8.レミングはもう移動しない

 私達はバリの海岸にいた。TARANTOへ出張の途中、ロ-マの日本人マスコミ関係の知人からこの海岸までの案内を乞われたのだ。  
 冬でも青いアドリア海の、水平線にポツン・ポツンと船影が浮かび出て来る。かって”D-day”というノルマンディ上陸作戦の戦争映画を見たことがある。その映画のシ-ンを私は思い出していた。  
 対岸のアルバニアの政治体制が変わり鎖国制が解かれた。そこで人々は初めて自分達が飢えている事を知った。ややあって、最初の人達が小舟で対岸イタリアのバリやブリンディッシュの海岸にやってきた。  
 そのアルバニアからのかわいそうな数十人の人達に、イタリアの人達は心から愛の手を差し延べた。宿泊施設・食料・防寒具・・等。また、ややあって、その温かい持てなしの情報に接してか、今度は中型の船でアルバニアを脱出した人々が次々にやって来る。  
 最初は確かに差し延べた愛の手も、こう次々にやって来られては手の数が足りなくなった。そのうちこの招かれざる客は、町一杯にあふれだすやら、人の家の軒先に住み着き汚すやら、住む家や仕事を要求するやら・・・と言う訳で、三日、三週間と経つうちに、愛の心は冷めるやら、迷惑を感じ始めるやらで、やがては厄介なお荷物になり始めたようだ。  
  
 アルバニアの港の状況をTVのニュ-スが放映している。一旦、人の流れが始まったら、人々はパニック状態になるものらしい。TVの画像がありありとその状況、人の表情を伝えて来る。いかなる説得も警官の発砲も効かない。もう乗れない船のタラップに荷物を担いでブラ下がる人、髪振り乱して泣き叫ぶ女性・・・。パニックとはこのようなものだという典型を見た。  
 そして今、大型船を繰り出して数百人、数千人の規模でやってくる。  
  
 こうなれば、もうイタリア側もパニックで、こちらも海岸に警察・軍隊繰り出して上陸阻止の大騒ぎ。鈴なりにアルバニア人が乗った船が、入港阻止する警備艇を押し退けて入ってくる。敵前上陸の舟艇のように強行接岸する船、岸壁で上陸を食い止める国境警備兵や警察官との揉み合い。叫び声、悲鳴、海に飛び込む者・・・・。  
  
 さてこの騒ぎの始末記は・・・・・・政治体制が変わった今、もはや政治亡命もあり得ない。だから入出国違反のかどで、数日間接岸した後、それまでに上陸を許されていた人達も含めて全員国外退去。他に行くあてもなく、彼らは船上で呪いの叫びを上げながら、シブシブ戻って行った。  
  
 よくあるイタリア茶番劇のような、このハプニングも私には背筋がゾ-ッとするような戦慄を感じるものがあった。  
  
 もしも中国が人口政策に失敗したら早晩、日本にやってくる。そのシナリオはこうだ。まだ中国は人が生産の手段、だから出産規制が無くなれば一挙に人口は増える。十数年後、食糧生産が追いついていなければ・・・とか、GNPの成長が無ければとか・・・とか、民族問題で内乱になれば・・とか、とにかく何が起きても人口が過密になってれば、人の流れが起こり得よう。  
 また人口が過密であれば、その何かは起こりやすい。とりわけ、すでに11億人を越えた人口が増え始めれば、その臨界点に至るのにそう時間はかかるまい。  
  
 それも大規模な人の流れが・・・・。まず海外展開の才を持つ福健省あたりの人達が、次に内陸部の人達が、食べる事ができる日本に向かって、大移動を始める。マスメディアの発達した現代、世界中どこでも丸腰の人達に誰も機関銃を向けたりはできない。そんな巨大な人の流れを誰も素手では止めら
れない。  
  
 インドは食糧生産増加に成功して、人口抑制政策を中止した。その後、人口は1975年からの15年間に37%増加し、その後も増加し続けるている。インドの食糧増産は深井戸灌漑によるところが大きいと聞く。深井戸灌漑は時に長年使用で塩分が析出して、突然に農業生産が不可能になる事があるらしい。アメリカでは十数年で塩が析出した例が多いらしい。このままでも同率で人口増が続いているので再び食糧が不足の状態に陥る可能性は高い。  
 いつの日か、ここからも人の移動が始まるかも知れない。一体どちらの方向に向かうのだろう。インドに限らず東南アジアは何処でも、すでに人口過剰だ。このアジアの周辺で食がある地は知れている。  
 そこに向かって人の流れは集中する筈だ。人の流れが一旦始まれば、もう誰にも止められない。  
 アフリカの過剰人口の行き先はヨ-ロッパ、中南米の過剰人口の行き先は北アメリカと人の流れのル-トはもう分かっている。歴史を振り返ると民族の大移動という現象は過去にも何度もあった。  
  
 レミングは数が増えすぎると大移動を行うことは有名だ。今や地球上の自然は減り、レミングの数が増え過ぎる余地はない。だから今度、大移動をするのは人間だ。その頃、移動先の国々は老齢化・老人社会で流れを素手で止める力は有り得まい。  
  
 その時代の人達(多分、今現在の子供達)は舌打ちして言うだろう。「チクショウ、あの時代の無能なヤツラめ!こんなツケを回してきやがって!」  
 そのその無能なヤツラとは私達の事である。「人の命は地球より重い」と言っても、その人の数が増え過ぎると、「重過ぎる人の命で地球が潰れる」と言うような日がくるかも知れない。そんな日には、人の命が軽んじられ、又多くの悲しみが生まれる事になろう。そんな原因を創っていそうなリスキ-な時代に住み合わせたのが、現代に生きる私達ではなかろうか。  
  
 こんな想像が単なる杞憂で済めば良し。だが、現在の状況にはこの想像が現実化する条件は有り過ぎる程、揃っている。