7.社会生物学的思考:ステファニアの場合

 ドロミテ山系の西端部とスイス側から伸びてきたアルプス山系が接する当たり、ファザ-ノの谷間を4WD車で上りつめ、それから強風に晒される尾根伝いに2時間歩いた、落差350mの深い谷筋に面した岩棚にGoldenEagle観察用のブラインドはある。吹き上げてくる強風に飛ばされないようにアンカ-・ボルトの他に岩をギッシリと周りに敷きつめている。  
 私は食料や水、防寒具、サブ・ザイルと大型三脚と800mm望遠レンズ等の撮影道具が詰まったアタック・ザックを担いで、息を切らせてたどり着く。  
 繁殖をディスタ-ブしないようブラインドへの出入りは、グル-プでは一応、ワシが動かない日の出前又は日没後との規定を作ってはいる。だが、ロ-マからやって来る外人の私には若干、甘めに規定を運用させてもらっている。  
 ワシが飛んでいないことを岩影から確認して素早くブラインドにもぐり込む。  
  
 「オ-、チャオ!イサ-ト。」一瞬、プンと香水の香がしてステファ-ニアの弾んだ声が耳もとで聞こえた。彼女はこのシ-ズンは、一昨年に私が掛けたこのブラインドで観察を続けている。比較的大きく造ったつもりだが観察スコ-プと撮影用の三脚を開いて二人の大人がはいるには、少々手狭だ。  
 それでもステファニアのような魅力的な女性とならそれも大歓迎だが、昨年は大男のロベルトと組んでマイッテしまった。狭いだけでなく彼の大声と体臭に圧倒されてしまったのだ。実際、強烈な体臭で酸欠で呼吸ができなくなった位だ。あの日私はオナカの調子が悪く、恥ずかしい話しだが、朝から体内にガスが頻繁に発生していた。腹いせに、狭いブラインドの中でその必殺パンチを放ってみたが効果は全く認められなかった。この私としては会心の一撃も、彼の強烈な体臭の前ではあえなくかき消されてしまったのだ。  
 私は彼が発散する強烈なニオイにワシが繁殖を放棄するのではないかと本気で心配した。観察者が自然生態をディスタ-ブする事は大罪だ。と言う訳で苦労して私が造ったこの観察ポストを私はあっさりギヴ・アップしてしまった。ともあれ今年は華麗なステファニアだ。今度は体内にガスが発生しな
いことを私は神に祈って止まない。  
  
 先週、この繁殖ポストで起きた大事件をステファニアが偶然観察した。兄弟殺しがあったのだ。
 自然で生態系の中ではイヌワシ科は通常、繁殖期に2~3卵を産卵する。その卵が何個孵化するか、又孵化したヒナが何羽巣立つかはその時々の状況によって違うようだ。この繁殖ポストでは昨年は2羽の若鳥が巣立った。今年は2卵の産卵があり、幸い2卵とも孵化した。だが孵化後、いつもの年に較べ春が遅く親鳥が捕ってくる餌が例年に較べ少なかったということだ。  
 先週のその日、オスの親鳥が早朝に雷鳥を一羽運んで来た後、雪になり午後まで降りつづいた。孵化後3週間も経てばヒナはかなり大きくなっていて食欲も旺盛だ。前日も天候が悪かった。ヒナ鳥達はかなり飢えていたようだ。  
 その朝、日の出前にブラインドに入ったステファニアは、午後になって二羽の幼鳥のうち先に孵化した身体が大きな兄鳥が、弟鳥を食い殺すところを目撃した。側にいたメスの親鳥は何もしなかったそうである。  
  
 この種の報告は他にも沢山ある。この様な行動を情緒的に見るなら、最近の社会生物学の発見では、これまでに予想だにできなかったショッキングな報告が多い。  
 子殺し、親の蒸発、巣の乗っ取り・・人間の世界でもよくあるではないか。一夫一婦制をとる種の婚外婚・オスの浮気・メスの浮気、離婚、再婚、なんと多彩ではないか。もてるヤツともてないヤツ、もてないヤツの苦労と策略。  
 よく見れば、人の世界も鳥の世界も似たようなものらしい。暗い話題ばかりではない。明るい発見もある。助け合い、子育てを手伝うヘルパ-、養子縁組・・・etc.  
  
 野鳥の行動、動物の行動にもバリエ-ション・バラツキが見えてきた。状況により環境により、彼等とて多様な行動をする。状況や環境が変われば、人間も多様な行動をとらないはずがない。  
  
 そういう意味で今、狭いブラインド内に一緒にいるステファニアこそ、人間社会の新しい環境にあわせた新しい生き方・行動をとっている典型的な人だろう。観察されてるワシの行動も、観察している人の行動も社会生物学的な視点から、私には非常に興味があるのだ。  
  
 ドットレッサ・ステファニア・ロッシは科学者だ。野鳥の研究は私と同じく趣味でボランティア活動をやっている。専門は化学で、今はある化学会社の研究室で有機化学の研究をしている。家庭に事情があって、それまでにはかなり苦労したらしい。自力でイタリアの大学を出た後、ドイツの大学に留学してドクタ-をとった。  
 その名を私も知る化学会社の研究室で、男性研究者達とサシで渡り合っている文字通りのキャリア-・ウ-マンである。彼女は子供を産んで家庭を営む気持ちはさらさら無い。一研究者として人生を送りたいと願っている。  
 彼女には一年の1/3を一緒に生活している恋人がいる。都市部では同棲という生活様式が珍しくもないライフ・スタイルのイタリアだ。  
 彼もある国営系の研究所の生命科学研究室の研究者である。互いに知り合って彼等の人生は変わった。分野は違うが仕事においても人生においても、それぞれの存在が相互に効き合い、内容も質も格段に変わった。もはや生きてゆく上で互いの存在が不可欠なのだという。人生をかけあっているのだという。すでに7~8年経っているらしいので、男と女というより人間どうしの組み合わせなのだろう。
彼等が知り合った時、彼はすでに結婚して家庭を持っていた。彼女は彼の家庭を壊すことは望んではいない。彼は家族もそれまでと変わらず愛し続けている。彼女は、彼の苦悩は自分の苦悩だという。   
 だから、何も変わらず、今もそのままだし、これからも変わらないであろうと言う。前回、このブラインドの中で、ステファニアが語ってくれた話だ。  
  
 この野性生物研究グル-プの人達の関心は、自然の生態や動物の行動だけであり、他人の人生や生活には互いに干渉しないし話題にもしないようだ。  
 メンバ-は年齢・職業は多様であるが皆、大人で紳士・淑女のようだ。だがどこの世界にも例外はあるように、私にステファニアの事を小声で話すジュセッペだけは、そんな彼女の生き方を耐えられない程、認められないという。  
 彼はイタリア中部の地方の町アレッツォからやって来る、敬虔なカソリックの信者である。だから彼の調査の担当が日曜日にかかると、必ず近くの教会でお祈りしてから参加する。他の人のプライバシ-や生き方に関わる、そんな彼の主張をメンバ-の誰もがマトモに聞かないので、異教徒のガイジンの私にまで話してウップンを晴らすつもりか同調を得ようと思ったに違いない。  
 そんな話しを聞かされて直ぐさま、私もステファニアの立場に理解を示して、「彼女がますます美しく見える」と答えると、彼はいかにも汚らわしい者を見るような表情で後ずさりした。そして二度と私には話しかけなくなった。価値観の断絶だ。  
  
 社会が多様化してくると、価値観・倫理観・人生観などいろいろな面でのカルチャ-・ギャップが表面化してくるようだ。  
 人はそれぞれに利己的だ、と言う表現が強過ぎるならば「自己的だ」と改めてもよいのだが、ともあれ受け入れられない価値観・倫理観、相容れない他人の人生観などあるものだ。多様化・社会的バラツキが大きくなる事は、このようなチャンスが増えると言う事を意味する。  
 社会的多様性・バラツキは、地方より社会環境の変化が進んだ都市部の方が当然大きい。だが幸い都市部の方が多様性にみちたインフラを備えている分、必ずしもカルチャ-・ギャップの衝突が多いとは思えない。人それぞれの個性、多様性を許容できる環境と、許容できない環境があるだろう。実質的にも文化的にも・・・。ちょうどリッチな環境の熱帯林が多様なファウナを許容できて、寒帯林ができないように。  
  
 環境や状況によって人の行動・文化も変化する。例えば男と女に関わる文化はどうだろう。日本でも男女が気軽に口をきけない時代・環境もあった。  
 今でも女性が男性に顔さえ見せてはいけない国もある。一般的には社会(環境)にゆとりができると、社会(環境)は行動の多様性を許容できるようになる筈だ。人間の倫理観ほどアテにならないモノはない。時代環境、社会環境により事の本質というものは変化するようだ。  
  
 私の印象ではイタリアの若者達は日本の若者達ほど車を欲しがらない。日本の若者にとっては、車は一種の求愛のディスプレイだ。繁殖期にオスの鳥が羽毛が綺麗に替わり、さかんに囀るのと同じだ。イタリアの若者はその種のディスプレイは必要ない。互いに直接、相手を求め合う。  
 親も教師も、子供達が中学生になるかならぬかの年頃に実践的な避妊方を教えるような文化だが、生態系の効率からみる限り、繁殖期に環境系のムダなエネルギ-浪費がないイタリアの文化の方が正しい。  
 変化が進めば、又それなりにリアクションも生じるようだ。この国に同性愛者が多いのは何故だろう?中学生のエイズ対策を国を挙げて論ずるのもリアクションの類ではなかろうか。  
  
 今後、更に文明・社会環境は大きく変化してゆく。文明の進歩は人々のライフ・スタイルに多様性を与えてくれる。人が求めるライフ・スタイルを実現してくれる。だが社会の多様性が進めば、カルチャ-・ギャップも出てくる。変化の先頭を走る人と変化について行けない人・変化を拒む人・・・・  ギャップは深まるばかりのようだ。  
 過去の知識や努力の蓄積も一夜明ければ何の役にも立たなくなる中で、仕事のやり方、職業をめぐる環境、教育、生活の仕方、あそび方・・・全てにおいて変化が進中で、人々の心の中では大きな葛藤が生まれるだろう。  
 それに対するストレスで予測できない混乱も起こるだろう。麻薬、暴力、犯罪、精神病、自殺・・・etc.  
 新しい宗教や新しい活動が次々に興るだろう。それに伴い新たな対立や憎しみ合いも増えるだろう。  
 人の価値観の多様化で、家庭も核家族が更に進んで独立・断絶家族が生まれるかも知れない。離婚率も一層高まるだろう。社会的にストックができると、家庭はもはや経済単位ではない。  
 これに加え、高齢化・老人化社会や経済力ギャップ等の要素が入れば、人の社会は混乱の極み・・・・という事にややもするとなりそうだ。  
  
 一つの「種」の行動が多様化するという事は、「種」としての力が分散するという事を意味し、「種」全体・社会的には力を失うことだ。  
 勿論、悪いこと・暗いことばかりではない。個人にとっては多様化はいい事だし社会にとってもいいこと・楽しい夢がそれ以上にある筈だ。  
  
 ステファニアの周辺の世界には、すでにストレスやリアクションもあるはずだ。だが、その新しいライフ・スタイルが、時代環境の変化の中で社会の生態的にみて意味有りな大きな成果を産み出すように思えてならない。彼女の生き方は、社会生物学のどんな発見よりも示唆的だ。私は、すぐ側にいるステファニアの横顔とブラインドの外を優雅に飛ぶGoldenEagleとを交互に見ながら、社会生物学の新たな発見をハダで感じているところである。