3.イタリアの不幸

 明治維新でいきなり中世から近代国家に脱皮した日本は、ヨ-ロッパから多くの工業技術を導入した。イタリアからも芸術・美術だけでなく鉄鋼・機械・電気通信など近代産業の基幹となる理論や工業技術を学び導入した。当時のイタリアはイギリス・ドイツ・フランスと並びあらゆる分野で工業先進国だったのだ。勿論、今も工業立国といえる。だが現在のイタリア工業界はかって程、はぶりが良くなさそうに見える。現に私たちの業界をはじめ多くの工業分野で日本がこの国に技術を教え、導入している。100年前と立場が逆転してしまった現在の状況については、いろいろな分析や判断がある。  
 私はこれを先の社会的バラツキの大きさと現代工業の特質との組み合わせで考えてみた。こうして見るとこの複雑な現象を最も単純に理解することができるように思える。  
  
 100年前の工業技術は現在に較べるとシンプルであり、一つの技術が単独で成り立っていた。例えばそれ以前の時代の鍛冶屋の仕事が近代化され、機械を用いてより大型の製品をより大量に工場で生産できたとしても、それを支える技術としては(若干の機械についての付随的な知識と)基本的に冶金の技術があれば工場を動かすことはできた。  
 だが現在の鉄鋼業を見れば製品の種類が多様化し、また工場も当時に較べ格段に複雑化した工程の組合せで成り立っている。更にその中のどの工程も冶金の技術だけでなく機械・電気・計装・制御・コンピュ-タ-システム・各種管理技術等々、多くの技術の組合せで成り立ちどの一つにミスがあっても生産はうまくゆかない。鉄鋼業に限らず現代工業は多数の技術の組合せで成立してると言える。つまり技術自体がいわゆるマルチ構造、ハイブリッド構造になっている。現代工業のどの分野を見ても一つの技術が単独で成り立っている例は稀である。この現象は何も工業分野での技術だけでなく全ての科学技術、人間社会の全ての活動・システムについても共通して言えることかも知れない。  
 さてこの現代の特色である組合せ構造・組合せ活動をうまくやるためには先ず、うまいチ-ム・ワ-クが必要になる。異なる分野・異なる立場の人々やグル-プとの上手なチ-ム・ワ-クが不可欠である。  
 そして上手なチ-ム・ワ-クのためには、あらゆるマス・ゲ-ムがそうであるように、チ-ムのメンバ-の粒を揃えることが重要である。すなわチ-ム・メンバ-のバラツキが小さい事が重要な要因である。こうした観点から見ればバラツキが大きいイタリア社会の特性は、高度なチ-ム・ワ-クが要求される現代工業には、はなはだ不向きであると考えられる。また、社会の諸活動やシステムの中でチ-ム・ワ-クが要求される分野はイタリア人には向いていないと考えてもよさそうだと思える。  
 こう説明するとイタリア人から反論があるかも知れない。サッカ-などスポ-ツでは強烈なチ-ム・ワ-クがあるではないか、と・・。だが、ここで言っているのは、そのような瞬発的なものではなく、普遍的永続的なもので一般論として言っているのである。現にその徴候は方々で顕れているようだ。  
  
 このように考えると現在のイタリアは、あまりに不幸ではないか。全ての科学が技術が、そして社会のあらゆるシステムが今後もますます複雑多岐になり続けるようだ。単純化の方向に進みそうな気配は見えない。今や、人類社会の全てのシステムがチ-ム・ワ-クを求める方向に進んでいるとすればイタリアはあまりにも不幸である。