6.イタリアの悲劇:バラツキの左側

 バラツキが大きな社会では、いい側にはムチャクチャにいい者が傑出するが悪い側にはこれ又ムチャクチャに悪い者が出てくる。  
 中央部や北部のイタリア人とのパ-ティの席で何度も聞かされた小話がある。「もし、神様が私に三つの願いをかなえてあげると言ったなら・・・・先ずシシリ-島を沈めてもらう。二つ目のお願いは、一日たってもう一度シシリ-島を揚げてもらう。そして三つ目のお願いは、それから三日たった後に再度シシリ-島を沈めてもらう。」というものだ。この小話の意味は最初にシシリ-島を沈めた時にシシリ-のマフィアを一掃できる。次に一旦シシリ-島を引き揚げればアメリカや世界各地に散らばっているマフィア達が一族の葬儀のために戻って来る。三日たって皆マフィアが揃った頃、もう一度島を沈めて世界中のマフィアを一掃してもらう・・・というものだ。この小話の中には一般のイタリア人のマフィアに対する憎しみとマフィア一掃への切実な願望が秘められている。  
 どの時代どの社会にも悪いヤツラはいた。最も平和な時代や社会にも必ずいる。あたかもヒト科動物の社会生態系には必要な生態機能でもあるかのように、悪い奴らはいたし今後もいるであろう。何が悪で誰が悪いヤツラであるかという定義を考え始めたりすると意味が深くなってはくるが、どのような考証を重ねたとしても明らかに際立った「悪」はマフィアであろう。  
  
 一般にマフィアと言う呼び名はシシリ-島のマフィアを指すようであり、その呼び名は地方により異なる。それに本家シシリ-では彼等自身はマフィアとは自称せず”Cosa Nostra ”(「我々のこと」という意味)と言っているようだ。シシリ-島の対岸のカラブリア地方のマフィアはンドランゲ-タと呼ばれナポリがあるカンパ-ニア地方のマフィアはカモッラと呼ばれている。彼等に共通的な悪業の他にそれぞれ異なった専門もあるようで、例えばカラブリアのンドランゲ-タは誘拐が得意とか、カンパ-ニアのカモッラは××の密輸を専門にやっているとかいうのがあるようだ。だが中でも最も過激なのは元祖シシリ-のマフィアである。彼等の組織は国際的であり、時代時代で最も付加価値が高い悪業を行っている。マフィアとて本来チ-ム・ワ-クが不得手なイタリア人であるはずだが、皮肉なことにこの一群だけは実にチ-ム・ワ-クよく組織的な活動をしている。このチ-ム・ワ-ク、組織力の根源は彼等の「仲間のル-ルを守らぬ者は殺す」という暗黙の掟にあるようだ。この強力な組織力のもとに彼等は時代時代の金の匂いをかぎ分けてある時は麻薬に密輸に、またある時は土地や事業の利権にとマフィア・ビジネスを見事に展開している。現在の彼等のビッグ・ビジネスは例の南部開発の膨大な公共投資にあるらしい。累積額でみるならば、とうの昔に地域住民が一人残らず裕福になっている程の金が「まるで砂が水を吸うがごとく」消え去っているという分析もある。彼等は今や政治と癒着するまでに社会的な地位を向上してるらしい。  
 彼等の悪の極みは、人を平気でみさかいなく殺すことではないかと思う。もっとも彼等にしてみれば理由もなくみさかいなく殺しているのではない。そこには、「自分たちにとって都合がわるい」とか「自分たちの言うことに従わない」とか彼等にとっては、れっきとした理由はある。その理由のためにある人を殺すのにたまたま関係ない人が巻き添えになるだけの事なのである。彼等の殺しはあまりにも過激でまた陰湿である。家ごと爆破したり白昼目抜き通りでマシンガンを乱射したりする。そこは戦場ではない。平和の時代の普通の市街地だ。それもマフィアどうしの抗争や仲間うちの闘争ならまだしも、言いなりにならない強請の相手や取締りの警察や裁判官が殺しの対象なのである。人を殺すにおいて殆ど人間としての心も情も見当たらぬこの人達の行為は、「人」とは別種の動物の行動に見えたりする。  
 ”Cosa Nostra” (我々のこと)の殺しの掟、自らのル-ル・価値観で彼等が勝手に別世界で生きてくれれば何の問題もないが、その存在が健全な社会への暴力的寄生を前提にしているところに病的なところがある。これはこの地域特有の一種の文化や習慣の類であるというイタリア人もいる。だから、あるマフィアを退治しても自然に次のマフィアが発生するのだと彼はいう。  
 平和の時代の文明国と言われる社会の中でそのような文化や習慣があるとすれば極めて異常な現象と思わなければならない。シシリ-という地域の環境とそこに住む人間の文化や風土が作用しあい、マフィア的な人間を一定の割合で産出するというような特殊な生態学的状況が、もしかして存在するかも知れない。  
  
 バラツキが大きな社会の左の端には社会を悲劇的にする程の悪党がいた。だが、その反対側の右の端には社会的バラツキが小さい日本人には想像だにできない英雄もいる。この危険きわまるマフィアあいてに堂々シシリ-にのり込み命を張って対峙した勇敢な人達もいた。警察官、司法官、軍指揮官、その多くがマフィアの卑劣なワナで命をおとした。そして今も単身、シシリ-に乗り込み、正面からマフィアと堂々と戦っている英雄もいる。司法官のファルコ-ネ判事である。この国では天才も偉才もそして英雄も生まれる。日本ではせいぜい劇画マンガでしか見たことのないような英雄が、勇気と英知にみちた本物の英雄がこの国には現実にいる。この不思議なバランスを日本人にはどれだけ理解できるだろうか。  
  
 (ファルコ-ネ判事は、私が帰国後’92年5月23日シシリ-・パレルモでマフィアに暗殺された。車内の家族と護衛の警官ともども橋に仕掛けた爆弾で吹き飛ばされた。オメ-タチ人間じゃあない。)