夕暮れ時、人々はカルドッチ公園に集まる。そこはこの町の西の端、丘の上のペル-ジアでも一番遠くまで展望がきく場所である。向かいの丘のサン・ドメニコ教会の高い鐘楼がすぐ目の下に見える。幾重もの起伏を丘と呼ぶべきか山と呼ぶべきか、延々とティレニア海の方まで続いている。何よりも夕暮れの空が広々と見えるところがいい。
家族連れや恋人達、子供も老人もペル-ジアの住人だけでなく旅行者も留学生達も皆、この広場でたむろしている。夕暮れはなぜか、人をいろいろな思いにはしらせる。私も夕暮れの空には特別の想いがある。
子供の頃、父は趣味でハンティングをやり、時々カモ撃ちに行っていた。ときたま獲物があってマガモなどを持ち帰ると、見る角度によって色が変わる不思議な青い金属光沢の風切り羽根や首筋を飽きずに眺めまわしたり、またつややかなカモの胸をいつまでも撫でまわしていたものだった。そして、その度に、カモ撃ちに連れて行ってくれとせがんだものだった。
6才の時か7才の時か定かではないが、父はとうとう私をカモ撃ちに連れて行ってくれた。夕暮れ、小さな山を幾つも越えた山の中にある皆が「竜ガ谷」と呼んでいた池のほとりに、父は私を連れて行ってくれた。池の水草が乱れて浮いている。それが昨夜カモが来た証拠だと教えられた。父は木の枝を払い、身を隠す小さなハイド(隠れ場)を作り、その中で私は父の後ろに小さくなって座った。
じ-っと身動きせずに口もきかずに待った。ずいぶん長い長い時間が過ぎていったように思える。カモは待っても来ないこともある。そんな状況で静かに身動きせずに待つ時間は、その歳の子供にとってはあまりに長く感じられるものだと思う。
とうとう私は父に言った。「もう帰ろう」私が退屈していることは父には分っていた。そして父はただ次のことを言った。
「いいかい?あの池の水面に写っている夕空を見ていてごらん」
小枝を重ねたハイドの入口の隙間から見える水面に、夕焼けの空の一部が写っていた。
「あの空を見ていてごらん。どんどん色が移り変わってゆくから」
そう言われてじ-っと眺めた。この位置でこの状況で見れるものといえばただ、それだけだったのだが。
赤いという色も、青いという色もこんなに沢山あるものなのか!、空の、まだ青い部分から、雲が赤く染まっている間の微妙な色の移ろいや、時ともに穏やかに移り変わる色のかたちの美しさを見る楽しみ方を、父は数少ない言葉で教えてくれた。
その時以来、私は夕暮れの空に凝っている。
歓びも美も目の前には沢山ある。見つけ出す気さえあれば・・・。それは、時には昼間の空に浮く雲の形や路傍の野花、足元の落ち葉の網目模様に、空飛ぶ鳥の翼の形に・・あの時以来、見つけ出した歓びの数も増えてきた。さらには音楽の音・リズムや詩の言葉がもつ不思議な色や形さえも追えるようなってきた。工場の中の飛び散る火花や灼熱の鉄の色、設備の形にも美を見い出す事もできる。今、自分なりの美や歓びのカタチを私は楽しむことができる。
この頃、父はすでに60才を過ぎていたはずだ。この言葉はそんな父が私にしてくれた大きな遺産になった。それからもう一つ、やっと物心がつい
た私に父がいつも言い聞かせてくれていた言葉もそうだ。
「私は年だ。いつ死ぬか分からぬ。だからいつでも一人で生きてゆく事を考えているのだよ・・・・」
やがて、本当にそうなった。
夕暮れの空は、何十年経っても私の中で新鮮だ。