6.別荘の一夜

 イタリアで一番大きな湖、トラスメ-ノ湖はペル-ジアから20Kmも離れてはいない。  
 その湖畔の丘の斜面を上り詰めたところに教授の別荘はあった。ビアンカは来なかったがクラスの例の仲間達と私のパラッツオの住人達がやって来た。全員で約25名はいる。部屋は10以上あり、ベッドは全員分は無いものの、この季節はシ-ツか毛布が一枚あればどこででも眠れる。広々とした別荘だ。クルミやヘ-ゼルシイの林に囲まれた敷地はちょっとした学校くらいの広さは優にある。それは幾重ものなだらかな起伏のある牧場の丘陵地に連なり、その草原を風が渡って行くのが見える。斜面の西側には広々とトラスメ-ノ湖がひらけている。岸辺には日本と同じように葦原が続き、連絡船が通う島があり、その背後には対岸が見えないほどに湖水の広がりがある。  
 敷地の中を歩きまわると、木の香り・草のにおい・花の香が次々と新たな刺激で鼻孔をくすぐる。ペル-ジアに来て久しぶりの自然回帰に誰もが生き生きとはしゃぎまわっているようだ。  
  
 大所帯でしかも13ヵ国からなる多国籍集団ともなると食事の準備も大騒ぎになる。こんな時にも禅僧ダイアン氏は丸いアタマでコマメに動き廻り実にうまく取り仕切る。おかげで昼食もなんとかマトモにできた。 
 午後のティ-・タイムにむこうのブドウ棚の下のテ-ブルで何やら騒ぎが起こっている。メラニ-とマ-クがやり合っているようだ。まだ「ウサギの
餌」の続きでもやっているのかと近づいて見ると、激論中の二人の間に少年ミ-がキョトンと座っている。ミ-は15才、身体が小さいので10才にし
か見えない。私のパラッツオの住人共有の弟みたいな存在だが、タイの金持ちの放蕩息子で放蕩が過ぎて、せめて好きな絵の勉強にとイタリアに出されたようだ。  
 話を聞いてみると、騒ぎの理由はこうだ。そこで三人はお茶を楽しんでいた時、ミ-が音をたててお茶をすすった。メラニ-は弟のようなミ-にお茶
は音をたてて飲むものではない、とマナ-教育を始めた。そこでマ-クが、  
 「東洋には東洋のマナ-がある」  
 と議論になったようだ。この二人の議論はスザマしい。両親の夫婦ゲンカの間に放り出された子供のようにミ-はただキョトンと座っているだけだ。  
  
 むこうの大きなクルミの木の下、木陰のベンチではフランクがギタ-を弾き、コンスタンス・ユミコ・モニカ・フランチェスカ達がなんとかハモらせ
ようと歌をうたっている。  
  
 そんな午後だった。  
  
 午後遅く、夕立がやって来た。すざましい雨足だったが、地上の埃を洗い流すとピタリと止んで牧場の丘に大きな虹がかかった。夕暮れの頃にはその積乱雲は、はるかアペニン山脈のかなたで色づいていた。そして夕食が終わる頃、大きな丸い月が昇ってきた。  
  
 私達はテラスにピアノを運びだし、皆で歌をうたったりした。皆それなりに楽器をやる。ピアノ・ギタ-・フル-ト・ハ-モニカ・バイオリン・・・
音楽はいい。ただ聴いているよりみんなで一緒にやるのがいい。そうしているうちに、この多国籍集団がず-っと以前からの家族でもあったかのような気になってくる。  
  
 この日の午後に教授が連れてきた日本人のN神父には、その道の人らしからぬ快活さがある。皆が疲れた頃に彼がピアノで弾き始めた月光の曲は絶品だった。満月の光がクルミの木立から抜け出しテラスいっぱいにさしこんできたので、灯を消して彼のピアノを聴いた。曲が終わったちょうどその時、月は一塊の積雲の中に入った。誰かが灯を点けた時、彼はいきなりモダン・ジャズを弾き始めた。少しでもジャズに興味を持った者なら誰もが馴染んだ60年代のヒットを次々に弾き出してゆく。ジャズ・ピアノを弾く神父。聞けば、ディスコにも時々出掛けるとのこと。素晴らしい事である。世俗を離れた宗教者が人を救える筈がない。それでなくとも世の文化はめまぐるしく移り変わっているのだ。彼ならば多くの若者
達の心を救えるに違いない。  
  
 夜だというのに空が青い。こんな夜空、以前にも見た事がある。確か6才か7才の頃、あの時も雨上がりの空だった。青い夜空に積雲がやけに白く、ポツン・ポツンと浮かんでいた。ちょうど今夜のように。  
  
 さて事件は皆が寝静まった頃にやってきた。  
 私はラルフやマ-ク達と裏の納屋で古いソファ-を引っ張り出して眠っていた。と、誰かが私を揺すって起こそうとしている。「起きてよ!ヒサト」
意識の底から、懸命にしがみつくように私を眠りから覚まそうとしている。ラルフもマ-クもいるだろ!あっちに行けヨ。彼等も目覚めないようだ。だんだん意識が覚めてきた。柔らかな女の子のにおい。フランチェスカのようである。朦朧とした意識のまま聞いた。  
 「どうしたの?」  
 「とにかく来てよ」か「助けてよ」か何と言っていたのか分からなかったが、どうやら裸足でかけて来たらしい。「あのオジイサンがしつこいのヨ」こんどは聞き取れた。眼が覚めてしまったのだ。聞いてみると、あの老教授がしつこく彼女を口説いて眠らせてくれないのだという。「まさか・・・・!」  
  
 私は彼女の後についてピッコラ・カメラ(小部屋)に行ってみた。小さなベッドにテ-ブルを挟んでソファ-が二つ。教授はその一つに座っていた。
「ヤア-、インジニエ-レ!まだ起きていたのか」あまりにアッケラカンとした教授の態度と安眠を破られた不快さに少々イラついて、私は言った。
「アンタ、ひどいじゃないか!」その時の気持ちを込めて口語訳すると、こんな口調になっていた筈である。私は続けた。「こんな孫のような小娘を口説くなんて・・・・。それにアンタ、神学の先生だろ?」  
  
 彼は落ちついて語り始めた。  
 「私は彼女と人生について語り合っていた」  
 口説いているなどとは勿論、言わなかった。  
 「君はワシやタカの研究をしていると言ってたな。私も若い頃アフリカにいて、そこでヒョウやライオンを見ていた時代があった。ライオンのオス
は生きてる限り、敵と闘い・獲物を襲い・メスを支配する。死ぬギリギリまでそうする。それが生きると言うことだ。その一つでも出来なくなるともう
生きる資格はない。コロリと死ぬのだ。ところでワシやタカの世界ではどうかな?」  
  
 光線のせいか、この独身の老教授が20才も30才も若く見えた。神経痛もちの老人にはとても見えないキリリッと引き締まった顔に見えた。
まいったナ~。これは確かに一人の人間が生きている時の顔だ。人間60才になれば枯れて落ちつくのが良い、というのはただの固定概念かもしれないし、時に偽りの概念かも知れぬ。  
  
 55才で会社の定年、60才で人間の定年と何も固定的に考えることもあるまい。今や人間社会も円熟してバラツキ(バリエ-ション)も大きくなっ
た。一方で40才で実質老人がいれば、70才で実質青年もあるかもしれぬ。年齢なんて、単に生まれてからの時間を表しているだけではないか。その人の価値や能力、性能を表す指標ではないはずだ。物事を平均的に考え行動することは本人にとっても社会にとっても不幸な事になりそうだ。これからの時代、益々そういう事になりそうだ。  
  
 いま目の前で、彼もこの歳になってもマジメに人生を生きている。神学の教授だ。そのカタチがたまたまこちらのモノサシと違っていたってどういう
事でもなかろう。世の中の現象がかくもダイナミックに変化してゆけば、人の生き方もダイナミックになるはずだ。生きる事に公式はないのかも知れない。与えられた公式をただ、正しく解くだけが、誰かが解いた答えに従うだけが美徳でもなかろう。人の世界は変化している。その公式が間違っていたら私の人生どうしてくれる。神が人生の時間を与えたもうたのだとしたら、与えられた自らの時間を解く自らの公式を自分で考えて生きるのが、神の愛へ応える事ではなかろうか。  
  
 話しているうち、私も何かから解放された。私も自分の人生の時間が許されている限り、できることなら死ぬギリギリまで可能性を追ってみたいものだね。何才になっても「落ちついてたまるか!」  
  
 教授!カッコイイ爺さんだ。二人におやすみを言って、私は自分のねぐらに向かった。彼は暴力をふるうことはしない。フランチェスカも本当にイ
ヤならば、ユミコとモニカが眠っているベッドにもぐり込めばよい。  
  
 夜空はますます青く、地面に木々の梢の影をクッキリと落としながら満月は頭の上にあった。