4.女神のスポ-ツ・カ-

 ニコシア・エマヌエル、かっこいい男だ。今は独立しているが、ピニファリ-ナ時代にフェラ-リ・テスタ・ロッサやアルファロメオ164などの車をデザインした男だと知ったら、ナミの女性ならコロリといくかも知れない。  
 その彼が「マンマミア!マンマミア!(なんてこった!)」と妙に興奮して横で話し込んでいたアンナ・ビスコンティと木村由実子の方に向き直った。  
 ここトリノのレストラン’DellaRocca’で、実は私達は亡霊の話をしていたのだ。私がかって日本で体験した亡霊と、彼が少年時代に見た亡霊とは、なんと雰囲気が違う事か。世界が違えば亡霊までこんなにも違うのか・・という発見に互いに驚きあっていたのだ。まず情景の湿度感覚が違う、色彩感覚が違う。そのうち時間ができたら、こんな亡霊の研究でもしようか!  
  
 アンナ・ビスコンティ、彼女はモ-タ-・ボ-トやドイツ国鉄の車両などのデザインを手掛けてきた女性デザイナ-でデザイン事務所のオ-ナ-だ。  
 私達はサロンを作って時々こうして会っているが、話はしばしばヘンテコリンな方向に走って行く事がある。  
 このグル-プは次世代の車を考えている私的な集まりであるが、時にはブラッセルあたりから、日本の自動車メ-カ-のデザイナ-やエンジニアが加わる事もある。そう言えばなんとなく仕事じみたニオイもする。実際、私の会社は総合素材メ-カ-であり、自動車産業は大きなお得意様だ。だが、このグル-プのメンバ-は皆、それなりになんらかの芸術家なりその理解者で、個展や共同展への出品もほどほどにやっている人達だ。こんなところで出来上がった人間関係は、仕事やその他の利害に関係なく、互いの信頼とか尊敬とかでタイトな絆のようなものが出来上がるものだ。互いに言いたいことを自由に話し合える間柄になった。  
 このサロンの発端はトリノのモ-タ-・ショウ/サロ-ネである。トリノはイタリアの機械工業の中心地でフィアットをはじめ多くの自動車産業とそ
の関連企業がこの地に集中している。そんな背景からこのモ-タ-・ショウの歴史は長い。  
  
 今度のモ-タ-・ショウでの話題は日本のあるメ-カ-のオ-ル・アルミ車体のスポ-ツ・カ-だった。
  
 環境問題、とりわけ自動車の排気ガスによる大気汚染の問題が世界中で認識されはじめた。エンジンの空燃比の改善や触媒による有害成分の除去など多くの新技術が各社から提案されている。車体のオ-ル・アルミ化は軽量化による燃費の向上を目指したものである。燃費の向上で相対的に有害成分の排出量の減少が図れる。車体の軽量化は今、ブ-ムである。  
  
 このサロ-ネを見た後で私達は集まった。その日の話題は当然、オ-ル・アルミの省エネ・カ-になった。この日ばかりは展示されたモデル車のデザインそのものより、そのコンセプトに議論は集中した。軽量化┳省エネ┳地球環境・・という図式から、製造コストや加工性・デザイン性、ユ-ザ-の使い勝ってまで議論は続く。私も素材メ-カ-の一応技術屋として、このような話題には興味がある。議論はコストがかかっても軽い車は地球環境・省エネに良いことで、今後の車はそう在るべきだという今風の結論でまとまりかかった。その一段落したところで、それまで黙って話を聞いていた木村由実子がポツンと口を開いた。  
  
 私は彼女を通じてこのグル-プと知り合った。彼女はデザイナ-である。  
 イタリアでいくつかのファッション・ブランドも生産ラインに乗せたし、又ID(工業デザイン)でも、Abitare誌等にも紹介されたユニ-クな作品も幾つか出している。ワシ・タカの造形やグラフィックス・ア-トを制作しているだけではない。そんな彼女が何を言い出すか、私達は注目した。  
  
 「あなた方は車が走っている事ばかりを考えている。車を造る時や車の素材にコストがかかるという事は、そこでもエネルギ-やいろんな資源を消費しているという事ではないの?もしそうだとしたら、素材や車を造る過程で使用するエネルギ-のCO2はどうなるの?」  
私、「・・・・・・・・」  
 私が言うべき発言であった。気がつかなかった。  
 確かにアルミは鉄などのそれまでの素材に較べ、精錬にも加工にもエネルギ-がかかる。それに車が出来上がるまでの途中の工程の歩留りロスを考えれば、もっと大きいかも知れない。そうだとすれば、車が走っている時の省エネ効果と車が出来上がるまでのエネルギ-消費の比較で考えるべきではないか・・・。おっしゃる通り!  
 「それに・・」と彼女は続けた。「軽い車を造っても、その車の一生でどの位の距離を走るかが問題だよネ。私はこんな車を考えていたの・・・」と、誰もが思いもかけなかったコンセプトを語り始めた。  
  
 一台の車がセダン、コマ-シャル・バン、スポ-ティ・セダン等に変態する。即ち、一台の車で異なる機能の車、3台分の役割を果たす車を造る、ということである。幾つかの機構は必要だが車のカタチを自由に変え、それぞれどのカタチであってもスタイル的にも機能的にも素晴らしいデザインをデザイナ-がする。  
 一台三役だから車が出来るまでのエネルギ-は相対的に1/3、走行距離が三倍延びると考えれば車一台の資源効果は三倍になるという訳だ。  
 また今後、都市空間は相対的にだんだん狭くなってゆく。道路も駐車場も例外ではない。この意味からも一台三役の車は良いと、彼女は言う。ここにも彼女の狭空間デザインのコンセプトが働いているようだ。その考え方にはもっと広いものがあるのだが・・・。  
 「デザイナ-も地球環境問題に具体的に寄与できる。例えば、こんな企画を考えてみるのもデザイナ-の役割ではないかと思うが・・・」と皆に問うた。  
 ニコシア&アンナ「・・・・・・」  
  
 それから3ヵ月くらい過ぎて、彼女はいくつかのパ-スを私達に見せてくれたが、その車のスタイリングは特徴あるものだった。先ずフロントガラス
が非常に大きい。次に,フロント・シ-トに較べ後ろのシ-トがフロアごと20cm程、なぜかしら高い。  
 車について彼女は、基本的に人間が楽しむ要素が要るのだという。大切なことだ。車の楽しみの基本は外の景色を見る事だという。それも人間の本能として進行方向、即ち前方の風景を見る事が重要なのだと言う。後ろのシ-トの人もその楽しむ権利を得られるように、後ろの席を20cm程高くして前の席に座る人の頭越しに前方が見えるように彼女はデザインした。  
 確かに私も家族でドライヴに出掛けると、後ろの席の子供達は全席シ-トの間から顔を出して、前方を見たがっている。  
 また後ろのフロア・レベルが20cm高いと、後ろの席など使用しない時にシ-トをフロアに押し込んで収納できる。フル・フラットのフロア-が出
来、コマ-シャル・バンには最適だ。このハイ・フロアや後ろのトランク周辺の機能とスペ-スを利用して、車種を変態させるためのアイデアが一杯に詰まったデザインだった。  
  
 彼女のアイデアを詳細に書く訳にはゆくまい。かつて、彼女のデザインが日本人にも名の知れたデザイン・グル-プに盗作された事があった。当時、ミラノにいた大手商社の何人かもこの事件は覚えているようだ。今度もそんな事がないように、この辺りで止めておこう。  
  
 この彼女の提案は今の自動車メ-カ-には受け入れられる筈はない、と仲間は言う。どんなにいいコンセプトであっても、車の売上が1/3になるような、自らの存在を危ぶませる選択はできないのだと。当然であろう。  
 だが、その事が地球環境問題の本質的な課題を顕示しているような気がする。もっとも、このような考え方は車に限った事ではない。現代生活で私達が資源やエネルギ-を使用する全ての分野で同じようなコンセプトの再設計は考えられるし、また同じような本質的な課題がある事だろう。  
  
 彼女の提案はまた、素材技術や加工技術への大きな問題提起であったし、またデザイナ-にも大きなインパクトであったに違いない。とりわけ、車のヒット・モデルを創ってきたニコシア・エマヌエルにとっては・・・。  
 彼は本当にカッコいい男だ。ナミの女性ならコロリと参ってしまいそうな魅力を内外ともに秘めている。だが、ここでコロリと参ったのは彼の方だっ
た。  
 もっとも神話を語る巫女は、古代から魅力溢れるパ-ソナリティを持っているのが相場ではあるが・・・・・