4.アルファ・ロメオ

 日本のある工業ミッションのアテンドで、ミラノ近郊の町バレ-ゼに在るアルファ・ロメオの自動車工場を訪問する機会があった。先進自由世界ではもはや希少的存在になったこの国営系自動車会社(’86年当時)の広報担当のマネジャ-は北の出身らしく、アンソニ-・パ-キンスに似たイタリア人らしからぬ物憂げな涼しい眼とマスクをしていた。幸い日本のミッションのメンバ-には自動車関係の人はいない。彼はアルファ・ロメオ社の栄え或る歴史について淡々と語り始めた。確かに栄光の歴史があった。とりわけ両大戦の間、レ-シング・カ-から航空機エンジンまで、性能・デザインともに世界をリ-ドした時代があった。そして現在も、少なくともイタリアではフィアットとマ-ケットを二分している。  
 そのアッセンブリ-・ライン(組み立てライン)を見せてもらった。私も一応、工場の管理や経営をみるコンサルタントを生業にしている。この仕事で評判を得るコツは、短時間で問題の本質を着実に掴むことである。いつも同じ分野の工場や会社を見ていれば、相互の比較でそれなりに問題は読み取れる。だが、私のようにいつも違った種類の工場や会社をみる者はそれなりにノウハウなり工夫なりが必要である。私の場合、コンサルタントとしての最初の直観的な部分は工場なり会社なりを生態学的視点で見ることである。これで過去の的中率はけっこう高い。私は生業とは別に、無人島の生態を数多く見てきた。だから島を一目みれば、相互の比較で生態的な問題点なり安定度なりを読み取れる。工場や会社の営みにも生態系の営みに似たようなものがある。物や人の動き、工程間のバランス、動きのリズム等々、健全な生態系や健全な生産ラインにはそれなりに共通した美があるものだ。  
  
 このアルファ・ロメオの工場のアッセンブリ-・ラインの場合、もちろん日本の自動化が高度に進んだ工場との比較は別にして、その種の美があまり感じられない。アッセンブリ-・ラインは典型的な組作業である。つまりイタリア人が苦手なチ-ム・ワ-クが高度に要求される典型的な事例なのである。  
 ベルト・コンベア-の上で車を組み立てるアッセンブリ-・ライン上には、一定の間隔毎にそれぞれのパ-ツを取り付けるワ-ク・ポストがあり、ラインが一定の短時間、停止している間にライン上の全てのワ-ク・ポストのワ-カ-が一斉にパ-ツ取り付け作業をする。つまり、短時間にライン上のワ-カ-全員がピッタリ呼吸を合わせて一斉にそれぞれの作業をし終えるというチ-ム・ワ-クである。もしこのラインで誰か一人でも作業が遅れれば、コンベア・ラインを動かすタイミングが遅れ全体が遅れる事になる。  
  
 仮にこの工場のワ-カ-達の特性がイタリア人の一般特性と変わらずバラツキが大きな社会であるならば、このラインは生産性にも製品の品質にも問題が出てくるはずである。つまり、マジメな人とそうでない人、ル-ルを守る人と守らない人、技能レベルが高い人と低い人、等々のバラツキが大きいならばコンベア・ライン上のチ-ム・ワ-クはうまくゆかない。誰か一人の作業の遅れで全体の生産性がモロに落ち、もし無理にラインを動かせば彼は手抜き作業をし製品の品質を落とす。自動車のように数万個のパ-ツから成りたつ製品ならば、仮に100人のワ-カ-の中に100回に1回ソッポ向く人が一人いたとすれば、パ-ツで見れば一万分の一の確率で見落としなりミスが発生するから一台の車には必ず何らかの欠陥があるという事になる。  
 かくして我が愛車ジュリエッタの欠陥も発生したらしい。チ-ム・ワ-クというのは難しいもので、どこかに不真面目な人が一人でもいれば全体がダメになる。これを繰り返していればやがて真面目な人も真面目さに何の意味も見いださなくなり真面目にやらなくなる。こうして、全体社会はカタストロフィックに限りなく低下してゆく・・という図式が成り立つ。自動車工業に限らず、南イタリア開発の目玉・Taranto の新鋭工業群も、そしてイタリアの公共サ-ビス・行政サ-ビスまで、ここで見られる問題の全てがこの図式で説明できそうだ。  
  
 さて、アルファ・ロメオのバレ-ゼ工場もどうやらイタリア人の一般特性が適応されるケ-スらしい。人の動きにも物の動きにもバラツキが大きいようで生態学的なバランスも美も感じるところが少ない。工場見学の後、かのアンソニ-・パ-キンス氏に印象を聞かれた。イタリア人にはめずらしく自分が勤める会社を誇り、つい先日まで南アフリカのさる自動車会社に技術指導に行っていたという彼は、それなりの称賛の言葉を期待していたらしい。私はこの地に来て日本人にはめずらしく自分が思った事は率直に語るような人間になっていた。だから率直に前述の印象を全て語り、かりに日本の最先端の自動車工場のようにラインの自動化ロボット化を進めてもここでは難しいのではないかという意見を述べた。なぜなら、自動化もロボット化もその設備のメンテナンス(点検・整備)が不可欠で、そのメンテナンス作業のパフォ-マンス(真面目に作業をしたかどうか)のチェックはもっと難しいからである。実際にイタリアの交通信号の故障は信じられない程に多い。私はこのことからメンテナンスする人達のモラルを疑っている。つまりイタリアの自動車産業の将来は暗いと言った。  
 アンソニ-氏はそれをしみじみと聞いてしばらく考え込んだ後に言った。「私 も実はそう思っている」。そして力なく笑った。笑うと顔が緩んでしまう。アンソニ-・パ-キンスに笑い顔は似合わない。止めください、貴方の顔は笑ってはいけない顔だ。