4.パラッツオの間借り人達

 私が部屋を借りたパラッツオの住人達もクラスメイトにも増して多国籍、かつ多彩である。  
 とりわけユニ-クな存在はなんと言っても日本人のお坊様である。れっきとした仏門の、頭を丸めたお坊様である。なんで!こんなところにお坊様がいなければならないのヨ!と最初に思った。名をダイアンと呼ぶ。ある禅系の宗派の僧で、宗教交流のようなものでカソリックの修道院に座禅の指導に来てるのだそうだ。その前にここで数カ月イタリア語を勉強しているとの事である。この若い僧が実に多能な人だ。本職の他に、ズングリ・ガッシリした体躯で空手三段、合気道四段、指圧もできれば料理もできる。  
 この人を知るなり私はすぐさま、共生を決め込んだ。このパラッツオでは自炊である。つまり食事の材料は全て私が準備する(といっても結局は彼が買い出しに出掛けることが多かったが)、で彼が料理する。  
 もっとも私も自分で料理できない訳ではない。10才の頃から鳥も魚も自分でおろせるし、どんな料理も基本位は知ってるつもりである。だが彼の腕はプロ並みだ。彼が語る娑婆での板前アルバイト、僧坊での厨房暦の長さは料理を見れば分かる。  
 この共生に要するコストは、1週間3食・夕食はワインかビ-ル付きのフル・コ-スで約一万円である。実はこの後、我々に寄生するドイツ人の女傑メラニ-と三人分のフル・コストである。  
  
 メラニ-が現れた!ある日の午後、けたたましい叫び声で午睡を破られた。隣の空き部屋に誰かが入るようだ。大家の嫁(これが有名なドケチなのだが)とネゴの真っ最中の模様だ。そのうち、取っ組み合いの大喧嘩にでもなるのではないかと思われる程、けたたましい。耳をそばだてずとも両者の言い分は聞いてとれる。どうやら大家の嫁が降りるらしい。あのドケチを下す者ははたしてどんな姿か?  
 しばらくして落ち着いたところで廊下を覗いて見ようとドアを開けて顔を出したところ、廊下に出てきた彼女の顔とバッタリ、ハチ合わせの状態になってしまった。「ハ-イ!」薄暗い逆光の廊下での第一印象は、ハダシのベ-ト-ベンであった。どうやら女性であるらしいが、これはカナリの者だ。  
 いきなり、メンサ(学食)はどこだ!と、襟首でも掴み上げられそうな勢いで問われたので、ハイハイと丁寧に道筋を教えて上げた。  
 ちょうどダイアン氏と食事を始めようとした時、それは再び戻ってきた。今日、ペル-ジアに着いたのだ。旅の疲れかコ-フンしているようだ。  
 「メンサは休みじゃないか!」  
 「そんなことオレ知らない!」  
 「じゃ、どこで食事すればいいのヨ」  
 「そこいらにレストラン、たくさんあるよ」  
 「冗談じゃないワヨ。私の食事代、日に2000リラの予定で来ているのヨ」  
 「オレの知ったことか!」  
 「だって大学の案内にそう書いてあるのヨ!どうしてくれるのヨォ~」  
 「オレは大学当局とは関係ない。ただの通りすがりの学生だ」  
 という風な激しいやりとりをやっている内に、当方はもう疲れた。肉食人種のコ-カソイドに草食人種のモンゴロイドは基本的にはかなわない。  
 「オレ達のメシ食うか?」  
 彼女は我々のテ-ブルを一瞥して、  
 「食べる!だからシャワ-する間、ちょとの間だけ待って」と言い残し部屋から消えた。この’ちょっとの間’が長かった。なにしろ午睡は破られるし、空腹なのに食事を待たされるし、それに・・・’だから’じゃないだろ!’待って’とは何だ!  
 ダイアン氏は基本的に優しいお坊様だ。ただニコニコと待ってあげる。人間、若くしても修行を積めばこうなれるのかも知れない。  
  
 やっと、彼女は入ってきた。’オ-、美人なのだ’シャワ-をとりスカ-トなんかに着替えた姿を明るい所で見てみると、なかなか理知的な美しい顔立ちをしている。だがなぜかハダシだ。  
 食事は静かに始まった。ダイアン氏は気をきかせて、フォ-クとナイフを準備したが上手に箸を使う。食事中の姿は人の生まれや育ちを如実に表すものだ。それまでの彼女へのイメ-ジが一変した。ワインなど飲みながら、やがて互いを語り始めた。  
  
 彼女はベルリン大学で美術史(当然、西洋美術史)専攻の学生で、例のごとく一年休学して当地でバイトしながらルネッサンス美術史の研究をするつもりだとのこと。語学研修の間はバイトも出来ないので、手持ちの予算でなんとかもたせる必要がある。そこにメンサの2週間の夏休みは困るのだそうだ。「この食事、おいしいし・・・・」と彼女は言った。毎日2000リラ(約200円)払うから、一緒に食べさせてくれと言う。「ネ!お願い!」  
 悪い人ではなさそうだし楽しそうでもあるので食事の仲間に入れる事にした。  
  
 それからの三人の食事風景だけを書いても一冊の本になる程、食事の時間は内容の濃いものになった。勿論、彼女にとってもだ。なにしろ、その後の一ヵ月半、三人で食事をする間に彼女は西洋美術から東洋美術に専攻を変更する事になったのだから。人の人生の多くの部分が偶然で成り立っていると私は思っている。メンサが2週間休みであったばかりに、彼女の人生は変わってしまった。というのはその後、彼女は約3年間、日本の大学に留学して平安時代の日本美術を専攻した。日本語は、読み書き会話の全てがパ-フェクトであるばかりでなく、古文さえも読める。今はハイデルベルグかどこかの大学で日本美術史を教えているらしい。  
  
 食事の時以外も、彼女は私達を決して退屈させはしなかった。話題は豊富だし大声でカラカラと笑う。彼女はペル-ジアの町で沢山の騒ぎを作った。  
 教会の閉門の時間を知らず閉じ込められて、助けを呼ぶために鐘楼の大鐘を打ち鳴らしたり、彼女の名誉のために書けない事も沢山ある。  
 食事に関しては、そんな訳で私たちを楽しませ、また彼女は後片付けを担当する事になり、「寄生」の関係ではなくなった。多くのキャリア-・ウイミンがそうであるように、メラニ-も炊事・家事の類は全くダメのようだ。  
 ある日、彼女が食事の準備をしたいと申し出た。私達は、よせよと止めたが彼女のプライドか何かがそう仕向けたらしい。前日から大騒ぎをして材料を揃え、時間をかけた割にはシンプル過ぎる料理であった。それもとても食べられるシロモノではなかった。要は具が沢山入ったコ-ン・フレイクスのようなモノである。クルミ、松の実、その他のナッツと何種類かの野菜と果物等をチップスにしてミルクをかけて混ぜ合わしたモノである。それでもちゃ-んと料理に名がついていた。スプ-ンで一口入れた瞬間にその名を忘れてしまった。  
 たまたま居合わせたイギリス人のマ-クでさえ「これじゃウサギのエサだ」とスプ-ンを投げ出してしまう始末。マ-クとメラニ-が取っ組み合いのケンカになるのを制止するのに一苦労・・・・。それにしてもダイアン氏は人間ができた僧だ。あたかも座禅の時のように眉も動かさずに無念・無想で食べ続けた。”心頭滅却すれば、火もまた涼し”だがこの禅僧とて、メラニ-からの料理の申し出は二度と受けなかった。  
  
 メラニ-の姉がドイツから尋ねてきた時、彼女の家庭が高名な医者の家系であることを知った。どうやらこの家、裕福であっても20才になると自律的にさせるらしい。これも文化というか民族性というか、30才過ぎても男が自立できない、何処かのにわか成り金の国風とは違うようだ。英語もフランス語も話し、イタリア語もほどほどに話す、頭脳明晰にして行動的。それなりの人格と美貌と出るところにでれば身のこなしさえも豹変する若い女性メラニ-、大きく人生やってゆけそうだ。  
 もう一つ、将来の活動する女性の生き方を指し示すような、すばらしい特性を彼女は持っている。彼女は全ての理想を実行する。この事については、まだ日本との文化ギャップがあまりに大きいので書くのは避けよう。彼女のつまらぬ誤解を避けるため。  
  
 このパラッツオの住人は、この共生・寄生関係だけでなく、他にも楽しい連中がいる。なにしろ多国籍長屋のような所だから話題には困らない。