9.夕陽

  その日、私達は南の島にいた。  
  沈む夕陽、だがこの地球で私達が最後に見る夕陽を  
  皆、黙ったまま見つめている。  
  ある者は波打ち際に佇んだまま、ある者は腕組みして岩の上に立って、  
  子供達を中心によりそっている家族、抱き合った恋人達・・・・  
  皆、こころ静かに  
  私達の地球最後の夕陽を見つめている。  
  遠くからなにか音楽のような調べが  
  聞こえてくるような気がする。  
  あれは何か・・・・  
  
  最後の夕陽、  
  明日、誰もこの太陽を見れる者はいない。  
  
 子供の頃から何故かこんな夢をみる。忘れかけた頃、また同じ夢をみる。  
 つい先日も又、同じ夢をみた。このところ、この夢が意味するところなどを真面目に考えてみようかと思いはじめたりしている。  
  
 常々、私ほど幸運な人間はいないと思っている。これまでの人生で戦争もさしたる飢えも経験してない。前大戦後からの社会が発展してゆく過程の直中に生きてきた。過去の歴史の中で、また現在の世界を見てもこれ程平和で民主主義の社会の中で繁栄の過程を経験できた世代はなかろう。個人的にも家族や友人、勤めてる会社や関係する社会などの環境に恵まれてきたと思っている。それもこの幸運の時代に在ったからだと思う。  
 だが、一方で過去の戦争や現在の世界の隅々で、礎になった人達の苦しみや悲しみを省みない事はない。そんな世界が理解できるからこそ自分の幸運を理解できるのであり、できることなら私も未来の人々の平和や幸運と地球全体を美しく残す為の役にたちたいと思うのである。但し、本当に意味有りであるならば・・・・である。  
  
 このところの世界を見るに、どうやら様子がおかしい。これはかって、初めて訪れた無人島で不安定な生態環境を一目見て、ハッと直観した時の感覚に似ている。  
  
 子供の頃、確かに質素な食事をしていた事を覚えている。着る物も遊びも誰もが、何もかも質素であった時代を記憶している。そして誰もがそれなりに不幸でもなく、特別に幸福でもなかった。ちょうど何もかもが揃った、今と同じように・・・・・。  
  
 私達の文明は進歩して、社会も生活も豊かになった。他人の事にも気を配れるゆとりもできた。私達は皆、この地上にいる全ての人々の平和と幸せを願っている。但しその平和と幸せの考え方は、今の世に生きる人間の考え方で・・・・・である。  
  
 文明の進歩は我々の社会を変化させ多様化してきた。気づいてみると私達は世界を見れなくなっていた。世界が見れなくなっていた。それでも今後ももっと多様化するし、その変化の速度はますます速くなる。今、誰の目も、世界の社会の、変化の速さに追いつけない。人類社会の変化が行き着く先を、
人類社会の本当の課題を、誰も見てない。  
  
 美しく人権を説く人も生命倫理を説く人も、人類社会の行き着く先を見ていない。科学者も経済学者も技術者も反戦論者も政治家も経営者も自然保護家も宗教家も・・・そして私も、誰もが人類社会が行き着く先を、行き着く先の全体像を誰も明確には見ていない。  
 だけど人類は進む。誰にもその目先だけは見えている。自己の世界だけは、少なくとも見えている。だから進む。この事がますます世界をもつれさせてゆく。こんな時代、自己の立場だけからもの言うほど楽な事はないし、無責任な事もない。  
 世界を知ろうとする者しない者、努力をする者しない者、現在社会は誰もが同様に権利を有している。  
  
 もしかして、我々の民主主義は失敗するかもしれない。  
 部分最適解の総和は全体の最適解にはならない。いくら自己の世界だけを自分達の世界だけで頑張ってみても、世界を見ていなければその努力が単に徒労、あるいは世に害毒を流すと同じになるかも知れない。今や全ての人々が人類社会の本当の課題・人口と資源消費の指数的増加と地球表面積がもうじき限界である事を認識し、それを基に人間の全ての行動・活動を見直す限界の時にきているのではなかろうか。  
  
 これまでのいかなる美しい論理も行動も、今現在に生きる者達だけの利己的(時代利己)な価値観だ。そんなもので我々の子孫の輝く未来と可能性を、潰してしまう事になりそうだ。人間が平等であると本気で言うのなら、現代人も50年後の人の100年後の人も、地球の下で平等であるべきだろう。  
 世界の変化と多様化をかほどに速く進めているのも我々、この時代この世代に生き合わせた私達だ。その結果、全体に於ける自己の位置も、進むべき正しい方向も見失ってしまったとしても、その失敗が自分の時代に、自分達自身に還元してくる部分についてはまだ救われようもあろう。だが今の失敗の大きなツケはどうやら未来の世代にまわしてしまいそうだ。  
 人類社会がこれほど多様に急激に変化して、それも止められない状況下では、地球・世界の未来を救うのに過去の「知識」は、もはや有効ではないだろう。新たな「知恵」と「思考」が必要である。  
  
 人間も思ったより信用できない。利己的に行動するのが本性らしい。冷戦が終結しても世界から戦争が消える訳ではない。むしろ将来の戦争のネタを今、せっせと仕込んでいるようだ。それも平和主義者や人道主義者の勘違い、思い違いで拍車がかかっている部分も少なくないように私は思う。  
 戦争も同じ時代に生き合わせた者どうしならば、自分達の利害で気の済むまでやり続ければよい。 だが、、50年後、100年後の未来から彼等は戦争を仕掛けてくる事もできない。  
 自然界では、いかなる「種」も種維持のためのメカニズムを持っている。自然生態系維持のメカニズムが機能してきた。今、人類のそれは極めて怪しい。健全なメカニズムに一日も早く治すべきだ。  
  
 今日も人類社会は進んでいる。  
  
 もうじき夕陽が沈む。