5.イタリアの幸運:バラツキの右側

 スペイン広場は VENETO 通りの私の事務所から歩いて5分の所だ。このスペイン階段から見るロ-マの風景はいつ来てもよい。とりわけここから見る夕暮れの空は抜群である。  
 ここには寒い時期なら午後から暑い時期なら夕暮れ頃から、若者達がどこからともなく集まってくる。バカンスのシ-ズンならばこの中にヨ-ロッパ各地からやって来た連中が混じり合って不思議な集団が出来上がっている。仕事の後、画材屋などへの通りがけの時々に、大急ぎで上着とネクタイを外してその中に紛れ込む。相手を誰とも問わぬ自由な会話があり、音楽があり、芸術論があり、笑い声があり・・・ここにタムロしている連中はいつもすこぶる健全に思える。  
 このスペイン階段から真っ直ぐに延びる CONDOTTI 通りには、日本の人達がタムロしている。というよりは文字通り「群れている」と言った方が適切な表現であろう。イタリアの有名ブランドのブティック等は、たいていこの通りかこの周辺にある。一般的に日本人は有名ブランドが好きなようだ。CONDOTTI通りに華やぎを与えているブティック業界、イタリアのファッション・ザインが世界的に影響力を持つようになって久しい。デザインの分野では別にファッションに限らず、ID(工業デザイン)から建築・都市設計まであらゆる分野で世界をリ-ドあるいは強烈な影響力を世界に及ぼしている観がある。
 社会的なバラツキが大きいと、とてつもない天才・偉才が育ちやすい土壌があると言える。また、全く新しいもの・イノベイションやインベンション(発明)が生まれやすい風土があると言ってよい。日本のようなバラツキが小さい社会ではこのような天才・偉才や Something-Newは、なかなか生まれにくく育ちにくい。この意味で社会的バラツキが大きいことがイタリアにとって幸運な側面であると言える。昔から現在まで音楽、芸術、文学から社会科学の各分野、さらには基礎科学から各種の応用科学まで天才・偉才が数多く輩出し、またユニ-クな作品・研究・発明が多い。このことは単純にノ-ベル賞の受賞者数を日本と比較するだけで十分理解できる。  
  
 だが、例えば科学技術でいえば、ある研究所で研究者がある斬新な発明なり発見を得たとしても、その結果を応用技術なり製品なり具体的なものとして世の中に出すまでには自分だけでなく、他人の技術や他の分野の技術と組んだり協業せねばならない状況が現在では必ず生ずる。チ-ム・ワ-クというイタリア社会に不利な条件との遭遇は避けては通れない問題かもしれない。ラボ(研究所)では多くの技術の芽がありながら、それが商業生産に至る前に潰れてしまうのは恐らく、現代工業のマルチ化・ハイブリッド化に加えイタリア社会のバラツキ特性が災いしているのではなかろうか。逆に社会的バラツキが小さな日本では、天才・偉才の輩出は少なくても社会環境がマルチ化・ハイブリッド化している事が幸いしているところがあろう。  
  
 この国で天才・偉才の成果を十分に生かし得る範囲や条件とは、彼等が自分の力だけで自分の考えを完成できる分野、あるいは自分の眼が届く範囲内での他との協業で自分の考えを完成できる分野に限られてしまうようだ。この意味でデザインの世界はピッタリと条件に入る。今後は、この成果をマルチ・ハイブリッド構造の中でも手際よく完成できるバラツキが小さな民族たとえばドイツ人などと組み合わせる事も妙案かも知れない。日本人はデザインなどすでに完成された部分とでなけば組まないが、今後は未完の分野で組むことが相互の可能性を生みだすことではないかと思う。