5.自然保護の幻想

 多くの無人島を巡ってきた。最初は福岡の沖、壱岐と山口の中間でまさに日本海の真っ只中に在る孤島、筑前沖ノ島であった。かって日本海海戦が周辺であり、それを目撃したという佐藤さんという宗像神社の老神主が只一人常駐していたこの島は、太古から神聖視されてきた。その後の考古学の発掘で海の正倉院と呼ばれるようになった事で世に知られるようになった。  
 あれから20年位は経ってかもしれないが、私達が最初に野鳥の生態調査であの島に行った時の新鮮な印象を今でも忘れない。珍しい海洋性の鳥類や手つかずの自然に触れた感激で夜になってもいつまでも眠れなかった。  
 月が昇るころ、数万羽のオオミズナギドリが島に戻って来る。その時刻から夜明け前、彼等がまた海に飛び去るまで、島全体が彼等の鳴き声で喧騒に包まれる。その音量は自然の声とはにわかにには信じられない位、大きなものだった。  
 島の南のすこし沖合に、ヒゲスゲという丈の低い草で覆われた岩礁島がある。満月の下で輝く海にくっきりとシルエットで輪郭を見せるその小屋島の周りで中型の海鳥の凝縮した群がさかんに飛び回っていたのが印象的だった。  
 この小島では5月頃にはカンムリウミスズメが7月頃にはヒメクロウミツバメが繁殖する。このような陸地からはるか離れた無人島で繁殖する海洋性の鳥類達は、洋上では優雅に飛び巧みに海中に潜ったりするが、陸上ではみな無防備で簡単に手で捕まえることが出来る。巣も地面に巣穴を掘ったり岩の下や草の下の窪地に直接、卵を生んだりしている。天敵になる爬虫類や哺乳類などが全くいない無人島の環境が彼等に、このような無防備な習性を定着させたのだろう。  
 そんな感受性の強い野鳥の繁殖地は、例え彼等の保護が目的の調査さえもできる事ならやらない方がいい。だがその後に日本中に釣りブ-ムが起こり、この絶海の孤島にまで磯釣りの人達が押し寄せるようになってきた。日本人はブ-ムに弱い。何事も一旦集団で始めると突進する。それにかっては漁船で4~5時間の航海が必要だったこの島も、高速の瀬渡し船の出現で1時間程度で渡れるようになった。科学技術と経済の勝利だ。小屋島には昼も夜も大勢の釣り客が押し寄せた。  
  
 その後の調査で予測通り、カンムリウミスズメもヒメクロウミツバメも減少してゆき、私達はすでに希少種のこの海鳥の保護のために繁殖地への釣り規制を図るためのあらゆる活動をした。調査報告書を作り、関係機関・関係官庁に働きかけた。だが残念ながら、世界のどの国でもそうであるように、役所ほど世の中の実情や変化に疎い機能はない。今後、世の中の変化の速度や変化の幅が大きくなると、変化に追随できない役所の機能の故に、全てがダメになるかも知れない、という印象を受けた。少なくとも、釣りブ-ムという新たな環境変化に対して、どの公的機関も無策・無能であった。  
 キャンペ-ンもやった。瀬渡し業者には一つの例外を除いて殆ど効果がなかった。マスコミを通じ磯釣りクラブにも働きかけた。全く効果も反応も無い。瀬渡し業者の間で、教養の釣りクラブと噂されているある医系のグル-プに現地で会った。釣りを終え帰る船上の先生方にご理解をお願いしたが、返事もせずにそっぽを向くとか、最も陰気な反応だった。それ以来、私は日本人が言う教養という言葉を信用しなくなった。いや、私の言葉の定義に誤解があったのかも知れないが。  
 今、考えてみると私の多くの趣味がそうであるように、人間は本当に好きな事はそう簡単には止められるものではない。無人島にまで出掛ける釣り人は、本当に好きに違いない。彼等を止める事はできない。ボランティア活動の限界である。法的規制か何か強烈な規範でもなければ、人が好きな事をやっているのを止めさせるのは難しい。かと言って公的機関がタイムリ-に措置指導を行う状況はあと50年、期待できない。  
 そうこうする内に小屋島の海鳥の繁殖状況は急激に悪化していった。要は現在の日本社会の行動規範の天秤にかければ、消滅寸前の「種」の保護よりも釣りキチのおっさん達の楽しみの方が重いのである。  
  
 環境庁の委託で自然公園指導員というのをやっていた事がある。その頃は日本社会も経済的にゆとりが出始め、社会のバラツキ・価値観の多様性が顕れ出したようだ。風光明媚な春の玄海国定公園の海岸で野鳥の観察指導などしていると、後ろの草原から4WD/オフ・ロ-ド・カ-なんかがいきなり飛び出して来たりして驚いた事が何度かある。海岸の砂地の上の植生ほど弱いものはない。四輪駆動車の強烈な轍に植生が壊され地形が変わってしまった場所もあった。自然に親しむのはいい。自然の中で遊ぶのもいい。これからも自然の中での新しい遊びをいろいろと人間は考え出すだろう。だが少し気のきいた新しい道具や玩具は、文化に本当の教養が成熟する前に与えると人間は使い方や遊び方など誤ってしまうものかも知れない。  
  
 自然保護活動やその啓蒙活動をしていた私達のやり方にも問題が出てきた。いや、昔はそれでよかった。人間社会の環境が変化したのでそのやり方に矛盾が出てくるようになったのかもしれない。人間の活動がそれほど活発でなかった時代は、自然保護など元々必要ではなかったし、また自然への啓蒙も情緒的・精神的な活動で十分だった筈だ。  
 日本人の経済活動が活発になり自然の維持存続と対峙しはじめると、環境問題や自然保護問題が生じてきた。私達はただ野鳥や自然を楽しんでいるだけでは済まされなくなり、保護活動を始める事になった。自然を享受する者の自然に対する義務だ。また人間社会に対して自然保護を主張する者の義務として、自然の実態を調査し定量的に認識する活動も必要になった。自然が環境変化に対し適応変化するように、私達の活動も人間社会の変化に対して適応変化させる必要があったのだ。そして今後も継続して適応変化させていかなければならない。人間社会が変化し続ける限り、その中で意味アリの活動を続ける気がある限り・・・・。  
  
 私の趣味の野鳥の写真も、昔は単純に野鳥が繁殖する様子、巣で雛鳥達が親鳥から餌をもらう様子などを撮れば、それを展示するだけで自然についての啓蒙になった。だが、誰でも自由にカメラや望遠レンズを買え自由な時間を持て余す時代になって、今、皆がそんな事を始めれば啓蒙どころか自然の破壊につながる。誰もが自由に超望遠レンズを買ってワシ・タカの写真を皆が撮り始めるような時代になれば、私も長年の趣味もあきらめなければなるまい。  
 自然の啓蒙もマス・メディアと交通手段が発達した今、そのやり方を慎重に考えなければならない。めずらしい植物の紹介をすると、翌日にはごっそり盗掘されたという話はよく聞く。南極の自然が紹介されると、観光業者と観光客が押しかけて、脆弱な環境下の自然を汚し・混乱させてゆく。本気で自然の保護を考える気があれば、今後はますます発想の転換をしドラスティックに活動を多様化させないと100年後まで地球上の本物の自然など残ってはいないかも知れない。日本の自然保護活動家はどのくらいこの状況を理解しまた、自己変革できるだろうか?例えば、北方領土の豊かな自然も、もし今のままの日本人に返還すると5年と持たない筈だが?  
  
 この10年間、日本人の自然への関心、自然保護意識の高まりは本当にうれしい。民間団体も公的機関においても活動のネット・ワ-クも出来たし、自然の保全・保存や密猟対策、教育・啓蒙などのシステムも徐々にではあるが整備されてきた。この背景にはこの種の活動に携わるプロ(民間団体の職員であろうと役人であろうと、これでメシを食っている人)もアマ・ボランティアも、また中央でも地方でも、皆が情熱をかけて努力してきた効果が大きい。特に立場を異にしても、活動に携わった人々の個々の情熱が寄与するところは大きい。  
 だが自然保護活動とて他の人間社会の活動と同様に、人間社会の環境変化の波に洗われない訳にはいかない。どんな活動でも世の中・時代環境が変化する時、その変化の認識の違いや変化への対応手段の考え方の違いで意見が一致しない事も多い。  
  
 自然保護や何なりに対する思いや目的は一致していても、活動の進め方や手段に違いがあると活動の内部に混乱や対立が起こったりする。これは活動に対する人々の情熱が大きければ大きいほど厄介になる。社会における活動の重要性が大きくなると、そんな内部の認識の違いや些細な混乱が大衆の関心をひく事もある。どんな世界でもそうであるように、社会の寄生虫のような物書きや三流ジャ-ナリズムの関心さえ引きつけるまでに成長すればこの活動も一人前だ。活動の過程の意見の違いや混乱は、活動が発展している証と言える。そのうち自然保護評論家というのさえ現れてくるゾ。  
 ところで日本の自然保護活動は今また、人間社会の環境変化の大きな波に洗われそうであるがどうだろう。「衣食足りて礼節を知る」という諺があるようだが、この状況は日本では幸い過去のものになった。今ならさしずめ、「衣食足りて自然保護を知る」と言うところか。日本人は今、自分たちの目前の森や川や干潟などの自然に目が行き届くようになった、というのが実状だろう。  
 だが少しは気がきく人ならば、衣食を足らしめた私達の経済と日本の自然保護の関係に気づいている筈だ。私達の豊かな生活を支えている資源は、日本の自然の中から採集したのではなく、海外の自然の中から採集してきたものだ。抜本的な輸送の技術革新により輸送コストを大きく下げる事に成功して以来、日本は国内の資源より国外の低コストの資源に依存してきた。木材の例を考えれば分かるはずだが、単に森林資源だけではない。天然資源を使わずに水と空気だけで日本人の物質生活が豊かになる筈がない。  
 こうして見ると、日本人の急激な生活向上の割には日本に自然が残っているのは、当たり前である。日本人は国外の自然を食っているのだ。  
  
 本気で自然の保護を考える気があるならば、私達は今や視点を目前の森や川や干潟だけでなく、世界に向けなければならない。どの程度、国外の自然に注意を向ければ良いかというと、例えば、現在日本で消費する天然資源の内訳で日本産と輸入の比率で見たらどうだろう。  
 俺達は日本の事だけしかやらない・・・という手もある。自然保護活動なぞ元々一定の文化や民度のある社会で成り立つ活動であるから、その手を主張されれば、一言も返す言葉はない。だがある日ある時、パタリと渡り鳥が来なくなる。自分の自然は残っても自然はダイナミックに動いている。渡り鳥には向こうの自然も必要である。  
  
 地球全体の自然保護に関する調査や研究、先ず実態認知のための調査・研究それから対応のための調査・研究などの方法や、自然保護活動の方法など人間社会の多様化に対応した調査・研究や活動の多様化が新たな展開として必要であろう。  
 自然保護活動ほど今、演繹的に考えるべき活動はないと思う。これまでの自然保護活動の理論的展開は主として、生態学者や生物学者の立場からなされてきた。だが、例えば生態学や鳥類学の調査や研究の方法は、自然においては極めて小さな部分の観察から始まる所に基本的な問題があるのかも知れない。自然という対象が、非常に長い時間と非常に広大な空間の連続としての存在であるにもかかわらず、なぜか人々は点でしか見れない、小さな部分からしか見ない。今、変化しているのは地球の極めて大きな部分なのである。  
 今の世界の変化における自然保護は、従来の例えば生物学者や生態学者の論理と人間社会の経済論理の対立という図式で解決できる範囲にはすでにない。  
 本気で地球の自然系の保護・保存を考えるならば、すでに生物学や生態学の領域を越えている。おそらく社会科学の理論として自然保護の問題を考えなければならない。  
 そして状況はすでに逼迫しており、大学やどこかの機関で理論や方法が醸成されるのを待つ訳にもいかない。実践で理論構築を行う以外にない。例えば日本野鳥の会のような民間団体がやる以外に方法はない。彼等には多くの一般のボランティア活動家がある。中には経済問題や発展途上国の社会問題の専門家、あるいは数理的解析の専門家もいるかも知れない。  
 現在、最もリスクをミニマムにこれをやれる団体はこのような民間団体しかない。だが問題は、元々彼等が自然愛好家の集まりという事である。彼等は経済や政治などを含む社会科学の活動を必ずしも好まない性格を本質的に備えている。彼等が好むのは野鳥や動物・植物の観察や研究である。要は、彼等がそんな自然を享受する権利に対して、いかほどに自然を保護する義務を認識しているかにかかっている。  
 また彼等が「保護」の活動を語るように、文字通りConservativeな思考にこだわったり、従来の活動における活動家自身のニッチにこだわると早急な対応はできず、全ての機会が失われる。  
 今、考古学は物理学の分野の、人類学は医学の分野の方法論がその実践を支えている例など考えれば、自然保護の分野で活動する人達も社会の多様化の理解は得られるものと思う。  
  
 こんな発想に基づき従来からの活動も場合によっては変革していく部分もあり得るかも知れない。  
 例えば、どこかの森のある種の鳥の行動を観察した結果ではなく、世界地図や国連の統計デ-タから、あるいは何処かの国の経済デ-タ等の分析から、地球上の自然林の動向を観察する。時には現地にでかけ確認したり、そこのバイオマスを定量的に測定したりする。必要なら対応策としての社会科学的な方法を研究する・・・・etc.ジャスト・アイデアではあるが、例えばこれを、ボランティアの若者と退役後の経験豊かなキャリア-・パ-ソンの組み合わせでやってもらう事で、相互に好影響を生み出すチ-ムの編成も考えられる。  
  
 発展途上国での自然林の喪失の速度は、想像もつかぬ規模と速度で進行しているようだ。熱帯林の急激な喪失で、誰にも知られずに絶滅した「種」も多いとの説がある。先進国は、バ-ド・サンクチュアリ-などで自然を残す努力をしているが、発展途上国はとてもそのような経済的ゆとりはないのが現実だろう。「種」の維持という意味ではそのような国々の自然の方が、ある意味では重要であるのに・・・・である。そしてそのような地域は人口の急増地帯でもある事が多い。  
 さて今では日本にも幸い幾つかのバ-ド・サンクチュアリ-が誕生したし、また計画中である。その計画中のサンクチュアリ-を、急激に喪失する熱帯林の「種」維持のための実験、あるいは技術開発に活用するように考えてみてはどうだろうか。  
  
 現在のデ-タを基に、今後の経済推移と人口増加の傾向を読んでみると、東南アジアの熱帯林の主要部分は50年以内に消滅してしまうかも知れないと危惧している。例え全てがそうでなくても、生物学的に重要な部分も危機に晒されるのは疑いない。  
 かって、先進国の人間社会では核戦争に備えて核シェルタ-というのを造ったらしい。今度は現在の人口爆発地帯で、ず-っと将来また人口が減り始めるまで、その周辺の自然および「種」を守るシェルタ-が出来ないものかと考えている。  
 どこか本当の国際貢献や長期的視野に基づいた自然保護を理解できる地方公共団体や機関に、次のような実験サンクチュアリ-を造ってもらう。サンクチュアリ-は類似した環境を三つの区画に分ける。内容は以下・・・  
 ①従来通りの自然の聖域・人の影響が最も少なくする区画  
 ②先ず生ゴミなどのリサイクル技術を応用し、植物への肥料あるいは野鳥やその他の動物への飼料を生産するプラントをサンクチュアリ-に隣接して造る。この区画には、その肥料や飼料を散布して、また人口的に繁殖できる環境を整備して、単位面積当たりの生物個体数・バイオマスの収容能力を極限まで大きくするための実験・研究をする。  
 ③②と同じ条件にし、ここには人を入れる。ここでは・のサンクチュアリ-を人の社会に近づけた時の影響を調査・研究する。また人の社会に野鳥や動物が影響を与えないための方法や技術・装置等の研究開発も行う。さらに、ここでは手で触れる自然をテ-マに採集さえ許す自然の実践教育の場にする事もできる。単に視聴覚だけの自然教育では、教えられない生命の価値・自然の意義を体験を通して教育できる施設でもある。  
  
 この多目的のサンクチュアリ-で得られた成果、とりわけ人為的な高密度の生態環境の研究結果を発展途上国での極限的な自然環境での「種」の維持に応用出来ないであろうか・・と考えている。純粋の自然環境の維持が困難な状況はいずれ来よう。このような方法も現在では技術的には十分可能であると思われる。  
  
 こんな発想に至ったのは日本人として、国外の自然を食い荒らしながら、国内の自然を聖域にできたと、手放しで喜んではおれぬ気になったからである。また人間が排出するゴミのリサイクルと結び付けたのは、自然破壊の全てが人間社会の膨張に起因するので、例え僅かであっても均衡補償の意味がある。さらに、自然保護が人間社会と共存するためには、例えば動物の食害や糞害など自然と人間の生活圏の接点を円滑にする技術の研究も必要である。  
 そして、手に触れる自然は、自然の意義を身体で理解できる場である。  
 従来のアンタッチャブルな自然の聖域の発想を転換したアディアであるが、このように考えると、もっと多くの可能性もあり得る。例えば、海洋性の鳥類の人工繁殖地とか、都市や工業地帯での自然創造とか、そんな技術論を考えなければならない時代環境にさしかかっているように思う。いつまでも、全てを純粋自然指向では通せない状況だ。物に溢れた自分の生活や周りの社会が、国外の自然を消費した証拠である。  
  
 今は日本人の自然保護活動の大きな分岐点であろう。日本人の視野や倫理観、あるいはこれかたの発想や行動いかんによっては、日本にもやっと根づき始めた自然保護の文化を単なる幻想に終わらせる事にもなろう。