第Ⅵ章 レミングはもう移動しない 1.霧の壁

 ロ-マは小さな都市である。その事には最初、気づかなかったがロ-マは建物があるのはせいぜい直径9~10Kmの円状の範囲であり、その外側はすぐに牧草地や田園などの緑地である。都心から郊外まで小さな町・小さな家がダラダラと続く日本の都市風景とは異なり、スッパリとケジメがあるのが
いい。都市周辺の振興住宅地も、当然のように機能と景観が総合的に設計され、そのあたりの美しさに民度の差のようなものを感じる。  
 私の娘が七才で四年ぶりに日本に里帰りし、その時の印象を語ってくれた事がある。  
 「パパ、日本のお空にはクモの巣が一杯」・・  
 はじめ、何の意味だかさっぱり分からなかった。それが日本人の生活圏を埋め尽くす電線の類だと気づくまでには、ずいぶん時間がかかった。人間の感覚とは恐いもので長年そんな環境に慣らされた私の感覚では気づかない。確かに、ヨ-ロッパではどんな小さな町でもこれが無い。ロ-マの建物・居住区を綺麗に感じるのはこんな効果もきいているのかも知れない。そんな違いはこの地で育った子供の目には見えても、その環境に飼い馴らされた目には見えない。  
  
 やや起伏があるそんな田園風景の中を、ロ-マを環状に取り巻く高速道路がある。この道路・Raccordoから放射状に東西南北・イタリア各地に高速道路アウト・ストラ-ダが出ている。逆に見れば、全ての道路はロ-マに続くという言葉がスンナリと理解できる。ロ-マ市街地はともかくも、ここまで来れば、スム-ズに出入りできるのがよい。  
 ロ-マからの車の旅はそう言う訳でいつも、環状自動車道・ラッコルドを廻ることから始まる。ここから北に向かえばフィレンツエを経て更に北に、東はイタリアの背骨・アペニンを越えてアドリア海側へ、西はティレニア海に沿って北上するそれぞれの高速道路につながっている。そして南に向かえばナポリを経てバリ・タラントや、メッシ-ナ海峡を経てシシリ-島の方向へ高速道路は延びている。イタリア国内を縦横にはりめぐらされた高速道路網のおかげで、私はこの国の大部分を走り尽くしている。  
  
 だが地勢・自然環境が多様なイタリアで、自動車道路を高速で走っている時には油断は禁物である。天候・気象の突然の変化に驚かされた事も、度々あった。真夏の雹、想像を絶する大粒の雨、シロッコ(サハラ砂漠から来る黄砂のようなもの)、熱風、濃霧、等々中でも極めつけは、穏やかな晴天の日に出くわした突然の濃霧である。日本人が持つ霧への一般的なイメ-ジでは「だんだん濃くなってゆく霧・・」とか「霧がだんだん晴れてきた・・」というように、霧という自然現象は徐々に推移・変化するものである。  
 ここイタリアに来て私は何度かこの先入観を破って、晴れた場所から突然に濃霧の中に突っ込んだ経験がある。それも高速道路で、である。入口までは晴天だったのに、トンネルを抜けると濃霧であった・・という具合の現象は冬季・北部イタリアでよくおこる。そのために、しばしば大型の交通事故となり報道されているのをよく目にする。予測できないがために、とっさに身の処し方が分からず人々はうろたえてしまう。それも150~160キロの高速で車を運転している最中の事である。  
  
 私の最初の体験は、めったに霧が出るはずのない高速道路2号線で南に向かう途中で出会った。  
 仕事の関係でナポリには頻繁に車で行っているので、この高速道路の事情には精通しているつもりでいた。  
 その日もナポリに向け、ロ-マの環状線ラッコルドを廻り穏やかな晩秋の青空の下をいつものように、その日の風景に合うミュ-ジック・テ-プなどかけて軽快に車を走らせていた。第2次世界大戦の末期、ドイツ軍がたてこもったモンテ・カッシ-ノを通り過ぎたあたりで、前方に、突然、真っ白い壁が道路から立ち上がっているのが見えた。  
 後で思い返せば、高速道路に巨大な氷河か大雪丘が、いきなり横たわっていたようなものだ。なだらかに下る道路は、真っ直ぐにその中に突っ込んでいるのだ。一瞬とまどったような気もするが、すぐさまブレ-キを踏みスピ-ドを落としたが、たちまちのうちに壁の中に突っ込んだ。  
  
 白い闇。スピ-ドを落としながら低速車線側に寄るのが、精一杯である。フラッシャ-・ランプも点ける余裕もなく、ただ2~3メ-トル先を目を剥き出して凝視しながら走り続けた数分間が、すいぶん長い時間に思えた。そしてまた、突然スッポリと白い闇の中から抜け出した。  
  
 まとまりのよい積雲がいきなり地上から湧き上がっているようなものであったのだろう。それはいずれかの谷筋から迫り出してきたのかも知れない。  
 後に飛行機から地上を見下ろした時に、晴天なのに地表の谷筋にピッタリと雲が張り付いているのを何度か見かけたが、そんなものであったのだろう。  
 いずれにせよ、その中で事故に会わなかったのは幸いである。ナポリに着いて、そこで大きな事故が起きた事を聞いた。  
  
 このような想像外の出来事も、それが天候・気象であれ、文化・風土のショックであれ、一二度体験すれば身構え方も分かる。だが、一番最初の時の衝撃は大きい。大惨事はこんな時に起きるのだろう。とりわけ、こちらが高速で突っ走っていればいる程、恐い。  
 さて今の世、我々人類が進んでいる道の先には、もっと恐い霧の壁が立ち塞がっていたりしないだろうか。そこに我々人類は高速で突っ込んで行っているような事はなかろうか。「人類」という言葉を使えば他人事の気がするから、もっと身近に表現すれば、私達の人生の先には私達の予想を越えた現
象・異変、もっと恐い霧の壁が立ち塞がっているのではなかろうか。それに向かって私達は何も知らず高速で突っ走っているのではなかろうか。  
 カモの群もムクドリの群も決して適応できないような環境変化が、すぐそこで待ち構えているような予感がして止まない。