでしょう。だから両親の組み合わせの確率も1/9として、その確率も子供の存在確率に積算しなければなりません。勿論、妻の両親
とて同じですから、その確率1/9もです。従いまして、私の子供たちがこの顔と人格を持った人間として存在できた確率は少なくとも、1/93つまり1/729になります。同様に私の父方の祖父母と母方の祖父母、妻の父方・母方の祖父母の組み合わせ確率も当然、計算に入れなければなりません。すると彼等の存在確率は1/97になります。これは更に祖先に逆上って計算してゆかねばなりません。と申しますのも、私達の祖先のどの組み合わせがなくても、私なり、私の子なりの存在は有り得ません。つまり全ての祖先の組み合わせが一つでも異なっていたとすれば、私自身も私の子供達もこの人格・この人間、この自我・自己意識で存在できなかったはずです。だから全ての祖先の組み合わせの確率を掛け合わせる必要があるのです。そう考えますと私達の個人としての存在確率は1/∞、即ち確率ゼロとなります。」
教授は何も言わずに、私を見つめて聞き入ってくれている。通訳をやるより、自分の意見を話す方がずっとラクだし第一、楽しい。だから私はまだ喋り続ける。
「私なり私の子なり誰か一人の人間が、その人自身としてこの世に存在する確率がゼロということは、その存在が’ゼロ’即ち’無’であるという事
ではないでしょうか。私という自我・私という人間が、この世に存在する必然性は全くなかった。本来、生まれてくる必然性は何もなかった」
私は、今私の個人的な意見を熱心に聞いてくれてる人物が神学の教授である事を思い出した。だから、ここで少しサ-ヴィスする気になった。
「だけど、ここに大きな矛盾があります。例えば今、イタリアに5300万
の人が生きているとします。その一人一人のケ-スについて考えてみると誰も皆、その人自身としてこの世に存在する確率はゼロであるのに、現実には確率1で存在しているではありませんか。これは矛盾であります。今ここに5300万の矛盾がある訳です。今、世界中に生きている人々が皆、’私は私である’と自我の意識を持つ限り、その人間の数だけの矛盾が存在する訳です。この矛盾を論理的に証明することは出来ません。この矛盾を説明するには’神’とか’運命’とか、東洋だと’仏のお導き’とかを持って来ざるを得ないと思います」
教授は話をするのをとまどった様子で、ただ「インジニエ-レ」とだけ言った。私は彼に自分が一応、技術系の人間である事はまだ話してはいなかったのだが・・・。
般若心経には人生もこの世に存在するものも全てが「無」であることは書いてあるが、その「無」の考え方については書いてない。私は事情があって私なりの「無についての考え方」を考える必要があった。私は、私という自我がこの世に存在でき得る確率も、従って今日という日を私が生き今ここで教授と話していられ得る確率も基本的には’ゼロ’、即ち「無」であった筈である、と言うところまでを話している。彼の問に答えるためには後、無」から始まった私の人生の・あるいは今日という日における私なりの「無」の意味を話し続けなければならない。
「ところで私は、生まれさせられた・・・」と私は言った。日本語では能動態で「生まれる」と表現するが、私が生まれる前には私の意志も自我も無かった。だから「生まれさせられた」という英語の受動態表現の方が正しいと私は常日頃から思っている。
「・・・・生まれさせられて後、私に私という自我・自己意識または人間としての自分の感覚知覚が働き始めた時から、’私の人生’は与えられたの
だと思われます。しかも、その与えられる確率は極めて’稀’でゼロに限りなく近い’無’と言ってもよい’カミワザ的’な希少なチャンスとして巡って来ました。
さて世の中に価値の基準はいろいろあると思いますが、貴金属にダイヤ、希少なものは一般に価値が高い。希少である程に高い。だけど自分が自分として生まれ・存在する確率は世の中に存在するものの中で最も希少なものだと思います。少なくとも、こんな意味からも私の人生は私にとって最も価値が高いものだと思います。だから、この人生を私として最大限に充実させたいと考えています」
当たり前の話しをしているだけではある。教授は「それで?・・」と問う。
「要は、’私’という意識が作用する時間が与えられたのだと思います。これから先、あと何年・あと何時間、私の持ち時間が続くのかは知らない
が・・・・、その与えられた時間軸上での経験の総和、つまり私という自我が個々の時間に世界を経験・認知した事の総計が人生であると先ず考え
てみます」
「で、人生を充実させるということは?・・」と教授は問う。
「時間を微分すると瞬間になります。その一瞬一瞬は二度と再現しない。その二度と再現しない一瞬一瞬における経験を積分したものが人生なのだと思う訳ですが、問題はその一瞬に経験できる事は一つしかないという事です。ある一瞬での経験は一つしか選べない。つまりある一瞬での生き方なり行動は一つしか選べないという事が問題なのです。今、ここにいてピアッツア・ロ-マで友人とビ-ルを飲んでいる訳にははいかないし、ここイタリアにいて同じ一瞬に日本にいる訳にはいかない。なにしろ身体は一つしかないのですから。一瞬における経験の選択が一つしか出来ないとすれば、その選択肢が重要になります。何を選ぶか・・・。次の一瞬に何をするか?明日、何をするか?この一年をどう生きるか?その一つしか選べない選択肢が問題であると考えます」
だいぶ時間が経って気になり始めた。私がしゃべっている事は一度、メラニ-との食事の席で話した事なのでダイアン氏は大体分かると思うが私の一人しゃべりは気の毒だ。だが教授はまだ聞き続ける構えをくずしていない。だから、もう少し一人しゃべりを続けなければならない。「一つしか選べない人生の時間軸上の選択肢も、三つの可能性から一つを選ぶより多分、四つの可能性から一つを選ぶ方が自分の人生をより価値高く充実させる事になるでしょう。また100の事を知って一つを選ぶより、101の事を知って一つを選ぶ方が自分にとって着実な選択ができると思います。勿論、それも正しく知っておく必要がありますが。
そもそもこの私という自我を持ってこの世に生まれてきた事をはじめ、いろいろな人や出来事との遭遇・出会いは、自分の意志や努力や能力には
関係なくやってきた。それを運命と呼ぶのか神の意志と言うのか私には分からないが、とにかく人生、半分は運である。その与えられた運・機会・
条件の中で最大限の自己充実をする事だと思うのです。
そのためには、一つでも多くの事を知りまた本当の事を知る意欲を持ち、一つでも多くの生き方の可能性を持てるよう心掛ける事だと考えています。できれば私も人生の重要な一瞬を見極めるハヤブサのような目を持ち、その瞬間に的確な選択行動をやれる勇気をもたいと思います。
生きてる間・死の瞬間まで、つまり与えられた時間の中ではできるだけ多くの種類の・より本物の経験をしたいと思っています。できることなら、
一種類の人生を全うするより二種類の人生を、自分に力があるなら三種類の人生を生きてみたいと考えています。そうする事が、もし神がいるなら神への・私を創ってくれた私の父母に対する、あるいは祖先の全ての組み合わせを決めた運命に対する私の感謝の証であろうかと思います。またそうする事が、それら神なり運命なりに対する私の義務ではないかと思っています」
とうとう一応の話を終えた。教授は何かに感動しているように見えた。もし、私が彼を喜ばす事ができたのだとしたら、私としてもハッピ-な事であ
る。私なりの「無」に基づいた自分なりの生き方については分かってもらえたようだ。後、必要な事があるとすれば今日という日、今という瞬間に私がどう生きているかを分かってもらう事である。
「ところで、もうこの時間です。実は、仲間達が上のピアッツア・ロ-マでビ-ルを飲みながら私を待っているはずです。私は行かねばなりません」
通訳として約束した時間はとうに過ぎている。もう立ち上がらなければ・・
「ちょっと、待て!もう少し話そうではないか」
教授は立ちかけた私を制して言った。すでに意味がない付き合いなら、他の日本人に言って欲しい。私はどの瞬間も本気で考えているつもりだ。
挨拶の握手をして急いで立ち去ろうとする私に教授が言った。
「この近くのトラスメ-ノ湖の畔に私の別荘がある。どうだ、君がいる間、君達が自由にそこを使えるというのは・・・・」
パ-ティの場所が手に入った
