4.地位より中身

 その昔、私がもっと若く独身でもっとスマ-トだった時代、南部イタリアTARANTO の国営製鉄所の技術協力ミッションに通訳として参加していたことがある。実はこの時、初めてイタリアやヨ-ロッパに触れたのである。  
 日本ではチヤホヤされ、もてていた技術通訳もこちらの世界ではそれほど存在価値が高くはない仕事だとその時はじめて知った。出稼ぎなどでヨ-ロッパの各国を渡り歩き、2~3ケ国語を話せる人などザラにいるのだ。  
 あの事もこの事も、日本での常識が次々に壊されてゆくのが新鮮で、この時のショックは自分の思考の窓を開くのに大いに役立った。  
  
 その頃、TARANTO の国営製鉄所はまだ建設期で、日本だけでなくアメリカ、イギリス、西ドイツ、フランス、ベルギ-、ソ連、ル-マニア等々、いろんな国の技術者達が集まっていた。昼食時のメンサ(工場内食堂)には建設現場独特の活力といろんな人種の活気と言葉が混じり合い、ムンムンとむせかえるような熱気があふれていた。その中で知り合った人達を通して垣間見た当時の東欧世界の本当の姿は今になってやっと理解できる。  
  
 さて私達のミッションの任務は、ある工場設備の建設に技術的なアドバイスを与えることであった。建設工事は例のごとく紆余曲折して遅々として進まず、当初3ケ月だった滞在スケジュ-ルも6ケ月、7ケ月と延長されていった。日本人は他民族に較べ、このような状況により敏感に反応しやすいようだ。そしてイラツキを感じ始める。それでも休日は皆そろってゴルフに出かけたり、マ-ジャンしたり旅行に出掛けたりそれなりに対処の方法を考えだす。ゴルフもマ-ジャンも出来ない私も私なりに、この降って湧いた付録のような時間を利用して新たな企てなりチャレンジなり試みたりする。なにしろ、そこにいて知らない事が多すぎた。知りたい事が多すぎた。  
  
 イタリア会社の人達も私達の生活にいろいろとアドバイスをしてくれた。  
 だが、日本人が自分の会社に来た外国人に、土日の休日をつぶしてサ-ビスするような事はめったになかった。彼等にとっての基本は、休日は家族と自分自身のためにある。  
 そんな中で私達の建設プロジェクトのイタリア側のボスが私を時々、家に食事に招待してくれたり、休日にドライブやピクニックに誘ってくれたりしてくれた。彼、Russo 氏の幅広い見識や、彼の家族や友人達はては親類の人達との交流を通して私の思考の窓は大きく開かれていったように思える。  
  
 町の祭りや娘の誕生日とかで何度かたて続けに招待されたある日、私のミッションのボスが言った。「ワシがこのチ-ムの責任者だ。彼の家に君だけが招待されるのはおかしい。本来ならワシが招待されてしかるべきではないか。」と・・・。なるほど、それもそうか、と私も思った。日本では確かに
そうだった。職場の序列は社会の序列。 そこで次に食事に誘われた時に、さっそく私のボスの提案をそれとなく告げてみた。「今度は彼を誘っては下さるまいか?」  
  
 彼は本当に驚いたようすで目を見開いて、そしてオヤオヤという様な表情をして肩をすくめた。私はその時の彼の表情をなぜかハッキリと覚えている。「なぜだ?」と彼は言った。「家には家族がいて、友人が来るところだ。あそこでは、仕事の話はしない。あそこでは、君が知ってのとおり、互いの人生について考え合うところだ。文学とか美術とか文化について語り合う所だ。」さらにもう一度、彼は明確に言った。「彼とは仕事の話を会社で十分している。彼とは仕事以外の話は何も語れない。」  
  
 私は自分のボスに説明するのは止めにした。