第Ⅲ章 風土や文化  1.人は見かけで

 一般的な印象としてイタリア人はドイツ人が嫌いなようだ。またフランス人に対しても若干の嫌悪感があるところからみると、これは過去の歴史的な背景や集団の力に対するコンプレックスのせいかも知れない。なにせイタリア人はまとまりが悪い。  
  
 だがイタリア人に国内で、例えば家の賃貸や仕事の契約で、イタリア人とドイツ人のどちらを信用するかと問えば必ずドイツ人と答える。外国人でも信用される民族とそうでない民族があるようだ。ことお金が絡む事柄だけに止まらず一般の人間関係や付き合いでもそんなものがあるようだ。  
  
 幸いなことに日本人は信用される側にある。それも別にビジネスマンだからでも駐在員だからでもない。学生なら学生なりに、聖職者なら聖職者なりに・・・である。そして同じ国民のイタリア人をなぜか信用しない。それも例のごとく、同じイタリア人でも南の人達となると信用はもっと落ちてしまう。北の方の都市部では南の××地方出身というだけでアパ-トの借用を断られる事もあるらしい。バラツキが大きな社会ではそれなりに信用できない人・悪い人もいるだろうから、それなりの社会的対応・習慣もあるだろう。だが出身地だけで区別・差別するほど徹底しているならば、社会問題にもなりかねない。
  
 例えば、アパ-トの賃貸に関して「出身地による差別をしてはならない」と言うような法律はまだ聞かないがそのうち出て来るかもしれない。家の賃貸に限らずあらゆる事で「契約」となると、しっこい程に証明や保証人などの確認手続きが必要なのもこの社会の特性と言えるだろう。
  
  
 この国ではヨ-ロッパのどこぞの国のような「人種」に対する偏見は、ほとんど見られないようだ。その代わり、なんとなしに階級意識・階級差別の様なものがあるように感じる。それは必ずしも血筋や家柄と言うようなものではなく、単にお金持ちか貧乏人かの違いのようでもある。人種や家柄という生まれつきどうにもならない条件が関係ないとなれば、貧乏人でもガンバレば社会のトップに登れるチャンスはあるので、この偏見はまだ健康的な部類に属するだろう。  
  
 ロ-マの生活ゾ-ンは階級において東京のそれよりも明確なすみわけが見られる。レストランや商店での対応は服装・身なりでおおいに変わる。気持ち良く食事を楽しみたいと思うなら、それなりにチャンとした身なりで行くのがよい。 よほど顔見知りのレストランでもないかぎり、ジ-ンズやTシャツなんかで行こうものなら人目につきにくい隅っこの居心地悪い席をあてがわれるのは必至である。そういう場所では、そうする事がマナ-でもあるのだが。
  
 空港・警察・役場の窓口・街角の新聞スタンド・・とにかくこの国では、どこにいても人は見掛けが大事。キチンとした扱いを受けたいならば、それなりのキチンとした見掛けを保つこと。できることなら、態度・容貌・顔つきまでも、見掛けがキチンと演出できれば一人前だ。