次世代システム研究会 会長 岡本 久人
典型的な日本人 ~ローマにつまずく~
1980年代、日本経済が世界に向かって鼻息荒く突進していた頃の話です。私も鉄鋼関連の技術協力やローマ駐在員などで、その時代の10年前後をイタリアで過ごすことになりました。当初、イタリア経済は国家的破綻と言われ、国の借金も現在の日本の比ではないほど膨大で失業者も町に溢れ、密輸タバコを売る人々が駅や街角、高速道路の入り口などに溢れていました。 当時の日本はというと、産業も戦後復興を終え技術レベルも急速に高くなり外国に技術輸出できるようにもなり、我等の通貨「円」もドルに引けをとらないように強くなりGDPや賃金なども世界のトップレベルに至るようになりました。そんな訳で、ヨーロッパの国々に技術指導に出かける日本人のプライドは極度に高揚したものです。
生活に慣れると、趣味の野鳥観察でもするようにイタリアを見られるようになりました。彫刻と噴水が絶妙な位置関係で並んだ町の広場、わずかな色の違いが織りなす繊細なパターンの堅固な石舗道、レリーフ壁がある家々、鉄扉と絶妙な調和をみせる門壁のアーチ、その大扉の把手も蝶番も年代物の落ち着いた輝きを見せています。古い。だが完璧なまでに美しい。ローマのような都会はもちろん、どんな田舎にも彼らが誇る町の美があるのです。イタリアの町の空が美しいのは、もしかして空を美しく見せるために建物と建物の間の空間が、意図的に設計されているからではなかろうかとさえ思えます。
どの都市どの町にも必ず新しい部分はありますが、その新しい部分と古い部分の調和は、ほぼ完璧までに途得れています。家の中にも、必ず彼等が誇るその家の美があります。古い家具と新しい調度の完全なまでの調和があります。
イタリアの友人たちは、しばしば食事に招待してくれました。そこでの会話はときに優雅で、ときに物事の本質に迫った緊張感がありました。貧富の差は確かにありますが、国家経済破綻といわれる中で国民の誰もが、そうタバコの密売人まで夏には最低1ヶ月のバカンスをとり、多くの人々が別荘を持っています。本物の豊かさとはこんなものなのだ。
世の中にそんな豊かさがあることに気づいた当初は、なにか釈然としない気分に悩まされました。賃金やGDPで見る限り、日本が世界一の金持ち国と呼ばれるようになってから久しかったからです。だが、日本のこれは違う!本物の豊かさとは何かが違う、年収もGDPも低い彼等の方がなぜ豊かな暮らしをしているのでしょうか?
どうやら金持ち、つまりお金を持っている者が必ずしも豊かな生活をしているわけではないようです。生活や生きることを楽しむイタリア人の豊かさの根源は、いったい何でしょう?胸張ってローマに来たが思わぬところでつまづいてしまったものです。
この矛盾の根源が「世代を超えたストックの有無」にあることが分かるまでにかなりの時間を要しました。かの地は家や家具から公共の社会資本までが長寿命型で、世代が進むにつれ資産が蓄積するストック型社会なのだ。
例えば曾祖父が土地と屋敷を手に入れ祖父が家具を揃え、親の代で什器・調度を整え自分は庭を造ると言うように。これに対して日本は、平均寿命30年の家に代表されるようにモノの寿命が短く、世代ごとに全てを更新しなければならないフロー型社会です。
だから生活コストは彼等の2倍近く、私達は常に働き続けなければなりません。賃金やGDPが高く名目上の経済大国であり得ても、このように一世代限りで稼ぎを使い果たすスタイルを続けるかぎり、私達は実質的な「豊かさ」を得られません。
さてそれから二十数年を経て、次世代システム研究会やECO-ECO研究会の活動成果もあり、最近では日本でも「ストック型社会」という考え方が、ようやく理解されるようになりました。その一例が建物です。最近の立法府筋の政策案に、これまで議論されてきた100年住宅より進んだ200年住宅の構想が浮上してきました。これは日本の近未来を考える場合、極めて重要な意味を持ちます。なぜなら現在65億の世界人口が2050年には90億人を超えるという状況の中では、後の世代では資源が枯渇して、家の建替えも今のように自由にはできないでしょう。
加えて少子化の日本では、経済活力を維持するために資産の蓄積が重要になります。建物や各種社会インフラの長寿命化は資源蓄積と資産蓄積の二つの意味を持ちます。後の世代にとっては、家に限らずあらゆる資産の寿命は少しでも長い方がよいのです。
だが地域の将来がどうなるか分からずに、団地の中にひとつ200年住宅を建てても意味がありません。建物を長寿命にするために、同時に地域全体の近未来像をきちんと計画する必要があります。それも物理的な寿命だけでなく子孫が喜んで使ってくれるものでなければなりません。機能的にも、景観や文化的価値の持続、さらには予測される地球環境の変化や災害をも前提にした長寿命性が必要です。幸いこのような課題を解決する技術や理論は、個々にではあるが日本にもあります。これらを組み合わせて地域自らが理想のゴール、つまりストック型地域圏を描くことはできるのです。
国民の理解を得る上で200年住宅を基軸にしてもよいでしょう。これをベースに日本をフロー型からストック型社会へ転換していけば、イタリアやフランスのように国民生活の質は向上していきます。
また個人資産や社会資本の蓄積で国や地域を実質的に豊かにできます。その結果は世代あたりの生活コストひいては日本の社会コストを下げ、国際コスト競争力の回復で国内産業を復活させ、現在の歪んだ雇用構造等も健全化できます。つまり経済の国際競争の中で日本人を活かせる社会に戻れるのです。
また建設に膨大な資源とエネルギーを要する建物や各種インフラを繰り返し造り替える社会からの脱却は、世代あたりの資源負荷を緩和し地球環境問題への根源的対応ができます。資産の蓄積は同時に資源の蓄積を意味するので、日本を資源的自立に近づけます。つまり「資源の無い日本」ではなく「資源を蓄積した日本」になるのです。ストック型社会への転換は、多くの矛盾の同時解決を目指した、日本のパラダイム転換の政策となる可能性を秘めているのです。
今後はモノの長寿命化に必要な初期コストの増加分を世代毎に分担できる税制や各種の金融制度等の改正、資金の議論がもっと必要でしょう。
現在、日本の資金は海外の雇用と資産形成に大いに貢献しています。海外投資から得られる国際所得収支は12兆円を超えるようにもなっています。ここでストック型地域圏という魅力的な投資先を国内に創出することで、できれば海外で運用されている日本の資金の一部を日本の資産形成にまわしたいものです。つまり「日本の資金で日本人の資産をつくろう」ということです。幅広い分野に波及する困難なテーマではありますが、ストック型社会への転換は日本が早急に着手すべき政策だと考えられます。
日本の贅肉を落としたといわれる小泉改革の続きは、近未来の日本の骨格と筋肉を設計し、それを創り出すことでしょう。その改革のゴールとなる「シェイプアップ日本」の体型(大計)を示す政策は、日本人に夢と希望を与えるものになるはずです。地域もそれに向けたビジョンを持って活動を展開すれば、日本各地に新たな活力が生まれるでしょう。
かつてローマの地で思った事は、世界一勤勉で過労死するほどまじめな日本人は報われない、ということでした。それは広い視野と長い視点を私たち日本人がフロー型社会の多忙さの中で失ってしまったからだと。ならば日本をストック社会に転換することが大切だと考えたのです。