7.アルプスの南と北

 夏、ロ-マは空白になる。東京ならば銀座にあたる Veneto 通りも7月末ともなれば閑散としている。ときたま見かける、まとまった人達はたいてい外国からの観光客である。私のアパ-トがあるEURなどの住宅街は、人っ子一人いない・・・という調子である。こんな折、食料を買い込むのも大変で、当番制で開けている店をやっとの思いで飛び込むと店のオバさんから「オヤ、オヤ、日本人はバカンスに行かないのかい?どうしてだい?」とマジメ顔で問い詰められたりする。オバさんもたいくつしているのだ。めったに来ない話し相手をたやすく開放してくれる訳はない。土日などは、家のまわりを散歩するのも大変だ。時にはオマワリさんに「君、なぜこんな所にいる?」などと、職務質問されたりする。こんな時期、住宅街をウロウロしてるのはドロボ-以外はいないと言うことらしい。まるでイタリア社会全体が街を出て行けと圧力をかけてくるようである。かくして私は北に向かう。早起きすればロ-マから7時間も走ればいずれかの国境に着く。家を出て数分で市街地は突然途切れ、あたりはいきなりヒマワリの黄一色になる。夏である。ヒマワリの黄と周囲の丘の乾ききったオリ-ブの黄ばんだ緑以外は全て夏枯れである。北に向かって Auto Stradaを走り続けると、フィレンツエ・ボロ-ニャ間でアペニン山脈を横切ることになる。この山脈を境に自然が変わる。ここから南は夏に牧場や丘の下草が枯れ冬に緑が戻り、ここから北は夏が緑で冬に冬枯れがくるようだ。  
 カ-ブだらけのグルグル道のアペニンを越えると、自然の風景が変わる。ボロ-ニャの辺りからロンバルディア大平野の田園風景が拡がってくる。この瑞々しい緑あふれる平野が日本人を心底ホッとさせるのは、どこまでも続く水田のせいだろうか。ポ-川やそのいくつもの支流を渡るたびに川沿いの水辺に緑なす木立が打ち続いているのが見える。そんな風景を横目で見ながら一直線に続く高速道路を私は北に向かう。  
 これまでにイタリアから北の国々に抜けるほとんどの国境は越えた。いずれもアルプス越えで、どれも捨てがたい美しい風景だった。だが、ベロ-ナからボルザ-ノを抜け、ブレンネッロの国境からオ-ストリアに入るル-トがなぜか一番安心する。このル-トがなぜ一番安心するのか、その理由を考えた。こんな些細な事をよくもマジメに考えるものだと自分でも時々思う。だが自分の人生、このところが面白い。考える事で失うモノはなにもない、物を得るよりズ-ッといい。・・・で、なぜかと考える。  
 これは風景や交通量、道路の条件ではなさそうだ。どうやら車の運転のマナ-のようだ。ベロ-ナを過ぎて北へ行くほど、運転中に「コノヤロ-!」と思う回数が少なくなるような気がする。北に近づく程、人々がル-ルを守るようになるのだ。節度の民・ゲルマンの人達の国へと近づいている事が身体ごと分かってくる。ベロ-ナを過ぎトレント、ボルザ-ノまで来るとイタリアであるにもかかわらず人々はドイツ語で話している。またその地域はドロミテ山系を経てオ-ストリ-・チロルと山続きであり、その谷間の村々も言語はドイツ語だ。つまりこのオ-ストリ-に近いこの地域のイタリア人はゲルマン系の血を引く人達である。彼等は節度の人達だ。ル-ルを守る節操はしごく自然に出てくるようだ。この辺りまで来るとナポリ・ナンバ-の車でさえ、ぎこちないがそれなりにル-ルを守っているようだ。環境が人をそうさせるのであろうか?そういう訳で、ロ-マの環境に何年も馴染んで生きてきた私も北に向かう程、キリキリと身が締まってくるような心地がする。そしてブレンネッロの国境を越えたとたん、なぜか自分の顔の表情までキリリッと引き締まったような気さえする。この顔をアルプス越えの空気感と共に写真にでも撮っておくべきだったのだろう。  
 インスブルックの市街地に入るともう誰も、赤信号はおろか黄信号でさえ進入する者はいない。まるで日本と同じだ。  
  
 アルプスの南と北でどうしてこうも違うのか考えてみる。ラテン系とゲルマン系、民族の違い血の違いといえばミもフタもない。もう少し別の視点・観点から見てみたい。その視点、やはりここは生態学がいい。むずかしい事は、できるだけ単純に考えた方がいいし、その方が本質に近かったりする。  
 
 さて先ず、アルプスの南に住むヒトの生息環境を考える。北に較べれば本当に住みやすい環境だ。冬も暖かく太陽はさんさんと輝く。そこでは決して凍えることもなかろう。夏は暑くてもカラリと乾燥し、真昼でも日陰に入れば十分涼しい。年間を通じて穏やかな地中海性気候の本当のよさは、そこに住んでみないと分からない。気候の良さがヒトに与える心理的なり生理的なりの影響がここに住んで初めてわかる。そのうえ平野は広く土地は肥え、農産物も畜産物も野にあふれ、海・山の豊かな幸に満ち、そこでは飢えを知ることもなかろう。イタリアの街々は遠い昔から石で造られている。家・建物もそして道路も橋も街丸ごとこの劣化しない素材で造れば、街ごとそっくり何百年もそのまま残る。家が残ればその中の家具も調度もそれなりに残る。つまりストックがたまってゆくのだ。イタリアはどの地方に行ってもそんな街だらけだ。アルプスの南はかくも豊かだ。そこの環境は生活の条件、衣・食・住・気候など全てが揃っている。こんな環境の中では飢え死ぬ事も凍え死ぬ事もなかろう。どんなに怠惰に生きようと生命だけは保障されているようなもの。このリッチな環境はヒトが怠惰・ワガママに生きる事も許容するし又、優れた人が天才的な能力を発揮させ得るバック・グランドも保障できる。このようにアルプスの南は豊かであるが故に人々の行動に大きなバラツキを創りだしたのではあるまいか。  
 これに対してアルプスの北は、先ず気候条件が厳しい。寒い冬がある。人々は雪が降る前に互いに助け合って冬の準備をする。彼等は木で家を造る。家の寿命は木の寿命。かくして彼等は(日本人同様に)世代毎に家を建て替える。そう、人々は助け合って家を建て屋根を葺き替える。土地も気候も豊かでなければ農作物も食糧も助け合わずば生きてはゆけない。こんな環境の中では人々は集団の中にいる事が安全に生き延びる保障であり、集団に属するためには集団社会の規範やル-ルに従い仲間や他人の立場も考えねばならない。この環境には個人の自由やワガママが許せる程のゆとりはあまりない。かくして人の思考や行動はだんだん規律的・集団的に、すなわちバラツキが小さな社会が出来上がったのではあるまいか。  
  
 この仮説、実は自然界の生態系の現象をヒトの社会に置き換えただけの事である。熱帯地方の自然は、生産性は高く、植物も動物も多様性に富む。そこに生息する動物は多彩で種類も多く、そして彼らの行動も多種・多様すなわちバラツキが大きい。熱帯の環境がそのように多種・多様ないずれの種にも生息できる条件を与え、彼らの多様な生活様式・行動様式を許容できる程、豊かであるからだ。生態学では逆に、多種・多様な環境に合わせて動物の行動も種も適応放散(多様化)していったと考える。いずれにせよ、年間を通じ豊かな熱帯の環境が動物の行動の多様性(バラツキ)を生み出したと考えてよい。  
 これに較べ寒帯地方の自然は厳しく、森林も針葉樹中心の植物で多様性に欠く。そこに生息する動物も熱帯に較べ種類が少なく、年間を通じその行動も規則的で群れでいることが多い。とりわけ厳しい冬の間は群れでいる事が「種」を維持する前提で、それぞれの固体も群れの規範・ル-ルに厳しく従うことだけが生き延びるための全てである。かくして寒帯地方の動物の行動は規則的・集団的に、すなわちバラツキが小さなものになっている。

 こうして見ると人の社会も動物の生態社会もどこか相似にのようで、人間様もしょせん動物であるということを思い知るような気がする。ただ人間は自分が住んでる環境を自分で変えてゆく。あまりに速くかえてゆく。厳しかった環境もいつしかリッチな環境に、ヒトそのものは変わらぬままにヒトの行動特性は変わらぬままに、「ヒト科」の生態環境すなわち人間社会の環境変化は続く。一体、明日には何が起きるやら人間社会の生態学は日に日に複雑怪奇になってゆくように思われる。