ル-ジアの中心部の東側に市場がある。その雑踏を通り抜けるとテラッツアという屋外バ-ルがある。日中は閑散としているが、夕方、市場が閉まった後はこの見晴らしが良く風通しのよい屋外バ-ルが昼間の市場と同じように混雑する。それでもコ-ヒ-なり、ビ-ルなり飲みながら、友人と語り合ったり、一人物思いにふけったりするのにもいい。ここからは、遙に東の方向が展望でき、大平原のむこうにアペニン山系の山々やその山麓に点在するいずれも古い歴史をもった集落がかすかに見える。そんな中でひときわ大きく見える集落がアッシジである。聖フランチェスコ(フランシスコ)が生まれ育ち、その物語の場となった町だ。
人生の付録のような、このペル-ジアでの学生生活も残すところ僅かとなった最後の休日にアッシジに行ってみたくなった。バスで40分も乗れば、着く。外側から見ると長い回廊が美しいサンフランチェスコ教会、その礼拝堂にはジョットを始め名の知れた画家のフレスコ画がある。多くの教会のフレスコと同様にここでも「最後の晩餐」は重要なテ-マである。その絵の中で、赤ワインと共にキリストが弟子達に与えるパンに、私は特別な関心がある。
私は物心がついて、それなりに幸せな環境で育ったが、物質的には決して恵まれていたとは思わなかった。だが周りの人達も皆、同じようなものだった。遊びも自分たちで見つけ・工夫して楽しんだし、どんな小さな音楽でも人はいつまでも大切に歌い続けていた。そんな時代環境であったのだ。
時に空腹でもあった。
そんな時、誰かがパンを買ってくれる。今の水準から考えれば、けっしておいしいものではなかった筈だ。それを、時には兄弟で二つに分けた半分のパンを大切に味わって食べた。あの美味しさは今も忘れない。
そして今、私達のまわりにパンは溢れている。今やパンを与えられても人歓びを見い出せない。あの時のパンに較べ何倍もおいしくなっているのに。
パンから導き出せる歓びの量が減っただけではなかろうか。現在、私達の社会は物もサ-ビスも十分行き届き、溢れ返っている。現代の私達の文明、人間の苦しみや痛みを一つでも少なく、歓びや快適さ楽しさを一つでも多く、と科学や技術を努力して発達させ、私達が得たものだ。
だが人間の生理機能や心の機能までは変ってはいないし、変えられない。もしかして、どんなに便利で快適な環境に変えたとしても、私達の心が秤る歓びの量と苦しみの量は変わらないのではなかろうか?だとしたら、あの時のパンのままで良かったのではなかろうか?
「物」を追えばきりがない。手に入れるまでは夢や憧れであったとしても、それを手に入れ瞬間に夢や憧れは消えてしまう。また次の、追い求めるべき夢や憧れを創り出してゆかねばならない。
一体、人はどこまでそんなモノを追い続けるのだろう。
もう十分持っているのに、人はなぜ隣の人と比較してもっと持ちたがるのだろう。
もう十分お金がある人が、なぜまだ「金儲け」にこだわるのだろう。
あのフレスコ画に描かれている、キリストが自らの肉として差し出されているパンの意味は、そんなことだと語られているように思えてならない。
アッシジは古い町である。建物も道も階段も近くの山で切り出した石で造られている。何百年もの間、この路地も広場も風景を変えてはいない。
昼下がり、人通りが絶える時間帯はどの通りも陽の当たる部分と日陰の部分のコントラストが際立ってくる。ア-チ型の門の向こうに広がる大平野、揺れるチェリ-の青葉、白い風景に青い空・・・ここに住んできた何世代もの人々が同じように見続けてきた美しさだ。
どこかでフル-トを吹いている。昔二部の大学生だった頃、夕方に疲れた身体を抱えてキャンパスに着くと、いつも誰かがフル-トの練習をしていた。この曲、’エストレリ-タ’だった。あの時も今も、どんな名奏者のコンサ-トよりも美しい曲に聴こえる。彼か彼女かが練習を止めるまで、この日陰の石段に座り込んで聴かせてもらおう。
また夕暮れが近づいてくる。