5.神学教授の禅問答

 コンスタンスとフランクのサロンのパ-ティは、別に飲んで歌って踊っている訳ではない。時に誰かがフル-トかギタ-を弾けば、誰かが歌うこともあるし、又気が向けば踊ることもある。また時に誰かが詩の朗読をはじめれば皆、静かに聞き入ることになる。詩の朗読は、とりわけマ-クとコンスタンスが好んだ。学生時代になじんだワ-ズワ-スやキ-ツの詩も、彼等が朗読すると全く新鮮な響きを持つのに驚かされた。時折、彼等はどこからか不思議な詩を掘り出してきては、皆の興味をひきおこした。  
 また、時には芸術や文化、現代文明について論じ合った。そんな議論は私も嫌いではないし、どの顔を見てもそんな議論にはまさにベスト・メンバ-である。一旦始まれば、真夜中すぎて誰かが疲れてダウンするまで大議論を続けたものだ。  
  
 そんな訳で、このパ-ティは私達にとって重要な意味があった。だがいつも同じ場所で3回、4回と重ねると、なぜかマンネリの雰囲気が出てくる。  
 この種のパ-ティは新鮮でなければならない。それに誰かおもしろい人物が見つかると連れてくるので仲間が増え手狭になった。広い空間が必要だ。ピアノも欲しい。皆で探しているうちに、チャンスは向こうからやって来た。  
  
 ダイアン氏の’シアツ’がこのところペル-ジアで名を上げ始めた。いろいろな人が噂を聞いてやって来るらしい。その中の一人に、神学教授のプロフェッソ-レD.がいた。教授からはその後、教えられるところが多かったがここではあえて仮名にしておきたい。  
 65才という教授は、やや猫背だが上背がありガッシリとした体躯で、何かまだエネルギ-がみなぎっているようだ。しかしこのところ神経痛がでるらしい。  
 ある日、教授は指圧を受けながら自分が神学の教授で、今指圧をしている人物がれっきとした禅僧である事に気づいた。神学教授としてアメリカにも15年、世界各地を巡った博学の方だ。だから勿論、仏教を含めた世界の宗教哲学にも精通している。そこでこの若い禅僧と禅問答をやってみる気になった。  
 そんな教授の気まぐれから、ある日の夕方、突然に教授から通訳を頼まれることになった。  
「今日は、むずかしい話しになる。ついては君が英語で通訳してくれ」  
たのまれればしかたがない。その夕べはどうせ暇だし、若干の興味もあった。だから二つ返事で引き受けた。  
 教授の友人宅のサロン。問答は続く。なんとも抽象的だ。通訳などとてもやれはしない。どんな事があっても通訳などを仕事にするものではない。自分の意志や存在などありはしない。ただの翻訳機械だ。私はだんだんイラついてきた。そのうち、話が具象的になり核心に触れるところにきたようだ。  
教授:「ブッダの言う無とは何か?」  
禅僧:「仏教でいう無とは・・・伝伝・・・」  
今度は、教授がイラついた。そんな教科書に書いてあるような解釈などは遠の昔に知っている。  
教授:「では、今日という日における君自身の無とはなにか?」  
禅僧、少々困って更に抽象的な事を言う。主語も述語もあったものではない。こんな時、日本人はよくこんな通訳泣かせの表現をする。だが私がそれなりに直訳すると、教授はますますイラだってきた。そこで私は切り出した。  
「どうです教授!私はマジメな仏教徒ではないけれど、一応日本人だし、それなりに仏教を感じる環境で育ってきた。そんな私の意見ではどうです?」  
教授:「おもしろい。聞かせろ」  
正直言って、私はこんな通訳させられるのはイヤじゃ!通訳など私には向いてない。自分の口では自分の言葉を話す方がいい。ダイアン氏もお疲れのようだからそういう事にした。  
  
 子供の頃、確か父が死んだ頃から私も母に勧められて意味も分からぬまま般若心経を毎日読み続けた。大人になって再び興味をもって、この般若経の意味を解説した本を何冊か読んでみたが、そこに説かれた「無」については釈然としたものを見いだせなかった。この「無」につて、私が自分なりの考えを持つに至ったのにはそれなりに理由がある。この考え方は私の個人的なものである事を断って、話を始めた。  
 先ず私は、自分の家族の写真を取り出して教授に指し示した。  
「これは、私の家族の写真です。これが妻、これが息子、これが娘です。さて、私が妻と結婚する前に、もしも私さえ’Yes’と言えば結婚でき
ただろう女性は少なくとも彼女を含めて3人はいたと思います。従って、私が彼女を妻として選んだ確率は1/3と言えます。ところで、彼女も
結婚前に、彼女さえ’Yes’と言えば結婚できただろう男性は私を含めて少なくとも3人はいたと思われます。だから彼女が夫として私を選んだ
確率は1/3と言えます。そうすると私と彼女が互いに選び合い結婚した確率は1/9になります。組み合わせの確率は、私達に限らず誰でも最低
この程度はあるでしょう。この結婚の組み合わせがなければ、私の息子と娘の顔はこれではない、他の顔と人格を持った他の子供達がここに写っていたでしょう。つまり、この私の子供達がこの世に生まれ存在できた確率は少なくとも1/9である訳です。」  
 
教授は真剣な眼差しで私を見つめ、私は話を続ける。  
「ところで私の両親はどうだったでしょう。私の両親の組み合わせが無ければ、私がこの世に存在できなかったでしょうから、この子達も当然存在し
ない事になるでしょう。だから両親の組み合わせの確率も1/9として、その確率も子供の存在確率に積算しなければなりません。勿論、妻の両親
とて同じですから、その確率1/9もです。従いまして、私の子供たちがこの顔と人格を持った人間として存在できた確率は少なくとも、1/93つまり1/729になります。同様に私の父方の祖父母と母方の祖父母、妻の父方・母方の祖父母の組み合わせ確率も当然、計算に入れなければなりません。すると彼等の存在確率は1/97になります。これは更に祖先に逆上って計算してゆかねばなりません。と申しますのも、私達の祖先のどの組み合わせがなくても、私なり、私の子なりの存在は有り得ません。つまり全ての祖先の組み合わせが一つでも異なっていたとすれば、私自身も私の子供達もこの人格・この人間、この自我・自己意識で存在できなかったはずです。だから全ての祖先の組み合わせの確率を掛け合わせる必要があるのです。そう考えますと私達の個人としての存在確率は1/∞、即ち確率ゼロとなります。」  
 教授は何も言わずに、私を見つめて聞き入ってくれている。通訳をやるより、自分の意見を話す方がずっとラクだし第一、楽しい。だから私はまだ喋り続ける。  
 「私なり私の子なり誰か一人の人間が、その人自身としてこの世に存在する確率がゼロということは、その存在が’ゼロ’即ち’無’であるという事
ではないでしょうか。私という自我・私という人間が、この世に存在する必然性は全くなかった。本来、生まれてくる必然性は何もなかった」  
 私は、今私の個人的な意見を熱心に聞いてくれてる人物が神学の教授である事を思い出した。だから、ここで少しサ-ヴィスする気になった。  
 「だけど、ここに大きな矛盾があります。例えば今、イタリアに5300万
の人が生きているとします。その一人一人のケ-スについて考えてみると誰も皆、その人自身としてこの世に存在する確率はゼロであるのに、現実には確率1で存在しているではありませんか。これは矛盾であります。今ここに5300万の矛盾がある訳です。今、世界中に生きている人々が皆、’私は私である’と自我の意識を持つ限り、その人間の数だけの矛盾が存在する訳です。この矛盾を論理的に証明することは出来ません。この矛盾を説明するには’神’とか’運命’とか、東洋だと’仏のお導き’とかを持って来ざるを得ないと思います」  
 教授は話をするのをとまどった様子で、ただ「インジニエ-レ」とだけ言った。私は彼に自分が一応、技術系の人間である事はまだ話してはいなかったのだが・・・。  
 般若心経には人生もこの世に存在するものも全てが「無」であることは書いてあるが、その「無」の考え方については書いてない。私は事情があって私なりの「無についての考え方」を考える必要があった。私は、私という自我がこの世に存在でき得る確率も、従って今日という日を私が生き今ここで教授と話していられ得る確率も基本的には’ゼロ’、即ち「無」であった筈である、と言うところまでを話している。彼の問に答えるためには後、無」から始まった私の人生の・あるいは今日という日における私なりの「無」の意味を話し続けなければならない。  
  
 「ところで私は、生まれさせられた・・・」と私は言った。日本語では能動態で「生まれる」と表現するが、私が生まれる前には私の意志も自我も無かった。だから「生まれさせられた」という英語の受動態表現の方が正しいと私は常日頃から思っている。  
 「・・・・生まれさせられて後、私に私という自我・自己意識または人間としての自分の感覚知覚が働き始めた時から、’私の人生’は与えられたの
だと思われます。しかも、その与えられる確率は極めて’稀’でゼロに限りなく近い’無’と言ってもよい’カミワザ的’な希少なチャンスとして巡って来ました。  
 さて世の中に価値の基準はいろいろあると思いますが、貴金属にダイヤ、希少なものは一般に価値が高い。希少である程に高い。だけど自分が自分として生まれ・存在する確率は世の中に存在するものの中で最も希少なものだと思います。少なくとも、こんな意味からも私の人生は私にとって最も価値が高いものだと思います。だから、この人生を私として最大限に充実させたいと考えています」  
  
 当たり前の話しをしているだけではある。教授は「それで?・・」と問う。  
  
 「要は、’私’という意識が作用する時間が与えられたのだと思います。これから先、あと何年・あと何時間、私の持ち時間が続くのかは知らない
が・・・・、その与えられた時間軸上での経験の総和、つまり私という自我が個々の時間に世界を経験・認知した事の総計が人生であると先ず考え
てみます」  
  
 「で、人生を充実させるということは?・・」と教授は問う。  
  
 「時間を微分すると瞬間になります。その一瞬一瞬は二度と再現しない。その二度と再現しない一瞬一瞬における経験を積分したものが人生なのだと思う訳ですが、問題はその一瞬に経験できる事は一つしかないという事です。ある一瞬での経験は一つしか選べない。つまりある一瞬での生き方なり行動は一つしか選べないという事が問題なのです。今、ここにいてピアッツア・ロ-マで友人とビ-ルを飲んでいる訳にははいかないし、ここイタリアにいて同じ一瞬に日本にいる訳にはいかない。なにしろ身体は一つしかないのですから。一瞬における経験の選択が一つしか出来ないとすれば、その選択肢が重要になります。何を選ぶか・・・。次の一瞬に何をするか?明日、何をするか?この一年をどう生きるか?その一つしか選べない選択肢が問題であると考えます」  
  
 だいぶ時間が経って気になり始めた。私がしゃべっている事は一度、メラニ-との食事の席で話した事なのでダイアン氏は大体分かると思うが私の一人しゃべりは気の毒だ。だが教授はまだ聞き続ける構えをくずしていない。だから、もう少し一人しゃべりを続けなければならない。「一つしか選べない人生の時間軸上の選択肢も、三つの可能性から一つを選ぶより多分、四つの可能性から一つを選ぶ方が自分の人生をより価値高く充実させる事になるでしょう。また100の事を知って一つを選ぶより、101の事を知って一つを選ぶ方が自分にとって着実な選択ができると思います。勿論、それも正しく知っておく必要がありますが。  
 そもそもこの私という自我を持ってこの世に生まれてきた事をはじめ、いろいろな人や出来事との遭遇・出会いは、自分の意志や努力や能力には
関係なくやってきた。それを運命と呼ぶのか神の意志と言うのか私には分からないが、とにかく人生、半分は運である。その与えられた運・機会・
条件の中で最大限の自己充実をする事だと思うのです。  
  
 そのためには、一つでも多くの事を知りまた本当の事を知る意欲を持ち、一つでも多くの生き方の可能性を持てるよう心掛ける事だと考えています。できれば私も人生の重要な一瞬を見極めるハヤブサのような目を持ち、その瞬間に的確な選択行動をやれる勇気をもたいと思います。  
  
 生きてる間・死の瞬間まで、つまり与えられた時間の中ではできるだけ多くの種類の・より本物の経験をしたいと思っています。できることなら、
一種類の人生を全うするより二種類の人生を、自分に力があるなら三種類の人生を生きてみたいと考えています。そうする事が、もし神がいるなら神への・私を創ってくれた私の父母に対する、あるいは祖先の全ての組み合わせを決めた運命に対する私の感謝の証であろうかと思います。またそうする事が、それら神なり運命なりに対する私の義務ではないかと思っています」  
  
 とうとう一応の話を終えた。教授は何かに感動しているように見えた。もし、私が彼を喜ばす事ができたのだとしたら、私としてもハッピ-な事であ
る。私なりの「無」に基づいた自分なりの生き方については分かってもらえたようだ。後、必要な事があるとすれば今日という日、今という瞬間に私がどう生きているかを分かってもらう事である。  
 「ところで、もうこの時間です。実は、仲間達が上のピアッツア・ロ-マでビ-ルを飲みながら私を待っているはずです。私は行かねばなりません」   
 通訳として約束した時間はとうに過ぎている。もう立ち上がらなければ・・  
  
 「ちょっと、待て!もう少し話そうではないか」  
 教授は立ちかけた私を制して言った。すでに意味がない付き合いなら、他の日本人に言って欲しい。私はどの瞬間も本気で考えているつもりだ。  
  
 挨拶の握手をして急いで立ち去ろうとする私に教授が言った。  
 「この近くのトラスメ-ノ湖の畔に私の別荘がある。どうだ、君がいる間、君達が自由にそこを使えるというのは・・・・」  
  
 パ-ティの場所が手に入った