2.コンサルタントの悩み

 イタリア南部、長グツのカカトのつけ根あたりのアドリア海に面したBariまで、私はロ-マから飛行機で飛ぶ。国内航空AtiのDC-9が着陸体制に入る頃から眼下にはオリ-ブ畑の大平原の広がり眼にはいる。  
 Bariでレンタ・カ-をしてイタリア長グツの’土踏まず’の辺りに位置するTaranto まで高速道路を走る。すれ違う車もめったに無い、イタリアでも最もゆったりした道路だ。両側はゆるやかな起伏が延々とうち続くオリ-ブの大平原だ。そのオリ-ブの緑の海のところどころにこの地独特の真っ白い家々ががポツンポツンと散らばっていたり、そのはるか地平の丘の上に城郭を中心にした古い街が見えたりする。そんな広がりの中を高速道路は一直線に地平線まで続いている。おそらく、この地の明るさはサングラスなしには耐えられないだろう。風の心地よさが分かる。殆ど紺碧な空に、純白の積雲が石を投げれば届きそうな高さに浮かんでいたりする。こうなるともう誰でも気持ちは最高になってしまう。  
 そんな風景の中を、このところやや重い気持ちで走っている。高速道路がMottola に近づいて大きくカ-ブし始めると正面にTaranto 湾が見えてくる。訪問先の工場はもうすぐだ。  
  
 現在、イタリアの商工業の中心はほとんど北部にある。これに比べ南部は商工業の発達は遅れている。だが、かってはその遺跡の分布が示すように、ギリシャ、エジプト、オリエント、北アフリカなどの地中海文明圏に近いこの地域に発展した都市が集中した。中世以降の歴史の推移に見るように、文明の舞台がヨ-ロッパに移ってゆくにつれ、イタリア半島の文明も北へと移っていったのである。やがて、文化も技術も経済力もそして教育も北高・南低になり、その結果は現在にまでイタリアの経済・社会そしてイタリア人の意識や生活・文化にまで影響している。  
 第二次大戦後、この南北格差を無くすためイタリア政府は南部開発の一大プロジェクトを興した。その一環として、それまでオリ-ブと漁業と軍港だけだったTaranto に鉄鋼・化学・セメント等からなる巨大な工業コンビナ-トが建設された。膨大な国家予算を注ぎ込んで完成したこれらの国営系企業のいづれのプロジェクトにも先進各国の技術が導入され各分野とも世界一流の設備と規模を備えている。また設備の完成後も、操業や管理などの面からの技術導入をはかっている。  
  
 私の会社もこのコンビナ-トの主要分野で工場設備の建設からその設備を動かし生産するまでの技術協力をしてきた。そして今も技術協力のミッションを送っている。その目的は工場の能率を日本並にするということである。この南イタリア・プ-リア地方の眩しい風景さえ気を踊らせない、技術系駐在員の悩みはここにあった。  
  
 工場の設備を造り、それを動かし生産するまでの各段階での技術協力は全てうまくいった。日本人がやって来て技術を教え、そして日本人が去って行ってもそれなりにうまくいった。基本的に仕様は全て達成した。  
 そして今、求められて指導していることは工場の全ての工程を一貫して操業した時の工場全体の能率を、日本並に向上させることである。これは種々の管理技術の問題であり工場を運営してゆく上で最も難しくかつ重要なことである。  
 理屈の上で考えれば、日本と同じ設備を造り、日本と同じ操業技術を得、日本より良い品質の原材料を使用しているのだから、日本と同等かそれ以上の結果が出るはずである。現に個々の生産工程を単独に動かし生産した時、それなりの良い結果が得られたものだった。だが全ての生産工程を一貫して生産してみると、どうもうまくゆかない。今、このミッションの日本人が彼等の側について一緒にやってみると、日本並のレベルに達した。だが、日本人が彼等の側を離れると、また元のレベルに戻ってしまうのだ。必要な管理技術やノウハウは全て教え、彼等は全てを得ているはずだ。だが何故か元のレベルに戻ってしまう。これは正に「謎」であった。  
  
 しばらく後、私はいつものようにロ-マのラッシュの中にいた。少々イラだつ事でもあったのか、その日の私の運転はいつもより乱暴だったようだ。  
 Meteo di Caracallaの交差点ではいつもながらダラダラと車は動いていた。  
 私が交差点の中央にさしかかった時、信号が変わり始めた。この交差点の中央分部は十分広く、ロ-マではこんな時ここで待つのは普通だ。ふだんの私ならそうしたろう。その日はなぜかロ-マ人よろしく前の車列のシッポにくっついて無理やり突っ込む気になった。ここは力が支配する地域だ。右から来るヤツがクラクションでも鳴らそうものなら窓開けて怒鳴り返してでも、通り抜けるつもりでいたようだ。  
  
 すでに信号は赤に変わっている。ふだんなら右からの車がダッシュしてつめてくるはずなのに、その日はなぜか私の車が通り抜けられるスペ-スが開いているではないか。フト右の車の運転席を見た。私より少々若い紳士がニコニコして、お先にどうぞ・・・の手合い図をしている。「あ~~はずかしい~!」自分の行為のなんとお品のないことか! こんなはずかしい思いをロ-マでしたのは初めてだ。  
  
 朝のラッシュでイタリア人にニッコリ笑って道を譲られた!これはショックだった。その日以来、どんなにイラついた日でも私のセッソウがそれなりのレベルに戻ったのは当然であるが、同時にもっと注意深くイタリア社会・イタリア人の行動の観察を始めた。交差点で、銀行の窓口で、アリタリアの飛行機の中で、朝市で・・・・。いる、いる、全くイタリア人的でないイタリア人が、いや今までの誤解に基づくイタリア人が。  
  
 この国はバラツキが大きいのである  
  
 この単純な事実に気づくまでに随分時間がかかった。真の紳士は徹底的に紳士で逆にそうでない人は徹底的にそうでない。有能な人は徹底的に有能だが逆にそうでない人は徹底的にそうでない。真面目な人とそうでない人、お金持ちと貧乏人、正直者とそうでない人、等々の間の差が日本に較べ大きいのである。逆に見れば、日本の社会や日本人はこのバラツキが小さい。だから日本人の中では誰でも程々に信用できるし、人の能力もここに較べれば程々に揃っている。言ってみれば、日本人は概して皆、同じように考え同じような行動をする。こんな社会の中では何事も平均値でとらえ平均値で考えてしまう。これでいい。これでなにも問題は起こらない。バラツキが小さい社会では何事も平均値が全体の代表だ。だから物事の比較も自分の眼にとまる世界の平均値の比較だけでこと足りる。  
  
 バラツキが大きな社会とバラツキが小さな社会、どうやらこの二つの集団の特性は全く違うようだ。この社会的なバラツキの違いが互いの社会の認識の仕方や社会的現象の現れ方などにも違いをもたらすようだ。技術協力を通じてかいま見た問題も例の週刊誌のアンケ-トの問題も根源は皆ここにありそうだ。